小さな傷も致命傷だ

猫もネズミも通れぬような小さな穴から

瞬く間にぼくが零れ落ちて

あっというまに伽藍洞

たたけばポンと音が鳴るような

つまらないぼくが跡には残る


思い出したくないのなら、きっかけを手放すしかない

すべてのきっかけを取り除いてしまえば

心の奥底に閉じ込めておける確率も上がるだろう

すべての糸に火をつけて

誰に届く間もなく細い糸はぷつんと切れる


思い出が形として残っているのなら、さらにたやすいことだ

ただ破り捨ててしまえばいいのだ

美しき記憶に傷をつけ、卑しめ、捨て去る覚悟があるのなら

使い慣れないマッチ棒は

頼りない摩擦にも必死に応えてみせる

どこかの旅館でもらって、後生大事に取っておいたものだ

燃えてなくなっても、きっと惜しくはないだろう


傷跡に這うようなかさぶたが

自主的にぱらぱらと剥がれ落ちる

大切な自分の一部分なので、どこにも行くなと声をかける

おのずから剥がしたことも忘れて、

被害者づらしてむせび泣く


ただの皮のひとひらにも、価値を感じざるを得ない

自分がここにいることの証明は

過去にはもはや縋れなくなった

今をかき集めて何とか形を作るのだ

誰に見せるでもない、ただ取り繕ったような肉体で

言い訳じみた鳴き声ばかり漏らしている

その舟はもはや原型をとどめておらず

ぼくはぼくでない誰かが日記に記されているのを見かけた


そのような日記を読んでいるときが一番落ち着く

自分以外の誰かが主人公の物語

どのような恥も外聞も

決してぼくにはつながらないだろう


無理は禁物を使って寝る

見ないフリしていたものを

見ないフリする余裕が無くなったとき

また思い出すときがやってくる

それは明日の夜かもしれない

寝付けないむせ返るような今日の夜かもしれない


どうかその時までは

イヤホンで耳をふさいで

重ねがけの「好き」に埋もれてしまえ

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