四章『狂言』――4
ネクロマンサー。
ヴァンパイアと並ぶ、魔王城のナンバーツー。
その彼がどうしてここにいるのか、シャノンに答えられるわけがないし、アイリスにも完全な予想外であるようだった。
「……どうした。かけるがよい」
促されるまま二人は部屋に入り、アイリスは丸テーブルを挟んだネクロマンサーの正面に腰を下ろす。その右後ろに、シャノンは控えることにした。
ちょうど、午後、ヴァンパイアが尋ねて来た時とは逆の位置関係だ。
あの時はヴァンパイアが部屋の入り口側に、アイリスが奥に座っていた。
「お久しぶりです――と、まずはご挨拶するべきなのでしょうか」
「……フッ」
フードの奥で、見えない顔が小さく笑う。
「……そうだな。八年ぶりになるか」
「なるほど。あの大広間以来ですか」
シャノンは気づいた。
アイリスの口調や語気からすっかり弱気が消え失せている。ヴァンパイアに打ちのめされてからそう時間は経っていないというのに。
これが、アイリスが吐露した「上っ面を取り繕う術」なのだろうか。
多分違う、とシャノンは思った。
彼女は何かを予期している。何かが始まる。あるいは終わる。少なくとも、何かは変わる。だから構える。自分にとっての最善を選び取れるように神経を研ぐ――帰ってきたのだ。アイリスの眼差しに、鷹が。
「……あ。そうだ、お茶……」
厨房から持ってくるものより少々格は落ちるものの、この部屋にも城の談話室同様、簡単なお茶のセットが一式常備されている。
最高官であるネクロマンサーに茶も出さないでは、城の女官の一人として怠慢の誹りを免れないかもしれない。
そう思って窓際の戸棚へ向かおうとしたシャノンだったが、
「……無用だ」
ネクロマンサーに制止された。
「……招かれざる客であるということくらい自覚している」
「は、はあ」
「……楽にするがよい」
そういわれても、シャノンはアイリスの傍らに戻ることしかできない。
いくらなんでも、まさか座ったり寝転んだりするわけにもいかないだろうし。
「友人へのご寛容に乗じるようで失礼ですが」
すかさず、アイリスが口を挟んだ。
「単刀直入にお聞きしましょう。何故あって、このような場所に」
「……ヴァンパイアの所業について、だ」
「既にお聞き及びでしたか」
「……無論。もはや城中に知れ渡っておる」
「……早いですね」
「……デュラハン、彼奴の仕業よ。伝聞が早まるよう、事前に小細工を弄しておったようだ」
「何のために、というのは愚問でしょうね」
アイリスは目を細めてため息をつく。
「……水蓮姫」
ネクロマンサーは背もたれに深くもたれこんだ。
本題が始まるのだ。シャノンはそう受け取った。
「……儂を疑っていただろう」
「お答えに困りますね」
「……はぐらかさずともよい。最も疑わしい人物が儂であることは、この儂自身よく承知しておるとも」
「ですが」
きっぱりと、アイリスは言う。
「既に、その疑いは晴れていますよ」
「……ほう」
「デュラハン卿です。彼の行いが、貴方の疑惑を否定した」
「……断言するではないか。まるで、既に真相が見えているようだ」
「ええ。もう分かっています」
ギョっとしたのはシャノンだった。思わず「え」と声を上げてアイリスの顔色を窺ってしまうが、実に涼し気なポーカーフェイスだった。
同時に、納得した部分もあった。
あの瞬間――夕食の席にデュラハンが乱入したあの時に、アイリスは何かを悟ったのだ。どういう理屈で何を掴んだのかは知る由もないが、とにかくそれがきっかけで真相と呼べるものに手が届いた。
そしてその直後、せっかくたどり着いた目標を取り上げられてしまった。
そりゃあ怒るだろう。シャノンのためとか過去の経験とかを抜きにしても、あんまりな仕打ちだ。
「当初から私は、とある三人のうちいずれかが犯人であろうと仮定していました。……もっとも正確には二人と一人で、後者の一人についてはさほど強く疑っていたわけではなく、実際すぐに候補から外したのですがね」
「……前者の二人の内、一人が儂か」
「失礼ながら、その通りと言わざるをえません。が、デュラハン卿があの場で名乗り出たことで、私の中でとある仮説に確信が持てました」
「……結果、儂の潔白を信じる気になったと」
「正直に白状すると、まだわずかながら可能性は残っています。おそらくこれが真相だろうという仮説があり、それを支持できるだけの状況がいくつも整っているものの、しかしそれは、一方の仮説の信憑性が極端に強まったというだけで、もう一方の仮説が偽であると証明されたわけではないのです」
「……フッ。素直なことだ」
「あくまで万が一、ですよ。九分九厘、貴方は犯人ではない。ここまで手の内を明かしていることが、私がそう思っている何よりの証拠だとは思っていただけませんか」
「……無論だ、水蓮姫」
ネクロマンサーは頷いた。
「……しかし、今の話をヴァンパイアに話さなかったのは何故だ」
「証拠がないのです」
「……証拠、か」
「ええ。証拠がない以上、直接犯人を問い詰めたところで徹底してシラを切り通されたらそれまでです。そのリスクより、既に自白し、大人しく座して沙汰を待っているデュラハン卿の言説に乗っかった方が確実だとヴァンパイア様はおっしゃるでしょう」
「……奴は、焦っておるのだ」
「理解はしているつもりです。が、承服は断じてできません」
「……そういうと、思っておった」
ネクロマンサーは深々とため息をつく。
彼とて執政官だ。ヴァンパイアが抱える重圧を最もよく理解し得る存在は彼であり、今回の彼女の暴挙にも一定の理解を示さざるを得ないのだろう。
しかし、ここに来たということは――シャノンは期待する。
「……水蓮姫。一つ尋ねよう」
「何なりと、閣下」
「……まだ、足掻くつもりはあるか」
「手段さえあれば、いくらでも」
一瞬、アイリスの視線がネクロマンサーから逸れ、傍らの少女を捉えた。
「……そうか」
ネクロマンサーは懐をあさる。
やがて取り出したものは一枚の書状――この光景は、今日、既に一度目にしている。
「……何故、この城に執政官が二人も居るのか。その理由は、ここにある」
「ネクロマンサー閣下。よろしいのですか」
「……陛下は、このような真似を許さぬだろう。困難な真実への道を避け、楽な虚構への扉を開くことなどあってはならない」
「そう……でしょうね」
「……そして、もう一つ」
フードの奥に隠れた目が、シャノンを見つめる。
「……彼女に、辛いを思いをさせることもな」
「ネクロマンサー様……」
「……フッ。後半はただの感傷よ。重要なのは前半だ」
つい、と目線は再び動き、アイリスを正面に定める。
「……水蓮姫。厚顔無恥を承知で、其方に頼みたい。我が僚友の目を、どうか覚まさせてやってはくれまいか。彼女は時折、視野が狭くなる時がある。しかしそれは、目の前の何事も疎かにすまいと気張ればこその過ちなのだ。その勤勉さが身を亡ぼすというのではあまりに報われぬではないか」
アイリスは答えた。
午後の時と同じく、間髪入れず。
「ご用命、謹んでお引き受けいたしましょう」
「……感謝する。水蓮姫」
ネクロマンサーは腰を上げる。
シャノンは脇に飛び退き、彼が部屋を出ていくための導線を確保する。その様子にネクロマンサーは小さく頷くことで謝意を示し、ゆったりとした足取りで扉へと向かった。
「……忘れるところであった」
ネクロマンサーが振り返った。
アイリスも首を背中側に向けて拝聴の姿勢を取る。――そうだろうと思ったよ、と揺らめく瞳が語っていた。
「……一つ、教えておかねばならぬことがあった」
「ぜひ、お聞かせ願います」
「……デュラハンが陛下の貴下に加わったのは約四百年前のことだ」
「……」
「……それだけだ。では、失礼する。――健闘を、祈っておるよ」
ネクロマンサーは水蓮姫に一礼し、シャノンに軽く会釈をして、音もなく部屋から立ち去った。
※ ※ ※
「ねえ姫様。あれ、どういう意味なんですか?」
「……」
「姫様。……姫様?」
「…………」
「ひーめーさーまー!」
「わぁ!?」
「わあじゃないですよ。何度も呼んだのに無視してくれちゃって」
ネクロマンサーが出て行った後、アイリスは座りっぱなしでずっと黙っていた。
左手の指を数本唇に当てて、目は開いているが、一点をジッと見つめているようでその実何も見てはいない。瞬きすら忘れているんじゃないかと疑うほどその表情は凍り付いており、耳元で大声を出さないと何の反応も示してくれなかった。
よかった。
多分、本調子だ――一時はどうなるかと思ったが、ここにいるのはいつものアイリスだ。変な話だけれど、彼女が何を考えているのか分からないというこの感覚が、シャノンはとても安心できるのだ。
もっとも今回の場合は少しだけ分かることもある。
普通、傷心のどん底に落とされたらこんなにも早く立ち直ったりできない。しかしアイリスは立ち直った。ということは、逆説的に、あの時――ヴァンパイアの前で項垂れていた時の彼女は、まだどん底には居なかったということだ。
希望を捨てていなかった。
要するに、このお姫様は諦めが悪いのだ。
「で? どういう意味なんですかって」
「ああ、うん、それはね……」
「……姫様?」
「…………」
「ちょ、ちょっと!? 焼き直しはナシですよ!」
「あ、ごめんごめん。喋るのを忘れてたかな」
アイリスは数回咳払いをして、それから椅子を蹴り倒すように立ち上がる。
「寝よう、シャノン」
「は?」
「すぐに寝よう。今すぐ。一緒に。今夜は帰さないよ」
「ええ……? いや、実際今晩はここで寝ようかなって思ってましたけど、あの、結局質問に答えてもらってないような……」
「明日の朝一番からシャノンには動いてもらう。説明は、その時かな」
「は、はあ」
「ネクロマンサー閣下のおかげで、やっとすべてに説明がついた。あとは引っ掛けるだけでいい」
とてもこれから睡眠に入ろうとは思っていなさそうな、爛々と輝いた目でアイリスは口の端を釣り上げる。
挑戦者の顔だ。
それも、自信満々の、自らが捕食者側だと信じて憚らない、無謀さを孕んだ好戦的な顔。
「――さあ、目にもの見せてやろう」
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