四章『狂言』――2
轟音が、地下牢に響いた。
魔王殺しを名乗り出たデュラハンは、弁明も抵抗もしないまま、駆け付けた衛兵に連れられてここへやってきた。
ジメジメと冷たく湿った土の壁、どういう魔術か錆だらけのくせに魔王軍千人将の力でもビクともしない鉄格子。ボロボロの筵が一枚置かれているだけで何もない房の中、手錠と足枷をはめられたデュラハンは、自らの頭部を膝の上に抱えジッと座り込んでいた。
そこに、彼がやってきた。
疎にして野だが卑にあらず――そんな言葉を体現したような性格の盟友は、無理やり連れてきたのだろう怯えた顔の看守に牢の鍵を開けさせるとズカズカとデュラハンに歩み寄り、挨拶を交わす間もなく思い切り蹴り上げた。
鎧姿ではないとはいえ、デュラハンの体重は人間の大柄な成人男性と変わらない。にもかかわらず彼の体は軽々と宙を舞い、投げつけられた小石のように房の奥の壁で跳ね返ると、毛虫のような無様な恰好で床に落ちる。
腕の中から零れた頭は床を転がり、鉄格子にぶつかって鈍い音を立てた。
「……ぐっ」
肺から強制的に息が絞り出される。
骨が何本かへし折れたのだろう、激痛が全身を貫いた。……もっともその程度の傷、デュラハンであれば一晩寝るまでもなく数分で治癒するのだけれど。
それを承知の闖入者――二人の千人将の片割れでありデュラハンの長年の戦友であるミノタウロスは、苦し気な声で蠢く友の土手っ腹につま先を叩き込む。今度は、飛び上がらない程度の力加減で。
「つまんねえ真似してくれたなぁ、おい」
「……来るのが早かったな、ミノタウロス」
「ハッ。軽口叩けるくらいには元気ってか」
ミノタウロスはらしくないほど冷ややかな眼差しでデュラハンを見下ろす――見下す。
彼は普段から怒りっぽい性格で怒鳴り声も珍しくない。が、臨界を超えるとむしろ頭の芯が冴えるタイプらしく、稀に見せる激情を内に秘めた冷酷な振る舞いは、デュラハンでさえ恐ろしいと感じるほどであった。
まずいかもしれない、と口の端から血を垂らしつつデュラハンは思う。
今の彼は会話をするつもりがあるようだけれど、一歩間違えて気を変えられたら、即刻この場で殴り殺される可能性がある。
殺されるのは――処刑されるのは構わない。覚悟している。
だが今はダメだ。早すぎる。
「俺ぁただの戦争屋だ。三度のメシと殺し合い以外ロクに考えたことがねぇ。あの時本当は何が起きてたのかなんてわかりゃしねぇし、死んだ大将にゃ悪いが実のところ大して興味も沸いてこねぇ。けどな」
ミノタウロスは離れた場所に落ちていた頭を拾い上げ、胴体の傍に置く。
同じ場所にあった方が喋りやすいからそうしたのだろう。やけに冷静なその判断こそ、彼が怒り心頭であることの何よりの証拠といえる。
「テメェがどんな奴かってことなら多少は知ってんだ。テメェが格好つけるのはどんな時か、誰のためで何のつもりか。その程度も分からねぇような浅ぇ付き合いじゃねえよな、俺たち」
眼球を動かし、デュラハンは頭上の牛頭を睨みつける。
「おかげで分かっちまったぜ。どこのどいつのせいで、昨日から城中がこんな騒ぎになってんのか」
「……それで。何が、言いたい?」
「そんなに死にたきゃブッ殺してやる。今、ここで」
「……」
「おいおい青ざめんなよ、死ぬのが怖えんなら最初っからこんなことすんじゃねえクソッタレ」
ミノタウロスが屈みこむ。
「――なんてな。言ったろ? 分かってんだよテメェの魂胆なんざ。わざわざそれを邪魔してやろうってつもりはねぇよ」
「……そう、なのか……?」
「おう。胸糞悪いだろ、戦友殺しなんて」
「……」
「気になるか? 単細胞の俺がどうして勢い任せにテメェの頭を捻り潰さないのか。そっちの方が俺らしいのにな?」
嘲り。
ミノタウロスに似合わないその行為は、デュラハンに言いようのない不安を抱かせた。
「警告してやるよ。テメェはヴァンパイアを口車に乗っけて満足してっかもしれねぇが、それで万事思惑通りに行くと思ったら大間違いだぜ」
「……」
「あの女がどういう事情でテメェの手のひらで踊る気になったのかは分からんしどうでもいい。きっとあいつにゃあいつの苦労ってのがあるんだろ? 知ったこっちゃねえけど。……しかしだ、デュラハン。あの女一人だけで、魔王城のすべてを牛耳れるとは思わんほうがいいぜ」
「……なに?」
「全員が全員テメェに都合よく動くと思うな。筋書きの変更を求めて動き出す奴は必ず出てくる――いや。もう動いてるだろうな」
「……水蓮姫か、しかし彼女は……」
「ああ、あのお姫様もそうだろうよ。けど、あの子一人のわけがねえ」
「……ミノタウロス、貴様も……」
「安心していいぜ。俺は動かない。テメェにもお姫様にも、どっちにもつかない。僚友のよしみだ、デュラハン。一世一代の大芝居に手出しはしねぇよ――馬鹿な思い付きに命張りやがってと思っちゃいるが、それはそれとしてテメェの気持ちも丸っきり理解できないわけじゃないんでな」
「……」
「見届けてやる。テメェの描いた絵がどう転ぶのか」
吐き捨てるように宣言して、ミノタウロスは立ち上がった。
まだうまく呼吸できていないデュラハンに背を向けて、話は終わったと言わんばかりに牢を出る。
「あばよ、大馬鹿野郎」
去り際、彼は言った。
「処刑されたら褒めてやる。生き延びちまったら、まあ、そんときゃ一杯くらい奢ってやるよ」
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