三章『寝室』――5
「わたし、思ったんですけど」
「んー?」
「陛下を殺した犯人は、ずっと部屋の中に潜んでいた……って説、どうでしょう」
「あー……夜中に侵入して凶行に及んだのではなくて、日中、陛下が留守の間に寝室へもぐりこみ、機をうかがっていたのではないか、ってことかな」
「そうそう。それなら、ヴァンパイア様たちが悩んでいた侵入方法に説明がつくんじゃないかと思って」
寝室のある階層から一つ下った、魔王城の五階。
そこは城の頭脳とも呼べるフロアであった。東西に延びた廊下の南側に三つの部屋が並んでおり、真ん中に構えるのが魔王の執務室である。その両脇は、それぞれヴァンパイアとネクロマンサーの同じく執務室。さらにその外側、廊下の端にある階段と執務室の間に、隙間を埋めるかの如く小さめの談話室が添えられている。全体がきっちり左右対称になるよう設計されているのは、城の中でもこの階層くらいだろう。
シャノンがアイリスを案内したのは、西側の談話室だった。
テーブル付きの一対のソファが真ん中に置かれ、入り口右の隅に寄せられた棚にティーセットと数種類の茶葉が常備されている。部屋の中には他に目立つ設備はなく、無駄の少なさは王の寝室と同様である。が、床に敷かれた長毛の絨毯や模様付きの暖色の壁紙、ソファや戸棚にあしらわれた控えめな金細工など、一つ一つの調度品は寝室に比べると大分派手で、仕事中の一休みに訪れた者を優しく迎えるための工夫が随所に凝らされている。
アイリスをソファに座らせて、シャノン自身はお茶の支度をしていた。
戸棚を開け、水差しからケトルへ必要分の水を移す。引き出しの中には魔術的な紋様の刻まれた平たく丸い黒曜石が入っており、微かに魔力を流したその石の上にケトルを置く。これでしばらく待っていれば日向水が沸騰湯に化けるので、その間はお喋りの時間。
「侵入するだけなら、確かにシャノンの言う通りにすればいいんだけどね。昼間の警備の人を騙せれば条件はクリアなんだし」
「あ、その言い方。やっぱりダメですか」
「色々とかみ合わないかな。例えば、陛下が戻ってきたら結界が再起動して、部屋の中は陛下の魔力で満ちることになる。その時、どこかに潜んでいる侵入者の気配を陛下が察知しないとはあまり思えないかな」
「寝室に忍び込むくらいですし、それを誤魔化す方法くらい用意してたんじゃないです?」
「かもね。でもシャノン、それを言い出したら水掛け論になるよ」
「そうでした。だから手段については深掘りしない、でしたね」
ケトルの口から湯気が昇り始めた。
ティーセットを取り出し、いくつか並んだ小瓶の中から柑橘系の香りがついた茶葉を選んで、スプーン一杯分をポットの中へ。沸かしたお湯をその上から注ぎ、蓋をして、またしてもお喋りタイム。
「まあ、シャノンの仮説が正しいとして――犯人が陛下の目を盗む手段を用意していたとして、それでも不自然な点が残っちゃうかな」
「ありゃ。まだダメなとこがありましたか」
「どちらかというとこっちの方が問題。息をひそめていた犯人は、機を見て陛下に襲い掛かろうとする――けど、機、っていつ?」
「それは……陛下が眠った後、とか?」
「だったら遺体はベッドにないとおかしいかな」
「確かに」
ティーカップを二つ並べる。
主人のために淹れたお茶をメイドも一緒に飲むなんて普通なら許されないことだけれど、
「姫様、わたしもお茶飲んでいいですか?」
「いちいち断らないでいいっていつも言ってるでしょ」
「はーい」
聞く前から答えなんて分かり切っているので、最初から二杯分用意していた。
澄んだ琥珀色でカップを満たし、一つにはソーサーを添えてアイリスの前へ。ありがとう、の一言を受け取ったら、もう一つのカップを手に持ってテーブルを挟んだ彼女の正面に腰を下ろす。
「他にも細かい違和感はいくつかあるんだけど、まあそんなわけで犯人待ち伏せ説はちょっと支持できないかな」
「んー、いい線行ってるんじゃないかと思ったんですけどねえ」
「悪い考えだとは言ってないんだよ? 一度は考えてみないといけない可能性だもの」
「コテンパンにやっつけられた後に慰められても元気出ませんよ。……というか、かくいう姫様は、今どんなことを考えてるんです?」
「えー? まだ秘密」
「ズルい!」
「嫌いなの。確信が持ててない仮説を誰かに喋るのって」
「……ケチ」
「そう言わないでよ。昔からの染みついた癖なんだから」
「それもズルいです。そんなの責められないじゃないですか」
「ごめん。まあ、しっかり固まったらちゃんと教えるから」
「約束ですよ」
二人して、お茶を啜る。
甘酸っぱい香りが舌から鼻に抜けて、疲れた心身に心地よい。
今日はそんなに動きまわったわけではないから肉体的にはまだまだ余裕があるのだけれど、日常とはとても呼べない一日だったせいで脳みそがくたびれてる感じがする。眠くはないのに瞼が重い。
「……ねえ、姫様」
「どうしたの。らしくなく聞きづらそうにして」
「その……今する話じゃないかもしれないんですけど」
一度、息継ぎを挟んだ。
「犯人、見つからなかったらどうなっちゃうんでしょうね」
「……不安?」
「少しだけ。姫様が失敗するんじゃないか、と思ってるわけじゃないんです。むしろあっさり全部何とかしちゃうんだろうなって。……だけど、陛下が殺される、なんて誰も想像してなかったことが現実に起きて、なんだか、このままどんどん、予想できない悪い事態が立て続けに起こるような気も、ちょっとだけするんです」
「だから、犯人を突き止められなかった時のこともつい心配してしまう、と」
「……ごめんなさい」
「別に謝らないでも……ちなみに、いつからそう思ってた?」
「実は、今朝からずっと」
「そっか」
アイリスの手の中で、ソーサーとカップの底がぶつかって乾いた音が鳴る。
まだ中身の残っているそれを、彼女はテーブルの上にそっと戻した。
「シャノン。無責任なことを言うとね、私が真相に辿り着こうが途中で脱落しようが、大局にはあまり影響はないんだよ」
「え。でも、事件を解決しないと和睦成立に影響が――」
「ない」
「……じゃあなんで、ヴァンパイア様たちは犯人を捜してるんです? そのためにわざわざ集まって会議までしたんですよ?」
「彼女たちは最悪中の最悪を想定して動いてる。犯人が見つからず、それが遠因となって使節団ともめて、和睦がご破算になり、戦時に逆戻りするんじゃないか――確かにその可能性もゼロではないよ。けど、そこまで事態が拗れることはまずありえないかな」
「どうして、そう言い切れるんです?」
「人間も和睦が成立してくれた方が得をするからだよ。利害が一致している限り彼らは歩み寄りの姿勢を見せるだろうし、魔王城でトラブルがあったからってヘソを曲げるようなことはしない」
「……そうなんですか」
「もちろん陛下が亡くなってしまったことは大問題だよ。だけどそれは、国家元首が不在のままでは協定が成立させられないから、ってだけ。陛下を殺した犯人がまだ見つかっていない、と言われたところで彼らは気にしない。『そんなことは後で解決してくれないか』――それくらいのことは平然と言うだろうね」
アイリスの言葉や眼差しの節々から感じる仄暗さは、侮蔑の意思の表れだった。
彼女が自分の国の社交界や政界を良く思っていないことを知っているのはシャノンだけではない。ヴァンパイアやサキュバスなど、何度か彼女と顔を合わせたことのある者ならば大抵は気づいている。
それでもアイリスは、大っぴらに嫌悪感を口にしたりはしない。
ここは魔王城で、普段いる部屋は幽獄塔で、彼女の国の関係者が紛れ込む心配がない場所で、だから好きなだけ悪口を言っても大丈夫なはずなのに、バレバレの悪感情を、隠せてないのに隠そうとする。
それが、たまに、痛々しい。
「姫様、わたしは――」
――ぐぅ。
シャノンの腹は口より雄弁だった。
「……あ」
「ふっ、あははは!」
「ちょ、ちょっと! 笑わないでください真面目なこと言おうとしたのに!」
「いやぁ、無理でしょ」
「あーもう、なんでこうなるかなぁ!?」
「しょうがないよ、もうそういう時間だもの」
くい、とアイリスは無造作にお茶を飲み干した。
負けじとシャノンも煽るようにぬるくなった液体を喉に流し込む。
「シャノン、晩御飯にしよっか」
「なんですかその生ぬるい笑顔は! ええい、お気遣いいただかなくても結構です!」
「まあまあそうカッカしないで。……いや、実はちょっと気になってるんだよ。夕飯はどこで食べることになるのかな、って」
「どこで、って、そりゃ――」
いつもの部屋でしょ、と言いかけてやめた。
今から幽獄塔に戻るのは時間がかかる。城の中で済ませられるならそうしてしまった方が効率的だ。
まさか使用人の休憩室にアイリスを通すわけにはいかないけれど、官職用の食堂も魔王城にはあるし、うっかりすれば高官用の食事室も使えるかもしれない。あるいは貴賓室という手もなくはないか。
「リーダーに確認してみないといけないですね」
「分かった。……ああ、せっかくならシャノンも一緒に食べられるようにしてくれると嬉しいかな」
「通りますかねえ、その希望」
示し合わせたわけではないが、二人は同時にソファから腰を起こした。
使い終えたカップを片付けて談話室を出る頃には、シャノンはさっき自分が何を言いかけたのかすっかり忘れてしまっていた。
――ま、いっか。
覚えられていないということはそれくらいどうでもいいことだったのだろう。
そんなことよりお腹が空いた。早くサキュバスを捜しに行こう。
※ ※ ※
で、どうしてこうなったのだろう――シャノンは内心で頭を抱えていた。
サキュバスはすぐに見つかった。夜になり城の廊下の明かりをともして回っている女官が居たので居場所を聞いてみると、多分休憩室にいるはずですよ、というから尋ねてみたらその通りそこにいた。
シャノンがアイリスの夕飯の件を相談したところ、それならば高官用の食事室を使うのが一番いいだろう、と彼女は答えた。ちょうど今しがたヴァンパイアとサラマンダーの二人をそこに案内したところだからご一緒させてもらえばいい。リザードマン料理長にはサキュバス自らが話を通しくれるそうだ。
ならそうしよう、とシャノンはアイリスを言われた場所へ案内した。
部屋の中ではヴァンパイアとサラマンダーが食前酒を傾けながら歓談しており、彼女らは珍しい来客を歓迎してくれた。
これでよし、とシャノンはアイリスを部屋に残し、自分は普段の休憩室に戻って手早く夕飯を済ませてしまおうとしたのだけれど、待って、とアイリスに呼び止められた。
彼女は重臣二人に尋ねた。どうせならシャノンも一緒にここで食べていいですか?
サラマンダーが答えた。構わないよ。
そんな馬鹿な、一介の使用人に過ぎない自分がこの三人と席を寄せ合って夕飯を共にするなんてあっていいわけがないだろう――そう反論したかったが、他ならぬその三人から「座りなよ」と言われては多勢に無勢、断り切れず、シャノンはアイリスの向かい、ヴァンパイアの隣の席に座るしかなかった。
――場違いにも程ってもんがあるでしょうに……。
魔王城の中で一番華やかな部屋はどこか、と尋ねられたら、シャノンは今自分のいるこの場所を答えるだろう。
赤を基調とした壁紙と絨毯に囲まれた空間を、細やかで複雑な意匠がふんだんに盛り込まれた金のシャンデリアが照らしている。壁には長閑な湖畔を描いた風景画が飾られ、純白のテーブルクロスがかけられた食卓の上には銀の燭台が鎮座している――ヴァンパイアが普段から食事に使う部屋なので、実際は銀ではないらしいが。
そんなところにメイド服で座っていると、とてもじゃないが落ち着かない。
真正面でニコニコしているアイリスは、そりゃあ元を正せば殿上の人なのだからこれくらい慣れっこなのかもしれないが、急に国の重鎮と食卓を囲うことになった奉公人の気持ちも考えてほしい。こっちはテーブルマナーもろくに知らないんだぞ。
それにしても、突然あんな申し出をする彼女も彼女なら気軽に了承した二人も二人だ。上に立つ者は柔軟であるべき、みたいなことはたまに言われるけれど、求められている柔軟性ってこういうことではないと思う。
――おかしなことになったなぁ……。
まあ、なんだかんだ言いつつ腹は減っているし、おいしいものが食べられるなら悪いことではないのだろう。
「まさかこんな形で水蓮姫に会えるとは思ってなかったですよ」
運ばれてきた前菜をつまみながらサラマンダーが楽し気に言う。
シャノンも、おっかなびっくり前菜に手をつける――うまい。けど、俗な味に慣れ切った舌には上品すぎる気もする。
「で、どうですその後。何か分かりました?」
「残念ながら、ご報告できるような新事実は、まだ」
「そう……手ごたえはどうなのかしら?」
「前進しているとは確信していますよ、閣下。もう少しで全体像が見えてきそうな予感があるのです」
「へえ、そりゃすごい。本当に明日までに犯人を見つけてしまいそうな勢いだなあ――もしそうなれば、水蓮姫を抜擢したマダムの慧眼、ってことになるんですかね」
「そんなことで威張ろうなんて思ってないわよ」
「いやいや。マダムのあの提案が無ければ僕らはまだ会議室で泥沼の中だったのかもしれませんからね。結構本気で感謝してるんですよ」
「礼を言うなら、私じゃなくてアイリスに言うべきじゃないかしら」
「ん、それもそうですね。ありがとう、水蓮姫」
「まだ成果を出せたわけではありません。少し気が早いですよ、サラマンダー卿」
三人の和やかな会話を尻目に、シャノンはもくもくとカトラリーを動かすことに専念する。
余計なことを言って変な空気にしたくなかった。そしてそれ以上に、順に運ばれてくる普段の食事よりワンランクどころかスリーランクくらい上の料理たちに専念したい気分だった。
そして、メインディッシュが運ばれてくる頃。
それは起きた。
「おや、珍しい客人がいらっしゃるようですな」
食事室の扉が開き、略礼装姿の騎士が入ってくる。
自らの首を小脇に抱えた彼は、言わずもがな、魔王軍を束ねる二人の千人将の片割れ、デュラハンである。
「やあ将軍、貴方も今からお食事ですか」
「いえ、吾輩はもう済ませておりますとも」
そういいながら、彼は四人の誰からも離れた端の席に腰を下ろす。卓上に首を置き、体は両肘をテーブルについて指を組む。
「へえ? じゃあ、どうしてここに?」
サラマンダーが尋ねた。
「ええ。ヴァンパイア殿に少しお話がありましてな。食事室におられると聞き及んだので足を運んだのですが、いやはや、サラマンダー殿のみならず水蓮姫まで揃っているとは、想定外でした」
「内密の話なら、後で執務室で聞くわよ」
「もし火急の用なら、僕らは席を外しますけどどうします?」
「それには及びませぬ。皆様にも、聞いていただきましょう」
ピク、と。
視界の隅で、アイリスの眉が動くのが分かった。
同時にいつの間にか自分も険しい顔になっていることに気づく。いや、自分たち二人だけではない。ヴァンパイアもサラマンダーも、口元に警戒心が滲んでいる。
愉快そうにしているのは一人だけ――違う。彼も、上機嫌を装っているだけだ。
――なんだ、この人。
気味が悪い。
机の上の生首に張り付けられた笑顔の裏側がまるで見えない。仮面とは何かを隠すためのもののはずなのに、あるはずの中身が空っぽなのだ。
「……何をおっしゃるつもりなんです? デュラハン将軍」
「なに、シンプルなことですとも。実は――」
デュラハンは言った。
淡々と。
感情を押し潰して。
「――陛下を殺したのは、この吾輩なのです」
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