三章『寝室』――2

 一方その頃。

 記念すべき第一歩を踏み出したアイリスとシャノンは、さっそく第一の障害に突き当たっていた。

「……ねえ、シャノン」

「はい」

「階段、長くない?」

「んー? まあ、確かにちょっと長いかもしれないですね。わたしからすると、毎日昇り降りしてるいつもの階段でしかないんですけど」

「ここ、何階?」

「幽獄塔はキッチリ階層が分かれてるわけじゃないので正確なことはわかりませんけど、まあ大体十一階くらいです」

「城に繋がってるっていう渡り廊下があるのは?」

「二階ですね」

「…………」

「わあ、すごい形相。そんな顔できたんですね」

「……シャノン」

「なんです?」

「……おんぶ」

「できるわけないでしょう両手見てくださいよ」

 シャノンは昼食で使った空の食器を積んだお盆を持っている。

ヴァンパイアの訪問に遮られて片付け損ねたもので、どうせこれから城に向かうのだからついでに運んでしまおう、という魂胆である。

 そんなものを抱えて人一人背負えるわけがない。

 ブーブー言わずに早よ歩け、と声に出さないまま目線だけで催促すると、アイリスは恨めし気な目線でシャノンを威嚇し、しかしついには根負けしておっかなびっくり螺旋階段を降り始めた。

 まあ、怖がる気持ちはわかる。

 階段を降りる。そんな、わざわざ予定表に書き込んだりしない当たり前の日常動作ですら、アイリスにとっては八年ぶりなのだ。転ばないだろうか、足を踏み外さないだろうか。不安になったって不思議じゃない。もし両手が空いていたなら、おんぶはやりすぎにしても手を引いて誘導するくらいはしてあげてもよかったのかな――とシャノンは少しだけ同情と申し訳なさを覚えたのだけれど、すぐにそれは取り越し苦労だと分かった。

 螺旋階段にはちゃんと手すりがついているので転げ落ちる心配は殆どなく、勾配もそれほど急ではないので体勢を崩す恐れも比較的少ない。何より、いくら八年のブランクがあるとはいえ、それより以前はアイリスだって散々日常の中で階段の昇り降りを経験しているのだ。頭が方法を忘れても、体がやり方を覚えている。

 結局アイリスが戸惑っていたのは最初の数歩だけで、慎重ながらに一階層分くらいを下ったころには歩調に淀みも見られなくなり、気づけば手すりからも手を離していた。

 よかったよかった、とシャノンは胸を撫でおろし、前を歩く背中に声をかけた。

「ずっと引きこもってた姫様には、いい運動になりそうですね」

「……」

 睨まれた。

 わざわざ立ち止まって、こっちを振り返ってガンをつけてきた。

 どうやら機嫌は直り切っていないようだ。

「え、えーっと。ねえ姫様、城に着いたら、まずどこに行きたいとかって決まってます?」

「……」

「ほら、案内するのはわたしですし? 先に聞いておいたらスムーズかなー、って……」

 なんで言い訳してるんだろう悪いことしたわけじゃないのに――そう思いながら弁明を続けるシャノンを、しばらくアイリスはジーッと見つめていた。

 が、やがて諦めたようなため息をついて、

「寝室かな」

 回れ右をし、再び歩き出しながらそう答えた。

「陛下の寝室。とりあえずは、そこが目的地」

「了解です。……やれやれ、階段が面倒くさいってだけでそんなに怒らなくても……」

「何か言った?」

「いえ、何も。それよりなんで寝室が気になるのか教えてもらえませんか。ただの興味本位なので差し支えるなら大丈夫ですけど」

「別に秘密にするようなことでもないかな。単にそこが現場だから、ってだけの話だよ」

「つまり……現場に何か痕跡が無いか確かめに行きたい、ってことですか」

「痕跡を期待するほど高望みはしてないけど、まあ似たようなところだね」

 アイリスの声はいつになく素っ気なかった。

 表情が気になるが、シャノンの位置からでは彼女の後頭部しか目に入らないので想像するしかない。

「ヴァンパイア閣下は回り道をしてた」

「回り道?」

「午前中の会議のことだよ。あの話し合いは、まあ、無駄と一言で切り捨てるほどではないにせよ、ちょっと努力の方向性を間違えたものだった――本人たちには、私がそう言ってたことは内緒にしといてね?」

「念を押さなくてもチクったりしませんよ」

「うんうん、さすが私のシャノン。……話を戻すね。閣下たちはみんなで集まって、どうすれば陛下を殺せるのかについて意見を出し合った。一見、それは犯人特定のための必要なプロセスのようだけれど、私にはとても効率の悪いアプローチに思えたかな」

「方向性が間違ってるっていうのはそういう意味ですか」

「そういうこと」

「つまり姫様は、犯人が陛下を殺した方法について考えるつもりはない、と?」

「あんまり意味がないからね」

「……どうして意味がないと?」

「だって、シャノンたち魔族は魔術が使えるでしょう?」

「別に人間も使えますよ?」

「人間は特別な訓練を長い期間積まないと基本的には無理だよ。私もまったく使えない。けど魔族の人たちは、規模の大小や才能の強弱に違いはあってもある程度の魔術を誰でも扱うことができる」

「まあ、そうですね。でもそれが何だっていうんです」

「日常レベルで魔術を常用するのが当たり前の環境で不可能犯罪について話し合うのは馬鹿らしい、ってことかな」

「……むう。なんだか言い回しが難しくてよくわかんないです」

「『なんでもアリ』が過ぎるんだよ、魔術っていう技術は。火のないところに煙を出すことも、雨のない土地で虹を生むこともできる。どんなに不可能としか思えない状況があったとしても、『それを可能にする魔術を新しく作った』って説明が成り立ってしまう――もちろん極論だけどね」

「暴論も暴論ですよ。そんな都合のいい魔術をポンポン作れたら苦労しませんって」

「そうかな? 案外、その場その場の用途に合わせて魔術をアレンジするくらいは珍しくないんじゃない? 例えば幽獄塔の私の部屋、『虜囚を外に出さないため特定の人物は扉に触れられなくなる魔術』がかかってたでしょ?」

「ですね。だからさっきもわたしが扉を開けました。確かにピンポイントな魔術ですね」

「陛下もご自身の寝室に特製の結界を張っていた、ってヴァンパイア閣下も言っていた。目的のために新しい魔術を考えることはそこまで突飛な発想ってわけではないと思うかな」

「……うーん、言われてみればそうなのかも」

 アイリスの言う通り、シャノンも多少ながら魔術を扱える。魔族としては一般的なレベルの、ごく小規模な魔術しか使えないし、普段それに頼った生活をしているわけでもない。

 だから、今のアイリスの言説にはあまり共感できないのだけれど、他の魔族――例えばネクロマンサーのような熟練の魔術師であれば、目の前の困難を突破する方法として新たな魔術の開発は十分選択肢に含まれるのかもしれない。

 しかし、それはあまりにも。

「ワイルドカード過ぎる……」

「その通り」

 アイリスが頷いたのが、背中越しでもわかった。

「知恵を絞って何とか不可能犯罪を可能にする方法を解明したとしても、『残念、実際は自分の知らない新しい魔術が使われていたのでした』――ってちゃぶ台返しを食らう可能性がある。わざわざそのリスクを負ってまで手段の追及にこだわる意味は、私にはあんまりないと思えてしまうかな」

「なるほど……でも、じゃあ姫様は何を考えれば犯人に辿り着けると思ってるんですか?」

「平たく言えば動機かな。なぜこの事件は起きたのか、どうして犯人は事件を起こしたのか。そっちから考えた方が分かりやすいと思う。まあ、既に三人までは犯人候補も絞り込めてるわけだし、順番に確かめて行けば――」

「――ちょっと待って!?」

 大声を出した拍子に、お盆を落としそうになった。

 すんでのところで持ち直し食器の落下は避けられたけれど、ガシャガシャと耳障りなが音が幽獄塔の壁に反響する。

 アイリスは立ち止まって振り返り、

「びっくりした。どうしたの急に」

「こっちの台詞ですよ!」

 シャノンは叫んだ。

「絞れてるんですか!? 犯人!?」

「え、うん。三人までは……っていうかあれ、言ってなかったっけ?」

「初耳です!」

「それはうっかりしてたかな……すっかりもう伝えてたつもりだった。でも大丈夫だよ、少し考えればシャノンにもすぐわかることだから」

「いやいやいや、そんなこと言われても――っていうか、それ以前にですよ、そこまで分かってるなら早くヴァンパイア様にご報告しないと!」

「それはダメ」

「なんで!?」

「理由は二つかな。一つは、まだ三人の中に犯人がいる、としか分かっていないということ。それじゃ特定したとは言えないよね。もう一つは、私が探しているのは犯人ではなくて真相だということ。誰がやったかはその一部でしかないかな」

 そうだ。

 そうだった。

 アイリスはわざわざ確認していたではないか。自分が見つけるべきは魔王殺害の実行者なのか、それともあの夜の真実そのものなのか、と。

「……ごめんなさい。ちょっと、熱くなりすぎました」

「こちらこそごめん、シャノン。私って昔から、相手の気持ちに注意するのを忘れちゃうときがあるんだ」

「知ってますよ。何度もそれに振り回されてきましたから。今更怒る気にもなれません」

「ありがと」

 アイリスは目尻を綻ばせて笑い、再び前を向いて歩きだす。

 ほどなく、カツン――とひと際大きな足跡がなって、それが終点の合図だった。

 目の前に伸びる渡り廊下。ここを渡れば、魔王城。

「――あはは、すごく懐かしい」

 アイリスは停まらなかった。

 躊躇うことなく一歩を踏み出し、シャノンがついてきているか気にする素振りもなく、前へ前へと進んでいく。

 その背中が。

 ずっと、毎日見守り続けてきたその背中が――シャノンの目には一瞬、得体のしれないものとして映り込んだ。

 たった一度の瞬きで霧散してしまったその感覚は、しかし、当分記憶から消えてくれそうになかった。

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