一章『大テーブル』――5

 陽の差さぬ国の東方には、人間たちの住まう土地が広がっている。

 四つの大国と十三の小国があり、古き昔には、それらの国々はお互いを敵として争い合っていた歴史があるが、千年前を境に事情が変わる。

 魔王の樹立した陽の差さぬ国――国土の総面積は、人間のすべての国を足したそれに等しく、個として強いが故に結束していなかった魔族が一つの国となったことで得られた強大な軍事力は、あらゆる人間たちに生存の憂き目を感じさせるに十分な存在であった。

 そして五百年前、その脅威は現実となる。直接のきっかけが何であったか、今となっては確かな記録も残っていないけれど、国境沿いの小競り合いを発端として、陽の差さぬ国は人間たちの土地へ向けて、軍勢を差し向けた。

 いがみ合っていた者たちが手を取り合う最大の理由が、第三の敵の存在であることは、古今東西の歴史が証明している。人類が人類同士で殺し合うことの馬鹿馬鹿しさに目覚め、魔族という共通的のために団結したことは、至極当然の成り行きであった。

 魔王にしてみても、その程度のことは織り込み済みで始めた進軍であったろうけど、しかしここで誤算だったのは、一枚岩となった人間の集団、その統率力である。一と一を足して二にすることを連携とは言わない。一と一で三を、三と三で十を作る。それが出来て初めて協力と呼ぶのだと、人間は知っていたのである。

 戦いは長引いた。

 個の力は無論魔族に軍配が上がり、戦場では一人の魔族が五人の人間を殺すことができた。しかし、そもそも群れを作ることに慣れていない魔族たちは、命令系統に従い組織的に動く人間たちの、緻密に運用される戦術と戦略の前に討ち取られていった。お互いの総力は拮抗しており、戦いはやがて消耗戦の様相を呈し始め、これ以上は無為な国力の損耗でしかないことに気づいた双方は、どちらからともなく戦線の縮小を図りだした。

 合戦と呼べるほどの軍同士のぶつかり合いは起こらなくなり、慢性的な緊張状態のみが残された。時折、国境の辺りで小規模な偶発的戦闘が起こることはあるが、その火の粉が燃え上がることはなかった。

 意図したものではなく時の流れの結果とはいえ、戦火が収まったのは事実であり、それは双方にとって喜ばしいことであった。どちらかが手出しをしない限り、しばらくはこのままの、実質的停戦状態が続くだろうと予想された。

 それが、今から百年前のことである。

 その後は予想通り、魔族も人間も、自分たちの国の国力回復を主とした内政に力を入れ、仮初の平穏を享受していた。八年前、『黒竜事変』と呼ばれる両軍の衝突が大事件として世間を駆け巡ったが、これも、言ってしまえば辺境での小競り合い以上の代物ではなく、大局に影響を与えるものではなかった。

 さらに潮目が変わったのが五年前である。

 四つの大国の一つに数えられるとある帝国の老帝が、それぞれの国の長たちが集まる人類の最高議会――元老院と通称されるそこに、和睦交渉の案を提出したのである。

 現在、人間と魔族の間に衝突が無いことは事実。しかし、この平和には根拠となるものがなく、いつ崩れ去るとも知れない代物である。幸いなことにこの平穏な時代は百年続いた。今や、魔族と人間の本格的な衝突の時代を覚えている者は少ない。この際、陽の差さぬ国と人間たちとの間に和睦を結び、恒久的に戦を終わらせることこそ、人類にとっての、いや、この世界に住まう全ての者にとっての最も賢い選択であると信じる――老帝はそう主張したのであった。

 誰にとっても正しい提案である。

たとえ、その清廉な訴えの裏側に俗な野心が隠れていたとしても。

これを提案した老帝は、暴君でもなければ暗君でもなく、しかし名君でもなく、あえて表すならばつまらない皇帝であった。先帝、先々帝と名君の治世が続いたその帝国における彼の評価は、邪魔をしないだけよい、といった具合で、極端に平たい表現を使えば、要するに舐められていたのである。自分の能力の際限を弁えていた彼は、父や祖父に自らが及ばないことは当たり前だ、と、まんじりともせずその評判を受け止めていたのだが、自らの死期が近いことを感じるようになるにつれ欲が出てきた。せめて自分も一つくらい、後世に残る業績を成せないものか。

そこで和睦交渉である。これが成果を上げたとなれば、過去五百年で最大の功績を成した皇帝として讃えられることになる。彼の願いは果たされる。

 他の国の元首たちの中で、一部にはそのような老帝の心の内を察している者も居たが、そんなことは知らぬ振りをしてその案を協議にかけた。

どのような理由であれ、陽の差さぬ国との間に和睦が成立することは喜ばしいことで、そのきっかけが老帝の見栄であったとしても、彼らにとって何の不都合もなかったのである。むしろ、自分たちがなあなあで済ませていた部分を老人が整理してくれるというのだから、口車に乗ってしまうのが良いであろう。発起人として名が残る名誉くらい、冥土の土産にくれてやってもいいではないか。

 そうして、陽の差さぬ国に向けた和睦交渉の提案、という議題は、全会一致を持って元老院で可決された。

 とはいえ、五百年続いた戦争を終わらせようというのである。そう簡単にいくとは思えない。魔族には長命の者も多いし、過去の戦場を直に知る者もまだ大勢いる。人間への恨みを忘れていない者の数は相当数に上るだろう。

 交渉の末に決裂するか、そもそも門前払いされるのではないか。

 実を言うと、和睦交渉の提案が持ち出されたのは、この時が初めてではなかった。

 過去三度、同じように和睦の案が提出され、魔王に向けて親書を送り、そして、突っ返されてきたのである。

 恐らく今回もそうなるだろう。

 元老院に集った十七人の国家元首の内、そう考えるものは半数以上であった。もっとも、その予感が当たったとしても、現状維持が続くだけで、即刻全面戦争のやり直し、という事態にはならないだろうと思うくらいには、その過半数の元首たちも平和ボケをしていたのであるが。

 しかし事態は彼らの予想を簡単に裏切った。

 魔王がその和睦交渉のテーブルに着く、と宣言したのである。

 慢性的な緊張状態に嫌気がさしていたのは魔族とて同じこと、この際ケリをつけるのも悪くないだろう。人間と魔族が戦の果てに共倒れするような未来ではなく、同じ大地に生きる者同士が手を取り合って繁栄の道を模索する未来をこそ余は望む――魔王城の外交特使だという猫の魔族が持ってきた魔王の返信文には、そう記されていたのであった。

 こうなると話は変わってくる。

 魔王を、神聖不可侵という言葉を体現するあの絶対者を相手取って和睦の交渉を行わなければならない。

 元老院の面々は一斉にそっぽを向き、老帝一人にその責を押し付けた……のだが、ここで彼らが驚いたのは、この知らせを聞いたその時から、枯れ木のようだった老帝の瞳に光が戻り、若き日を凌ぐほどの精力で、余命全てを注ぎ込むかのような文字通り命がけの働きを彼が見せたことであった。

 その後、終戦後の国境線の管理や賠償責任の調整など、終戦に必要な処理を整えた上で、双方が合意できる和睦条約を策定するのに五年の歳月を費やした。

 そしてひと月前。

老帝の人生の集大成であるその和睦条約を引っ提げて、人類を代表する特使団が老帝の治める国の首都を発った。

 魔王城に到着する前に城の主が殺されることになろうなど、当然、知る由もなく。


※   ※   ※


 サラマンダー、セイレーン、そしてリッチーの三人は、いずれも平時は魔王城の遠方を預かる地方領主たちである。

 その彼らが、今、この場で一堂に会している理由は一つしかなく、近々に差し迫った和睦調停の式典に出席するために他ならなかった。

 魔王の死は、予定表になかった偶発的なイベントに過ぎないのである。

 あまりに大きなアクシデントだったせいで、まるでそのために集まったかのように本人たちすら錯覚していたが。

「休息を中断させてしまって、まずは申し訳ない。が、事情がこうなってしまっては一度呼び戻さざるを得なかった。理解してくれ」

 会議室に、再び八人が集まった。部屋の隅で怯えた表情を浮かべながら成り行きを見守っているケットシーを含めれば九人ということになるか。

 休憩前とは態度を変え、仕切り役を買って出たデーモンは、和睦調停のための使節団が、魔王城の西方、薄氷峠と呼ばれる山間の街道を通過したことを諸侯に伝え、問題解決のために残された時間が僅かであることを明らかにした。

「思ったより早いのう」

 リッチーがうなる。

「薄氷峠だろ? 明日にはここに着いちまうぜ」

「ミノタウロス将軍の軍隊ならそうでしょうけど、相手は文官ばかりの使節団ですよ。多分、二日はかかるんじゃないですかね」

「ふーん、そんなもんか」

「……だとしても、あまりに短い」

 ネクロマンサーの絞り出すような声に、数人が頷いた。

「一応、足止めの指示は出しておいたわ」

 と、ヴァンパイア。

「おそらく使節団は今日の夜、黒犬街道の宿場に停泊するはずよ。長旅の疲れを癒すため、とかなんとか理由をつけてやりすぎなくらいおもてなして繋ぎ止めなさい、と伝えてある。一日くらいは何とかするでしょう」

「それでも二日が三日になるだけですわ。一日の違いは大きいとはいえ、不足は補いきれませんわよ」

「そう、たった三日。それまでに何とかしないと」

「やるべきことは少なくとも二つだ」

 デーモンが二本指を立てる。

「一つは、陛下の死にまつわる諸々の疑問の解消。もう一つは、和睦調停のための最終調整と儀式の準備」

「後者に全力で当たるためにも、前者は早々に決着をつけねばなりますまいな」

「無茶言うなよデュラハン。午前中あんだけ頭ひねって何にも思いつかなかったんだぞ」

「だからといって努力を放棄できるか。できるかどうかではない、やるしかないのだ」

「……しかし、無策に焦るだけでは、失敗以外の結末はあるまい」

「ではどうなさるというのです、ネクロマンサー殿」

「……優先すべきは事件の真相解明だ。和睦は、後に回せ」

「できませんわ、そんなこと。親善の使節団を放置しては、まとまるはずの交渉もまとまりませんわよ。最悪、ここまで進めた和睦が無に帰すことにもなりかねませんわ」

「役割分担するってのはどうです? ネクロマンサー翁やマダム・ヴァンパイアが和睦の儀式を進めるとして、その間に僕らで犯人を捜すっていうのは」

「どちらか一方でも大仕事じゃぞ? 半端に労力を割いては半端な結果しか得られんわい」

「でもそうしないと間に合いませんよ。腰を据えて一つ一つに向き合う時間はないんですから」

「考えるべきは時間稼ぎかもしれませんぞ。使節団の方々も、事情を説明すれば多少日程がずれることくらい許容してくれるやもしれませぬ」

「だが――」

「いや――」

「しかし――」

 喧々諤々。

 大テーブルの上に新しい意見が乗せられるたび、他の誰かが却下する。そんな光景が何度も繰り返されていた。

 元々、彼らは探偵ではなく統治者や権力者と呼ばれる立場の人々である。慣れない犯人捜しよりも、具体的な今日や明日の施策について話し合うことの方が得意なのだろう。そんな彼らが集まって、なお見通しが立てられないこと自体が、彼らが置かれた状況の困難さを物語っているようにも思われた。

「一つ、思いついたのだけれど」

 紛糾する議論の中、ヴァンパイアが穏やかに言った。

「いっそ、誰かに任せてしまうというのはどうかしら」

「……なんだと?」

「各個撃破をするには時間が足りない。二正面作戦を布くには個々の問題が大きすぎる。つまるところ厄介なのはこの二点でしょう? なら話は簡単よ、人手を増やせばいい」

「人手、ですの?」

「犯人捜しは別の誰かにやってもらって、私たちは和睦調停に集中しましょう、ということよ。これなら、時間の問題も労力の問題も解決できるわ」

「都合が良すぎないか、ヴァンパイア」

 眉を顰めるデーモンに、しかしヴァンパイアは思わせぶりに首を横に振った。

「聞かせてくださいよ」

 その流れに乗っかったのはサラマンダーである。

「誰か、って誰のことです? どうせ考えてあるんでしょう?」

「ええ、そうね」

「やっぱり。なんか自信ありそうでしたからね」

「別に自信なんかないわよ。むしろ非常識な思い付きだと思ってる。けれど、サラマンダー、午前中の私たちの様子を思い返してごらんなさい。あんな調子で丸一日かそれ以上議論を続けたところで進展はたかが知れているでしょう」

「うーん、情けないけどその通りでしょうね」

「だったらいっそ、こういうことが得意そうな第三者を頼った方がいい。陛下の死の真相を掴むだけの能力があり、人柄もそれなりに信頼できて、かつ、絶対に犯人ではない第三者を」

「居んのかよ? そんな都合のいい奴」

「いるわ。一人だけね。犯人捜しは彼女に任せて、私たちは和睦調停の準備を進める。どうせ何をやってもイチかバチかなのだし、試す価値はあるわ」

「彼女? ――あ」

 サラマンダーは、会議室の東の窓に目をやった。

 彼につられるように、他の面々の視線も東の窓に――その向こう側に見える塔へと吸い寄せられていく。

 ヴァンパイアは言った。

 厳かに宣言した。

「私が頼ろうと思っているのは――幽獄塔の最上階に今も繋がれている、囚われの水蓮姫よ」

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