一章『大テーブル』――4

 魔王には、血を分けた子というものが居なかった。

 子を作ろう、と試みたこと自体はあった。魔王が見込んだ女を妃として迎え、魔王の子を身籠らせる試みは、過去に四回ほど行われた。しかし結果は――魔王の強大過ぎる魔力を受け継いだ子を腹に宿らせることに母体が耐えられず、四回全てにおいて、母子ともに命を落とすという結末を招いてしまった。

 新たな命を生み出そうというのに、今ある命を散らすばかりでは本末転倒も甚だしい。

 そう思った魔王は子を成すことを諦めた。

 しかし、親として子を持てない悲しみを背負うことを彼が決心したのは結構だが、そうなると一つの課題が浮上する。

 跡継ぎである。

 陽の差さぬ国は、魔王がその身一つで築き上げた、いわば専制君主国家である。千年前魔王が樹立して以来、ずっと魔王本人が統治者として君臨し続けてきたけれども、それが永劫続く保証などない。万が一は起きる――それこそ今回のように。そうなった時、頂点を無くした陽の差さぬ国がバラバラに霧散し、元の無秩序な世界へと逆戻りするようなことがあれば、魔王の千年の治世、そのすべてが無駄になる。

 誰かが、王の座を引き継がなくてはならない。

 問題なのは、誰かとは誰か、である。

 国を継承するにあたって最も分かりやすい形は世襲だろう。親から子へ、子から孫へと王権を繋いでいく。非常に単純な仕組みであり、故に色々とリスクも付きまとうが、跡継ぎの選定基準としてはこれ以上なく明快といえる。

 ところが、魔王には実子というものがない。

 このシステムは使えない。

 ならばどうする――魔王の答えはシンプルな行動によって示された。

 自ら亡き後に空白が生まれることのないように、また、後継者の席を巡った争いが起きることの無いように、今から三百年ほど前に、魔王は一人の若き悪魔を、後世の王として指名したのである。

 それがデーモンだった。

 八枚の羽根を持つその悪魔は、元々若輩の身ながらにして陽の差さぬ国に暮らす悪魔たちを統べる長を務める存在であり、魔王の配下の中で一目置かれる存在ではあった。が、何より特別視されていたのは、彼の身に宿る力と、彼の出自とが、魔王のそれに近しいものだったということであった。

無論、魔力の総量や肉体の強靭さなどは魔王に遠く及ばず、デーモンが後継者に指名された時、あの若造では脆弱すぎるとの批判もあったのだが、魔王自身が、彼の未熟は若さゆえでありいずれ自分に見劣りせぬ存在となろう、と太鼓判を押したとあっては、魔王配下の者たちはそれを受け入れるよりほかになかったのである。

 それから三百年、デーモンは陽の差さぬ国の玉座を受け継ぐもの――即ち王子として、その責に見合うよう己を鍛え、魔王の元で帝王学を養ってきた。

 まさか彼も、こんなに早くその成果を求められる日が来ようとは思っていなかったことだろう。

 今、彼は最初の試練を迎えている。



※   ※   ※



 デーモンが沈黙を守り続けたことについて、あまり深刻な理由は存在しない。

 別に喋っても良かった。

 しかし、彼が積極的に会議に参加し発言するとなると、周囲の者たちの意見の自由度を下げることになる恐れがあった。デーモン自身がそのような忖度を望まなかったとしても、彼の、後継者という立場がどうしてもそうさせてしまうのである。

 だから黙っていた。

 幸い、ヴァンパイアとネクロマンサーが中心となって会議は闊達に進行しているようだし、ここは自分が出る幕ではないだろうという判断したのである。

 とはいえいつまでもダンマリを決め込むのもそれはそれで問題だろうし、休憩が明けたらそろそろ自分も何かしら主張させてもらおうか、と思っていたところにヴァンパイアから問いが投げられた。

 答えない理由はないので、デーモンは素直に応じる。

「正直、意外だった」

 意見交換ではなく、あくまで休憩中の雑談である。

 デーモンの口調は軽く、また、ヴァンパイアも同様だった。

「意外?」

「真っ先に俺が疑われるものかと思っていたからな」

「信頼がないのね」

「卿たちを信じていないというわけじゃない。しかし、陛下を殺害する理由があるのは誰かと探りを入れたとき、最初に上がるのは俺の名前だろうと思った」

「……あるの? 理由」

「誓って、無い。が、それはあくまで俺の中ではという話で、こじつけようと思えばいくらでもこじつけられる。後継者が権力欲を抑えられなくなった、とかな」

「まあ、無い話とは言い切れないけれど……人間の国じゃそういうこともあるって聞いたことがあるし」

「卿が『この中に犯人がいるんじゃないか』って言いだしたときは覚悟したがね。話が思わぬ方向に進んで拍子抜けしたくらいだ」

「……思わぬ方向、ねえ」

「トンチンカン、と言っているわけじゃないぞ? 俺の想像していたものとは違ったというだけで、皆真面目に話し合ってくれていたと思う」

「それで成果が一つもないのでは、トンチンカンと変わらないわよ」

 ヴァンパイアは虚空にため息をつく。

 しかしその表情は苦々しそうではなく、あえていうなら上の空であった。

「理由を考えるっていうのは、ありなのかもしれないわね」

「ん?」

「殿下の話で、ちょっと思い出したのよ。そういえば、人間の王国で似たような事件があった時――といってもその時殺されたのは王様じゃなかったらしいけれど、どうやって解決したのかを聞いたことがあるの」

「興味深いな」

「一番の決め手になったのは動機だったらしいわ。被害者が殺されて得するのは誰か。殺す理由があったのは誰か。それを考えるのが近道になった、って。それに倣ってみてもいいような気がするわ」

「悪くない考えだろう。しかしその場合、手段の解明は一度諦めるということになるのか?」

「そうなるわね」

「見切りをつけるのが早いような気もするが」

「もう少し粘りたい気持ちは私にもあるわ。でも時間がないのよ。悩み続けるくらいなら、少しでも明るそうな道を探した方がいい」

「とはいえ、どちらにしても難しいぞ。陛下を殺す理由は誰にもないように見えて、誰にでもこじつけられるものだからな」

「それでも、五里霧中の現状をさまよい続けるよりは可能性が高そうじゃない。何度も会議の方向を変えるのは不細工だけれど、そんなことを言っていられる状況ではないわ」

「かもしれないな。とはいえ、今俺と卿だけで今後の方針を決めるわけにはいかない。再開後に提案してみるといい」

「もちろん」

 ヴァンパイアの口角がほんのわずかに緩んだ。

 これはあくまでも雑談だから、という心持ちで、気負わず、無責任に舌を動かしたことそれ自体が、彼女にとって良いリフレッシュになったということだろう。

「ところで、誰から聞いたんだ?」

「何の話?」

「さっきの、人間の国云々の話だ。宮廷内の事件をそうも事細かに語れる人間に知己がいるのか?」

「ああ、それは――」

 答えようとしたヴァンパイアの台詞を遮ったのは、力強く無遠慮にならされたノックの音であった。

「誰?」

「ケットシーです! ご報告が!」

「いいわよ、入って」

 扉があき、眼鏡をかけた小柄な猫の獣人が転がり込んでくる。

 右手に大きな台帳を抱えた彼女は、小走りでヴァンパイアの元に駆け寄った。

「すみません、ご休憩中に……殿下も、お騒がして申し訳ありません! ですけど、火急の報告だったので――」

「構わない。続けてくれ」

 デーモンに促され、ケットシーは二度、三度お辞儀をしてから、

「薄氷峠の関所から報告が上がってまいりました!」

「薄氷峠……あっ」

「つい先刻、例の、和睦調停のための親善使節団がそちらを通過し、城下に向かっているとのことです!」

 デーモンとヴァンパイアは互いに顔を見合わせた。

「薄氷峠からここまでは長く見積もっても二日でたどり着きます……あ、あの、どうしましょう、まだ陛下のご葬儀も終わっていないのに……!」

 かわいそうなくらい縮こまって指示を乞うケットシーに、ヴァンパイアは短く嘆息してから命令した。

「――すぐに全員を呼び戻して!」

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