一章『大テーブル』――2

 ヴァンパイアは部屋の外で待機していた侍従に二人を呼んでくるよう言づけた。執政官の命令とあらばすぐ駆け付けてくるだろうが、とはいえ魔王城は広く、彼らがやってくるには少々の時間を要する。

 その間に、大テーブルの面々は目先の問題をより鮮明にしておくことにした。

 魔王殺しの実行、それにはいくつの、どれほどの障害が立ちはだかるのか。

 不可能性を再確認することで、ゴールまでの道のりをはっきりさせておこう、という意図であった。

 第一の障害は侵入である。

 城には当然警備の者がいる。が、彼らの目を欺くだけならば不可能とまでは言い切れないだろう。気配を消す、姿をくらます、そういう類の魔術はごまんとある。無論、城の警備隊も対策と訓練を積んではいるが、この世に存在する全ての魔術を網羅するなんてできるわけもなく、どこかに抜け穴があってもおかしくはない。

 だが、警備の網を掻い潜ったとしても、その先が続かない。

 理由は、部屋に施された結界である。

 王の許可無くして扉は開かない――そのような術を魔王本人が仕掛けており、無理に通ろうとすれば相応の報いを受けることになる。

 世界の半分を統べる魔王の結界。

 これ以上ないセキュリティと言えよう。

 犯人はどのような手段でこれを突破したのか。最初の不可能が、ここにある。

 第二の障害は、殺害の実行そのものである。

 仮に寝室へ忍び込むことができたとして、その後、犯人は魔王を刺殺しなくてはならないのだが、そもそもその行為自体が困難の極みである。

 大前提として、抵抗を受けるわけにはいかない。

 魔王がその気になれば、侵入者の命はその瞬間に潰える。百歩譲って魔王と正面切って戦えるだけの力が犯人にあったとしても、誰にも気付かれずに、というわけにはいかないだろう。魔王と魔王を殺せるほどの誰かが刃を交えたとしたら、そもそも魔王城そのものが無事ではすむまい。

 侵入から殺害の瞬間まで、魔王に気づかれてはならないのである。

 果たしてそんなことが可能なのか、ということは後で考えるとして、続いて問題になるのは、魔王の体に剣を突き立てることの困難さである。

 魔王がその身に宿す膨大な魔力は、それそのものが鋼鉄以上に頑強な鎧として機能している。凡百の者に貫けるものではない。傷をつけるだけでも一苦労だというのに、致命傷を与えるともなればその難易度は想像を絶する。

 もっとも、これ自体は不可能ではない。会議の冒頭でヴァンパイアが発言した通り、無抵抗の魔王を殺すだけならば成し得るものは存在する。

 しかし今回の場合、ただ殺せるだけでは不十分なのである。

 条件は三つ。

 一つは、一撃で絶命に至らしめること。

 もう一つは、真正面から行うこと。

 最後に、音も立てずに全ての工程を終わらせること。

 誰に聞いても無理と答えるだろうが、しかし犯人はやってのけたのである。如何にしてこれを成したか、これが、大テーブルで話し合うべき二つ目の不可能である。

 一応、第三の障害として犯人がどうやって現場から脱出したのかという問題もあるのだけれど、まあ、これについてはあまり深く考えなくてもいいだろう。第一、第二の障害を突破した者ならそれくらい容易いはずだ。来た時と同じように出て行く、たったそれだけのことである。

 侵入と殺害。

 その方法。

 それさえ解き明かすことができれば、犯人にたどり着くための道筋はおのずと見えてくるはずである。

 考えるべき問題は明確になった。

 単純化され、深刻さを増した。

 前に進んでいるはずなのに闇は濃くなる一方で、そのことに馬鹿馬鹿しさすら感じ嘆息を禁じ得ない八人なのであった。



※   ※   ※



「不可能であります」

 ケルベロスの真ん中の頭がそう言った。

 魔王城守護、という肩書と三つの頭を持つ彼は魔王城の警備隊長である。

 大テーブルのある会議室に諸侯たちから呼び出され、魔王の居室に忍び込む術があるか、と尋ねられての、端的な返答であった。

「我が主の御寝所は、主御自ら護っておいででありました。皆さまもご存じでありましょう、我が主の許可なくして、御寝所の扉が開くことはございません。もし強引に破ろうとしたならば、扉にかけられた魔術の防衛機能が反応し、即刻、不心得者は消し炭になること疑いないであります」

 と、彼の右の頭が言うと、

「また、事件の当夜、小官は扉の前で寝ずの番をしておりました。恐れながら断言いたします。あの晩、我が主の御寝所に忍び込もうとするような匹夫は一人もおりませんでした」

 と、左の頭が続けた。

「ケルベロス。陛下が殺害されたあの夜、不審な物音などを聞いた覚えは?」

 デュラハンが尋ねた。

「ございません」

「疑うようで悪いが、本当に何も聞こえなかったと?」

「はっ。小官、耳は人一倍利くと自負しております」

「ふむ、左様か。無遠慮な質問を詫びよう、ケルベロス」

「いえ、重要なことでありますゆえ」

 次にケルベロスに問いを投げたのはサラマンダーであった。

「ええっと、ケルベロス隊長。確認しますけど、夜の間に陛下のお部屋に入った人はいなかったんだよね?」

「いえ、そうではございません」

「うん? いやでも、匹夫はいない、とか、物音は聞いてない、とか……」

「無論、怪しげな輩は通しておりませんし、不可解な物音なども聞いておりません。が、小官が扉の前に張っている間、三人の人物が我が主の御寝所をお訪ねになりました」

「その三人っていうのは?」

「魔王城女官長のサキュバス様と、そちらにおわすヴァンパイア様とネクロマンサー様であります」

「へえ? そうなんですか?」

「……確かに、儂はあの晩陛下の元を訪ねた」

「それはどうして?」

「……東方の地で起きた問題について、陛下にご報告せねばならなかった。晩餐の席でも少しその話題が出たが、覚えてはおらぬか」

「晩餐中の細かい会話なんか覚えてないですよ」

「わたくしが覚えておりますわ」

「ミス・セイレーン?」

「確かに、ネクロマンサー様と魔王様でそのようなお話をしていましたわ。国境がどうとか、領土がどうとか、そんな感じでしたわね」

「そうだったんですね。大した記憶力だ、僕には真似できませんよ。……で、マダムはどうして?」

「秘蔵の葡萄酒を渡すためね」

「……なんで?」

「チェスで負けたからよ」

「あ、そうですか」

「なによ。文句でもあるの」

「いやいやとんでもない。……えー、どうです、ケルベロス隊長。今の話で引っかかるところはある?」

「ございません。ヴァンパイア様が葡萄酒の瓶をお持ちだったことを覚えております」

「なるほど。……ああそうだ、こういうことも聞いておかないといけないかな。部屋に来た三人、順番は覚えてる?」

「サキュバス様、ヴァンパイア様、ネクロマンサー様の順であります」

「ありがとう。……じゃあ、ネクロマンサー翁。葡萄酒を見た覚えは?」

「……確かに、あった。それ以上のことはない」

「そうですか……」

 ひとまず、今自分の聞きたいことは聞き終えたサラマンダーは、ふう、と短いため息をついた。

「ハハハ、まるで審問官じゃねえか」

「からかわないでください、ミノタウロス将軍。次の審問官役はあなたに譲りますよ」

「おいおい、肉体派にそんなこと言うなって。俺ぁ細かいこと考えんのは下手だし嫌いなんだからよ」

「まったく同感ですね」

 やれやれ、と苦笑いを浮かべるサラマンダー。

 そこに口を挟んだのはリッチーであった。

「牛頭がやらんのなら、老いぼれが変わろうか」

「ええ、リッチー翁。ぜひ」

「三つ首。おぬしは三人通したと言うておったな」

「間違いなく」

「その三人が魔王殿に会っている間、会話は聞こえたかの?」

「聞こえておりました」

「何を喋っとった」

「盗み聞きは義に反しますゆえ、意図せず漏れ聞こえたことを少々記憶している程度であり、子細は分かりかねます」

「構わん。わかる範囲で答えればよい」

「ヴァンパイア様の時は、笑い声交じりの談笑が。ネクロマンサー様の時は、何やら真剣に、政のお話をなさっていたように思います」

「淫魔の時は」

「あのお方は女官長であります。普段通り、我が主の夜のお仕度をお手伝いなさっていた様子でありました」

「結構。……どうかな、皆の衆。三つ首に聞くべきことを、他に思いつく者は?」

 誰も手を上げなかった。

 リッチーはうんうんと軽く頷き、

「では、三つ首。ひとまず下がってよいぞ。ご苦労じゃったな」

「はっ。失礼いたします」

 キビキビとした動作で、ケルベロスは会議室を後にした。

「相変わらず堅苦しい奴ね」

 ヴァンパイアがため息をつく。

「よいではありませんの、そのおかげで質問は楽でしたわ」

「聞きたいことはもちろんちゃんと聞けましたよ。おかげでわかったこともある」

 ひじ掛けに頬杖を突きながらサラマンダーは言う。

「あの夜、サキュバスさん、マダム・ヴァンパイア、ネクロマンサー翁が順番に陛下の寝室を訪れた。会話が聞こえていたというから、少なくともその時まで陛下はご存命だった。ですよね、ネクロマンサー翁」

「……ああ。儂が部屋を後にするまで、間違いなく陛下はご健在であった」

「つまり、犯行が行われたのはその後――ネクロマンサー翁が退室してから再びサキュバスさんが部屋を訪れるまでの間、ってことになりますか」

「しかし、その時刻に部屋の周囲に不審はなかった、とケルベロスは主張していた。奴の言うことに偽りはないでしょう」

「ケルベロス隊長ってデュラハン将軍の部下なんでしたっけ」

「左様。誠実な男であり、能力も疑いない。だからこそ、彼に気付かれることなく賊が侵入を果たしたという事実が信じられんのです」

「部下を信じるお気持ちは分かりますけれど、認識阻害の魔術はいくつもありますわ。犯人に魔術の心得があれば、ケルベロス様の目を誤魔化すことはできるのではなくて?」

「自然に考えればセイレーン殿の言う通りなのでしょうが、しかし――」

「ケルベロス相手にハンパな誤魔化しは通用しねえよ。あいつに効くような魔術をブッ放したりしたら、魔力の流れで周りの誰かが……それこそ、部屋ん中の大将が気づいちまうぜ」

「それに、よしんばケルベロスの目を誤魔化したとて、結界はどうします。認識阻害の魔術を行使したまま部屋の扉に触れたりなどしたら」

「ドカン、だな」

「うーん、難しいですわねえ」

 セイレーンは唇を尖らせ、

「犯行時刻が分かったところで結局手段が見えないことには仕方ない、ってわけですか」

 サラマンダーはやれやれと首を振った。

「そう悲観的になることも無かろう。まだ先は長いというだけで、少なくとも一歩前進することができたのじゃからな」

「ですね、リッチー翁。無為に終わらなかっただけで良しとしますか」

「とはいえもどかしいわね」

 ヴァンパイアのぼやきに、数名が同調し肩を落とした。

「陛下を殺害した方法どころか、部屋に侵入する手段でさえ、手がかり一つつかめない。リッチーの言う通り完全に足踏みしているわけではないしこのまま進み続ければいつかは答えにたどり着けるかもしれないけれど、それが一体いつになることやら」

「……儂らには、時間がないというのに」

「どうしたものかしらねえ、本当に」

「また発想の転換が必要ですかね?」

「かもしれない。けど、とりあえずはサキュバスの話を聞いてから――」

 ヴァンパイアの言葉に、控えめなノックの音が割り込んだ。

「噂をすれば、ね。――入っていいわよ」

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