夢の中でまた逢いましょう

うたた寝

第1話


 夢の中で彼氏ができました。こう言うと何を言っているんだ……、とドン引いてそっと距離を取るか、彼女の頬をビンタして夢から覚まそうとするだろう。彼女も言っているのが自分でなければきっとそうしたことだろう。

 普段図書館なんて行きもしない。近所のどこに図書館があるのかも把握していない。にも拘わらず、夢の中では電車で移動してまでわざわざ図書館に通っていた。今から考えると夢の中だからか、通っている最寄り駅も電車も普段のものとはどこか違っている。

 図書館に行くなんて私らしくもない、とは思ったが、図書館につくとなるほど、通いたくもなるな、と思えるほど素敵な図書館であった。

 図書館の天井は吹き抜け、と言うのだろうか? ずいぶんと高く設定されていて空が見えている。室内には木が生えていて、川も流れていれば噴水もある。木はともかく、川や噴水は本に対して水気など大丈夫なのか? と心配にならなくもないが、夢の中なので大丈夫なのだろう。

 森の中にある図書館、とでも言えばイメージしやすいか、自然に溢れた図書館であった。本棚はもちろんのこと、床や椅子、机まで、人の手は最小限しか入っていなさそうな、木でできた構造となっていた。どういう仕組みなのかは分からないが、室内の机や椅子などが時折不規則にイルミネーションのように点滅していたりもして、幻想的な風景を醸しだしている。

 ……え? 不規則に物が点滅していたら本が読みづらくないか、って? そういう夢の無いことを言う人は嫌いである。

 図書館につくと、本棚の中から適当に一冊選ぶ。表紙の絵は素敵であったが、タイトルも、おそらくは本の中身もどこにも存在しない言語なのだろう。起きると何となくの書体こそ覚えているが読むことはできない。しかし夢の中だと読めて理解できるのだから不思議である。

 本を抱えて辺りを見渡して少し歩く。空いている席などいくらでもあるのだが、彼女には座りたい席がある。指定席、と言うわけではない。決まった席にいつも座る、ということでもない。ぶっちゃけそうしてくれた方が彼女的には楽なのだが、こうして席を探している時間も嫌いではない。楽しく、ワクワクして探している自分が居る。

 ルンルン、と図書館の中を歩き回って目当ての席を見つけはしたが、あいにくそのテーブル席は満席となっていた。夢の中にも関わらず融通の利かないものだ。仕方ないので彼女は隣のテーブルへと席を下ろし、目当ての席と背中合わせになるような恰好で座る。

 勘のいい方はお気づきであろう。彼女の背後に居る人が件の彼氏である。そしてもっと勘のいい人はこうお思いだろう。それ彼氏か? と。

 彼氏ならそもそも一緒に図書館に来るんじゃね? もしくは隣の席空けておいてくれるんじゃね? 背中合わせでお互いの顔も見ないでお互い本を読んでいるのって付き合っているって言うか? などなど。まー正論だ。ごもっとも。何の反論も無い。

 その辺の設定に関しては正直彼女もよく分からないところなのだ。ただ図書館には他にも大勢の人が居る。それこそカップルも居る。だが一度夢から覚めてしまえばそのほとんどは覚えていない。覚えていないせいか、彼女の夢に初めて出演しているのか、何度も出演しているのかも分からない。

 その中でただ一人。彼女が夢から覚めても覚えていて、夢に何度も出てきてくれているのが、彼であった。

 付き合っている設定なのか、友人の設定なのか、それさえあやふやではある。ひょっとしたら縁も所縁も無い赤の他人なのかもしれない、とも思う。それぐらい会話も無いし、何かをするわけでもない。

 ただ一緒に居るだけ。でもいつでも近くに居る。感覚的には通勤時間が一緒で同じ電車の車両によく乗っている人、くらいの感覚かもしれない。顔は知っている、よく会いもする、だけどよくは知らない、という感じ。

 彼と一緒に居るのは不思議と嫌じゃなく居心地がいい。夢の中だからなのか、相手が彼だからなのか、気まずいような感じはない。同じ空間に居ると、どこか安心する。

 彼氏ができた時ってこんな感じなのかな~、と思いもしたが、友人たちから散々聞かされている彼氏への愚痴を思うと、違うのかもしれない、とも思う。肉親、とかの方が近いのだろうか。

 今日はあいにく満席であったが、他にも席が空いている状態でわざわざ隣に座りにきて、本を読んでいてもお互い何も思わない。今日は背中合わせだが、向かいの席だったり、ちょっと離れた席に居ても何も思わない。ただ、あ、今日も居る、と思うと、どこかほっこりした。

 彼氏と勝手に呼んでこそいるが、話したことも確か無かったように記憶している。顔もちゃんと見たことがあったかどうか。集中力が切れて本から顔を上げた時にたまに彼の顔が見えるくらい。相手が彼女の顔を覚えているのかも怪しいところだ。

 どこか彼女の方がストーカーチックにさえ感じるが、別に彼女は彼にやましいことをしたことは一度も無い。

 変な話、夢の中なのだからもっと思い切ったことをしてもよさそうなものだが、彼女からは特に何もしなかったし、彼も何もしてこなかった。嫌われるのが怖い、と言うと、夢の中で何をおかしなことを言っているんだ、と思うだろうが、変なことをして嫌われて、夢の中に出てこないかもしれないことが怖かった。

 現実世界でもそう。好きな人ができても自分から話しかけに行ったことなど無い。嫌われるくらいなら、と考え、何もできずに相手に恋人ができていくのをただ見つめていたりする。

 この辺り、夢でもよくできている。いや、やはり夢だからこそ本人の性格を忠実に再現しているのだろうか。現実世界で仮に図書館に好きな人が居てもこんな感じだろうな、と思う。しかしまぁ夢の中でくらいもうちょっと相手から色々アプローチあっても良くないか?

 ……なんて思っていたせいで夢に影響が出たのだろうか?

 後ろに座っていた彼が彼女の隣の席に移動してきた。

「………………」

 目の端でそれに気付きつつ、気付かないフリをして本を読み続ける。当然内容など頭に入ってきていないし、胸がドキドキしてすげー緊張している。手汗で本に染みができないかなど変な心配もしている。

 彼から移動してきたことなど今まであっただろうか? いつも彼が先に居て、彼女が何となく彼の傍の席に座っていただけ。アプローチしてくれ、なんて思っていた自分の後頭部を蹴り飛ばしたいところだ。動揺して変な汗が出てきた。

「………………」

 何やら視線を感じる。もしかして、だが。こちらをじっと見ていないだろうか? 気付かないフリを続けるべきだろうか? 夢が覚めるまで無視し続けるべきだろうか?

 悩みに悩みはしたが、今までずっと夢に出てきてくれていたが、次も出てくれる、という保証はどこにも無い。これがひょっとしたらラストチャンスかもしれない。それに、これで何か起きたとしても夢の世界の話だ。嬉しくも悲しくも現実世界には影響が出ない。

 意を決して、彼女はパッと横を見た。

 彼の顔を初めてちゃんと見た気がする。向かいの席に座ったことも横の席に座ったこともあるので、顔自体はもちろん知っている。だがこうして、ちゃんと目が合って見たのは初めてだった。

 こんな顔しているんだ……、なんて変に冷静になって相手の顔を見ていると、不意に相手の顔がこちらに近づき、

「っ!?」



「………………」

 起きた。何かすっごいいいところだった気はするが起きた。もう一回寝れないだろうか、と布団の中に頭を突っ込んでみるが、目が思いっきり覚めている。こりゃ寝れんな……、と未練がましくも布団から頭を引っこ抜き、先ほど見た夢を思い出す。

 キスされた。地味にファーストキスである。夢の中のキスをファーストに含んでいいのかは分からないが。

 何となく感触が残っていそうな唇に手を当てる。あらやだ、涎が出ているわ、と慌てて拭う。

 欲求不満なのだろうか、とベッドの上で頬杖をついて考える。しかし、どうせ欲求不満な夢を見るのであればもっと……、いや、何も言うまい。

 キスされた唇を突き出してみる。何でいきなりキスされたのだろうか? 夢だから彼に理由も意思も無いのだろうか? 彼女がそれを望んで彼にさせてしまったのだろうか?

 夢の続きはどうなるのだろうか? キスした続きから? キスしたことをお互いに覚えているのだろうか? それともそんなことは無かったという設定で話が進んでいくのだろうか?

 分からない。もしくはあれで最終回で夢が終わってしまうのかもしれない。だとするととても残念である。是非とも続編を希望したい。

 夢の続きは見れるのだろうか? 怖くもあるが、今日一個楽しみができたな、と彼女は布団を出て支度をする。



 普段より大分早く起床した関係で電車はとても空いていた。それはいいのだが誤算が一つあった。早すぎるせいで会社がまだ開いていない。こんな時間に来たことが無いから知らなかったが会社が入っている建物にはしっかり開館時間というものがあるらしい。

 時間でも潰すか、と彼女は近くの公園に寄る。最近は寒いからあまりしないが、もう少し温かい時期なんかだと彼女はお弁当をこの公園で食べたりもする、馴染みの公園だ。

 入口近くの自動販売機でコーヒーを買い、ベンチへと向かうと、こんな時間にも関わらず先客が居た。

 どこかで見た顔だな。会社の人かな。だったら回れ右しようかな。と考えつつ、彼女がちょっとずつベンチへと近付いたところ、

「ぬうぇいっ!?」

 彼女は突如奇声を上げた。静かな朝の公園でそこそこのボリュームで奇声を上げたものだからきっと近所中に響き渡ったことだろう。なになに? とカーテンを開けて窓からこちらを覗いている人たちがチラホラ居る。

 絶賛注目の的ではあるが、そんなことを気にしている余裕など彼女にはない。ベンチに座っている先客は幸いなことに会社の人ではなかった。だが、知らない人か、と問われるとその回答には少し困る。

 近くで突如奇声を上げたにも関わらず、彼は静かに彼女を見つめ、何か? と言わんばかりに首を傾げて見つめてくる。とはいえまさか、夢の中で会いましたよね、なんて突拍子も無いことを言うわけにもいかない彼女は、

「お、おほほほ……」

 何の釈明もせず、口元に手を当ててお嬢様笑いで誤魔化した。誤魔化せたのか、は分からないが。そのままお上品に結局回れ右をすると彼女はお上品に口元を押さえながら『おほほほ~』と去っていった。

 彼は彼女がどこかで見たことがある本で口元を隠しながら、去って行く彼女の背中を静かに微笑んでいた。

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