放物線と螺旋と円環の魔法

安辺數奇

◆◇◇◇◇◇◇◇◇ 

◆石を投げると弧を描く


 大公国の内乱で、少年軍属として反乱軍に所属していた私トビは、決戦の場において、巨大な投石機の傍ら、最初で最後の実戦任務に就いていた。実際の操作を担当する技術者や工兵隊員たちに方位や仰角を指示し、標的に狙いを定めるのが、その任務だ。

 反乱軍は、発足後かなり早い段階で技術部門を立ち上げていた。投石機やそこから投射する各種の弾は、この技術者集団の創意と工夫で作り上げられ、さらに地道な検証と改良の努力を経て、ついに決戦の場へと姿を現したものだ。反乱軍首脳部のみならず、多くの将兵たちの期待を受ける投石機部隊だが、私は狙いを外さず全ての弾を標的へ投射する、ただその役割にのみ集中していた。



 そんな私も一年半ほど前までは、ただの貧しい領民の少年でしかなかった。

 生まれ育った辺鄙な田舎で、貧乏な一家の生活が少しでもマシになるようにと、手で石を投げて鳥を追う日々を過ごしていたのだ。


 私の故郷は大公国の大河の下流域、緩やかな流れの中で土砂が堆積して川底が浅くなり、行き場をなくしたかのように複数の流れに分かれては蛇行しつつ、のろのろと海へ向かっていく地域にある。このあたりには大潮の頃になると海水が遡上してくるせいで、水面からあまり高くない土地は塩分を含む。麦をはじめ多くの農作物の栽培には向かないし放牧にもあまり適さないことから、人々は僅かに耕作できそうな、かつ高潮の影響が及ばない微高地を選んで細々と暮らし、集落を作っていた。けれども土地経営の旨味が乏しく領主も手を出したがらないのだろう、貧しい半漁自営農が数軒ばかり並ぶだけの、村とも呼べぬような集落が各地に点在しているような地域だ。

 そんな中でも私が生まれ育った集落は、一応は領主を名乗る一家が管理していた地域にあって、貧しいながらもそれなりに安定した生活を送っていた。ただ、領主といっても、どちらかというと開拓者から成り上がった大地主のような存在だったらしい。私はそういったことを、後に勉強する中で理解していくことになる。

 この領主は内乱前、複数の集落にまたがる土地を所有し、領民たちには商品作物として綿花を栽培させていた。さほど高圧的ではなかったし、むしろ領主一家は年に何度も耕作地を巡回しては綿の育ち具合や収穫状況などを自分たちの目で確かめ、水や肥料の与え方、雑草や病気、害虫などへの対策を、事細かに指導していたのを覚えている。


 領主は農地検分を終えた夜、集落の集会所で領民を集めて会食を催し、その席で自分たちの先祖の昔話をするのが常で、私も何度となく聞かされた。

 曰く、領主一族の先祖は、大公国より北方にあった王国の貴族。かつての領地では、綿花を栽培し富を築いていたという。ところが王国は、あるときから著しく乾燥化して作物が育たなくなってしまい、貴族も民も食うに困って散り散りになっていき、とうとう国は滅んで沙漠になってしまった。そんな貴族の一家が新天地として目を付けたのが、綿花なら育てられそうな、大公国の辺境というわけだ。この時代には、大公国の中でも使えそうな土地のほとんどが麦畑や牧草地などに開発され尽くし、騎士として武装した領主たちが所領としていたため、新参の領主が使えそうな土地などとっくになくなっていた。しかし大河下流域の塩気のある痩せた土地だけは騎士たちも敬遠しており、進出の余地があったのだ。そして流亡の貴族一族は、長年の知見に基づき、ここで綿花を育てることができると判断した。

 彼らは付き従ってきた亡国の民に加え、下流域の砂州で川魚や水鳥を獲って暮らしていた土着の民などを率いて農地を開墾、綿花の栽培と販売で再び財を成すに至る。一族が北方から持ち込んだ綿花は、ここ大公国や周辺地域で栽培される綿花とは少し違って毛足が長く柔らかいのが特徴で、よく売れるそうだ。その資金で小さな傭兵団と契約して民と土地と収穫物を守らせ、領主としての地位も南の大領主による安堵を得て、名実ともに領主たる資格を揃えた、と自慢する。


 この領主の土地では、綿花の農地も収穫した綿花も、全て領主のものとされていた。といっても、領民というか小作人といった立場の私たちは、領主というか大地主から収穫の量や品質に応じた報酬を与えられる。報酬は金銭での支払を原則としていたものの、それだけでは生活できない。このあたりでは麦の栽培も難しく、塩害に強い食用作物は限られているため、食料を得ることが困難なのだ。そこで大地主は収穫して集めた綿花を売りに行った先で穀物や固パン、油など保存の利く食材を大量に買いつけ、小作人への報酬の一部はそれらの現物で支払ってくれていた。

 また一定の条件をつけてはいたが、綿花畑以外の土地を自力で開墾して自家用の雑穀や野菜などを育てる許可まで私たち領民に与えており、民はこれにより日々の糧を得るのが常だった。とはいえ痩せた土地なので雑穀でさえ収穫は乏しいし、上手く育った場合にも鳥や虫などに食われることが多く、難儀したものだ。他にも、大公国の他の地域の領主とは違って、領民による水鳥などの狩猟についても、ある程度は許可していた。これらの点からみても、やはり領主というより大地主のような振る舞いだ。集落の男たちは、ある者は川に船を出して魚を釣ったり網で漁をしたり、またある者は弓を携え水鳥を狩って、集落の皆で分け合っていた。集落の者たちは売るための漁獲や狩猟を禁じるなど、いくつかの決まり事を設けて、獲りすぎないようにもしていた。


 漁撈や狩猟は危険が伴うこともあり、主に大人たちの仕事とされていた。私のように非力な子供は、できる範囲で畑仕事や家事などを手伝うのがせいぜいだった。ほとんどの集落は、砂の層を大人の背丈ほども掘れば川の水より幾分マシな水が得られる場所を選んで作られており、必ず井戸があるので、幸いなことに水汲みには大した苦労もない。より重要とされていたのは、畑を守ることだった。

 繰り返すように耕作に適した土地は少なく、畑に育つものは綿花も雑穀も野菜も大切だ。畑の雑草を抜き、害虫を取り、石を投げて鳥を追い払うなどのことは子供でも充分できるから、それが子供たちにとって重要な仕事とされていた。

 特に厄介だったのは鳥だ。大河の下流域は山どころか丘もないし、地盤が緩いため高い木が育ちにくくて開けた地域。しかも人口密度は低いから大小様々な鳥たちが好き勝手に飛び交い、季節によっては無数の渡り鳥が一斉に集まる。だから作物を守るため、鳥追いが特に重視されていた。

 鳥追いの仕事は大人も子供もするものだったが、特に小さな子供がよくやっていた。他に大した仕事ができぬ幼い子供でも、小石を投げるくらいはできる。その小石が、それなりに飛ばせるようになれば、畑から鳥の群れが一斉に飛び立ってくれる。これだけでも親たちの役に立てるものだから、みんな張り切ったものだ。大人は耕したり水を撒いたり、領主が仕入れてきた肥料を施すなど畑の力仕事に精を出しつつ、子供たちの仕事振りを見ていて、それに応じて多少の褒美を与えてくれたりもする。といっても、せいぜい上手く行ったって少しばかり褒め言葉をもらって、食卓の器に盛ってもらえる料理の量が多くなったかな、という程度。だけどそれが十歳前後だった私の、主な仕事だったといえる。


 自分で言うのは気が引けるが、私の鳥追いの腕前は大人たちが一目置くほどだった。力では年上の子供たちに及ばないものの、より遠くまで投げるための身体の使い方や、石を飛ばす方向、石の選び方までこだわって、負けないくらい遠くへ、しかも狙い通りに投げる術を身に付けた。私の投げ方を見て、この角度で投げればいいと知った他の子供たちも真似しようとしたが、飛距離はともかく狙いを外してばかりだったので、少し安心したものだった。けどそれで追いつかれたくないと思った私は、さらに飛距離を伸ばすため手で投げることをやめ、試行錯誤して道具を作り始めた。

 きっと手の長さを伸ばせれば効果的だろうと考え、まず細長い流木を選んで加工して石を載せて振ってみた。けどこれは飛ばす前に石が落ちやすく、飛んでも狙いが安定しなかった。そこで次は、細長い丈夫な布きれの中ほどに石を包んで振り回して投げることを思いつき、親に端布を分けてもらって試した。これは少し慣れが必要だったけど、布紐の長さや振り回す勢いを工夫すると、かなり飛距離を伸ばせる上に、狙いも正確にできる。ありったけの勢いをつけたら、投げた後の石が弧を描く様子を想像しつつ、その弧に沿った瞬間に手を離すだけだ。しかもこの方法なら非力な私でも、大の大人が全力で投げるよりずっと遠くまで飛ばせるとわかった。

 紐を使うと石の飛ぶ勢いが強くなり、鳥を追い払うだけでなく、実際に打ち落とせたことも何度かあった。大きな水鳥も、頭に直撃を受ければ気を失って落ちる。おかげでその夜の食卓が少し賑やかになった。しかし多くの場合、特定の鳥を狙ったわけではなかった石が偶然命中したに過ぎない。その後も私は、しばしば狙って落とそうとしたものの、石が飛んだ瞬間に鳥に気付かれて逃げられることも多く、成功率は高くなかった。


 むしろ鳥を落とすことを目的とするなら、弓矢を作ってみたいとも思った。大人たちが水鳥を狩るときに使っているのを遠くから見ただけだったが、どのように作れば良いかは想像がつく。ただ故郷の地は樹木が乏しく、木材は極めて貴重だ。船も集落で二~三艘しかなく、交替で使っている有様。家だって木材をできるだけ使わぬよう、少し上流まで行って流れの速い河原から大きな石を選んで持ち帰り、これを積んで壁を作って草を詰めて隙間を埋め、屋根だけ木で骨組みを作り、川沿いに繁った葦を刈り取ってきて葺いている。

 流木なら川辺を歩けばいくらでも集められるとはいえ、基本的には薪にしかならない。屋根材に使えそうな程度ならまだしも、弓に使えそうな弾力性に優れた材など皆無だった。まあ薪は毎日の炊事や暖を取るのに欠かせないから、どれだけ集めてもすぐに足りなくなる。結局、私がさんざん探し回ってみても、ただ薪を多めに確保できて家族が喜んでくれただけのことだった。


 川でなく海辺なら、また違った漂着物があるかもしれないと考え、父や兄に頼み込んで川船漁のついでに河口の方まで船を出してもらったこともある。

 河口は私たちの集落でなく海の民の領分だ。彼らは何万年も日に焼けたかのような真っ黒で艶のある肌と、同じく強い日射で焙られたかのように縮れた黒髪が特徴で、掌と足の裏だけは色が薄いのが印象的な民。長い手足を使って上手に泳ぎ、荒波の中でも巧みに小舟を操って、天候が許す限りは毎日のように海へ出て魚や貝などを獲って暮らしている。また浜では塩を焼き、小魚と塩を使って魚醤という調味料を作るなどして、他の民との間で産品を物々交換する。物々交換を主としつつも金銭を使わないわけではなく、年に何度か、塩や魚醤、魚の干物などを船に積んで大河を遡り、私たちの集落より上流にある川港の街まで売りに行っては、内陸の産品である穀物や干し肉、乳製品などを買っているとのこと。その途中、川港より近い私たちの集落にも頻繁に訪れ、塩や魚醤と雑穀や野菜とを交換していくことも多いので顔馴染みだ。見た目も暮らし振りも全く違う民どうしではあるが、明確な棲み分けをしつつも近隣地域に暮らし、同じように貧しい生活をしている仲間のようなもので、険悪になることは滅多になかった。会えば必ず、川の様子や海の様子、街の事情など様々な情報を交換し合っていたのだ。

 そんなお互い見知った民とはいえ、もちろん私たちが彼らの領分で漁をすることは許されない。双方が相手の領分を侵さずにいるからこその信頼関係であり、もし禁を破る者がいればその者が自らの故郷を追われる羽目になる、といった不文律は私も承知している。だからこのときは、父や兄は私のわがままに時間を割いてくれただけだ。そうして貴重な機会を得た私は河口付近で歩き回ってみたものの、やはり大きな木々はほとんど生えておらず、流木も集落付近と同じようなものばかり。

 父と兄に無駄な時間を取らせてしまったかと残念に思っていたが、不思議な漂着物には出会えた。巨大な海の生き物の死骸が、浜に漂着していたのだ。既に肉が腐ったり海鳥に啄まれるなどして白骨化しかけていたが、もとは魚に似た姿の生き物だったようで、口と思われる部分には歯でなく、黒く薄くて細長い板が不思議な形に捩れたり巻いたりして、いくつも並んでいる。板の端を引っ張って伸ばしてみると、元の形に戻ろうとする力が強く、手を離せば勢いよく戻る。何なのかはわからないけど弾力は気に入った。でもこんな歪んだ形では弓に使えそうにないし、どちらにせよ切り離すのも難しそうだったので諦めるしかない。帰りがけ、海辺の民の集落に挨拶をしたとき質問してみたら、鯨という海の獣だと教えてくれた。海辺の民の中でも命知らずな者たちは、その獣を狩ることもあるらしい。


 ちなみに私は後になって、このときの自分自身の不明を恥じることになる。一応の弁解をしておくと、大人たちが狩をする様子を何度となく見ていて、「弓とはこのような形状であるものだ」と勝手に思い込んでいたのが原因だ。

 まあ、そもそも私の実家は生活に全く余裕がなく、むしろ他の家から借りている家財道具も目立つほどだったから弓など持っておらず、他の家の人も弓には触らせてくれなかった。しかしその機会は、遠からず訪れることになる。




◆反乱軍の徴募


 転機が訪れたのは、大公国の内乱が勃発して数カ月が経った三月末。冷え込みが緩んで一部の鳥が南の丘陵地帯、あるいは北への外輪山と、それぞれに渡りを始める頃のことだ。


 私の故郷より北にある大公国裾野地方で反乱軍が興ったことは、割と早くから噂に聞いていた。集落の者が用事で川港へ行ったときに知ったのが、集落中に広まったのだ。その後も大公国の領主たちを次々に打ち負かし、勢力を広げているとの情報が、断続的に伝わってきた。

 反乱軍の噂は徐々に近付いてきていて、私の故郷の集落一帯の土地を所有していた領主はその勢いを知って恐れたのか、もともと希薄だったと思われる大領主への忠誠心をすっかり捨てたらしい。私のいた集落も村人たちも全て反乱軍の勢力下に入ることになったと、部下を通じて布令を出した。さらに、領主からの反乱軍への恭順の証として、契約している傭兵団を全て反乱軍に参加させた上に、領民たちからも兵を募って送り出すという。

 領主は反乱軍と事前に交渉をしていたのか、反乱軍は兵たちに充分な報酬を約束しているとの説明もあった。つまりは出稼ぎのようなものか、と人々は理解した。まあ、無事に戻れるかわからない戦場での、命懸けの仕事ではあるが。

 この集落では、水鳥の狩りで弓矢の扱いが得意な領民も多いので、その中でも腕自慢の青年たちが弓兵なら活躍できるだろうと次々に名乗り出て、ある程度の人数が集まってきた。これで反乱軍の心証も良くなるだろう、所領は安堵されるだろうと、領民から兵となる者を募っていた領主の部下も安堵の溜息を漏らす。


 そして、そんな一団の中に、我が家からは私が加わることになった。

 領主が兵を募っているところで、集まった村人たちの中から何人かの声が私の名を挙げたそうだ。石投げでも少しは役立つだろう、ということか。石投げ競争で私に負けた年上の人たちが、その意趣返しで私を村から追い出したかったんじゃないかと、後に一時帰郷したとき親から言われたけど、今となっては気にしないことにする。

 そもそも当時、実家では働き手が足りていないことを、私も知っていた。私も幼い頃から母や姉たちに混じって家事を手伝っていたものの、まだ子供で力が足りなかったから畑仕事ではあまり役に立たない。姉たちも小柄で華奢だから、労働力としては私と大差ない。十二歳上の兄には妻と子がいて、父と並ぶ一家の貴重な働き手でもある。一人前の働き手でない者が家を出れば口減らしにもなると考えた私は、大人たちに混ざって軍に入ることにした。両親と兄が持たせてくれたわずかばかりの着替えを持って、あとは自分で工夫して布紐から作った投石用の道具を携えて。こんなものでも何かの役に立つかもしれないし、全く使えなかったとしても暇潰しにはなるだろう。


 などと思っていたものの、ここから私の運命は二転三転していくことになる。


 領主の部下が集落で募った一行は、反乱軍の輜重隊が用意した数台の荷馬車に分乗して出発。輜重隊は荷馬車の御者や馬丁などの仕事をしており、武装した兵たちが騎馬や徒歩で同行しているのは、それとは別の輜重護衛隊というらしい。が、どちらも同じような揃いの服装、その制服の装飾の違いなどで区別をつけられるようになるには慣れが必要だった。

 輜重隊には、私たちのような兵を運ぶための準備もしてあった。荷馬車には水瓶が積まれていて、好きなときに飲んで構わないと言われていたし、道中には朝と夕に加え昼にも、反乱軍の陣中食や行軍食というのが提供されて空腹に悩まされることはなかった。最初に食べたのは初日の昼食で、固く焼いたパンと干し肉、反乱軍が開発したという瓶詰めなる保存食。兵たちも旨くはないと言っていたし、一緒に乗っていた同郷の青年たちも不味いと不評だったが、私は興味深く味わった。

 瓶詰めとは、様々な食べ物を調理済みの状態で保存できるようにした発明品だ、と輜重隊の人が説明してくれた。木栓と蝋で固く封をされた陶器の瓶を開けるのには力やコツが要るだろう、下手に力を入れたら割ってしまいそうで怖いけど、調理の手間が要らないからすぐ食べられる。しかも驚くほど保存が利き、ほとんど腐ったり乾いたりもせず、陣地で長期間保存しておける。主に陣地から遠く進出する部隊の食料として使われるほか、行軍の予定が長引いたときの非常食などとして多くの部隊が携行しているそうだ。行軍中には火を焚きづらい状況もあるだろうから、その意味でも納得。


 粗末な木橋や浅瀬で何度となく川を越え、小さな集落をいくつも通過し、ときには荒れた道に荷馬車の車輪を取られて乗ってた皆で押したり引いたりしながら、丸一日ずっと移動。まだ川港の街を攻略できておらず、迂回して背後を突くため対岸の道を使っているのだと、輜重隊の御者が教えてくれた。この道は古い上にあまり使われてなかったのか荒れていて、反乱軍が整備しつつ使っているそうだけど、手が足りなくて必要最低限の補修しかできていないようだ。

 到着したのは、反乱軍が大公国南部へ進出するため設置した数ある中継陣地の一つ。少し高台になった場所に土塁や空堀、木の柵などで周囲を囲み、内側にある兵舎や厩舎、倉庫、遠見櫓などを守っている。建物も仮設の木造平屋ばかりだというが、私たちの集落よりずっと多くの建物が密集していて驚かされた。

 反乱軍は当時かなりの勢いで進軍しており、この陣地は前線よりかなり後方になっていたそうだ。おかげで駐屯する兵は減って兵舎がいくつも空き、多くは前線に送る物資の倉庫に転用されていたものの、一部まだ残っていた空き部屋が私たちの宿舎にあてがわれた。一つの部屋には二段になった寝台が二組あって毛布も備え付けてあり、そこに四人くらいずつ寝る。

 食事は陣地の中に食堂というのがあって、夕食と朝食はできたての美味しい食事を食べることができた。反乱軍は将兵を存分に食わせるよう心掛けているそうで分量は相当なもの、腹一杯に食えるなんて領主の宴会以来だと、村一番の大食らいの男も満足した様子だ。しかも陣地には大きな浴場も備わっていて、皆で土埃にまみれた身体を洗ってさっぱりできた。反乱軍では多くの陣地に兵たちのための浴場を作っており、空き時間には自由に入って構わないという。薪を節約せねばならぬ故郷の集落では、大河の水で身体を洗うだけだったから、熱い湯に浸かるなんて贅沢が許されていいのかと驚いた。けれどそれにも私たちはすぐ慣れて、むしろ従軍中ほぼ毎日、任務の都合で入れないときを除けば必ずといっていいほど、陣地の浴場を堪能することになる。


 翌朝、私たち一行は別の輜重隊の荷馬車に乗せられ、さらに北へと運ばれていく。今度の道中では、昼食に乾麺の料理が提供された。乾麺とは、小麦粉を水で練って細く伸ばした状態で干したものだという。これも保存が利く上に、茹でて汁や具を絡めるだけで食べられるので、行軍中の休憩時間でも作ることができる。しかも、手軽なのに案外おいしい。

 乾麺は、もともと隣国の伯爵領で船乗りたちが航海中の食事に好んで使うものだったと、後に知った。具は様々で、乾麺に合いさえすれば、ありあわせの肉や野菜で自由に作っていいらしい。それを知って、実家で親しんできた小魚や貝類など使ってもいいのかなと私は考えた。私は末っ子だったし姉がたくさんいるせいか、実家ではよく家事を手伝う機会があり、料理にも多少の心得がある。そして荷馬車で運ばれていくだけの道中、暇潰しに色々と想像を巡らしていたというわけだ。まあ主に食事のことばかりだったけど。

 ちなみに乾麺の具を瓶詰めにしたものもあるそうだ。とはいえ乾麺を茹でる間に手早く具を作るくらい難しくはないだろうし、もし食材がなくて瓶詰めを使うとしても、麺を茹でながら湯煎などして温めた方が美味しいのではないか。いやしかし、封の蝋が残ってたら溶けてお湯に混じるから、よく取り除いてからでないと……。


 ともあれ、二日間の荷馬車旅を経て、ようやく一行は反乱軍の本部に着いた。裾野地方の盟主公邸を本部としたものの、すぐ足りなくなって、その近隣に並ぶ盟主の家臣邸宅まで兵舎や執務室などに使い始めていたのが、後になって知った当時の状況だ。

 日没が迫る中、荷馬車の上から見えたのは、さほど高くはないものの堅固な石造の城壁に囲まれた大きな街。城壁の外側には水堀もある。荷馬車が堀に掛かっている橋を越え城壁の中に入ると、大小様々な石造の建物が並んでいて、多くの市民が生活しているのだと御者が教えてくれた。私にとって初めて目にする大きな街で、城壁や建物をどのように造るのか、道や広場の石畳の下はどうなっているのか、あれこれ想像してみたものだ。石と石の隙間は私たちの集落だと刈り取ってきた草に泥を混ぜて詰め込んで塞ぐものだけど、この街では白っぽい粘土のようなのを詰めてある。それが漆喰というものだと知ったのも、もう少し後のことだった。

 そして街の中心部、もう一組の堀と城壁を越えると盟主公邸の敷地に入る。もともとは広々とした庭園や馬場などが広がっていたそうだけど、今は多くの木造兵舎などが並んでいて、ここだけでも一つの大きな街のように思えるくらい。


 私たちが本部に到着したのは夜だったから、またも一泊することになったが、本部の周辺の兵舎はほとんど満員だと言われ、公邸の敷地の端の方にあった仮設小屋に全員で雑魚寝する羽目になった。内乱初期に牧草の倉庫として建てられたそうで、少し埃っぽかったし隙間風が入り込んで夜は冷えたけど、食堂で出された夕食は三品もあり、当時の私にとってはとても豪勢なものだったので、与えられた何枚かの毛布にくるまって満足して寝付く。


 そうしてようやく翌朝、朝食を済ませた後、反乱軍の兵として登録するための受付に臨む。

 盟主公邸の敷地の中ほどに、立派な石造りの建物がいくつも並ぶ一角がある。かつては盟主の家臣や使用人などが滞在するための区画だったという。反乱軍はこれらの建物を様々な部署の事務所として使っており、私たちの受付はその端の方にある建物で行われた。中は無骨で殺風景な石敷の広間になっており、窓が少ないから壁に点々と松明が置かれて明るさを補っていた。まだ冷え込む日もある季節だからか、少しずつ離れて床に配置された三つの大きな暖炉にも薪が焚かれている。

 これらの暖炉の周囲にいくつかの簡素な机が配置され、書類仕事をしやすいよう卓上の灯明が机に二つか三つずつ置いてあり、灯明それぞれに一人ずつ軍の制服を着た人物が座っているのが見えた。彼らが新兵の受付登録をしているらしい。机から少し離れた場所に手続を待つ人々の行列ができていて、彼らの列を整理したり、いざこざを防ぐためか、そこかしこに制服と揃いの鎖帷子で身を包んで剣を提げ、背丈ほどある杖を携えた兵が配置され、睨みを利かせている。私たちも行列の一つに案内され、少しずつ進んでいくと、ちょっと薄暗くなっている隅の方の一卓に辿り着いて、呼ばれるまま順番に職員と向かい合う椅子に座って手続を始めた。


 そしてほどなく、同じ荷馬車に乗ってきた者たちは全員が受付を済ませ、次々に兵舎へと案内されていった。ただし、私一人を除いて。

 同じ村から来た一団の中で私だけが受付を済ませることができず、机を挟んで事務職員と向き合ったまま頭を悩ませていた。机を挟んで座る職員も兵たちと同じ服装、つまり制服姿ではあるけれど、頭髪の印象などから私の親より年上のように思えるし、武芸が得意そうには見えない。実は兵士でなく職員で、様々な書類仕事などをずっと担当しているのだという。反乱軍には戦う以外の仕事もたくさんあって、こういった人たちがそれを担っているようだ。


 それはともかく私の扱いが問題だった。問題になったのは、私の年齢が低すぎることだ。

実は、領主の部下も村の長老も反乱軍の年齢制限を知らずに人選していて、規定通りであれば私の家からは父か兄が出なければならなかったらしい。しかし私がそれを知ったのは手続をしようとした、まさに今。もう後には引けなかった。

 いや、むしろ徴募兵の受付を担当していた反乱軍の事務職員が、故郷の者たちの勘違いのおかげで迷惑を被ったとも言えるだろう。最初に私を担当した三十歳くらいの女性職員は「君の年齢では無理」の一点張り。私が「帰るに帰れない」と粘ったところ、彼女はいかにも面倒そうな様子で、別の席にいた初老の男性職員を呼び出して、より立場が上であるらしい彼が入れ替わりに担当してくれた。といっても問題が解消したわけではないし、するはずもない。

 書類の傍らに置いた卓上灯明の光が、職員の濃い色をした肌に照り返す。大河の河口で出会った海辺の民より少し色は薄いものの、よく似た印象の肌だ。同じく濃い色の巻き毛は頭頂部が少し薄くなっていて、白いものも混じっている。五十代と思しき年齢が額や口許の皺にも表れていて……、いやこれは目下直面する問題に悩まされている表情も合わせてのことではあるが。

 この陣地で彼のような色の黒い民は珍しかったが、受付にいる他の職員より経験が(人生においても職務においても)豊富であることは間違いない。先の女性職員には「先任」と呼ばれており、部署内では指導的な立場にあるようだし、おかげで私のような厄介な相手も引き受けることになるのだろう。男性は、先ほどの女性職員が私から聞き出して手許の紙に書き記した内容を引き継いでおり、改めて読み返しながら渋い表情をしていた。


「君は今、十二歳なんだよな……」

「はい。あと十日ほどで十三歳になりますが」

「そして君たちを送り出した領主の書類からすると、志願兵でなく徴募兵という扱いになるんだ。ほら、ここに……」

「そうなのですか。

 ……いえ、書類を見せていただいてもわかりません、読み書きはできないので。私の扱いがどうなるのかも、ほとんど聞かされることないまま、ここまで来てしまいました」

「ふむ……。では一応、確認させてほしい。なに心配するな、形式的なものだ。

 ――君は、反乱軍に参加して戦いたいと思いますか?

 ――それから、戦いに役立ちそうな力や技能などはありますか?」

「戦争がどのようなものか、よく分かっていませんが、喧嘩は得意ではないです。見ての通り、一人前の力もありませんから。

 戦える可能性があるとしたら、この紐くらいでしょうか。割と遠くまで小石を飛ばして、届く範囲なら狙い通りに当てる自信はあります。といっても、せいぜいたまに水鳥を打ち落とせるくらいでしかないですけど」

「へえ。そりゃ大した特技だ。でもその威力では、人を倒すには弱いかな」

「だと思いますし、人を殺すことはしたくありません」

「まあ、そうだよな。

 だとしたら残念だけど、君を兵として採用することはできない。繰り返しになるが、兵になるには色々と条件があって、君は対象外なんだ」

「やはり諦めるしかないのですね」

「ああ。その上で今後についてだが、君は自力で故郷へ帰ることはできそうか?

 書類によると南部の……、川港より南か。ここからだと相当な距離がありそうだな」

「荷馬車に丸二日揺られてきましたから、歩いて帰れと言われても難しいと思います。

 これほど故郷を離れたのは初めてのことですし、道も全然わかりません」

「やはりそうなるか。

 さて困ったな。最近あっち方面の輜重隊は多くないし……。うーん……。とりあえず上官に相談してみるよ。ちょっと待ってて」


 職員たちの説明によると、反乱軍では志願兵と徴募兵とを明確に区別しているという。実はその基準も内乱の中で何度か変更があったのだが、私が受付をした時点では以下のような区分になっていた。

 まず、大公国の出身者やその子孫で、反乱軍のために戦う意欲と、その力を持ち合わせていて、かつ自発的に反乱軍への参加を希望する者は志願兵として扱われ、最前線での戦いは主に彼らが担う。一方、それらの条件にどれか一つでも当てはまらない場合には、徴募兵という扱いになり、主に工兵や伝令、輜重隊といった戦闘支援任務、または衛生兵などのような補助的な役割を担当する。俸給は志願兵も徴募兵も区別せず階級で決まるものの、前線での戦いには多額の手当がつくため、実質的な給与は大きく異なるということだ。もちろん志願兵の中にも戦闘支援などの任に就く例もあるし、徴募兵にも状況により戦闘に加わる場合もある、とのことだけど。

 もう一つの違いは、年齢条件だ。どういう理由かは知らないし、前述の条件とは噛み合わないような気もするが、志願兵になれるのは十三歳以上、徴募兵は十六歳以上と規定されている。十三歳で前線に出て戦う力を持つ人なんて、どこにいるんだろうと当時の私は思った。しかしこれも、発足して数カ月という反乱軍の中にある、新しい組織につきものの、数々の矛盾の一つに過ぎなかったのだろう。

 何にしても、このとき私は十三歳目前ではあったが、事務官の質問に回答した通り戦う意欲も能力もないから、十三歳になるのを待って志願しても志願兵にはなれない。そして徴募兵には三年ちょっと足りない。兵として送られてきたけど、なれないと判明して、対応してくれた事務官と二人で、どうしたものかと悩んでいる間に、同郷の者たちは受付を済ませたらしく、姿が消えてしまっていた。


 反乱軍に所属するにはもう一つ、兵でなく職員として採用される道もあるらしい。とはいえ読み書きもできない私には、対応してくれた事務官のような仕事など無理だろう。仕事の具体的な内容は全然わからないし想像もつかないけど、わからないようではできそうもないな、と灯明の光の中にある書類や筆記具を見ながら思った。事務の他にも職員としての仕事はあるのかもしれないが、私にできることがあるのかどうか。他にどういった仕事があるのかは知らないものの、田舎育ちで無学な、読み書きさえできない十三歳の子供が役立てる仕事があるとは考えにくい。事務官たちも、私が職員になる可能性について一切示さなかったのだから、私には無理だと判断したのだろう。

 ただ、私が送り返されれば、村では代わりに私の父か兄を軍に送り出そうとするのではないか、という不安もあった。そうなれば、働き手が半減した我が家の生活はますます苦しくなるに違いない。だから私は内心、何とか戻らずに済む方策はないものかと考えていた。軍に入れなくても、たとえば反乱軍に出入りする商家などで下働きでもさせてもらうことで、代わりに責務を果たせないだろうか。そしてあわよくば少しでも稼ぎを得て、実家に仕送りもできたらいい。


 ……などと一人で考えていたところ、先ほどの事務官が上官を連れてきた。明るい茶褐色の髪、日に焼けてはいるものの先ほどの事務官よりずっと浅い色の肌をしていて、このあたりによく見られる民の出身らしい。階級は准士官、軍人として一定以上の経験と所定の教育課程を修了し、能力を認められたことを意味するという。事務官よりずっと若そうだけど、たしかに知的そうな印象だし、戦闘にも活躍しそうな立派な体つきの青年だった。私はその准士官からも、いくつかの質問を受けて返答したけれど、やはり私の処遇には結論が出ない様子。


「やはりこれは稀な例だろう。一応、カリス士官にも相談してみる」


 と出て行った准士官だが、しばらくすると戻って、肩をすくめる素振りをした。


 事務官と上官の二人は、私から少し離れた場所で、またしばし立ち話をする。彼らは声を潜めていたものの、ちょうど受付を待つ人たちがほとんどいなくなり、広間は静まっていたので、私にも内容を聞き取ることができた。


「任せるって言ってきたよ」

「やっぱり丸投げでしたか」

「士官どのは最近の兵員募集に例外が多すぎて辟易してるのだろう。今日も何だかイライラした様子だったな」

「あーあ。気が短いと若いうちからハゲますよって、いつも言ってるのに……」


 と事務官は、毛髪が薄くなりかけた彼自身の頭部を叩いて笑う。

 上官はそれを聞き流し、私の方に視線を送りながら話を続ける。


「まあ仕方あるまい。知っての通りカリスどのにも、望まぬ役目を引き受けざるを得なかった事情がある。そこの彼とは違った意味でな。

 こっちの少年は戦いには向かないし戦闘も希望しない、読み書きはできないし年齢も低すぎる。とはいえ受け答えだけでもわかるように、明らかに見所がある」

「まったくです。だからこそわしも悩んだ次第で。

 ウチの甥っ子なんざ、この子の三倍くらいの歳だってのに、ここまで落ち着いてて筋の通った受け答えはできませんぜ」

「というより大抵の若者がそんな感じだ、日々ここで受付していて実感するようにな」

「ええ。躾の行き届いた貴族の出なら、こんな風に受け答えがしっかりしてる子も珍しくないでしょうが、貴族なら大概何かしら得意なことを自慢げにひけらかすもんですし」

「同感だ。だが貴族の話題はここでは不要だよ。目下の問題からも離れている」

「へい、すいやせん」

「きっと彼は、適切な教育の機会や、見合った役目を得られさえすれば化けるだろう。加えて彼には家庭の事情もあるから見捨てたくはない。生まれ育ちからすると、実家に戻ったとしても、適切な教育や訓練を受けられる機会があるかどうか疑わしいからな。

 ここで何とかしなければ、せっかくの才能も埋もれかねない、そうは思わないかね?」

「でしょうなあ」

「これから戦線はさらに拡大し、もっと多くの命が失われていくはずだ。前にも言ったと思うが、せめて戦乱が落ち着いた後の世に、若く優秀な人材をできるだけ多く残すことも、人事として重要な責務だと私は心得ている」

「その心得には、わしも同感ですとも」

「しかし、いかんせん我々の部署ではどうしようもないのも事実だ」

「……ラルスさん、ここはいっそ『先生』に相談してみませんかね?

 あのお方は、人を見極めて上手く使うことに関しちゃ一流ですし」

「あー、そうだなあ。あのお方なら良い知恵を授けてくださるかもしれん。

 しかし大丈夫だろうか? お身体に障るのでは……?」

「あんな目に遭っても頭だけはピンピンしてるって話ですぜ。なんでも、最近は山荘の相談役みたいなことをされてるとか。まあこれはカミさんから伝え聞いた噂ですがね」

「ほう、思ったより元気になられているのか。それは心強い」

「でも特別室から出られるほどじゃないんだそうです。だからむしろ、戦場やら軍議やらお忙しい他の士官の皆さんより、こういう問題の相談はしやすいと思うんですよ」

「ははっ、なるほど。そういうことか」

「それに、もしこの子を里帰りさせるにしても何日か待たせにゃなりません。あっち方面の輜重隊の予定が、今ほとんどないもんで。しばらく預かるとしたら、ここより山荘の方がいいでしょう」

「うむ、そうだな。

 では私は『先生』への紹介状を用意しよう。カメノテは移送の手配を頼む」

「へい、諒解です」


 私自身の立場は相変わらず確定しないままだったが、私は准士官と事務官の決定に感謝しつつ、素直に受け入れた。二人の会話に出てきた『先生』という人物や、「山荘」という施設にも興味が湧いて、せっかくだから会ってみたい、行ってみたいと思うようになっていたのだ。このような機会でもなければ、きっと縁もなかっただろうし。


 そうして私は、またもや輜重隊の馬車に乗せられていった。




◆的へ向かう矢


 山荘というのは裾野地方の盟主私邸のことだが、多くの建物があって小さな都市のようになっており、その施設を反乱軍は主に病院として使っているのだと、輜重隊の御者が便乗者の私に教えてくれた。戦いの中で負傷する将兵が多い上に、民にも巻き添えになったり病気になる者が少なくないため、その病院に運ばれて治療を受け、再び働けるようになるための療養に励むのだという。

 反乱軍本部のある盟主公邸から山荘までは、馬車で二~三時間ほどと近い。もともと裾野地方の盟主や家臣たちが頻繁に行き来してきた道だし、内乱になってからは反乱軍の輜重隊や伝令が数多く行き交うため、道は整えられている。私も、カメノテ事務官が用意した「輸送指示書」と、その上官ラルス准士官による『先生』宛の手紙を持たされ、輜重隊の荷馬車の一台に便乗して山荘へ向かう間、多くの荷馬車や騎兵たちと擦れ違ったし、早馬にも何度か追い越された。この区間の輜重隊には護衛の兵など特に同行せず、反乱軍の中心部だから不要とのことだ。


 広い盆地に大きな街を成していた盟主公邸に対し、山荘はその名の通り山の手、高台にある。山道の先に見えてきたぞと御者が示してくれたのは、高い城壁で囲まれた街の輪郭だ。街としては小さいが、建物が狭い範囲にまとまって一つの城砦のようになっているらしい。周辺は少し開けていて農地なども見られるが、あまり広くはない。そして少し行けばすぐ崖になって落ち込んでいくので、盟主公邸よりずっと守りは堅そうだ。

 近付いてみると、その壁の高さは驚くほどだった。しかも城壁のように見えたのは単なる壁でなく、実は城壁を兼ねた居住用の建物で、「外周建物」と呼ばれているそうだ。いかにも分厚そうな壁のそこかしこに小さな、そして奥行きが非常に深そうな窓が開いていて、窓の一つひとつが個室の住居になっているという。

 外周建物の外側には、やはり水が流れる堀がある。幅は大したことはないが深さがある上に流れが速く、向かい側は切り立った石積みの建物だから越えるのは容易でないだろう。その外周建物の一角に小さく開いた城門と、堀を越える跳ね橋があり、荷馬車が停まった。山荘の内部は狭く曲がりくねった街路ばかりで、ほとんどの街路は普通の馬車だと入ることすらできないほどだという。敵軍に攻め込まれにくいように、そして侵入した敵を撃退しやすいように、ということらしい。


 門前で他の乗客とともに降ろされた私は、本部の職員に言われていた通り門にいた衛兵に指示書を見せる。すると指示書を見た衛兵は、詰所から兵士ではない上等な服装の男性を呼んできて、私を案内していく。

 この男性は、貴族ではないようだけど、整った身なりや穏やかな身のこなしからみて、上流貴族に仕える使用人のような立場の者らしい。ここは裾野地方盟主の館なので、盟主の専属使用人が働いていても不思議ではないし、むしろ当然のことだ。輜重隊の御者たちとは違い、余計なことを喋ったりしない、けれども来客を案内する上で必要なことは適切に伝えてくれて、居心地悪く感じるようなこともない。故郷の領主の昔語りで、かつての北方王朝の宮廷などには、品が良くて有能な使用人も数多く働いていたと聞いたことがある。まさにそういった人物が私を案内してくれるということは、よほどの相手に面会することになるのだろう。


 この山荘使用人は、一歩半ほどの距離を保って私を先導し、門から続く広い街路を歩いていく。さほど頻繁に振り返ったりはしないが、後ろに続く私のことを常に意識していることもわかる。しかし上品な使用人に導かれる、いかにも貧乏そうな少年という取り合わせは、道行く人々の目を惹いてしまって落ち着かない。

 どこまで行くのかと思って歩き続けると、街路は円形の広場に繋がっていた。中央には同じく丸い池があって水が湧いている。広場を取り囲むように高い建物が並んでいて、窓辺には鉢植えが並んでいたり、壁に蔦が這っていて、街の中なのに森の泉のような印象だ。そして広場を縁取るように、様々な料理を提供する多くの屋台があって、美味しそうな匂いが漂ってくる。

 屋台を切り盛りするのは中年女性が多いようで、広場を行き交う人々に食事や飲み物など売り込む声が賑やかだ。けれど使用人が先導する私には声が掛からず、興味深そうに見送っていた。使用人も屋台には目もくれず、広場を横切り池の縁を周って、街路の向こう側の建物へと向かう。


 それは正面に壮麗な列柱を持つ立派な建物で、列柱の上にはテラスがあり、テラスのさらに奥に上の階の部屋が見える。これが山荘本館、すなわち本来の意味での裾野盟主の私邸だ。

 使用人はその列柱の間に大きく開いた正面扉から、私を中へと案内していく。そこは大広間になっていて、天井が高くて広々とした空間、少々薄暗いとは感じたものの、高い位置に明かり取りの窓があるほか、壁にはところどころ松明が置いてあり、そこそこの明るさが保たれている。左右の壁に階段が設けてあって、使用人はそこへ上がっていった。

 その階段を上がりきって廊下を曲がって、ようやく到着したと言われたのが、「特別室」と呼ばれる部屋だ。


 私はここで、反乱軍の人たちから『先生』と呼ばれている人物と対面した。

 彼は、向こう側の壁際に寄せられた病床から半身を起こし、綿入れや毛布を挟んで漆喰塗りの壁に寄りかかっている。その上半身の左右にある窓が開け放ってあり、陽光が照らした屋外の明るさのせいで目が慣れるまで少しかかったものの、暗がりになった彼の姿が見えてきた。四十歳前後だろうか、私の両親と同じくらいか、少し歳上かもしれない。どちらかというと小柄な男性だが、その割には肩幅があって頑丈そうな体躯で、黒い髪と、同じく黒い口髭や顎髭は短く刈り込んであり、よくよく見ると僅かながら白いものが混じっている。

 『先生』の低い鼻梁や大きな耳朶には傷跡があるが、それは何年も前のものだということをすぐ認識した。しかし他の傷で今なお重篤な状態にあることも、一目でわかる。着衣はゆったりとしていて他の人が看護や介護をしやすそうな作りだし、頻繁に洗って取り替えているらしく清潔な様子。しかしその着衣から見え隠れする身体は包帯だらけで、包帯や着衣のところどころには内側から血が滲む。まだ傷が完全には塞がってはいないのだ。

 そんな彼の身辺の警護や世話をするため、兵や看護婦が交替しつつ、昼も夜も常に数人が病室に詰めているというというから、よほどの重要人物なのだろう。そもそも特別室が、いかにも重要人物のための部屋だ。攻め込まれにくい立地にあり、堅固な城砦のような山荘の中、門からいくつもの建物が密集する中を歩いていってようやく辿り着く山荘本館、さらにその中の専用の階段を上がった先の廊下からしか入れない。しかも途中には衛兵の詰所らしき場所がいくつもあって、警備も厳重だ。

 ここまで手厚く守られ看護されているのは、その地位が重要なのか、いやむしろ頭脳が重要視されているのだなと、准士官と事務官の会話を思い出しつつ考えた。


 後に知ったが、私が特別室に招かれた時点で、『先生』は負傷してから三カ月ほどだった。

 まだこのときは、病室内を松葉杖で移動するどころか、病床で上半身を起こすときも兵や看護婦の手を借りて、かなり辛そうな様子。しかし、ときたま痛みを覚えるのか表情を歪め身体を強張らせつつも、病床の側面に寄せた机で伝令兵が届けにきた多数の手紙に目を通したり、車輪のついた椅子に文房具など置いてあるのを机の傍らに引き寄せ、その返信を書いたりもしている。

 病床だけに装飾品など身に付けていないと思ったけれど、手紙を書いてるとき紙に添えた左手には、薬指に指輪が見えた。


 そんな痛々しい姿で、手紙を読んだり書いたりしながらも、私と対話をしてくれる『先生』。

 部屋にいた衛兵らしき若い男性に促され、私が机の向かい側の椅子に挨拶をして座ると、読みかけだった長文の手紙から目を上げ、こちらを見た。病床の身でありながら、その黒い瞳は全く力を失っていない様子で、しかも鋭さというより柔らかさが感じられる。知性や感性に優れた人物なのだろう、と私は思った。職員たちが期待するのも頷ける。

 ラルス准士官が私に持たせてくれていた紹介状を、衛兵を介して受け取ると、彼はそこに素早く目を走らせつつ、反乱軍が何を目指しているのか、その体制はどのようなものか、またその体制の中で私のような少年をどのように扱うのかなど、ざっと説明してくれた。

 続いて私の様子を観察するようにいくつかの質問をして、どのような仕事ができるかを一緒に考えてくれると言ってくる。それを聞いて私は大いに驚いた。きっと優れた知性と人望、そしてそれらに相応しい地位も持ち合わせているであろう『先生』。これほどの人物が、たかだか一介の辺境の少年、しかも兵にもなれない者に、わざわざ時間を割いて、ここまで親身になってくれるのは不思議でならなかった。

 最悪の場合『先生』自身が個人的に雇い入れることも考えるとまで言ってくれたけれど、さすがにそれは恐れ多すぎる、と私が恐縮して丁重かつ断固として辞退する。軍や病院の下働きでも、あるいはツテがある商家の雇人でも何でも、この年端のいかぬ少年にとって手頃な仕事なら何でもいい、とむしろ私が説得していたほどだった。

 ならば現実的に考えられそうな、限られた選択肢の中から身の振り方を検討するからと、私の生い立ちや得意なことについて一通り聞き出した『先生』は、少し考えてから傍らに控えていた衛兵に指示して、ある品物を棚の上から持ってこさせた。


 試しに使ってみるかと渡されたのが、『先生』の連射弩だ。


「石を投げるだけでなく、投石紐を自作して使いこなすくらいだから、ひょっとしたらトビ君は他の飛び道具もすぐ使えるかもしれない」

「そうなんでしょうか。私にはわかりません」

「それを今から試すのさ、コイツで。考案した自分で言うのも難だが、かなり複雑で高度な飛び道具でな。君に才能があれば使いこなせるやもしれん。

 まずは仕組みと使い方を、一通り説明しよう」

「はぁ……」


 この弩は、内乱前に『先生』が考案し、優秀な技術者とともに作り上げたものだという。

 普通の弩は長い柄の先に弓を組み込んであり、弦を引いて矢をつがえて射つものだと、『先生』は書き損じた手紙の裏に図まで描いて説明してくれる。弩は普通の弓より狙いをつけやすい反面、射つまでの手順が多い分、準備に時間がかかって連射は遅い。そして左右に大きく張り出した弓の部分が、持ち運ぶ際など邪魔になりがちだ。

 これに対し『先生』は、なんと鯨の髭をバネに使った機構を組み込むことで、嵩張る原因だった弓の部分を不要にした。見た目は太く長い棒状だが、機構部を組み込んであるため内部は空洞の箱のような構造で、思ったほど重くはない。しかも、弦を引くための機構や、十本ほどの矢を格納し、それを順次繰り出して弦に装填する機構まであって、素早く連続で射撃できるという。

 私は、鯨の髭を使っているとの説明を聞いて、このような手があったかと大いに驚いた。鯨とはすなわち、あの河口付近の海岸に漂着していたのを私が見た、巨大な海の獣のこと。『先生』は、くるくると巻いた状態になった鯨の髭が、引っ張っても強い力で戻ろうとすることを生かし、矢を飛ばす力に使ったのだ。鋸で切ったり小刀や鑢で削ったりして形を整え、適度な熱を加えて曲がり具合を整え、さらに複数枚を重ねるなどして、機構部に組み込んだという。


 『先生』は、弩を手にして確かめるようにしていた私の様子をしばらく観察した後、的を用意させるから射ってみろと言い出す。

 廊下とは反対側の扉を開けると、そこは広場からも見えていたテラスだった。『先生』の指示で衛兵がテラスに出て、いくつかあった長椅子の一つを向こう側に倒すと、こちらを向いた座面の裏側に同心円を描いた一枚の紙が貼ってある。これが標的代わりだ。そして『先生』自身は、テラスに面した窓越しに病床から見守る。

 私は促されるまま、弩を携えテラスに出て、『先生』から教わった通りに射撃の準備をする。弩の裏側にある梃子を起こして引くと、内部のバネが少しだけ引かれ、その状態で別の部品に引っ掛かって止まる。梃子を戻してまた引くと、さらにバネが少し引かれて引っ掛かる。梃子は次第に重くなり、私の力では少ししか動かせなくなっていったが、それでも頑張って何度か繰り返すと、それまでとは違う明確な音が内部から聞こえた。

 これが、発射できる位置になったことを示す音なのだそうだ。梃子の把手を定位置に戻し、さらに内部へ押し込むと、格納してある矢が一本だけ出てきて弦に装填される。説明を聞いたときは半信半疑だったけど、本当に説明通りの動きだった。


 それから弩を的へ向け、親指で安全装置を解除、狙いを定めて引き金を絞る。

 ……と、バシッと音がして矢が放たれ、的に突き刺さった。内部からも高い音が聞こえた。最大限に引き延ばされていたバネが一気に収縮して矢を加速した後、余った勢いを止めるため強固にしてある部材に当たった音であるらしい。

 すぐさま再び同じように梃子を繰り返し操作してバネを引き、矢を装填して放つ。私にもう少し腕力があれば、かなり素早く射撃できそうな気がした。


 私が三本目の矢を装填したところで、次は距離を離して的を狙うようにと『先生』が言い、衛兵はテラスの端まで的を移動させた。私は広々としたテラスの反対側の端に立ち、兵が的から離れるのを待って弩を構え、標的に向けて発射する。

 端から端までの距離でも矢は瞬きする間に届いてしまうが、距離が離れると狙いが外れやすくなり、的の中央には当たらなかった。再び矢を装填し、より慎重に狙いを定めて射つ。

 何度か射つうちに、的の中央に当てられるようになってきたが、もっと正確な狙いを目指していたところで、弩に格納してあった矢が尽きた。


 『先生』の指示で兵が新たな矢をくれたので、教えてもらった通り、梃子を起こした裏側にある開口部から入れていく。

 これも射ち尽くす頃には、的の中央に矢が集中するようになっていた。

 しかし数えきれぬほど梃子を引いたせいで腕が疲れてしまい、弩そのものの重みで支えることも難しくなってきた。これ以上やっても、腕に力が入らず狙いを定められなくなるだろう。

 と思っていたら、私の疲労を見計らったかのように『先生』は試射を終えさせ、窓越しに話しかけてきた。


「君は、弩はおろか弓矢も使ったことがないのだよな?」

「はい、初めてです。でも楽しいですね、的に当たると」

「そうだな、あれくらい命中させられるなら楽しかろう。

 ならトビ君、こんな感じで試射をする仕事はどうかな?」

「仕事、といいますと?」

「戦うのが目的ではなく、内乱を有利に進めるための仕事、技術部の助手だ。

 君の才能は、そこに役立つと私は判断した。もちろん君は軍属、つまりれっきとした職員として反乱軍に採用され、軍から俸給が出る」

「軍からお金をもらえるのですか? こんな田舎の子供でも?」

「ああもちろん。年齢も性別も関係なく、階級や任務に応じた額を、毎月な。

 階級が最も低い兵卒や軍属でも、街で部屋を借りて一人二人で暮らすくらいには充分な額のはずだ。自宅があって家賃や地代を必要としないなら、数人の家族を養うこともできよう」

「そんなにもらえるほど、私は役に立てるのでしょうか?」

「それをまさに今、試させてもらった。個人的には、君の才能に兵卒待遇では安すぎて申し訳ないくらいだよ」

「才能といわれても、よくわかりませんが……」

「技術部では今、この弩とは別に、いくつかの新しい飛び道具の開発を進めていてね。試作しては試射をする必要があるんだが、技術者たちは射撃が下手な者ばかりだ。かといって、このような複雑な道具をすぐに使いこなせて、かつ射撃の上手な者など、将兵たちの中にも容易には見つからない。

 その点、君はとても物覚えがいい。あの弩の操作は少し複雑で、すぐに使いこなせる者などそうそういない。しかも飛び道具にも優秀な才がある。弓さえ使ったことがないというのに、命中率もなかなかのものだったぞ」

「はあ……」

「技術部は主に陣地での任務だ。寝起きするのは兵舎だから家賃は不要、食事も陣地の食堂なら無料で食える。制服も軍から無料で支給されるから、特にこだわりがなければ衣食住に費用はほとんどかからん。贅沢をしなければすぐ蓄えができるだろうし、もちろんいくらかは実家に仕送りしてもいい」


 陣地での衣食住に不自由しない生活に加え、親の役にも立てるという提案は魅力的だ。

 こんな年端も行かぬ子供の自分にできることで役立てるならばと、応じることにした。


 こうして私は、技術部を率いる技術士官の助手として、飛び道具の試射担当という役目を与えられて陣地へ送られることになった。餞別代わりにと、あの特別製の弩も譲られて。

 『先生』は戦場に出られる身体ではなくなったので、使いこなせそうな者がいたら譲るつもりだったという。特別室の衛兵は『先生』の指示で、長椅子の座面の裏から標的の紙を剥がし、別の紙に貼っていた。この標的の紙は、傷が治ってきたら自分で射撃をして身体を慣らそうと考えた『先生』が、とかく無理をさせまいとする医師たちに内緒で、看護婦や兵に頼んで用意させていたものらしい。


 試射を終えたのは昼食時くらいの頃で、『先生』は私に軽食もごちそうしてくれた。

 この病室を含む五部屋のみの特別室のための専用の調理場があり、山荘の中でも腕利きかつ信用できる(毒を盛られるなどの心配がない)料理人が作っているという。『先生』の好みなのか、あまり豪華な食事ではないとのことで、本部の食堂と同じく三品だけだったものの、今まで食べたことのない味わいを感じた。上等な肉や野菜を使っているとも思うが、どうもそれだけではなさそうだ。特別な隠し味や、調理の際にも様々な工夫が凝らされているのだろう。どうやって作るのかなと気になってしまった。


 またも輜重隊の荷馬車に便乗して、次第に傾いていく日の下を運ばれ、本部へ戻っていく。山荘へ行くときにはなかった、『先生』から譲り受けた弩を抱えて。輸送中は安全のため、また複雑な機構に砂埃などが入らぬようにと、専用の布袋で包んである。矢は反乱軍が使う標準品で、陣地ならどこでも支給を受けられるから、任務で使うときは必要なだけ発注すればいい、とのことだった。


 この弩は、私への個人的な贈り物だという。これからの私の従軍生活、さらにその後の支えになれば幸い、とも言われた。




◆技術士官の助手という仕事


 『先生』は私を送り出す際に、人事部の事務官と准士官、そして配属先で私の上官となる技術士官への手紙も持たせてくれていた。先ほどの標的紙も、技術士官への手紙と一緒に丸めてある。


 『先生』は私に手紙を持たせる際、こうも言っていた。


「あの技術士官は変わり者だから驚くこともあると思うが、心配は要らない。仕事は確かだし、その仕事に役立つ才能の持ち主には、地位も年齢も気にせず敬意を払う。アイツなら、トビ君のことを知れば、必ずや歓迎してくれるだろう。少なくとも悪いようにはせぬはず」


 山荘からの帰り道は全体的に下りとなるせいか、馬車の進みは行きより速く感じたものの、そろそろ日が傾いてきていた。本部に戻って人事部への手紙を受付の職員に見せると、私の処遇に悩んでいた事務官や准士官が出てきて相次いで目を通し、嬉しそうな表情をする。すぐに彼らは私の辞令書や認識票、俸給口座の通帳のほか、軍属としての生活に必要な書類一式を手際良く作成してくれて、さらに別の窓口へと案内され制服の支給を受けた。

 せっかくの制服だけど、日が暮れれば配属先である技術部の業務時間が終わってしまい、配属の挨拶も間に合わなくなってしまうから急いだ方がいい。そう言われた私は着替えも何もかも後回しにして、技術部への道順を教えてもらって早足で向かった。本部が置かれている裾野盟主公邸を出てすぐの市街地、主に盟主の家臣団が居を構えていた地区の、当時は反乱軍の駐屯地となっていたあたりだ。


 技術部が置かれ、技術部長をはじめ部署のほぼ全員が働いている建物は、三階建くらいの高さがある石造建築で、入ってみれば広々としていて天井も高い。壁は何本もの木の柱で補強してあり、この柱が屋根のすぐ下で横に渡した梁に組み合わされているのが見える。その梁より少し低い位置に、ところどころ横木が突き出していて、高い場所で作業できる足場になっていたり、滑車が吊ってあって太い縄が垂れ下がっていたり、他にも様々な道具が吊り下げられている。壁には新兵受付をした広間や山荘大広間より多くの灯明が並んでいて、窓の大きさや数は大差ないものの室内は明るい印象だ。後で聞いたら、もともと倉庫だった建物を丸ごと改装して、二階三階の床を取り払い、重たい品を吊り上げる仕掛を組み立てて、広々と使える工房にしたのだそうだ。

 床は固く叩き締められた土間で、中央付近は広い作業場になっているほか、壁に沿って多くの机や棚が並んでいた。そこには様々な工具や道具、作りかけの品物などがあって、制服姿と、そうでない服装の人々が忙しそうに立ち働いている。前者が軍に所属する技術者や職員で、後者が彼らに協力している外部の職人たちのようだ。

 ただ、みんな各自の仕事に熱中している様子で、なかなか話し掛ける機会が見つからない。夕暮れが近いから、その日のうちに終えたい作業を急いでいるのだろう。仕方なく眺めていたら、男性ばかりかと思っていた中に何人かの女性も混じっている。しかも女性たちも制服姿で、正式な反乱軍の所属というわけだ。

 そんな制服姿の女性たちの中でも一人、特に目立つ人がいる。女性にしては背が高めで、赤味を帯びた濃い褐色の髪を肩ほどの長さで切って後ろに束ねていて、そのせいか少し鋭い目付きにも見えた。よく屋外で仕事しているのか、まだ冬の終わりだというのに日焼けした肌で、引き締まった体つきは制服の上からでも見て取れる。そして周囲の人たちに指示を出したり、相談を受けては回答したりしつつ、広い工房をきびきびと歩き回っていた。まだ若そうだけど、地位の高い人物でもあるようだ。

 凜々しい彼女の姿に惹かれ、私は目で追ってしまう。そこかしこで技術者や職人たちが議論したり、作業をする音が響く中、しかも離れた場所からではあったが、断片的に聞こえてくる彼女の口調は男の職人たちみたいに清々しくて、それも格好良い。こんな人がいるなんて見たことも聞いたこともなかったので驚いてしまい、さらに目が離せなくなる。


 そして、この場にいる大勢の中で私の存在を最初に認識してくれたのが、彼女だった。

 目が合うと怪訝な表情をして、近付いてくると、私に声を掛けてくれる。


「君は? 伝令? 迷子?」

「いえ、そのどちらでもありません。ここに配属されると聞いて来ました」


 と私は返答して辞令書を手渡すと、彼女は書面を流し読みしてから、私と書面とを、しばし見比べる。そして続けて、『先生』からの手紙の封を切って目を通すうちに、怪訝そうな表情がどんどん明るくなっていった。その楽しそうな表情で、手紙から視線を移し、明るい褐色の瞳で私をじっと見る。間近に見ても、凛々しく美しくて、私は一瞬、言葉に詰まりそうだった。


「へぇー。『先生』が認めるほどの飛び道具の天才。しかもあの弩をすぐ使いこなせた、と」

「あっ、はい。この弩です。私に譲ると言われまして」


 私は慌てて布包みを解いて弩を差し出したが、彼女は見るまでもないという様子で、こう言うのだった。


「知ってる。もともと私が『先生』と一緒に作ったものだから。

 ……それより、ちょっと一緒に来て。ぜひ射撃を見たい」

「えっ? 私が? 今から?」

「そう、君が。そして今すぐ」

「あの……、あなたは?」

「ん?

 ……あ、言ってなかったか。私がここの長で、君の上司になる。よろしく、助手くん」


 彼女こそ、反乱軍の技術部長を務める若き技術士官、カンナだった。

 周囲には、もっと年齢とともに熟練も重ねてきたであろう男性も少なくないと思われるが、そうした技術者や職人たちが彼女に接するときの様子からも、彼女が部下に信頼されていることが見て取れる。私は、そんな彼女の格好良さに見とれていたに過ぎなかったものの、カンナという人物のすごさは想像以上だった。

 射撃場への道すがら質問させてもらったら、士官というのは反乱軍でも数十人しかいない上位の階級で、しかも技術士官は彼女一人だけだというから、まさに軍の要職だ。その幹部の一人である彼女が率いる部下は、正式に反乱軍の所属となっている者たちだけでも数十名、常駐してくれている外部の職人なども含めれば百名は下らないという。そして彼女の年齢は私より十五歳も上、つまり私の兄よりも年上で、様々な学問を修めてきたというけれど、まだまだ若々しくて、むしろ女盛りという印象さえある。

 凛々しく美しい姿に才覚と人望を兼ね備えた、それはそれは素晴らしい上司が私の手を引いて、足早に射撃訓練の場へ向かっていく。このときの彼女は、私の射撃を見たくて楽しみな様子で、私より五つ上の一番下の姉よりもっと少女っぽく軽やかな足取りだった。部下たちを指揮する先刻の姿との、あまりの違いに、またも私は驚かされる。


 カンナが私を連れてきてくれたのは、盟主公邸の敷地の端の方、内城壁に面した広場だった。歴代の裾野盟主やその家臣が弓の鍛錬をしてきた場所だそうで、今では反乱軍が使っており、大人の弓兵や弩兵たちが弓や弩の訓練に勤しんでいる。そこに私も混ざり、さっそく上司の指示で射撃に臨んだ。

 最初は一射ずつ、じっくり狙って射つ。射撃場は山荘本館のテラスよりずっと広く、的も遠くにあるが、弩のコツは既に掴んでいた。一本も外すことはなく、三射目くらいからは中央に矢が集中するようになった。

 十本の矢を射ち尽くした私に、次の十射では可能な限り速射するようにと上司は指示する。腕が疲れてくると狙いが定まりきらず、的の中央に当たらない矢が何発もあったが、どうにか人間大の的からは外さずに射ち終えた。

 するとカンナは驚き喜んで、狙いの正確さは抜群、と私を褒めてくれた。気付けば居合わせた他の兵たちも驚いた様子で私のことを見ていて、「あれ『先生』の弩だよな」「使いこなせるヤツがいるなんて」「しかも子供だぞ」などと囁き合う声も聞こえる。


 一方でカンナは、私の腕力不足も見抜いていて、周囲の声など耳に入らぬ様子で私に指摘した。


「君には梃子が重すぎだな。腕が疲れるだろう」

「はい。かなり疲れます」

「じゃあ改造しよう。もっと軽く引けるように」

「そんなことができるんですか?」

「私はそんなことをするために反乱軍にいるんだ」

「すみません。どうやるのか想像つかないもので」

「簡単なことさ、梃子の支点を変えて軽くするんだ。回数は増えるが素早く引けるようになって、むしろ連射しやすくなるはず。腕の疲労も減って、狙いを定めやすくなるだろう」


 そう言うとカンナは私を連れて、またも早足で工房に戻るや、いくつもの工具を使って弩を分解して部品に穴を追加したり組み替えて、組み直す。あっという間に改造を終えると、また射撃場へと私の手を引いていった。


 再びの試射場は、まだ辛うじて日が残っていたものの、多くの兵たちは訓練を終えたようで、ほとんど人がいなくなっていた。

 カンナは改造した結果がどうなったか、期待の目で私を見ている。私も時間が惜しいと考え、さっそく試射をしてみた。たしかに梃子の引きが軽くなったし、素早く狙いが定まる。特に装填してから構えるまでの動作が安定する。

 そして的にも、これまでより当たりやすくなった。いくつも並んだ的を次々に狙って射撃しても、全部当てられる。二巡三巡して射ち続けたら、何度かは既に刺さっていた矢に当たって弾けた。力を使わぬよう改造しただけだというのに、大きな効果だ。


 五十発くらい試射しても、まだまだ射撃できそうな手応えだったし、私はもっと試したいと思っていたけど、私の上司はそれを止める。


「もう暗くなってきた。今日はここまでだ。帰って休め」

「まだ的は見えますが……?」

「射撃の練習ならいつでもできる」

「そうなんですか」

「やりたきゃ暇なときここへ来てやってていい。

 軍属も将兵と同じく自主訓練が認められてる。仕事に悪影響が出ない範囲ならね」

「わかりました。またそのうち来ます」

「……そういや宿舎どこ?」

「あっ、いえ。場所までは確かめてなかったです」

「なら泊まってきな。士官用だから広い」

「えっ!? ……い、いいんですか?」


 私は軍属になったので、陣地に宿舎が割り当てられているはずだった。ただし、少なくとも数十棟ある兵舎のどこか、さらにその中の一部屋の、四人部屋の寝台一つと物入れ一つ分だと聞いている。辞令書には記号と番号で宿舎が記載してあったものの、私はすぐ工房に向かったので確認していなかったし、そもそも当時の私は文字を読めなかったし。

 しかも間もなく日没、周囲は暗くなってきていて、いくら各所に篝火が焚いてあるとはいえ今から探すのは骨が折れそうだ。一方で士官には、寝室と居間と台所、小さな簡易浴室や便所まで備えている広々とした個室宿舎が与えられていて、家族や使用人と共に暮らす人も多いという。その自室にカンナは私を招いてくれた。

 彼女は結婚していなくて、それどころか恋人もいた試しがないというけれど、私のような子供は弟のようで放っておけない、と言う。私の倍以上も年上の上司が、まるで姉か叔母であるかのような感覚で厚意を示してくれるので、その申し出に甘えることにした。



 私からすれば、カンナほどの多面的な魅力を備える女性を放っておいた彼女と同世代の男たちに見る目がないのでは、と思っていたのだが、どうやらカンナの方が仕事に夢中になりすぎていて男女としての出会いの機会すらなかったらしい。


 というより、出会い云々以前に、実は仕事以外のところでは全然ダメな女性だとわかった。


 一人暮らしには広々としているはずの士官用官舎の部屋中そこかしこに、紙片が散らばっているのが目につく。思いついたことを書き散らかしたというけれど、書き損じたり、不要になったものはくしゃくしゃに丸めて放ってあり、屑箱のようなものは一応あるものの満杯で溢れている。あまつさえ脱ぎ散らかした替えの制服、肌着や下着までそこかしこに落ちている有様。これは散らかってるというより、もはや荒らされた部屋なのではないかと、私は愕然とした。

 こんなところに異性を、いくら子供とはいえ招くものではないだろうと、姉が三人いて女物の下着も見慣れている私でさえ思うくらい。


「い……、いやー、散らかってて悪いね。

 すぐ片付けるからさ、とりあえずそのへんに座ってて」


 などと言いつつ紙屑を屑箱に押し込む彼女を座視していられず、私も手伝った。要不要だけは当人に確認してもらって、必要そうな紙片は向きを揃えて積み重ねる。反故にした紙は、くしゃくしゃになっているのを開いて重ねて手頃な紐で縛れば場所を取らないし、暖炉の焚きつけにでも使えばいい。

 というか、こんなに紙を散らかしていては火が移ったとき本当に危ない。当時のカンナの部屋は、反乱軍再編の際に建設された木造住宅で、平屋の長屋造の一室だった。もし火事を出せば同じ建物で暮らす他の人たちにも危険が及ぶ。他の入居者も士官や准士官が多いというから、反乱軍にとって大きな損失になりかねないじゃないか。上司の暮らしに不安を覚えた私は、ついそのことを厳しい口調で言ってしまった。


 しかし片付けに着手してすぐ、すっかり暗くなってしまったので、とりあえず急いで明かりをつける。壁に何カ所かの灯明台があるので、火を点けようと思ったら油が切れてたりする有様なので、「油どこ?」「そこの棚にない?」「それらしき瓶はあるけど空っぽ!」「あっ、蝋燭あった!」みたいな会話してどうにか明るくして片付け再開。なのに腹が減ったけど食材はないから食堂へ行くと言い出して、片付けもそこそこにすぐ消す羽目になってしまう。幸い、彼女が作った道具を使えば火を点けるのも楽だったけど。


 いや実は料理下手だというか全然なんだよと、その食事の席で彼女は私に打ち明けてきた。反乱軍の本部には多数の食堂があり、それぞれ様々な料理を提供しているので選び放題、料理ができなくても全く困らないのさ、という。

 食事の後、さらに公衆浴場にも連れて行かれる。これまた本部には何軒もあって、それぞれ違った趣向を凝らしているのだそうで、カンナは気分により行き先を変えたりするらしい。ところが私が湯船に浸かって出てきたらカンナが先に上がってて、まだ冷える春の夜に少し震えてた。風呂を早く済ますのは職人の癖らしいけど、私を待つならもう少し暖かい格好をしておけば良かっただろうに。

 解いた髪も乾ききっておらず、冷たそう。あと髪を解いたから目許が優しい印象になって、夜の陣地の各所に焚かれた篝火に照らされた横顔は、むしろ可憐な少女のようにも見える。


 部屋に戻って再び灯明をつけて、ついでに暖炉にも火を入れる。早速、反故紙が役立った。

 室内の棚を見ると充分な量の薪が置いてあり、さすがにこれは切らさないかと思ってたら、長屋の端に共有の薪置場があって、入居者は必要なだけ自由に持っていくことができ、使った分は宿舎の管理を担当する職員が勝手に補充してくれるらしい。そんな説明を聞きながら、私も制服を支給されていたことを思い出し、ようやく浴室を借りて着替える。彼女が脱ぎ捨てていた衣類と一緒に、そこにあった脱衣籠へ放り込みつつ、明日はこれらを洗濯するところから始めよう、と私は心に決めた。

 着替えて出たら、同じ寝台で一緒に寝ようと誘ってくるけど、士官用の部屋は広いから場所を作って寝る、と断った。よくよく聞けば予備の毛布が何枚もあるというので私はそれを借りて、居間の長椅子に一枚敷いて、もう一枚にくるまって横になる。ここ裾野地方は私の故郷より温暖な土地柄だ。士官用官舎は上等な部屋で隙間風もないし、居間に置いてある長椅子も木材剥き出しでなく布張り綿入りの上等なもの。私が寝台として使うには立派すぎるくらいで、特に寒気も感じず眠れた。


 翌朝、私は上司が朝寝坊であることも知った。

 私は夜が明ける頃に目覚めて、顔を洗ったら水瓶の水が古い気がしたので玄関前の水路に捨てつつ、水汲みに行く人がいたらついて行こうかと陣地の人たちの様子を観察してたら、荷車に樽を積んで水を配ってる人たちがいたのでお願いする。こういうのも別にお金は要らないそうだ。

 ついでに洗濯物について聞いてみると、陣地に業者が店を出しており、将兵や軍属は基本的に無料でやってもらえるという。そこで私も洗濯物を持っていって預けて、帰ってきてもまだカンナは寝ていた。寝台の周りには、また何か色々と書きつけた紙片が散らかっていて、ペンが転がっていたし枕元の低い棚にあった灯明は油が尽きて消えてたから、きっと寝床の中でも思いついたことを書き散らかして、そのまま眠ってしまっていたのだろう。不用心な。


 とりあえず起こしてやったものの、せっかくの綺麗な髪がボサボサだ。毛布の乱れ具合からすると、寝相も良くないのかもしれない。

 まだボーッとしてる彼女を促して歯磨きをさせつつ、寝台の枕元に櫛があったので髪を梳って後ろに束ねてやって、顔を洗わせて、朝食どうするのか聞くと、また食堂へ行くから一緒にーと寝ボケた声で言った後に、散らかした紙片と私の視線に気付いて大慌てで片付けていた。

 食堂への道すがら周囲を観察していたら、食料品の店や屋台らしいのもある。軍の許可を得て様々な商家が営業しているのだそうだ。朝食帰りにカンナを連れて立ち寄って、品揃えと営業時間を確認しつつ、夕方の仕事上がりに食材を買って帰って調理する、と提案したら、「できるの? すごい!」と驚いた様子。私の上司は、食材の買い物さえ全然なのだと気付かされた。ひょっとしたら、彼女に男がいない理由は、そういうところにもあるのかもしれない。


 ……などと思ったが、カンナという女性は、恋愛や結婚といった事柄に興味がないのもまた事実らしい。

 食後いったん官舎に戻って、深夜に書き付けていた紙片を掻き集めて、ようやくカンナは工房へ出勤。私は時間が余ったら今日も射撃場へ行ってみようかと、弩も持参して彼女に同伴した。すでに工房では技術者や職人、職員たちが働き始めていて、カンナと、彼女に伴われて出勤した私にも、それぞれ何人かが話し掛けてくる。昨日の試射の噂が皆にも伝わっていたようだ。

 集まってきた手空きの者たちを前にしたカンナは、私に弩を出させ、「これを元に新たな連射弩を作ろう」と提案する。その新たな武器の案をいくつか、今朝までに考えてきたのだと語る。私が試射する様子を見た後に、数々の案が思い浮かんで書き付けたのが、寝室に散らかっていた紙片だったというわけか。

 カンナの案は、構造を簡略化して生産性を高め、量産を目指すというものだった。同時に少し小型化して、取り回しや操作性も改善を図るという。その案によれば、原型となる『先生』の弩より威力や射程距離は低下するものの、携帯性と使い勝手に優れた弩になる。伝令兵などの護身用武器として役立つのでは、とカンナは説明した。

 この提案に、さらに技術者や職人たちがこぞって案を出していく。カンナは彼らの議論を主導し、ひとしきり話し合いながら、いくつもの素描を描いて、図面を取りまとめていった。


「よし、じゃあまずこれ作ってみよう」


 と、書き上げた図面を手にした彼女の号令で、全員が一斉に、それぞれの作業を始める。

 私は特に何もすることがない。せっかく部下になったのだし、きちんと理解したいと思いながらも、皆の会話についていけなかった。技術者や職人たちの特有の用語や言い回しは、同じ言葉を喋っているとは思えない。どれだけ勉強したら、あの会話に混ざれるのだろう。


 とはいえ射撃場へ行くのも気が咎めた。技術士官の助手である私にとって、射撃は任務に含まれないはずで、ただ私は射撃の腕前をもう少し確かめたかっただけ。みんなが働いているのに、私だけ個人的な活動のために席を外すのは良くないだろうと考えたのだ。致し方なく、技術部の女性職員と雑談をしたり、彼女らに教わって皆にお茶を淹れたり、掃除などしながら待っていたら、昼過ぎには最初の試作品が完成していた。

 というかカンナをはじめ技術部の人たちは、みんな昼食を忘れて作業していたのだ。日が中天高く昇りきって、正午の鐘が鳴っても、事務職員たちを除けば誰も意に介していない。


「はい、これ。試射してみよう」


 と渡されたけど、そのときちょうど私の腹が鳴るので、これ幸いとばかり、わざと子供っぽく提案した。


「あー……。メシ食ってからでいい?」


 私の言葉に、そりゃそうだと一同ゾロゾロと食堂へ向かい、すぐ食べられる作り置きの「日替わり定食」を注文。カンナは食事も職人にならって短時間で済ますそうだけど、技術者たちが一緒だと食事しながら議論も続けていて慌ただしい。

 でもすぐ食べ終わって、腹ごなしに一仕事しよう、とばかり射撃場へ移動し試射。


 弩なんて私は『先生』が譲ってくれたものしか知らないから、それと比較しつつ評価していく。

 全体的に少しばかり小さく軽くなったし、短めになったので取り回しも悪くない。装填済みの二本の矢を一つのバネで順次発射する構造にしたため二発までしか射てないが、この大胆な割り切りのおかげで軽くなったし、むしろ間を置かず連射できるのは良い。二発を射ち終えた後の次の準備も、時間はかかるけど覚えやすい操作だし、あまり力も必要としないので、私くらいの少年兵でも問題ないだろう。

 けれど、側面の小さな把手を起こしてくるくる回すという再装填操作には、思った以上に時間がかかるし、最後の方になると手が痛くなってきた。また、威力の低下も強く実感した。『先生』のものより明らかに飛ばないし、そのせいで狙いのつけ方も違ってくる。距離が遠い的は少し上を狙う必要があるのだ。威力が弱いせいか、山なりに矢が飛んで斜めに当たるせいか、遠い的では弾かれることもあった。となれば敵の鎧が固かったら通らない気がする。

 試す役目ということから、私は上記のような感想を、気付くたびに伝えていった。


 さらに十数発の試射を繰り返したあたりで、カンナが問い掛けてくる。


「全体として、どう思う?」

「うーん、どうだろうなあ。良くなったところも、悪くなったところもあって……」

「じゃあ想像してみて。

 君が伝令兵か何かだとして、馬に乗って移動する任務中、運悪く敵部隊に遭遇したとする。咄嗟に隠れようとしたけど気付かれて追われる。相手は軽騎兵で足が速い、おまけに即射が利く短弓で、ピュン、ピュン、という勢いで次々に矢が飛んでくる。そんな中、せめて牽制して追手の足を抑えるためにも、こちらから射ち返したい。

 そんな場面で、これが役立つと思う? 鞍の後ろにでも提げてあったら、抜いて射とうと思う?」

「……きっと思わないな。敵や周りの状況にもよると思うけど、これ捨てて少しでも馬を軽くして逃げた方が、助かりそうな気もする」

「たっはー。イマイチだったかー」


 といった反応をしつつ、カンナや技術者たちは、またもその場で色々と案を出して議論していく。

 きっかけがあって議論を始めると、どこであろうと止まらなくなる類の人たちのようだ。故郷の集落では、水汲み場や洗濯場で母が近所の女性たちと立ち話してる場面はよくあった。きっとあれの同類だろう。

 しかし、村の女性たちと水鳥と川魚くらいしかいない田舎集落の川辺の水場ならともかく、こんなに人が一杯いる射撃場で議論するのもどうかと思う。訓練に来ている兵たちが迷惑そうな表情だ。考えてみれば前線で戦う任務を帯びているわけではない技術部、どれだけの功績を挙げているかは知らないけど、身体を張って命懸けで戦っている兵たちは、彼らをどのように思ってるだろうか。


 でも移動しそうな気配は一向にない、というか周囲の視線に気付いてもいない様子なので、私がカンナを促し、手を引いて工房へ戻らせた。さすがに技術部長が動けば、みんなついてくる。

 一同は工房でさらに議論を重ねて、少しずつ定まってきたのか途中から一人また一人と人の輪を離れ、新たな部品を作ったりしている。しばらくすると、それらが再び集まってきて改良版の試作品ができてきたので、午後もう一度、試射場へ。

 今度は、全体的に部品を薄くするなどしたそうで、少し軽くなっていたが、バネを引いたときに撓みが感じられて不安を覚える。


 二度目の試射を終えるくらいの頃には日が暮れかけていたので、私はカンナから官舎の合鍵を預かり、いくらかの金をもらって一足先に工房を出た。その金で食材を買い、朝のうちに預けていた洗濯物を引き取って、官舎へ戻ると二人分の夕食を作りながら部屋も片付け、日が暮れてきたので明かりをつけて、待つ。

 洗濯物を畳んでいたら、カンナの制服には、油やインクの染みのほか、工具などで引っ掛けたらしい鉤裂きや、ほつれなどがいくつかあった。洗濯業者も、引き受ける量が多いから丸ごと洗って干すしかできないのだろう。油染みを洗い落としたり、簡単な繕い物をするくらいは私にもできるし、カンナが戻るまでの時間の使い方としては、ちょうどいい。あと、インク染みを抜く方法は知らないので、知っている人に出会ったら教わろう。




◆技術士官と助手の約束


 反乱軍本部とそれに隣接する陣地は、多くの将兵や職員が生活する場でもある。ここだけで一つの大きな街のようなもので、商店や屋台も驚くほど多く、実に色々な食べ物が売られていた。

 輜重隊の荷馬車で出されたのは固く重いパンだったが、それは行軍する部隊が持ち運ぶ、保存が利くよう特別に作ったもので、陣地の食堂などで提供されるのは柔らかく軽いパンが普通らしい。これは故郷では見たこともなかったような上等なものだ。なお、輜重隊のパンも陣地のパンも、どちらも型に入れて四角く焼いてある。焼くときや棚に積み重ねて保管するときなど、場所を取らない点が重要らしい。

 陣地には肉屋もあり、捌いて切り分けたばかりの新鮮な生肉まで売っていて、牛や豚の肉が主だという。私は水鳥以外の肉を調理した経験がほとんどないから、店の人におすすめの調理法をいくつか教えてもらった。まずこの日は手っ取り早く、一口大に切って、大きめの根菜を一口大に切ったものと交互に木串に刺して焼くことにする。カンナの部屋には一応、包丁と砥石、俎板もあって、ほぼ使った形跡がないことも前夜の片付けの際に把握済みだ。帰ったら包丁研ぎから始めよう。

 それから、煮干し小魚が安く手に入ったのは幸いだった。この裾野地方では主に伯爵領から仕入れているそうで、実家で使い慣れているものとは少し違う魚のようだけど、旨味が出るのは同じ。先にコイツを水に入れてから沸かし、小さく切った野菜など加えて味を調えると、ほぼ実家の汁物と同じ風味を再現できた。同じく伯爵領で作られているという魚醤もあって、河口の民のものとは少し風味が違うけど、これも悪くない。


 考えてみれば、最初から最後まで私一人で料理するのは、ほぼ初めてのことだった。けれども、カンナが食べたらどんな反応をするかと想像していたら楽しくて、苦にはならなかったし、我ながらよくできたと思った。



 ところがカンナが戻ったのは、すっかり夜になってから。ひどく待たされた。

 あの後も技術者たちと議論し続け、次の試作の案を取りまとめていたらしい。


「これで明日は朝からみんな試作に取り掛かれる」


 とカンナは気楽に言っていたけど、そんなに急ぐ必要あるのか、それより生活習慣を改善した方が良いのではないかと、つい私は声を荒げてしまい、彼女と言い合いになってしまった。


「大事なことだよ? 早く完成させたいんだよ! アンタみたいな少年兵の身を守るための武器だから」

「その気持ちはわかるけど、区切りはつけてほしい。食事が冷めてしまった」

「あっ……。ごめん、そうだよね、せっかく作ってくれたのに」


 こうしてカンナと私は食事の時間を決めて、それを守ることを約束したのだった。

 申し訳なさそうにする彼女に対し、少なくとも朝食と夕食は私が用意する、掃除洗濯もできるだけ担当する、とも申し出たが、カンナはこれにも納得できない様子。


「いやアンタね、正式な助手なんだから使用人みたいなコトしなくたっていい」

「助手といっても、試射くらいしか手伝えてない。だから家事くらいやらせて」

「そこまで言うなら、わかった。ありがとう」

「それに、カンナには世話する人が必要だと思ったんだ」

「くぅー……。痛いところを。

 でも、試射以外にも私の仕事を手伝いたいなら勉強すればいい。仕事の合間に教える」

「本当?」

「教える方にも自信あるんでね。これでも学校の同期や後輩から評判だったんだ」

「だけど俺、読み書きもできないよ。カンナみたいな偉い人に教わる資格なんて」

「遠慮するなって。生活の面倒見てくれるお礼代わりさ。

 そのうちトビが立派に助手できるようになってくれれば、こっちも楽できるし」

「じゃ、じゃあ、よろしく頼む。さっさと手伝えるようになってみせるから」

「よっしゃ、期待してる。アンタまだ子供なんだし、きっとすぐ覚えられる」


 こうして、いくつかの約束を交わして、二人の生活が動き出したのだった。

 私は官舎でのカンナ生活の面倒を見て、勉強もして、他に役立てることがないか探す。

 カンナは私に読み書きの初歩から教えて、二人の食材や生活必需品などの費用も出す。

 お互いに得意なことで相手を支えながらの、仕事と生活の日々だ。


 といっても、私が二人分の家事をしてカンナの生活の面倒を見るには、母や祖母、姉たちから教わった内容では不十分だとも感じた。もちろんカンナに比べれば遙かにマシではあるものの、彼女では比較対象にならない、というか比較対象にすべきではない。私としては、料理も、掃除や洗濯などの家事全般も、約束した以上きちんとこなしたい。

 幸か不幸か、このときの私は技術部の人たちの議論に加われるほど知識がなかったから、昼間カンナたちが議論したり試作品を作っている間、かなり時間がある。その時間ずっとボンヤリしてるのは勿体ないし、カンナのために使うことにして、技術部の女性職員や、同じ官舎住まいの人たち、買い出しなどの際に知り合った人たちにも相談しては、あれこれ教わって身に付けていった。

 反乱軍には相当な数の女性が所属しており、主に事務職員や看護婦などとして働いている。その多くは既婚者か、未婚でも嫁入り修行を受けていて、調理や家事も得意な人がほとんどなのだ。技術一辺倒のカンナと違って。


 そうした女性たちの中には、カンナと同じ伯爵領出身の人も少なからずいたので、せっかく料理を覚えるなら彼女の故郷の食事、彼女が慣れ親しんできたものを作りたいと、積極的に教わった。

 例えば、本部へ連れられてきた荷馬車旅で初めて味わった乾麺料理にも、魚介をふんだんに使うことが少なくないという。さすが港町、伯爵領。私の実家の味も魚介の風味を生かしたものが多いから、教わった調理法を自分なりに工夫しつつ、作ってみてはカンナの評価を聞いて、「私とカンナの味」を探したものだ。

 料理は、他にも色々な人たちに教わった。たとえば食堂の調理人、食材の店や屋台の人たち、陣地に来る行商人などは、反乱軍のお膝元である裾野地方の人が多いので、地元の旬の食材やその調理法にも詳しい。買い物ついでに、そういった情報を聞き出しては、カンナと私の二人の食卓に取り入れていった。

 洗濯物も、出入りの業者に預けるだけでなく、洗濯場があるというので自分でも洗いに行くことにした。特にカンナの肌着や下着は、業者に出さない方が良いと思ったので。やはり洗濯場に来て洗ってる人たちは女性が多く、インクの染み抜き方法を知ってる人がいたので早速伝授してもらった。その後も繕い物、さらには縫い物の技術も教わって、簡単な衣類くらいは自作できるようになっていった。

 なお、カンナと違って私は家事の覚えが良いらしく、教えてくれた女性たちの多くから「すぐ一人前の主夫になれるね」との評価をいただいている。ただついでに毎度のように「ウチの娘の婿に欲しい」と言われるので、「ごめんなさい、世話しないといけない相手がいるんで」と断るのが口癖のようになってしまった。


 しかし私が家事をこなせるようになるだけでは足りない。カンナの生活改善も私にとって重要な課題。これには多大な努力と忍耐、工夫と交渉、そして少々の妥協が必要だった。

 彼女は炊事洗濯掃除の類には才能がないからと、それらに関する一切の努力を放棄している様子だったが、まあそこは全て私が世話するので構わない。しかし、仕事上の妙案が降った湧いたと言っては手近な紙片に書き付けながら考え事をして夜更かししてしまい、結局は朝寝坊して部下たちを待たせる毎日だったから、人の上に立つ者として如何なものかと思うのだ。それに対し私は実家で、夜明け前くらいに起き出して昼間働き、日が暮れたら遅くなる前に寝て灯明の油を節約する生活をしていた。さすがにそこまで徹底しろとは言わないまでも、私が朝食を用意し終えたくらいの頃に彼女が目を覚ませるよう、ある程度の早寝を心掛けてもらうことを、どうにか約束させる。

 まあ幸いにも私が自分なりに工夫した乾麺料理やその他の料理を彼女が気に入ってくれたのか、朝食と夕食は決まった時間に取ることを約束してくれたし、その後ほぼきっちり時間を守って一緒に食事してくれるようになる。


 まるで手の掛かる甘えん坊の娘を持った親みたいな感覚さえあったのだが、それでいてカンナは立派な大人の女性でもあるので、健康な男の子としては大いに困ることも多かった。

 なにしろ彼女ときたら、とりわけ自室内では杜撰な格好をしがちなものだから、妙齢の女性として見せてはいけないはずのところが見えそうだったり、実際にチラッと見えてしまったりして、色々な意味で戸惑う。

 夏場など暑い中で作業して自室に帰ると、すぐさま簡易浴室で水を浴びて汗を流すのがカンナの日常だ。そして大きな手ぬぐいで身体を拭いたら、そのまま汗が引くまで身体に巻いて過ごす。伯爵領は湿度が高く、特に夏場は蒸し暑い日が多いから、そういう癖がついたそうだ。

 おかげで、うっかりポロリと形の整った胸が露わになるくらいは普通にやらかすし、手ぬぐいが完全に落ちてしまっておっといけねえ、みたいなことも珍しくない。下手すると着替えや手ぬぐいなど用意し忘れたまま沐浴してしまい、事後に気付いて濡れた裸体で浴室を出ようとする有様。こんな人がいるなんて見たことも聞いたこともなかったので戸惑うばかりだ。

 仕方ないので浴室内にしつらえてある小さな棚に、部屋着や下着の替え、手ぬぐい、それから予備の石鹸まで、必要そうな品を私が一通り常備することにした。浴室用の彼女の手ぬぐいには、縁の方に細紐をいくつか縫い付けておく工夫もした。これを結んでおけば脱げにくいから。


 しかも彼女は、いつも私に対して近い。

 異性との距離感を知らないのもあるようだけど、私が子供だと思われているのが大きいだろう。カンナには兄や弟がいて、子供の頃に兄弟と触れ合っていたのと同じ感覚で、私にも接しようとするらしいのだ。すぐ何かと手を掴んだり腕を組んだり肩を抱いたりしてくる。けれども私の姉たちよりさらに成熟した身体で密着されると、困惑しかない。さらには一緒に沐浴しようとまで言い出したりする。浴室に押し込んだ隙に食事を作っていたら、今度は沐浴上がりに濡れた肌で背後に密着してきたりするので、やめさせた。


「いい大人なんだから少しは慎みなさい!」「アンタはお母さんか!」


 カンナは公衆浴場も好きで、沐浴の後にも時間があればできるだけ入浴に行っていて、私も付き合った。

 ただ、のんびりと長時間は浸かっていられない性分らしく、基本的に私より先に上がるので、先に部屋へ帰ってていいという約束にする。が、彼女は身体を洗ったり湯船に浸かったりする間に色々な考えが浮かんでくるのか、忘れないうちに図面を起こしたくなることも多いそうだ。そんなとき着替えももどかしく、辛うじて下着と肌着とズボンを着たものの、その上にシャツなど着ずに半裸みたいな格好で、拭き残した湯や汗など肌着に滲ませたままで帰ったりするものだから、これもやめさせた。


「人前ではしたない格好するものじゃありません!」「お母さんか!」


 すったもんだの末に、鉛筆と手帳を脱衣所に携帯させることにした。これなら公衆浴場の脱衣所でも書き物できる。私はカンナが忘れないようにと、それらを収納する小さな袋を端布で作り、さらについでに各種の収納袋を幾つも作って、着替えも一つの袋にまとめられるようにした。ていうか着替えそのものも、下着から何から全部私が用意して渡すようにしておく。


 さらには、彼女の体質や性格に合わせて、服装にも工夫を凝らすことにした。

 私がカンナと生活を共にするようになってから、季節は次第に夏へと向かい、どんどん暑くなっていった。そんな中、暑がりな彼女はどんどん着衣を減らそうとするのだ。魅力的な女性でもあるというのに、危なっかしくて見ていられない。そこで仕事着には、制服のシャツに手を加えて袖を短くしたり、脇や背中を大きく開けるなどして、大事なところを隠しつつもカンナが涼しく過ごせるよう工夫する。また制服の帽子も、強い日射の中でも作業しやすいように、それでいて鍔が活動の妨げになりにくいよう、正面にだけ鍔を設けた便利なものだったが、仕事中のカンナの髪型に合わせて後ろに大きな穴を空けてみたところ、結った髪をそこから出して深々と被れるし、脱げにくくなったので気に入ってもらえた。

 そして部屋着も、初心者にも作りやすい簡素なものを女性職員たちから教わった上で、暑さを感じにくく汗を吸う生地などを探して買って自作。これも工夫の甲斐あって、カンナは喜んで着てくれた。ちなみに部屋着に使ったのは、実は女性職員たちが教えてくれた「赤ちゃん用」の布地だったりする。カンナには言わなかったけど。

 余談だが、この赤ちゃん用布地を使った部屋着がカンナに好評だったことを、家事を教えてくれる顔馴染みの女性職員たちに伝えたら、あっという間にみんなが作るようになった。さらには反乱軍の制服を受託している縫製業者がこれを聞きつけて、同じような部屋着など作って陣地の売店で売り出すまでになる。かなり後になって「発案した報酬を貰えば良かったか」と思うこともあるけど、当時は私が作る必要がなくなったことを喜びつつ買ったものだ。


 こんな風に、色々と世話のかかるカンナだが、とはいえそれは日常生活だけのこと。彼女の仕事は、確かに『先生』が認めるだけのことはある。

 私を助手に迎えると、それなりには生活習慣も改善して仕事に集中しやすくなったのか、手頃な試射係を得て捗るのか、弩の派生形を様々に試作していった。私からも、試射を担当しつつ色々な案を出してみるものの、ほとんどは「惜しい、その案は考えたけど不採用」と返される。カンナは、頭の中でありとあらゆる可能性を考えて開発しているのだ。詳しいことは当時の私にはわからなかったものの、部下の技術者に比べても彼女は知識や知恵、創意工夫など多方面で秀でていることくらい、彼女と部下たちとの対話を見ていれば容易に察しがつく。

 また、技術者や職人たちを指揮して大きな仕事に取り組む様子も堂々としていて、親方や頭領とはこのような仕事振りをするものなのだろうと、やはり詳しく知らない私は思ったものだ。さらに彼女は、ときたま本部から伝令が来て呼び出されたり、軍議だと言って工房を離れることもある。そう、カンナは反乱軍の幹部でもあるのだ。軍議の様子なんて私には想像もつかないが、カンナは技術部における開発の進捗などを他の士官たちに説明したり、逆に他部署の士官たちから今後行われる作戦の計画などの説明を受けて開発の方針などを判断している、と私に語ってくれた。


 そんなカンナが、わざわざ私のため毎晩のように読み書きや計算、地理や歴史など色々と教えてくれて、段階を踏んで教科書もくれる。私も彼女の役に立てるようにと、勉強を頑張った。何カ月か勉強を続けていって、ようやく士官予備学校の教科書も読み解けるようにはなったけど、それでもカンナの仕事を理解するには足りない。もっとずっと高度な任務をこなしているんだと実感した。

 もちろん、そこまで至ったのは私が優秀だからなどと言うつもりはない、カンナの教え方は彼女自身が言うようにわかりやすくて、そのおかげだ。

 そのカンナは、あれほどズボラな生活の中でも、欠かさず日誌をつけている。彼女が学んできた技術学校や士官学校では、業務日誌や私生活上の日記をつけることを推奨しているのだそうで、生活ではなく仕事の一環という認識らしい。その日に行った作業の内容はもちろん、仕事中に思いついた構造や仕組みなど、かなり緻密な記述だ。

 そして彼女は私にも、読み書きの練習を兼ねて日記をつけるといい、と言ってきた。カンナは自分が使っているのと同じ、本格的な日誌帳を私に贈ってくれたので、それに相応しい筆跡や言葉遣いを身に付けようと私は頑張ったものだ。


 そうして、私が作った食事を一緒に食べ、仕事や勉強などで一緒に過ごす日々の中で、カンナの特異な生い立ちを聞く機会も、少なからずあった。

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2024年12月25日 11:00

放物線と螺旋と円環の魔法 安辺數奇 @yasupenski

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