祈りの灯

Lugh

祈りの灯

 ロウソクに小さな青い炎が灯った。チャッカマンを離すと、大きく赤い炎となった。

 線香を近づけて火をうつす。ゆらゆらと煙が昇った。線香の香りが鼻をくすぐった。線香と畳の匂いには親しみがある。いまはアパートの一室で床がフローリングだが、線香の匂いを嗅ぐと、昔住んでいた家の畳の匂いが思い起こされる。畳、障子、仏壇、和室。一緒に暮らしていた祖父母、両親のことも。


 写真と香炉が置いてあるだけの簡易な仏壇に線香をあげて、朱里あかりは祈りを捧げた。朝と夕方に毎日二回、ご先祖様に祈りを捧げるのが朱里の幼いころからの習慣だった。


「きょうも素敵な朝を迎えられたことに感謝いたします。いつも見守ってくださり、ありがとうございます」


 祈りを終えると、ロウソクの火を消した。すっかり短くなった姿を見て、ため息がもれる。


「どうして、すぐに短くなってしまうのかしら」


 嘆きながら、引き出しから新しいロウソクを取り出した。


「きょうはクリスマス。新しいものを使いはじめるのも、きっと、何か良いことがある予兆ね」


 気持ちを切り替える。ネガティブなことは引きずらない。不幸でも、貧乏でも、能力が劣っていても、気持ちひとつでどうにでもなる。だから、常に前向きでいること。社会に出てから、朱里が身に付けた処世術だった。


 棚に置いてある缶を手に取り、耳元で振った。じゃらじゃらと軽い音が鳴った。蓋をあける。小銭が入っている。ひっくり返しても、手のひらに納まる程度の小銭しかない。半年前から貯金して、これだった。節約をしていても、あれやこれやと出費はかさむ。収入は増えない。貯金ができるはずもなかった。


 それでも、やり繰りをして、愛する直彰なおあきへのクリスマスプレゼントは用意することができた。プレゼントはなくてもいいよ、言ってくれたが、どうしてもあげたかった。せっかくのクリスマスなのだから。

 プレゼントにはマフラーを選んだ。直彰の長い首がいつも寒そうにしているのだ。肌が弱いので、ちくちくしない素材にこだわった。これなら喜んで首に巻いてくれるだろう。直彰が笑ってくれる顔が思い浮かんで、朱里は嬉しくなった。


 その代わり、クリスマスの飾り付けは用意できなかった。ツリーもリースも置物も。何もなかった。殺風景な白い壁に地味な茶色い家具ばかり。クリスマスの欠片もない。料理は直彰が仕事終わりに、予約したものを受け取ってきてくれる。ワインはもう買ってある。部屋にクリスマスらしいものがひとつもないのは、物足りなかった。


 朱里は狭い部屋の中を歩き回り、考える。

 しばらくして、思いつく。


「そうだ。自分で作ればいいじゃないの」


 缶から取り出した小銭を握りしめ、急いで買い物へと出かけた。


 朱里が買ってきたのは折り紙とのりだった。それしか、買えなかった。しかし、頭の中でクリスマスツリーと輪っかを作ることができた。

 直彰が帰ってくるまでにはたっぷりと時間がある。部屋いっぱいの飾り付けは無理でも、折りたたみテーブルくらいはクリスマスらしくなるかもしれない。


「見たら、驚くでしょうね」


 心を躍らせながら、作業をはじめた。

 黙々と作業をつづけ、窓の外が暗くなった。


「あら、もうこんな時間。でも、間に合ったわね」


 手のひらに乗っかるほどの小さなクリスマスツリーができあがった。不格好なところはあるが、紛れもなくクリスマスツリーだった。


「いけない。てっぺんの飾りを作ってなかった」


 もう、時間はなかった。諦めてテーブルをツリーと輪っかで飾り付ける。小さなクリスマス会場が完成した。


 折り紙を片付けて、仏壇のロウソクに火を点けた。目をつむり、両手を合わせ、祈りを捧げた。


「飾り付けも間に合って、無事にクリスマスを過ごすことができそうです。いつも見守ってくださり、ありがとうございます」


 祈りを終えたところで、玄関で人の気配がした。


「ただいま」


「おかえりなさい」


 ロウソクの火を消すのも忘れて、朱里は直彰を迎えた。直彰は左手には料理を、右手にはプレゼントを持っていた。


「メリークリスマス。朱里、いつもありがとう」


 朱里はプレゼントを受け取る。胸に抱きしめる。


「いいの? ありがとう」


「あけてみて」


 嬉しさと涙が込み上げてくる。

 中身は銀のチェーンに小さな宝石がワンポイントのブレスレットだった。


「安物でごめんね」


「値段は関係ないよ」


 さっそく腕につける。


「見て。きれい」


 腕を掲げた。宝石がきらきらと光る。


「似合っているよ。想像していたよりも、ずっと」


 直彰が人差し指で鼻を擦った。


「わたしからもプレゼントがあるのよ」


「本当かい?」


 朱里はマフラーを渡した。

 直彰はマフラーに顔をうずめてから、首に巻いた。


「暖かい。これなら、この冬の寒さも耐えられそうだ。それに痒くならない。素敵なプレゼントをありがとう」


 互いにプレゼントをまといながら、二人はテーブルの前に腰を下ろした。直彰は飾り付けられたテーブルを見て、動きが止まった。


「これ、君が作ったのかい?」


「ええ。部屋全体は無理だったから、せめてテーブルだけでもと思って」


「すごいな。君にこんな才能があったなんて知らなかったよ」


 クリスマスツリーを手にひらに乗せて、直彰はいろいろな角度から眺めた。

 朱里は作ったものを、じっくりと見られて急に恥ずかしくなった。


「早くごはんを食べましょう。わたし、おなか空いちゃった」


 食事の準備を急かす。直彰は丁寧にクリスマスツリーをテーブルに戻した。


「乾杯」


 ワインをなみなみと注いだグラスをぶつけ合う。久しぶりに、ささやかだが豪華な食事だった。乾杯をしたあとは、ほとんどしゃべることなく、料理を食らった。二人ともおなかが空いていたのだ。ときどき、顔を見合わせて笑った。幸せな時間が流れていく。


 料理を平らげると、眠気が襲ってきた。日頃の疲れがどっとあふれてきた。二人は並んで座り、テレビをつけることにした。テレビの内容は頭に入ってこなかった。二言、三言しゃべる。沈黙が訪れる。また、二言、三言しゃべる。沈黙が訪れる。そんな時間がつづいた。お互いの体温が心地良かった。


 ブレスレットをはずそうとしたとき、クリスマスツリーが目に入った。ブレスレットをツリーのてっぺんにそっと置いた。ちょうど良い大きさだった。木の上で星が輝いているようだ。

 二人は黙って笑った。互いに頬を擦りつけ合った。


 突然、部屋が暗くなった。テレビも消えた。暖房も。停電だ。


 満腹感のせいか、眠気のせいか、慌てることはなかった。照明もテレビも必要ない。ただ、寒さには抗いがたいので、毛布を持ってきてくるまった。直彰がマフラーを朱里の首にも巻いてくれた。二人で巻くのにちょうど良い長さだった。

 二人は目をとじて、口づけをした。


「おやすみ」


「おやすみなさい」


 そう言ってからも、ぽつぽつと会話がつづいた。


 二つの頭が揺れている。うとうとしている。やがて、会話が途切れる。朱里は直彰の肩に寄りかかる。二人とも深い眠りについた。


 消し忘れたロウソクの火が、星のように青白く燃え上がっていた。いつもなら燃え尽きていてもおかしくなかった。だが、今夜だけは燃えつづけるだろう。炎が揺らめいている。冷たくなりはじめた部屋を暖めて、二人のことを見守りながら。


 

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