準備
オリビア王妃の思いを聞いてから、やはりあの親子はお互いを思っているのだけれど見えない壁があって、どこかぎこちない空気感になってしまうんだなと思った。王家って大変だ。でも、互いが互いを愛しているのなら、納得のいくまで話し合えば良いのにとも思う。セオドアは王妃のことを恨んでいないから、息子に対して申し訳なく思う必要もないし、王妃はセオドアの幸せを願っているのだから、母に対して遠慮などする必要もないのだ。
「ままならないものだなあ……」
ヒロがこの問題を解く機会を設けることは難しいので、少し歯痒く思うも、きっかけを待つしかない。
与えられた部屋で、シワにならないよう掛けられた三つのドレスを見ながら、自分とセオドアもままならないものだと思った。
普通に、エナと変わらない感じで接していただけなのに、まさか好意を抱かれるとは思わなかったし、そもそも男として接していたのでその可能性は考えたこともなかった。兄のようだ、なんて言ってくれていたのに。歳の差を考えてもやっぱり弟にしか思えない。ヒロはアラサーに突入したばかりの二十代だが、それでも十歳以上離れた子を恋人に、とは考え難かった。逆に十歳年上だったなら、可能性はあったかもしれない。
とりあえず、一種の気の迷いとしか思えなかったので、この会わない期間で目を覚ましてくれたらと思った。
「ドレス試着してみるかな」
三着あるうちのひとつを手に取って、はたと気付く。
「着方が分からないかも……」
後ろにジッパーがあるだけなら良かったが、飾りのリボンと留めて結ぶリボンとが入り混じり、どのように着たら良いか分からなかった。他の二着を見てみたけれど、同じように一目ではよく分からない作りになっていて、どうにか試着していくうちに壊してしまっては怖いと、諦めた。
「色だけ選んで、当日エナにお願いしよう……」
そしてその当日はあっという間にやってきた。
朝から王宮は騒ついており、成人の儀の準備で慌ただしくしていた。
少しだけ扉を開いて外を見ると、女官がバタバタと行き交っていた。ヒロも一応女官なので何かすべきな気がしてくるが、セオドアとの接触禁止を今第一優先事項として授かっているので、下手に動けない。国王に食客と言われたからにはぐうたらしていてよさそうだけれど、日本人としてのサガが、ヒロを落ち着かなくさせる。
「アイザック団長もローガン様も忙しくされてそうだしなあ」
手持ち無沙汰なヒロの相手をしてくれる人がいない。と、兵士がこちらに向かって来ているのが見えた。扉の隙間からヒロが外を見ていることに気がつくと、目線が合う。
「ヒロ殿! 王妃様がお呼びでございます」
「分かりました」
女装の準備だろうと見当をつけたので、疑問に思うことはなかった。借りている三着のドレスを大事に持ち、兵士に案内されてついた部屋は、この前と同じ部屋だ。中に入ると、王妃が支度をしているところだった。長く透明感のある栗色の髪はくるくると巻かれ、いつもより豪華なドレスに身を包み、今は化粧を施しているようだ。
鏡台の鏡越しに目があって、王妃はヒロに気がつく。
「ヒロ、こちらに来てお化粧とカツラを付けてもらいなさいな。あなた、よろしく頼むわね」
「はい」
王妃はひとりの女官に声をかけて、ヒロを託した。任された女官に、「こちらへ」と導かれて、ヒロは椅子に腰掛ける。
「どの衣装を着られますか?」
「あ、この青のドレスを……」
「ではそれに合うように見繕います」
女官はみんなヒロのことを男だと思っているので、顔だけ作って別室で着替えさせるみたいだった。久しぶりに眉を描き、白粉をはたき、紅をさして、と一通りの化粧をしてもらう。その後、カツラを被って、ハーフアップに結ってもらった。
「まあ。ドレスを着ていなくても十分女の子だわ」
支度を終えた王妃は、ヒロを見ておっとりと歓声をあげる。
「はい、できました」
「ありがとうございます」
ちら、と鏡を見ると、いつもよりだいぶ女らしさが増したヒロの姿が写っていた。
「ドレスはどこで着るのかしら?」
「同僚のエナに頼もうかと思っております」
「そのエナはセオドアに付きっきりでなくて?」
「あ」
ヒロは失念していたので、うっかり素が出てしまった。
「ここで着ていきなさいな」
「え」
「みなさん、この子は女の子なの。ご内密にね」
すべての女官の視線がヒロに集中する。ヒロはどこを見たらいいやら分からず、目を瞬かせながらぺこりと頭を下げた。
「……よろしくお願いします。それとあの、下着だけ取りに行かせてください」
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