しばらくして
それからヒロは、少しずつこちらの生活に慣れていった。数週間が経つ頃には、毎日顔を合わせているセオドアも心を許してくれたようで、起きている時にはあれこれ話をすることもある。
セオドアはヒロを田舎の平民出身だと思っているようで、分からないことを聞き返せば丁寧に教えてくれた。
「ヒロがいると、兄ができたようでなんだか嬉しいな」
そう言ってベッドの背にもたれて微笑むセオドアの周りに、お香はもうない。お香を外した方が、咳が落ち着くと分かったので、なくしてしまったのだ。たまの換気と、湿気を大事にして、あとは食事を野菜をたっぷり煮込んだスープに変えてもらった。固形物は少し難しいが、小さくて柔らかいものなら食べやすいようだったので、栄養が一気に取れるとろとろに煮込んだ具沢山スープがセオドアに合った。たまにぷちぷちとした穀物を一緒に煮込んであることもあり、毎日同じような食事で飽きない工夫がされていた。
「そうですか? それは嬉しいですね」
ベッド近くの椅子に腰掛けて、相槌をうつ。
「セオドア様にご兄弟がいるとは聞いたのですが、皆さま年下なのですか?」
「ええ。弟が二人。最近は会えていないが、二人とも良い子だ。特に二つ年下のルカは賢くて、次の王にふさわしいと思う」
「失礼だったらすみません。セオドア様は王になりたくはないのですか?」
セオドアは口ごもった。
「父様のような国王になるのに憧れはあるけれど……獣人が王になったことは一度もないんだ」
「なぜですか?」
「ヒロは本当に辺鄙なところからやってきたのだな。獣人は昔差別にあったことは知っているか?」
「無知ですみません、初めて知りました」
セオドアは窓の外を見た。
「獣人は先祖帰りと言われているだろう? だからあまり数が多くないんだ」
「そうなんですか? ここで働いていると獣人の方ばかりお見かけしますが……」
「それは僕が獣人だから。父様が周りが獣人の方が暮らしやすいだろうと手配してくれたのだ」
一息置いて、セオドアは話を戻す。
「獣人は迫害された時代もあったそうだ。しかしその存在が世に知られるにつれて、差別も減っていったそうだよ。けれど、王家にはあまり獣人が産まれなくて、代々人が王になっている。だから僕は珍しいんだ」
「そうなんですね」
ヒロは、けれどと続けた。
「でも、王になってはいけない決まりはないんでしょう?」
「それは……そうだが……民はそういうものと思っているから、歓迎されるかどうか……」
「難しい問題ですね。だけど、私は心優しいセオドア様が王になったら、歓迎しますよ。もちろん、セオドア様がなりたいとお思いでしたらですけれど」
セオドアはヒロを見て、嬉しそうにお礼を言った。
「ありがとう。でもまずは、病が治ってからだな」
ヒロがここへ来た時は、病を持っているのが当たり前でそれを受け入れる姿勢でいたセオドアだが、最近は調子の良い日が多く、線の細かった体は少しずつ太くなってきている。何より、食べる量が増えた。
そして、今の言葉に、自分は治るとセオドアが思っていると知れて、ヒロは嬉しく思った。
「その窓から、騎士団の訓練の声が聞こえるだろう? 毎日それを聞いているからか、騎士団もいいなと思うんだ。今の体では無理だが、強くなれたらいいなって……父様も憧れだけれど、騎士団長も憧れなんだ。団長のアイザックも獣人なんだよ」
窓から見える広場は、国が持つ騎士団の訓練場だった。初めて見た時は、大きな掛け声と武器がぶつかる音にびっくりしていたが、今では喧騒が聞こえてくるのが当たり前になっている。
「ふふ、国王様には秘密ですね」
「どうして?」
「息子が自分以外に憧れていると知ったら、嫉妬しちゃいますよ」
「しっと?」
「どうして自分が一番じゃないんだって、悔しく思うような感情でしょうか」
セオドアは楽しそうに笑った。
「父様がそのように思うものか。いつも何食わぬ顔をしているのに。僕が大熱で寝込んでいる時も、セオドアは大丈夫だから皆気落ちするでない、きびきび働け。なんて言うんだぞ?」
「それは王だからですよ。皆の見本にならなくてはと、本心は押し隠していらっしゃるのです」
セオドアは大人びているが、心の育ちは年相応のようだ。ヒロは微笑んだ。
「さて今日も」
ヒロは窓辺に立って、パンパンと柏手を打った。
「どうかセオドア様が良くなりますように。この素敵なお耳と尻尾を持つ、美しい少年が立派に大きくなりますように」
「後半はいつから付いたんだ」
「最近ですかね。セオドア様が仲良くしてくださるので、このような言い方をしても許されるかなあと」
「許しはするが、照れるな」
太陽に向かって祈るヒロに、セオドアは落ち着かないようだった。布団の下でパタパタと尻尾が揺れる。
セオドアの尾は、太くしっかりした長い尾の先っぽだけ毛がふさふさとしており、どうやらホワイトライオンの先祖帰りらしいとヒロは思っている。
「そろそろひと眠りしましょうか」
「まだ元気だぞ」
「無理は、無理と感じる前に防ぐものです」
むう、と小さくむくれたセオドアの頭をなでる。あまりなでられることがなかったのか、この行為は嬉しいようで、初めてなでた時から断られることはなく、こうして今に続いている。むくれた表情を見せるのも、甘えてくれているようで可愛らしい。心を許してくれているなあ、とヒロは嬉しかった。
早く元の世界に帰りたいのはもちろんであるが、今目の前にいる子どもに情が移ったのも確かで、この子が元気に健やかであって欲しいと思うのも、そう遅くはなかった。
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