どこかへ

 岩の部屋を出ると、そこは昼間の草原だった。一本の道だけ伸びていて、その先には見上げるほどの大きな建物があった。まるで西洋の宮殿だ。

 リーンリーンと虫が鳴く中、その道をローガンと羊の男性に前後を挟まれて、ヒロは歩いて行く。

 暗い中から明るいところへ出たものだから、ひどく眩しかった。

 道中、ローガンがゆっくりと歩きながら尋ねた。


「何か聞きたいことはあるかね?」

「あの、私、帰りたいです」


 望みは薄かったが、ヒロは言った。


「そうじゃのう、申し訳ないが、王子を元気にしてもらうまで帰らせてあげることはできん」


 なんというわがまま。こちらのことは何一つ考えていない。明日は休日だったからまだ良かったものの、休日明けの仕事はどうすれば良いのか。王子の病が熱程度なら二日ほどで治るかもしれないけれど、そうでなかったら先が見えない。


「……仕事もあるし、困ります」

「ヒロ、そなた獣人は分かるかの?」

「じゅうじん?」


 ヒロが聞きなれない言葉に首を傾げると、ローガンは「そうか」と一人頷いた。


「ヒロは異なる世界からやって来たようじゃな」

「異なる世界……」

「それならば安心じゃ。同じ世界なら日は巡るが、異なる世界なら日が巡ることはない。いつ帰ることになっても、時は変わらぬままじゃろう。ここに来た時と同じ時に帰ることができる」


 ローガンは杖をつきながらゆっくり歩く。だんだんと大きく迫る宮殿に、ヒロは今からここに入るのかと、どこか夢見心地の気分だった。


「獣人とは、ほれ、そこのアルフィがそうじゃ」


 振り返ってそう言ったローガンにつられて、後ろを向くと、羊のツノの男性が、くっと小さく頭を下げた。


「獣人って、獣の人……?」

「そうじゃ。アルフィは羊の獣人じゃな」

「本物のツノ……?」

「瞳もちゃんと羊仕様じゃ」

「羊仕様とはなんです、ローガン様」

「カッカッ。わしもほれ、耳が大きかろう。猿仕様じゃよ」


 ローガンは笑って言った。言われてみれば、耳が普通より大きく福耳である。

 そうやって進んでいるうちに、宮殿は目の前に来ていて、ヒロは逃げるタイミングを失ってしまった。逃げようにも、だだっ広い草原のどこへ行っても、この意味不明な状況から逃れられる気がしないので、現状、成り行きに身を任せるしかないと判断したこともあった。


「これが王宮じゃ。さっきの場所はわしの祈祷場じゃの」


 分からないままヒロはついて行く。

 途中、騎士みたいな甲冑を来た兵士が立っていたりして、現実味のなさにまじまじと見てしまった。まるでヨーロッパに旅行に来たか、テーマパークに遊びに来た気持ちである。

 王宮は白い壁で覆われていて、玄関口のような広い構えの大きな数本の柱の間を歩き、しばらくすると天井が幾分か低くなった廊下を一行は進んでいく。

 すれ違う人を観察していると、いる者全てが、獣人に限るわけではないようだった。ただ、ヒロの服装が浮いて悪目立ちはしているようである。向けられる視線に耐えられず、俯いて歩いているうちに、ローガンは目的の場所に到着した。

 ヒロは前を行くローガンの歩みが止まったのを見て、顔を上げた。そこには扉があり、両脇を兵士が立って守っている。どう考えても重要そうな場所だ。いや、ここに限らずどの部屋の前にも兵士がいて、王宮に重要でない場所はないのかもしれないけれど。


「一度見てもらうのが早かろうて」


 ローガンはつぶやくと、扉を開けた。瞬間、むわりとした空気が部屋から外へ出て行くのを、ヒロは肌で感じる。いろんな香りが入り混じったような匂いもきつく、少し咳き込んでしまった。蒸せてしまいそうな空気の中、ポツンと大きなベッドがあった。大きさの割に、寝ている人物は小さく、そのサイズ感の差が、より人影を小さく見せていた。

 部屋に入ったローガンの後についていくと、こんもり布団に埋もれた小さな人影が子どもだというのが見てとれた。次第に鮮明になる姿から、獣人らしい耳を見つける。

 ヒロはベッドの側にお香を見つけた。それもいくつも。匂いと蒸された空気は、熱されているのではなく、このお香が原因だと分かった。


「王子のセオドア様じゃ」

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