四の夜
壱
今が夜なのか昼間なのか、洞窟の中では分かりません。
ただ桃子はいつの間にかお母さんの部屋で寝かされていたらしく、ゆっくりと目を覚ましました。
お母さんの姿は見えませんが、鬼火がほんのりと部屋を照らしています。
桃子は布団を出て広間へと向かいました。
織流たちの姿も見当たらず、ちょっと不安になりかけた桃子に「お姉ちゃん起きたの?動物さんたちはまだあっちで眠ってるよ」とあの男の子が話し掛けてくれました。彼の指さす方にも通路が見えます。
「みんな一緒にお部屋で休んでる」
ここからは見えないはずですが、桃子は何となくみんなの様子が伺えました。
雉子は物干しの上で、久留は布団も織流も蹴飛ばして大の字に、織流は迷惑そうに布団の端っこで体を丸めて眠っているようです。
ふふっ、良かった…。
いつの間にか桃子は一人ぼっちを不安に感じるようになったみたいです。
「お姉ちゃんはこれからここで暮らすの?」
男の子が無邪気に尋ねます。すぐ傍で美味しいお酒をたしなんでいたお年寄りの鬼が「そりゃあそうじゃろ。ここにおれば年中酒が飲めるし、千里眼でどんなに遠くでも見渡せる、ヒック。時にゃ芭蕉扇でイタズラしてみたり、楽しい事ばっかりじゃ」
「じっさま、芭蕉扇でイタズラするのは村長からダメだって言われてるでしょ!」
「何を言うか。アラシを起こすのがわしの唯一の楽しみじゃて。わしゃ何百歳になっても芭蕉扇を振り続けるぞい、ヒック」
鬼の男の子に桃子はたずねました。
「ばしょうせん、て、なに?」
「知らないの?村長さんのお部屋にある道具のひとつだよ。色んな道具があるけど、芭蕉扇は人間が悪さしたり、山を粗末にした時にバツを与えるためのうちわだよ。とっても大きくて大人にしか持てないけど」
桃子はもうひとつ気になる事を訊きました。
「ねぇ。鬼って何百歳でも生きられるの?」
男の子は不思議そうな顔で応えました。
「そりゃあそうだよ。子どもの時は百年くらいだけど、大人になればもっと。このおじいさんくらいなら800歳くらいじゃないかな」
「ばっかもーん!わしゃまだまだ700とちょっとじゃわい。まぁ若い頃悪さをして、ちょっと寿命を縮められたがのう。まだまだ長生きするぞ〜い!ヒック」
「あんまりイタズラばっかりしてまた寿命を縮められちゃっても知らないよ」
おじいさんの鬼はもう返事をせず、横になっていびきをかき始めました。
人間の寿命は、長くても100年くらい。でも鬼にとってはまたまだ子どもの歳です。
桃子は知らなかった鬼の事に、またひとつ驚きました。
そして少し一人になりたくて、あてもなく洞窟の中を、なるべく鬼火がないところを選んで歩き始めました。
弐
火のないところを練り歩いておりますと、開け放たれた扉から柔らかな光が漏れている部屋がありました。何だろうなと思って覗いてみると、部屋全体が沢山の花で彩られています。桃子は思わず「わぁ〜!」と歓喜の声をあげました。
花に水やりをしていたのは、最初に広間でも水やりをしていた鬼の女の子でした。桃子の声に振り返った彼女は一瞬びっくりしまたが、すぐニッコリと微笑んで「いらっしゃい」と言ってくれました。
「ここは、何の部屋ですか?」
桃子が尋ねると「ここはね、お花屋さん。あんまり売れないけど。私、お花に囲まれてると安心するの」と答えました。
おてんとうさまも無いのにどうして花が育つのか訊いてみると、「それは村長さまの神通力のおかげ。なかなかみんなの輪に入れなくて、外にも行けない私にお力を貸して下さったの」と言いました。
神通力。
花に必要なお日様の代わりも出来るなんて、それは本当にすごい力なんだと改めて桃子は思いました。
「でもね、本当は私、外に出て自然の草花が見たい。村長さんのお力が足りないと言う訳じゃないの。ただ、大自然の中で、土に根を張って、風に吹かれて揺れている。それが花や草の、本当の姿だと思うから」
そのとおりだと桃子も思いました。言い方はあまり良くありませんが、そもそもこんな洞窟で何十年、何百年と誰にも姿を見せないように暮らしている。それが何だか不憫なように桃子には思えたのです。
外の世界を、山や川を、そして生き物たちを見てきた桃子は、自分はやっぱり人間に近いのも知れない、いえ、人間なんだと思えました。
「ありがとう」
「えっ?」
「あ、ごめんなさい。私ずっと悩んでいたんだけど、私はやっぱり自分の居場所が、生きたい場所があるって思い出した」
それは鬼を畏れて天柱山に近づかない、人間の住む世界。おっ父とおっ母の待つ村です。
「いつか、いつかあなたを、外の花を見せに連れて行きたい。風に揺れて、ちょうちょが舞っている、本当の草花を」
女の子の鬼は少しだけ寂しそうに、でも心から嬉しそうに「うん」と微笑みました。
広間に戻るとみんな起きて朝食を食べていました。さすがにお酒はまだ飲んでいないようです。
桃子はみんなの前に行って
「天柱山のてっぺんに行こう」
と声を掛けました。
織流がスクッと立ち、雉子がバサッと羽ばたかせました。
(待っていましたよ)
(いつでも準備は出来ています)
久留は(え〜今から特別なお酒をもらうところだったのに〜)と口を尖らせます。
(ならば貴様はここで飲んだくれておれば良い。お前が居なくてもお供は我らだけで充分だ)
桃子が寂しそうな目で久留を見つめます。
(じょ、冗談だよじょーだん!一緒に行くよ決まってんだろ!……だからそんな、哀しそうな顔しないでくれよ…)
桃子の表情はパァーッと明るくなりました。
(出発前に村長さまにご挨拶していきましょう)
桃子たちは揃って、村長の座っている所に向かいました。
「いよいよ山頂に赴かれるか。しっかとその目で目的を果たして来られよ。戻られたらまたここへ寄るが良い。道中の安全を祈念しておるぞ」
村長に見送られて桃子たち一行は天柱山の頂きを目指して出発します。
お母さん鬼が広間の端っこでそっと手を振っているのに気付いた桃子は、それに応えるように元気に手を振り返しました。
参
広間を出て通路を歩いていくと、すぐ外に出られました。
「あれ?たしか来る時はもっとたくさん歩いたのに…」
織流が教えてくれます。
(神通力のひとつでしょう。まかり間違って何者かが洞窟に入り込んでも、彼らの生活する所までは行き着かないよう。わたし達が辿り着けたのは招いて頂けたからかも知れません。あの男の子のおかげですね)
思えばあの子を見た時は驚きました。ひょっこり現れて姿やかたちは人間なのに鬼の子、オンノコだったのですから。
自分も同じ、オンノコだったとは知らずに。
でも桃子はもう、それを嫌だとか悪い事とは思いません。むしろ人間と変わらない鬼の種族を愛しくも誇らしくも感じます。ただ、この姿をおっ父とおっ母が見たらどうでしょうか。何も知らず人として生きているおっ母はどう思うでしよう。それに、村の人々は受け入れてくれるのかどうか。桃子にはまだ分かりませんでした。
天柱山の頂上に近づくにつれて、桃子はある違和感を覚えました。
山のてっぺんに見えていた二本の角は、どこにいったのでしょう。さぞかし大きくそびえ立っていると思っていたのに、どこにもその出っ張りはありません。
「ツノは、どこにあるんだろう?」
これには空を旋回していた雉子が答えました。
(この山のてっぺんに、そのようなものは無いようです)
「えっ?!じゃあ遠くから見えていたあの " ツノ “ って…」
あれも鬼の神通力が見せた幻だったのでしょうか。
(おそらくあれは、「蜃気楼」です)
「シンキロウ、って?」
(空気や陽の当たり具合で、遠くのものが写って見える現象です。大昔にも遠い山に人間の影が蜃気楼によって写されたとき、人々は巨人が出たと大騒ぎになりました。これは神通力ではなく、自然現象のひとつです)
桃子は改めて自然の不思議さ、壮大さを知りました。
自分の見たこともないもの、知らない場所が世界にはあとどれぐらいあるんだろうと思いました。
その壮大な自然のひとつ、海が見えるのはもうすぐです。一体どんなものなのか、期待するほどのものでもないのか、桃子は確実に一歩一歩踏みしめながら歩きました。
山の形は少しうねっていて、もう山頂かと思ったらまだ続きというのを何度か繰り返しました。ここから見下ろすと雲まで遥か下に見えます。
だんだん霧も出てきました。てっぺんに着いても周りが見えなかったらどうしよう、などと考えています。
幾度目かの登りを終えた時、急に辺りの霧が晴れました。そこは、天柱山のてっぺん。桃子が目指していた場所です。
林を抜けて少し開けた所に出ました。そこには。
見渡す限り、真っ青な海が、どこまでも遠く果てしなく続いています。空も青く美しく、真っ白な雲がゆっくりと流れていました。
桃子は言葉もありませんでした。
こんな美しい、果てしなく大きな、何とも言いようのない風景。それが、今たしかに目の前にあります。
「すごい……」
やっとそう呟いて、初めての海を眺めます。
(じっくり、座ってもいいのですよ)
傍に寄り添って心を伝えた雉子に、「…うん」と答えて、桃子は地面に座りました。
桃子もそしてみんなも、ただ静かな海を黙って見つめます。
全ての生命の源。母なる大海原。
桃子は何故か、涙が勝手に出てきました。
こんなにも美しく、果てしなく大きく、そして穏やかな場所。心が洗われるような、無になるような時間。
「やっと、来たんだ。ついに、来たんだね」
独り言のように呟いて、桃子はその光景を目に焼き付けます。
今までは、神様は山に居ると思っていました。その考えに変わりはありませんが、この海という存在を目にして、山以上に神々しく感じました。
ふと空を見上げると、かもめが飛び交い独特の声で鳴いています。
そして白い雲が、ただ静かに流れています。
「空は、もっと大きいんだよね…」
包まれるような感覚に桃子は目を閉じました。
仙人さまが、海に比べればわしなど赤子のようなものと話していた言葉を思い出しました。
何百何千年、もしかしたら何万年も前から、
ここにあり続けた、海。
たくさんの命を紡いできたお母さん。
「ありがとう」
自然とそう言葉が出てきました。
今ここにあなたが在ること、そして私が今こ
こに居ることに、心から感謝します。
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