四の朝


           壱


 洞窟の入り口から差し込む朝の光で桃子は目を覚ましました。高い山の中腹にあっても他の山々より夜明けが早い様です。明るくなってから、この場所の事が色々と分かりました。


ここは大きく深い洞窟で、先にもまだまだ続いているようです。

朝食に木の実を採って来た久留が戻って来ました。お気に入りの実は昨日より多く採ってこれた様です。

木の実を食べながら、

(この洞窟、ゆうべは暗くて良く見えなかったけど入り口も結構デカいな。それにツタやら枝がぶら下がってて、離れて見たら山に口があるみてぇでちょっとおっかなかったよ)

 ……鬼の口。

そんな言葉が桃子の頭に思い浮かびました。

普段なら好奇心でもっと奥へ、行けるとこまで行ってみたいと思うところですが、今の久留の言葉を聞いて、まるで鬼に食べられようとしているみたいで不気味です。

でも、好奇心だけではなく何故か桃子はこの洞窟の奥へ行きたい、行かなければという気持ちにもなっていました。山頂を目指すのが、今回の目的なのですが。

そんな気持ちを察してか、織流が(ここに来れるのは滅多な事ではありません。桃子が気になるのであれば、私たちはどこでもお供しますよ)と言ってくれます。

(おっいいな、行ってみようぜ。森の中に、松明の代わりになりそうな枝もあったしよ)

久留も珍しく織流に同調します。

(アブラギですね。名前の通り、樹脂が多く含まれていて、松明として使えます。いくつか持って点け足しながら進めば、かなり奥へと行けると思いますよ)

まだ迷っている桃子に、雉子も気持ちを伝えました。

(暗い洞窟の中では危険なので飛ぶことは出ません。私も桃子のそばを離れず、一緒に歩いて行きますよ)


ここに来れるのはもう二度とないかも知れません。

桃子はみんなの応援を受けて、「うん、行ってみたい。気になるから行ってみる。みんなが居てくれれば安心だもんね」と応えました。

(おし!んじゃあそのアブラギってやらを採ってくるぜ。なるべくたくさんあったほうがいいよな?)

久留が織流に尋ねます。

(そうですね。ただし戻りの分も考えて、半分はとっておきましょう。私と久留で背負えばかなりの数を持っていけると思います。桃子は足元に気をつけながら、みんなのために松明を灯して下さい)

「分かった」

久留は織流を連れて、再び森の中へ入って行きました。


「この深い奥に、何があるんだろうね。何も無いかも知れないけど、どこかに繋がってて出れたらいいな。……本当に鬼の棲み家だったら、見つからない様にそぉっと、急いで逃げなきゃね」

雉子はまた、桃子に寄り添いました。

「ありがとう雉子。大丈夫だよ、桃子はみんなが居てくれれば何にもこわくなんかない。こわいのは…一人ぼっちになっちゃう事……」

雉子は静かに体を寄せます。

「この旅が終わったらね、旅が終わっちゃったら…、桃子もお家に帰らなきゃいけない。

おっ父さんもおっ母さんも、きっとすごく心配してるだろうから。仙人のおじいちゃんが夢を見せてくれたけど、やっぱり帰って来るまでは心配だとおもうんだ。

……それでね。桃子がお家に帰るみたいに、みんなもそれぞれのお山に帰っちゃうんだよね。だってみんなはそれぞれのお山の神様なんだもん。帰らなくちゃいけないんだもん。

だけど……、みんなと離ればなれになっちゃうのは、やっぱり少し寂しい。旅が終わったら、もう会えなくなるのが寂しい。ずっとずっと旅が続いて、ずっとずっとみんなと一緒に居られたらいいのに。……そんな事、考えちゃダメだよね」

雉子は桃子に自分の心を伝えました。

(遠く離れても、私たちは繋がっています。あなたの住んでいる村と、他の山々と、それから、海も。みんな繋がっているのですよ。あなたがお月さまを見ている時、私たちも同じ月を見ています。あなたがお日様の光で目を覚ます頃、私たちも同じ陽の光の元で営み、育んでいます)

桃子の瞳からポロッと涙が落ちました。

「…また、いつになるかわからないけど。時々、会いに行ってもいいかな。みんなのお山に。また行ってみてもいいかな…」

(もちろんですよ。その時は真っ先に姿を見せて、お迎えに参ります。あなたがいくつになっても、私たちは変わらずそこに居ますからね。心配しなくても大丈夫ですよ)

しゃくりあげる桃子の肩を、雉子は柔らかな羽根でそっと抱いてあげました。



           弐


 松明代わりの木の枝に火を灯して、桃子を先頭にみんなで洞窟の奥へと進みます。

織流も久留も雉子も、先の見えない洞窟に警戒心を募らせていました。足元が見えれば先導したい思いでしたが。せめて危険があればすぐさま知らせられるようにと、感覚を研ぎ澄ませます。

コウモリはいましたが危険な存在では無いようです。

奥へ進むに連れ、やがてコウモリの姿も無くなりました。

桃子は松明の炎を移し替えます。

洞窟は他に分かれ道も無く、ひたすら奥へ奥へ続いています。どのくらい歩いたでしょう、洞窟の中に一筋の光が見えました。

みんなで近寄って見ると、どうやらこの場所の天井だけ少し穴が空いています。でも地上まではかなり遠いらしく、穴は小さくにしか見えません。それでも地上と繫がっていることが、みんなに安心感を与えました。

「ちょっと休憩しよう」

桃子が声を掛けると、待ってましたとばかりに久留が背負っていた中から木の実を出します。お気に入りのあの実でした。

(ちゃっかりしてるな)

 織流の言葉に

(しっかり、だろ。ほら、みんなで分けようぜ。雉子姉さんには柔らかい実を用意しといたよ)

(まあ!お心遣いありがとうございます)

(ヘヘ〜ん。ちょっとオイラを見直した?)

(ええ。その言葉が無ければ)

(あぁ〜…)

いつものやり取りに桃子は顔をほころばせホッとしました。


  


(なあ、コウモリって食えるのかな。美味いのかな)

歩きながら久留が織流に尋ねます。

(知らぬ。もとより私はあんなところまで跳べない。ゆえに捕まえた事も食べたことも無い)

(そっかぁ…)

(何故だ?)

(いや、さっきコウモリがうじゃうじゃ居ただろ?いくつか捕まえとけば腹減った時に食えるんじゃねぇかなって思ってさ)

(桃子の前でそういう話をするでない)

(あ、ごめん)

桃子は苦笑いして「あは…いいよ、大丈夫。ありがとね、織流」と伝えました。

(どのみちもうコウモリは居ない。おそらくこの先もそうだろう。無事戻れたらその時は捕まえて試してみるといい)

(そうだな。美味かったらみんなにも分けてやるよ)

(…桃子と、そして雉子さんの傍でもその話はよせ)

(あ、そっかごめん)

コウモリと同じものとして扱われたくはありませんが、雉子も桃子と一緒に苦笑いしたい気持ちでした。

それより桃子はさっきの織流の言葉が気になります。

 ―――無事戻れたら。

なんだかこの先に、その無事が確かではないものが居るのでは、その気配を織流は感じているのでは無いだろうかと桃子は思いました。



何本目かの松明に灯を移し替えたあと、暗闇の奥の方に何か違和感を感じました。

 明かりです。

ここからだと分かりにくいですが、松明を遠ざけると明らかに他の空間より薄っすらと明るく見えます。

「何か、居る?それとも…ある?」

みんなに訊いてみますが誰も明確には答えられません。

(確かではありませんが、何者かが居る可能性が高い。もう少し近づいたら、場合によっては松明を消して様子を伺いましょう)

「うん…」

つばを飲み込んで桃子が答えます。他のみんなも、警戒心を改めて高めました。


 

           参


 明かりに近づきました。曲がった先の向こうで、何かの光がチラチラしているのが壁に照らされています。

(松明を消しましょう)

織流に言われて、「うん」と桃子は火を踏み消しました。

そぉっと静かに歩いて、曲がり角の向こうを覗き見ます。

チラチラしていたのは炎の明かりでした。


それは左右の壁に一定の間隔で、明らかに誰かが設けた様に洞窟の中を照らしていました。

人影はありません。

くり抜いた壁の中にゆれる炎を見て、織流が

(……鬼火だ)

と言いました。

桃子はゴクッと喉を鳴らして「鬼火、って?」と尋ねます。

(読んで字の如く、です。鬼の手によって灯された炎で、鬼の力が働いている限り消えることはありません。これだけの数を灯すには、相当な力を持つものか、かなりの数の鬼が居ると考えて間違いないでしょう)

「…じゃあここは、やっぱり。鬼の棲み家…」

 桃子は壁の炎をじっと見つめます。


炎はずっと先の奥の方まで、絶えることなくその明かりを灯していました。

  ――ここから先は鬼の場所だ――

まるでそう言われている様な気がします。

織流が静かに桃子に尋ねました。

(どうしますか?ここで引返しても大丈夫です。得体の知れない、危険かも分からないものに敢えて挑む必要はありません)

桃子はしばらく黙って考えていました。


 ただの思い過ごしかも知れませんが、桃子はその炎に悪意のようなものは感じません。むしろ道を案内しているかのような、そして不思議な事に懐かしい様な雰囲気まで感じていました。

桃子はみんなに向かって伝えます。

「行こう。この先に何があるのか、何がいるのか、鬼がどんなものかは分からないけど、私は、行ってみたいと思う」

 みんな静かに頷きました。



 洞窟の中なのに、まるで長い通路の様な感じでした。明らかに何者かの手が加わったのは疑いようがありません。多少は上ったり下ったり左右に曲がったりしていましたが、何者かの通り道に間違いないないようです。


かなり奥まで進んだと思われた頃、先の見えない向こうからタッタッタッタッと音が聞こえました。

それは次第にはっきりして、まるで何かが走ってくる足音のようです。

桃子も、そしてみんなも立ち止まり、その者が姿を現すのを固唾をのんで待ちました。


かなり近くまで来たと思った時、その音が突然ピタリと止まり聞こえなくなりました。

全員で身構えていますと、角の向こうからヒョコッとそれが姿を見せました。

短めの服を着た裸足の男の子。耳は少し大きめです。ただその頭の上には明らかに角のような物が一本はえていて、結んだ口元の両側からは小さな牙が見えています。

明らかに人間ではないその子は「あ、やっぱりお客さんだ」と声を出して、またタッタッタッタッと走り去って行きました。


突然の出来事に全員でポカーンとしていましたが、

(彼の後を、追ってみましょう)

という織流の一声でやっと動き出しました。



 幼い鬼の子の後を追って奥へ進むと、洞窟の中で初めての分かれ道がありました。

鬼火はどちらにも灯してありましたが、分かれ道の方より真っ直ぐの方がその数は多いようです。

彼がどちらへ向かったかは分かりませんが、ひとまず炎の多い方へ進むことにしました。

途中にもいくつか分かれ道がありました。別の通路は暗かったり、鬼火の数が少なかったりしたので、桃子たちは灯された炎の多い方へと進んでいきます。

 

奥の方に、これまでで最も明るく見える場所がありました。何やら話し声も聞こえてきます。

みんなで少しずつ近づいて、そぉっと顔を出してその場所を覗き込んで見ました。


 

そこは洞窟の中とは思えない程に広く、見上げるような高い天井のある部屋でした。部屋というより、みんなが集まるお屋敷の中みたいです。


そこには様々な鬼たちがいました。囲炉裏の周りで話し合う鬼、大きなちゃぶ台のような物を囲んでお酒を飲み交わす鬼、洞窟の中というのに花に水をやる鬼、など。言ってみれば鬼の村、といった感じでした。

子どもの鬼や女性の鬼、若い鬼もしわくちゃの鬼もいて、何ら人間と変わらないように見えます。

角と牙があって様々な体の色がある以外は。


 桃子たちは一旦しゃがんで話し合います。

「どうしようか。なんだかあたし、あんまりこわい様に見えないんだけど」

他のみんなは黙っていましたが、織流が静かに心を伝えました。

(桃子。ずっと言えなかった事があります。突然で驚かれるかも知れませんが、どうか落ち着いて聞いてください)

「な、なに?」

そんな切り出しされたらかえって不安になっちゃうよと思いながら織流を見つめます。

(先ず申し上げておきたいのは、あなたが誰でも何であっても、あなたは私たちの桃子です。

あなたは桃子。それは、決して変わりません)

「う、うん……」

織流が何を伝えたいのか、何を言い出すのか、桃子は黙って待ちました。

(桃子。ここに入山する前、仙人様によって私たちは真の姿となりました。あなたは自分の姿がどう変わったのかご存知ないと思います。それが分かるのは周りに居る我々だけです)

「…………」

桃子はもう一度自分の手足を見つめました。

自分だけが何も変わってないと思っていましたが、そうでは無かったという事でしょうか。

「あなたは、あなたの真の姿は。……鬼の姿です」

「………うそ…」

桃子は動揺しました。

 なんで?どうして私が、鬼になっちゃうの? 

 なにか悪い事した?誰かを傷つけた? 鬼に

 なっちゃう理由なんて、分からない。

桃子の胸の内を感じて、雉子が心を伝えます。

(ねぇ、桃子。いつか話しましたね。鬼が悪い、怖いものだとするのは、人間がその存在を畏れて作り出した事だと言うこと。そして鬼は神であり、神も時には鬼になる、という事)

 そう。確かにそんな話を前にしてもらった。

(それから織流が言う通り、あなたが何ものであっても、あなたはあなた。桃子である事に変わりはないのです)

桃子は気になっていた頭のたんこぶを触りました。手触りを確かめると、それはまるで角と違いありません。

口元に触れてみると、洞窟の中で出会った男の子と同じように、端っこには牙がありました。とても小さく、何の違和感も無かったのですが。


 人間では無かった。それはとてもショックでした。でも思いのほか落ち着いていられたのは、ここにいるみんなのおかげです。

「私が、ほんとうの姿になった時。鬼の姿になっても、みんな私を私として、桃子として受け入れてくれてたんだね……。クル、私の鬼の姿、どう見える?角と牙の生えた私は……いったい」

(格好いいぜ)

いつもの調子で久留が言いました。

(なんかやっぱり特別な感じだったもんな、最初っから桃子はさ。でも欲を言うなら、ツノとキバがもうちょい大きくなれば、強ぇって感じするけどな)

桃子は笑いました。

「そう言うと思った!……ううん、そんな風に言ってくれるといいなって思ってた。いつもみたいに…。ありがとう、クル。ありがとうみんな」

桃子は思わず涙がこぼれました。

 鬼の目にも涙。

そんなことわざを聞いたことがある様な気がします。

鬼でさえ泣くことがある。姿が鬼になっても、心は私のまま。それは変わらないんだと、そう思えました。



「あっ、見ぃつけた!」

鬼に見つかってしまいました。まるでかくれんぼです。

さっきの男の子が桃子の手を取ります。

「さ、おいでよ!みんなのとこに案内してあげる」

そう言って男の子は桃子の返事も聞かずに手を引っ張って、みんなを鬼の村へと招き入れました。



 

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