九番目のトナカイ

洞貝 渉

九番目のトナカイ

 私は走る。

 肩にずしりと食い込む重り。思考までホワイトアウトしてしまいそうな一面の雪景色の中、叩き込んだルートを必死に思い出しながらひたすら足を前へ前へと運び続ける。

 長年8匹で引かれていたソリだった。それを、新メンバーを迎えて9匹で引くことになり、その新メンバー選出試験が、今、行われている。


 昔から思っていたのだ。

 クリスマスの主役はサンタではなくトナカイの方だろう、と。

 サンタが大量のプレゼントを一人で運べるか? 長距離を短時間で移動できるか? 

 もちろん、サンタも凄いとは思う。たくさんの子どもたちの希望を把握してプレゼントを用意し、正確に送り届けるのだから。

 でも、それができるのはトナカイがいてくれるおかげなのではないのか。

 トナカイなしには、子どもたちの元にプレゼントは届かない。重い想いの詰まった袋を乗せたソリは、トナカイでなくては動かせないのだ!


 時間は限られている。寒いし疲労で足が震えるけれど、立ち止まるわけにはいかない。

 私はこの試験に全てを賭けていた。

 故郷の家族の反対を押し切り、地元の友人たちの嘲笑を跳ねのけ、高い倍率を乗り越え、ようやくここまで来たのだ。

 プレゼントとサンタを乗せたソリを想定した重りを背負い、事前に決められたルートを時間内に走るこの試験。すでに半数の受験者たちが脱落している。

 やり遂げる。最後まで諦めない。

 一歩ごとに深く積もった雪に足を取られながら、私はひたすら前だけを見て進む。


 どこまでも真っ白な視界。

 さっきから目の端にちらつくのは、降り始めた雪だろう。

 体力測定の目的もあるのだろうとは思うものの、なぜ飛行禁止なのかと愚痴のような疑問が口をついて出た。白い雪、白い息、白い言葉。どこにも届かない、無色で無意味な思考。前に出す足に力が入りにくくなってくる。

 ぼんやりとし始めた頭が、なぜ、と父に問われたのを思い出す。サンタクロースなぞに仕えずとも、我々は冬の神に仕える一族。その立場を捨ててまで、それは本当にお前がやらなくてはならないことなのか、と。

 そんなわけないじゃないか。私は知らずのうちに笑っていた。

 私がやらなくたって、誰かが、なんなら私よりもずっと優秀な誰かがやるだろうさ。

 でも、私がやりたかったんだよ。やって、全力で頑張って、トナカイは端役なんかじゃないんだって証明したいんだよ、他の誰かではなく私が。


 遠のきかけた意識に、声が届く。

 子どもの声だ。何事かを叫び、泣いている。

 だが、ここは試験会場だ。関係者以外いないはずのこんなところに子どもがいるわけがない。幻聴だろうか。

 耳を澄ますため、私は歩みを止めた。ザックザックと足元からしていた音が止み、周囲にいる受験生たちの雪をかき分ける足音がより大きく聞こえる。受験生たちは怪訝そうな表情で私を追い越し、ゆったりとしたスピードで距離を離していく。

 私も私の行動を怪訝に思っている。いるわけのない子どもの泣き声の出所を、耳を澄まして探るだなんて。こんなことをしている場合じゃないのに。

 足音が遠のき、私は集中して声を聴く。子どもは親を呼んでいるようだ。こんな雪の中、一人親とはぐれたのか。声はコースから外れた位置から聞こえてくる。しかも動き回っているようで、どんどん離れて行くようだった。


 迷いがなかったといえば嘘になる。

 しかし、ほうっておくことはできなかった。

 声を見失っては大変なので、重りを捨て、より速く動きやすいよう、飛行態勢に入る。様子を見守っていた試験管の一人が警告を発するが私の覚悟はもう決まっていた。泣いている子ども一人助けられずに、クリスマスを飾るトナカイになどなれるものか。

 私は天を駆ける。

 声は試験コースからどんどん離れていく。試験管に謝罪して試験を続行させてもらえたとしても、行って戻る間に時間切れになるだろう。

 私は目いっぱい首の鈴を鳴らす。シャンシャンと愉快な音色は子どもにも届いたようだ。不安そうな泣き声が止み、少し飛んだところで目をまん丸くして私を見上げているその子を見つけた。

 涙と鼻水で顔を赤くした子どもは、空からふわりと着地する私を見ても逃げることはせず、私がそっと鼻面を近づけると高い声で笑って抱き着いてくる。

 空飛ぶ力を応用して子どもを浮かばせ、背に乗せると、私は再び飛行した。はしゃいだ甲高い声が背中からして、誇らしい気持ちが湧く。

 

 試験会場を出て、人が多くいる辺りを目指して駆けた。

 宙を蹴り、風を切る。子どもは楽し気な声を上げていたが、ひとしきり騒いで満足すると背中から私に強く抱き着いて「トナカイさん、ありがとう!」と言い、空気に溶けて消えてしまった。子どもには時々あることだ。おおかた、夢見が良くて身体を抜け出してしまったのだろう。帰り方が分からずさ迷っていたが、上手く思い出して身体に戻れたようだ。





 試験の結果は、合格者なしだった。

 私はもちろんのこと、時間内に完走した受験者たちもこの後あった面接で軒並み落とされてしまったそうだ。

 クリスマスには例年通り8匹のトナカイがサンタクロースを乗せたソリを引き、プレゼントを配ることになる。

 残念なことではあったが、仕方がない。

 肩を落とす私に、試験管が声をかけてきた。試験中に私に警告をした、あの試験管だ。

 サンタのソリは引けませんが、サンタと一緒にプレゼント配りに行ってみませんか。

 試験官は私に言った。ソリはプレゼント配りの為、他の不測の事態……例えば迷子の子どもを見つけても、決して止まることが出来ません。限りある時間の中で全ての子どもにプレゼントを届けなくてはなりませんので。

 しかし、そんな困っている子どもを見過ごせない性分でかつソリを引かないトナカイがいてくれたら、サンタもソリを引くトナカイたちも、後ろ髪を引かれる想いをせずに済むと思いませんか?


 クリスマスイブの夜。

 シャンシャンと愉快な鈴の音を鳴らしながらトナカイが空を駆け、サンタクロースとプレゼントの入った袋を乗せたソリを引く。子どもたちはぐっすりと夢の中で、枕元にそっと置かれるプレゼントには気が付かない。サンタは、目覚めた子どもたちが歓喜する様子を思い浮かべて微笑する。きっと子どもは朝一番にこう言うことだろう。やったー、サンタさん、ありがとう!

 ソリは止まらない。子どもたちの喜ぶ顔を守るため、プレゼントの配りこぼしがあってはならないのだから。

 しかし、楽しみが過ぎて、ついうっかり身体を抜け出して夜の街をさ迷ってしまう子どもがいる。子どもはサンタやプレゼントを探すけれど一向に見つけられず、だんだんと不安になってきて、家に帰りたくなる。

 ついには親を呼びながら泣き出す子どもの耳にシャンシャンと愉快な音が届くと、ふわりと空からトナカイがやって来る。トナカイは子どもを背に乗せて夜の街を駆け抜けるのだ。

 そんな子どもは、朝目覚めるとサンタもプレゼントもそっちのけで開口一番にこう言うことだろう。


 トナカイさん、ありがとう!

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