【カジノウ】〜一般家事能力試験〜

与太ガラス

一般家事能力試験

「ねえ、私、カジノウ受けてみたいんだけど、どうかな?」

 僕がリビングのソファで晩酌を嗜んでいると、妻が後ろの方でささやいた。一瞬背筋が硬直してしまう。

 来た。「カジノウ」、それは世の旦那様への「死の宣告」とも揶揄やゆされる悪魔のささやきだった。

 僕は声から緊張を悟られまいと、小さく咳払いをしてから答えた。

「ん? カジノウ、ってあの?」

 とぼけたふりして聞き返したが、あれ以外にないことはわかっていた。

「そう、一般家事能力試験。がんばれば私でも受かるんじゃないかと思って」

 言い間違いや聞き間違いを期待したがダメだった。我が家にもついにこの時が訪れたのか。

「あ、ああ。いいんじゃないか? あれ、国家資格だもんな」

 【一般家事能力試験】。20XX年に成立した労働対価均等法の制定に伴い誕生した新しい国家試験だ。この試験に合格した者は一般家政師かせいしの資格を取得し、ハウスキーパーとして雇用された際に一定の報酬を保証される。そして資格を持つ者が婚姻関係にある場合、家事の対価を配偶者に請求することができる。その金額は、配偶者の手取りの5分の2と定められている。まだ女性が家庭を守る割合が高いこの国において、革新的な制度だと女性たちから称賛された。

「たしか試験って一ヶ月後だよな。さすがに今から勉強しても間に合わないだろう。ら、来年、受けるのか?」

 冗談じゃない。ただでさえ少ない給料だぞ。これ以上小遣いを減らされてたまるか。なんとか少しでも先延ばししなければ。

「でも、受験料も高くないし、様子見で今回受けてみるわ」

「パートだって大変だろ? そんな、勉強する時間なんて取れないだろ」

 そうだよ。自分だってパートで稼いでるじゃないか。これ以上どこにそんな金が要るんだよ。

「ねえ知ってる? 家事って、パートしててもできるの」

 妻のその一言に、僕は何も返せなかった。


「さあ、残すはあと1種目となりました。最後の種目は『料理』です」

 大観衆が見守る中、代々木第一体育館で一般家事能力試験は行われていた。往年のバトル漫画よろしく、なぜか会場には実況席の声がスピーカーで届けられていた。

 僕は体育館の真ん中で、一汁三菜をこしらえていた。

「こんなに人に見られながら料理するなんて、ちょっと緊張しますね」

 隣の調理場で試験を受けている若い男性に声をかけられた。会話をする余裕があるくせに何言ってやがる。

「いやまさか、自分がこんな試験を受ける日が来るなんて、一年前は思ってもみなかったよ」

 一年前、私はこの会場の客席にいた。妻が試験に挑む姿を祈るように見守っていた。多くの旦那様がそうであるように、どうか受からないでくれと祈っていた。私の祈りは届かず、妻は“様子見”で参加した試験を鮮やかにパスした。当然の結果だった。2年以上の主婦経験がある人のこの試験での合格率は98%。簡単すぎる国家試験だ。奥さんが取りたいと言ったら必ず取れる。この試験までのカウントダウンこそが「死の宣告」と言われる所以ゆえんだった。

「え、受けるつもりなかったんですか?」

 男性は不思議そうに僕に問い返した。

「ああ、一年前、妻にこの資格取られちゃってね、まいったよ。君もそのクチ?」

 見たところ20代前半だろう。その年で給料を半分近く持っていかれたらたまらないだろうな。

「いえ、僕はもともと専業主夫なんで」

 負い目の欠片も混ぜることなく彼は言った。彼の人生にとって専業主夫そのことはアイデンティティの一部のようだった。

「そうなのか。じゃあ奥さんが大変だな」

 この国家資格にはもう一つ重要な条項が存在する。それは、資格を持つ者の配偶者が同じ資格を持つ場合、お互いに家事の対価を請求することはできない、というものだ。

「いえ。ウチの奥さんは賛成してくれましたよ。僕に正当な対価を支払えるようになるのが嬉しいって」

 妻が資格を取得してから、僕は必死に勉強した。一人暮らしもしたことがなかった僕は、洗濯機の使い方すら知らなかった。すべては自分の小遣いのため、妻に頭を下げて家事を手伝いながら覚えていった。資格を持つ妻が協力してくれたのはもっけの幸いだった。

「さあ、残り時間も少なくなってきた! 受験者たちもラストスパートだ!」

 実況が観客と受験者を煽る。僕の手に震えはなかった。大丈夫、いつもの家事をやるだけだ。僕はお鍋の火を弱め、お椀に味噌汁をよそった。


「あなた、おめでとう。資格、取れたのね」

 資格証を受け取って会場の外に出ると、妻が駆け寄ってきた。

「ありがとう。君のおかげだよ」

 でも、なんで自分の小遣いが減るのに、僕に手を貸してくれたんだろう。そう思っていると、妻がそっとつぶやいた。


「これであなたにも、均等に家事をやらせられるわ」


 おいおい、何をいまさら。お互いに仕事しながら家事をする。そんなの誰でもできる当たり前のことじゃないか。

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