第3話 勇者とダンジョンの真実

 和菓子屋・幻魔庵に呼び鈴の音が鳴り響いた。


「田中さん! 昨日ダンジョンで隠し通路を見つけたの、一緒に攻略して!」


「ええっ? ちょ、ちょっと待ってください」


 田中の顔が一瞬で固まる。

 心の中で警鐘が鳴り響いた。


「経験者のあなたが一緒なら、私も安心して挑戦できるわ!」


 茜の真剣な目に、田中は言葉を詰まらせる。

 さらに、春子が朗らかな声で追い打ちをかけてきた。


「まあまあ、田中くん、茜ちゃんも一人じゃ心細いようだから。付き合ってあげなさいよ」


「そうそう! 頼りにしてるから!」


 茜が嬉しそうに笑い、完全に行く気満々だ。

 田中は頭を抱えながらも、苦笑いを浮かべた。


「……分かりました。でも僕はあくまでサポートです。魔物とはできるだけ戦わないよう、穏便に進める方向でお願いしますね」


「もちろんよ! じゃあ決まりね!」


 茜の勢いに押されつつ、田中は静かな昼休憩が遠のくのを感じながら深いため息をついた。



 その日の午後、田中は茜とともにダンジョン――正確には、自宅の入り口前に立っていた。


「まさか、自宅を“攻略”する日が来るなんて……」


 田中が苦笑いすると、隣の茜はやる気満々の表情で装備を確認している。


「田中さん、絶対にここには何か秘密があるはずよ! いざ、出発!」


「はいはい……くれぐれも無理はしないでくださいね。平和的な攻略を目指しましょう」


 田中は茜の勢いに押される形でダンジョンの中へと足を踏み入れた。



 ダンジョンの中は不気味なほど静まり返っていた。

 魔物たちは余計な被害を出さないよう、奥で待機してもらっている。

 

 田中は茜の後ろを歩きながら、ふと気になっていたことを尋ねた。


「……それにしても茜さん。どうしてこんな報酬の低い田舎のダンジョンを攻略しているんですか? 茜さんほどの実力があれば、もっと大きなダンジョンで稼げるでしょう」


 茜は足を止め、剣の柄をぎゅっと握りしめる。少しだけ目を伏せた後、ゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐな目で前を見つめた。


「都会のダンジョンに憧れはあるわ。でも――」


 茜の声には、静かな強さと決意が滲んでいた。


「私が守りたいのは“ここ”なの。この町は私が生まれ育った場所だから。誰も見向きもしないような小さなダンジョンでも、ここを守ることが私の役目なのよ」


 田中は思わず茜を見つめる。

 その声には迷いがなく、強い意志が込められていた。


 田中は――東京時代の自分が報酬ばかりを追い求め、心をすり減らしていたことを思い出す。

 誰のためでもなく、ただ報酬のためだけに進み続けていた日々。

 

 しかし茜は違う。

 自分の故郷を守るために剣を振るっている。

 

 「茜さん、あなたは立派ですね」

 

 田中がぽつりと呟くと、茜は少し驚いたように振り返り、すぐに強がるような笑みを浮かべる。


「当たり前でしょ! 私は勇者なんだから!」


 その笑顔の裏に隠れた孤独や焦りに気づきながらも、田中は何も言えず、ただ茜の背中を見つめた。

 

 ダンジョンを進んだその先、——隠し扉の向こうは、突然周囲の空気が変わった。


「……っ! これは――」


 田中と茜が足を踏み入れたのは、広大な石造りの部屋。


 その中央には、黒い鎧に身を包んだ巨大な魔物――隠しボス「黒影の騎士」が静かに佇んでいた。


「このダンジョンのボスね!」


 茜はすぐに剣を抜き、構える。

 これが隠しボスであることを知っているのは田中だけだ。


「茜さん、無茶しないでください! これは今までの魔物と違いますよ!」

「大丈夫! 私に任せて!」


 茜は果敢に黒影の騎士へ立ち向かう。

 しかし――


 ガシャンッ!


 黒影の騎士の一撃が重く響き、茜の剣は弾かれる。

 次の瞬間、茜の体が宙に浮き、壁に叩きつけられた。


「茜さんっ!」


 田中は慌てて駆け寄るが、茜はすでに気を失っていた。


「……やれやれ、まったく無茶するんですから」


 田中は小さくため息をつき、魔物たちへ指示を出した。


「皆さん、出番です! あのボスを倒して——私たちの居場所を守りましょう!」


 ゴブリン、スライム、そしてミノタウロスが次々と姿を現し、田中の指示のもとで黒影の騎士へ立ち向かう。


 スライムが足元をぬるぬるにして動きを封じ、ゴブリンが小石を投げて注意を引き、ミノタウロスが渾身の一撃を叩き込む。


「今です! これで、終わりです――ッ!」


 田中はその隙を見逃さず、黒影の騎士に一撃を放つ。


 その剣は自宅を守るため、共に暮らす魔物たちを守るため、一人の頑張りすぎる女性を守るため、田中は剣を振るった。


 ガシャンッ――


 黒影の騎士の鎧が砕け、その場に落ちていく。


「ふう……なんとかなりましたね」


 田中は息を整えながら、気絶している茜の隣に座り込む。

 茜はどこか安堵したように穏やかに眠っていた。


「まったく……もう少し、自分を大事にしてくださいよ」


 田中は疲れた顔で天井を見上げ、ダンジョンに戻った静けさを感じながら小さく呟いた。


「――ここは僕が守りますから、茜さんは少し休んでいてくださいね」



 黒影の騎士を倒した後、田中は気絶した茜を背負いながら、さらに部屋の奥へ進んでいった。そして、そこで見た光景に思わず目を疑った。


「……これは、どういうことですか?」


 部屋の奥には、大量のゴブリンたちとスライム、さらには数匹のミノタウロスが――和菓子を作っていた。


 大鍋で餡を練るゴブリン。蒸し器からふかふかの饅頭を取り出すミノタウロス。そして器用に団子を串に刺すスライムたち。辺りには甘い香りが漂い、見慣れた饅頭が次々と出来上がっていく。


「な、なんで魔物たちが和菓子を……?」


 その時、見覚えのある二人の声が響いた。


「驚かせてしまったかね、田中くん」

「これはね、昔から続く秘密なのよ」


 和菓子屋・幻魔庵の老夫婦――大吉と春子が奥の扉から現れた。


「えっ……大吉さん、春子さん!? どうしてここに!?」

「実はね、このダンジョンは昔からうちの和菓子屋と繋がっているんだよ」


 春子が微笑みながら説明を続ける。


「ここの魔物たちは、ずっと私たちの和菓子作りを手伝ってくれているのよ。特に、地元で採れる希少な素材を加工するには彼らの力が必要だったのよ」


「……そうだったんですか。じゃあ、今まで作った新作も……」

「そうよ、ダンジョンの恵みよ」


 田中は呆然としながらも、どこか腑に落ちた気がした。和菓子屋「古志庵」の美味しさの秘密は、このダンジョンと魔物たちのおかげだったのだ。


 背中の茜が小さくうめき声をあげる。

「……う、うーん……あれ? 私、ボスを……? あれ? 春子さん……?」


「茜さん、無事ですよ。ほら、新作の饅頭が出来てますから、まずは食べて落ち着いてください。きっと不思議な回復効果がありますから」


 茜はまだぼんやりしながらも、饅頭を一口食べて呟いた。


「……おいしい……」


 食べ終えた茜は疲れ果てたのか、眠ってしまった。

 田中はそんな茜を見て、思わず笑ってしまう。


「やれやれ、これで少しは平和になりますかね……」


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