第13話 川の氷が解ける時

 朝でも氷張らなくなった。プラスとマイナスを行った来たりしている気温は、道にできた窪みに水溜りを作った。

 

 そろそろ川の氷が解ける。


 凪は母の家に来ていた。

「お母さん、今はどうやって暮らしているの?」 

 凪は紅茶に上に立つ湯気を見つめながら母に聞いた。

「介護の施設で食事を作っているの。2人で食べていくん分なら、どうにでもなるから。」

 母はそう言った。

「凪くんを養子にしないと、親にはならないんでしょう?」

「まぁ、いろいろとやり方はあるみたいだけど、これがお母さんの生き方。」

「不器用だね、お母さんもお父さんも。」

「元気にしてる?お父さん。」

「うん。お母さんの事も言ったんだけど、何にも反応しなかった。私は内緒でこうして会ってるから、お父さんを裏切ってるみたい。」

「親子なんだから、裏切るも何もないじゃない。お父さんとの事は、また別の話しなんだから。」

「凪くんは?お父さんの思い出ってあるの?」

「さあ。どうかな。」

「新聞はいつから黒く塗ってるの?」

「3歳になる頃だったかな。彼には彼の世界があるの。凪も小さい頃、よくチラシを塗っていたのよ。商品じゃなくて、チラシの文字を丁寧に塗っているの。少しだけ塗る日もあれば、たくさん塗る日もある。どんなおもちゃも興味がないのに、ずっとチラシを塗って遊んでる。お医者さんに相談したら、自閉症かもしれない言われたけれど、お母さんはそれはそれでいいと思ったの。こっちの凪は聾学校に入学する前の検査でね、そういう診断をされたの。診療所に通っているのは、それで。」

「そうだったの。」

「そんな診断があったって、生きていく事の邪魔にはならないよ。凪にはわかるでしょう。命をとる病気じゃないなら、気持ちのひとつになればいいから。」

「お母さんは強いね。私や凪くんは皆の中に普通にいれると思ってたの?」

「どうかな。苦労するかもしれないし、上手くやれるかもしれないし。本当は辛かった?みんなと同じ様に合わせるのって。」

 母が凪に聞いた。

「わからない。私は上手く合わせられなかったし。」

 凪はため息をついた。

「凪、好きな人いるの?」

「どうして?」

「何か迷っている感じがしたから。」

「そう見える?」

「そう見えるよ。自分だけの事ならどうでもいいのに、誰かの事を考えると、途端に弱くなるから。」

「私はお母さんの様な生き方はしないよ。」

 母は笑って

「そう。凪はそう言うだろうと思ってた。」

 そう言った。


 次の日のお昼。

 川の氷が解けたとニュースが流れた。


 凪はバスターミナルの待ち合いの席に座ると、マフラーに顔を埋めた。

 春がすぐ近くまで来ているけれど、夜になればまた冬が大きなイビキをかいて眠っている。


「松岡。」

 脩が隣りに座った。凪は目を瞑った。嬉しくて、鼓動が速くなる。脩は凪の手を握ると、

「飴持ってるか?」

 そう言った。

「うん。」

 凪は目を開けて、鞄から飴を出して脩に渡した。

「松岡はずっとこれだな。」

 脩は飴を口に入れた。膨らんだ頬を見て、凪は小さく笑った。

「彼氏には振られたのか?」

 脩が言った。

「私が振ったの。」

 凪は脩の顔を見て小さく笑った。

「松岡にそんな事できるわけないよ。振られてずっも泣いていたんだろう?」

「違うよ。泣いてなんかいないし。平岡くんは、ずっと片思いしてた?」

 凪は脩の顔を覗き込んだ。

「そうだなぁ。とんでもないやつを好きになってしまったみたいで。」

 2人は静かに笑った。

「車で来たのか?」

「ううん。バスで来た。」

「どれくらい待ってたんだ。」

「1時間くらい。」

「そっか。もっと早く来ようと思ったんだけど、なかなか仕事が終わらなくてさ。それに先にきて待っていたら、なんか格好悪いだろう。」

 脩がそういうと、凪は案内板を見た。

「最終で帰るから、それまで一緒にいてくれる?」

 平岡は凪の手を握った。

「川の水、見に行こうか。誘ったのはそっちだろう。」

「いいの?」

「行こうか。」

 凪を助手席に乗せると、平岡は車を走らせた。

「平岡くん、あのね、」

 凪がそう言うと、

「振られた話しか?少し聞いてやるよ。」

 脩が言った。

「あれから、むこうの両親に会ったの。母親がいない私には幸せがわからないだろうって言われてね。彼とはそのまま別れた。いろいろ理由を考えていたのに、いらなかったね。」

「松岡は幸せになりたいのか?」

「なんで?」

「幸せなんてどうでもいいような顔してるから。」

「そうだね、難しいな。何も求めないで生きている方が楽かな。」

「親不孝ものだな。松岡の父さんも母さんも、そんな風にひねくれて育つと思わなかっただろうな。」

「そっか。親のせいにしてたけど、全部自分の事なんだ。」

 凪は以前に話しをした赤ちゃんの父親の言葉を思い出していた。

 

「彼女は母親の入り口で迷っている。」


 みんな何もかも苦笑いしながら受け入れているようで、生まれてからずっと、自分の入り口で迷っている。続いていると思っていた昨日と明日は、今日という区切りが重なっていただけ。抱えきれなくなって手に余ると、そこに置いていくか、大きな鞄に詰め込むか。 

 

 車から降りて、橋の真ん中から川を見ると、水の流れる音だけが聞こえる。雪が残る場所がその下に土があるんだろう。

 凪は手袋をつけると、鼻と頬を覆った。

「幸せになんかできないぞ。俺はそういう形を知らないから。」

 脩は凪に言った。凪は脩の頬を触った。

「松岡は俺を幸せにしてくれるのか?」

 脩は凪を抱き寄せた。

「できません。私もよくわからないから。」

 凪はそう言って笑った。

「人が集まってきたね。帰ろうよ。」

 凪は恥ずかしくなって車に戻ろうとした。

 脩は凪を捕まえると、唇を重ねた。

「バカ!」

 凪はそう言って車に戻った。

「松岡はいつも冷たいな。」

 真っ赤になって俯いている凪に近づくと、脩はもう一度唇を重ねた。

「今日は家に来いよ。母さんも楽しみにしてるからさ。」

 

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