第12話 氷の華

 少し降った雨が夜中に凍り、葉のない木に氷の華を咲かせている。

 凪は道にはみ出したその枝に引っかかると、氷の華はパラパラと地面に落ちた。

 2月。

 今年の雪はそれほど多くなかった。少しずつ暖冬と言われる回数が増えると、あと何年かしたら、季節なんてなくなってしまうんじゃないかと思っていた。


「松岡さん、3月で退職するって本当?」

 心理士の足立が言った。

「はい。短い間だったけど、お世話になりました。」

 凪が足立にそう言うと、

「もしかして、田嶋の事が原因?」

 足立が聞いた。

「それは違う。」

 凪はそう言ったけれど、渉の友人の足立は何もかも知っている様だった。


 脩と再会して、渉に別れを切り出そうと思っていた頃。

 脩は渋る凪を自分の両親へ紹介した。

「この人と結婚したい。」

 そう両親に伝えた時、母親が家を出ていった凪の事を脩の母親は拒絶した。母親から愛されていない凪に幸せな家庭なんて作れないと、初対面の凪を罵った。


「ご両親は何をしているの?」

 脩の母が凪に聞いた。

「父は建設会社で働いています。」

「お母さんは?」

「母は家にはいません。」

 凪の声はどんどん小さくなっていく。

「亡くなったの?」

「いえ、離婚しました。」

「渉はそれを知ってお付き合いをしたの?」

「少し前に、話しました。」  

 脩の母はため息をつくと、下をむいている脩を見つめた。

「あなたはどうして母親についていかなかったの?父親と娘が暮らすなんて、よっぽどの事情があったんじゃない?」

「母は、家を出ていきましたから。」  

 凪の声は震えている。

「お母さんを許す事ができる?」

「許したくありません。だけど、」

「だけど、何?」

「少しだけ、母の気持ちがわかります。」 

 こぼれそうになる涙を凪は喉の奥で止めていた。

「それじゃあ、渉との結婚は難しいかもね。ちゃんと約束を守れる人じゃないと、渉は渡さない。そういう家庭で育つと幸せの形がわからないだろうから。」

「…。」

「あなたの母親のように好き勝手されるんなら、困るのよ。同じ血が流れているんだものね。信用できないわ。」 

 凪は頭を下げると席を立った。凪の後を追いかけようとした脩を母親は止めている。

 これで良かった。

 凪はそう思った。


 少し経つと、脩から電話がきた。

「凪、ごめん。母さんも、話せばわかってくれるから。」

 脩はそう言ったが、

「田嶋さんにはわからないよ。」

 凪は父が1人で暮らしている家に帰った。


 次の日の夕方。

「凪、ずっとここにいるのか?」

 父が聞いた。

「うん。」

 凪は答えた。

「付き合っていた人は?」

 心配そうに父は凪を見ている。

「もう別れた。」

 凪はそう言うと、テレビを消した。

「あっ!天気予報が入るのに。」

「ごめん、お父さん。」 

 凪はテレビをつけた。

「お母さん、1人でいるみたいよ。」

 父にそう言うと、凪は自分の部屋に戻ろうとした。

「家族って、強くて脆いな。夫婦ってものがそうなのかな。子供はその犠牲だ。凪と結には、辛い思いをさせたな。」

 父が言った。

「お父さん、寂しくないの?」

 凪がそう言うと、

「それはお前達を辛くさせた罪だよ。」

 父は言った。

「お母さんに会ったら?」

「会うつもりはないよ。凪は会いたいと思っているのか?それならそれで、お父さんは止めないよ。」

「お父さんが会うつもりはないなら、私も会わない。」

 凪は自分の部屋に行った。

 

 人を寂しくさせたり、悲しくさせる罪は、どうやって裁かれるのだろう。時間という神様がいつか許してくれるのだろうか。

 出会ってしまったら、必ず別れがくるし、終わりがある。父も母もその終わりが違っただけで、神様が与えた事に何も逆らってはいない。

 私が決めた行き先は、母が歩いている道と少し似てる。自分と母が違うのは、私は上手く、渉を傷つけずに1人になれた事。脩がこの先、たとえ自分を待っていてくれなくても、それはそれでいい。恋なんて通り雨みたいなもんだと思えば、間抜けな青空を見て、1人で笑う事ができるのだから。


「こんばんは。」

 玄関に渉が立っていた。

「少し話さないか。」

 凪は渉を居間に案内した。

「凪だけなのか?」

 脩は聞いた。

「うん。父は除雪に行ったから。」

 凪はそう言うと

「早く帰らないと雪が強くなるよ。」

 脩に言った。

「まだ何も話してないよ。」

 脩が言う。

 凪はコーヒーを入れにキッチンへ向かった。

「お母さん、怒っていたでしょう?」

 凪は渉に言った。

「凪、ごめんな。母さんは何も考えないで物を言う人だからさ。」

 渉の前にコーヒーを出すと、渉の顔を見つめていた。

「お母さんの言う通り、私は幸せの形がわからない。」

 凪がそう言うと、コーヒーを飲んだ。

「診療所も辞めるのか?」

「うん。広田さんがまた戻って来ないかって声を掛けてくれて。」

「そっか。広田はNICUに戻ったんだよな。」

「私が戻ると、田嶋さんは仕事がやりづらいでしょう。ごめんなさい。」

「いいんだよ。それが凪の決めた道なんだから。俺が用意した逃げ道は、必要なかったな。」

「ううん。たくさん勉強になったよ。」

 凪はそう言うと、静かに微笑んだ。

「ごめんな。傷ついたよな。母さんに、凪の家の事、ちゃんと話しておけば良かったな。」

「話しても同じだよ。どうしても受け入れないものって、みんなあるの。」

 脩は少し視線を落とした。

「親父にはずっと愛人がいてさ。俺には腹違いの妹がいるんだ。いっそ親父と別れてしまえばいいのに、そうしないのは母さんの意地なんだろうな。」

 脩が言った。

「2人はとても仲が良さそうだったじゃない。田嶋さんの両親は、きっとできている人なんだね。」

「凪、」

「ん?」

「必ず母さんを説得するから、このまま一緒に暮らそうよ。」

 凪は首を振った。

「田嶋さん、私はずるい人間だよ。こんな終わり方になって、本当はホッとしてる。嫌いにならないで別れられるって、いい思い出に変わるから。」

「凪はそれでいいのか?」

 凪はゆっくり頷いた。

「田嶋さん、騙してたみたいでごめんなさい。私にはずっと好きな人がいる。」

 田嶋は凪の頬に手を上げると、叩く寸前で手を止めた。

「俺も親父の血のせいなんだろうな。」

 田嶋はそう言うと泣いていた。

「私、またNICUになるのかなぁ。」

 凪は田嶋の顔を覗き込んだ。

「きっとそうだろう。3人の欠員らしいから。広田はいつもイライラしてるみたいだし、またきつく当たられるぞ。」

 田嶋はそう言って凪の頬を撫でた。

「凪と幸せになりたかったな。」

「充分もらったよ。」

 

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