第2話 風の優しさ

 ナナカマドの赤い実が、まだ何も描かれていない灰色の空に、はっきりと形を写している。

 冬になる前に朽ちてしまえばいいのに、寒空に色付ける赤い実は、冷たい風に体を掴まれても、大丈夫だから、そう強がっている様に見えた。


 脩の事が気になって、何度振り払っても、飴を含んで、膨らんだ頬が浮かんでくる。

 眠れずに迎えた朝は、深々と雪が降り続いていた。


「お姉ちゃん。今日の晩ごはんは、お姉ちゃんが当番だからね。」

 妹のゆいが言った。

「お父さんは今日も残業?」

 朝食の食パンを齧りながら、凪は結に聞いた。

「昨日も除雪で夜中から帰ってきてないよ。」  

「そうなんだ。」

 凪は口の中で水分を奪っていくパンを牛乳で流し込んだ。

「今晩も降るっていうから、また帰ってこないかも。」

 結はそう言った。

「ねぇ、玄関開くかな。」

 凪が心配して窓を見ると、

「朝、お父さんが雪かきしていったみたいだから、大丈夫。道路もちゃんと道がついてるし。」

 凪はため息をついた。

「いつまで降るんだろうね。まだ12月の始めだよ。」


 父のたくみは建設会社で働いている。冬になると町から頼まれ、除雪のために重機を動かしていた。人の少ない真夜中、人々の出勤に間に合う様に雪の積もった道路を除雪しているせいか、このシーズンは、家にいる事がほとんどない。

 こんなにも黙々と働き続けて、家を空ける事が多い事が好都合だったのか、母は1年前から、家に帰ってこなくなった。

 家の家事を妹と分担していたのは、両親が離婚してからの話しではない。母が帰ってこない事を隠すように、3人は何も変わらない日常を取り繕った。

 数日家に戻ってきた母は、何も言わずまた家を出ていった。その後、父との離婚が成立すると、今まで住んでいた家を手放し、父の会社の社宅に住むことになった。家が職場から近くなった父は、以前よりも時間のできて良かったと、強がって笑っている。

 結も新しい学校の友達の方が、自分とは馬が合うと笑っていた。要領のいい妹の事が、凪は羨ましかった。


 自分だけが取り残されているのか…。


 父も妹も、母への憎しみは消えないが、心のどこかでは、清々した気持ちでいるように見える。

 いつまでも前を向くことができない自分は、どうしてこんな風になったのか、生まれてきたさえ事も否定したくなってくる。

 本当は優しかった母が、また戻って来てくれる事を、誰よりも望んでいるくせに。不幸せを感じた分の何倍も、幸せがやってくると、期待しているくせに。 

 いつから自分は、こんなに弱い人間になったのだろう。父も結も、心の中では晴れない空を見上げながら、毎日を乗り切っているはずなのに、自分だけが不幸だと、誰かが優しくしてくれる事を待っている。

 

 食べ終えた食器を洗い終え、凪は上着を着た。マフラーで首をグルグル巻にすると、家の鍵を手に持った。

 

 駅前のバスターミナルを通り、学校へ向かうバスの中。凪は昨日の事を思い出していた。

 脩と顔を合わせるのが、すごく気まずい。

 脩の事を思うと、心が熱くなる。

 こんな事に自分の時間を奪われている場合じゃないのに。

 自分はけして、この寂しさから救ってほしいと、手を伸ばしているわけではないのに。


 教室に着くと、早織が凪を前にやって来た。

「凪、やっぱり血は争えないね。」

 早織はそう言って、クスッと笑った。

「何が?」

 凪は早織に言った。刺さるような笑いを浮かべる早織は、母の事でもいろいろとしつこく聞いてきた。今日は一体、何を言いにきたんだろう。

「昨日、脩と一緒にいたでしょう?」

 その事か…。

「バス待ってたら、一緒になったから。」

 凪はそう言った。

「それだけ?」

 早織は何かを含んでいる。

「そうだよ。」

 凪は早く早織の話しを終わらせたくて、余計な事を言わないよう、短い言葉を選んでいた。

「嘘。2人でいい感じだったじゃない。」

 早織は凪に上から見下げた。

「少し話しただけだよ。」

 凪は早織と話すのが辛くなり、廊下へ行こうと立ち上がった。

 教室の前側の入り口から、脩が入ってきた。一瞬、凪と目が合ったが、凪は後ろのドアを開け、廊下に出た。

 始業のチャイムがなるまで、廊下と階段をウロウロしていると、

「凪、何やってんの?」

 同じクラスの優里が凪を探しにきた。

「早織の言う事なんて、気にしなくてもいいから。」

 優里は凪の手を引っ張ると教室へ連れて行った。

 

 授業中。

 女子の間で、手紙が回っていた。凪の所へくる前に、優里がぐちゃぐちゃにして机の中にしまった。

「優里、なんか回ってたんでしょう?」

 凪は優里の机の中を覗いた。優里は手紙を小さく破ると、

「どうでもいい事。」

 そう言ってゴミ箱に紙くずを捨てた。

 チラチラとこっちを見ていた女子達の一人が、凪のそばにきた。

「凪、平岡くんと付き合ってるの?」

 そう言ってきた。

「違うよ。何言ってんの?」

 凪は精一杯の作り笑いを浮かべた。

「だって昨日、キスしてたって。」

 その子は凪と脩を交互に見た。

「違うって。」

 凪は否定してはみたものの、顔が赤くなっていくのがわかる。これじゃあ、認めた様なもんじゃない。

「そんな事でギャーギャー言ってんの?ガキだね。」

 優里はそう言ってわざとに大声で笑った。

「そうだよね。だけどちょっと早織がさぁ。」

 彼女はそう言って優里の腕を掴んだ。

「いろいろ言ってるから気をつけてね。」 

 そう言うと、彼女は教室の中へ戻った。

 卒業まで、あと少しなんだ。苦手な人間関係も、それまでの事。

 なのに、どうしてまた面倒な事に巻き込まれたんだろう。早織、どこで見てたのかな。

「凪、平岡はB組の彼女と別れたばっかりなんだよ。早織はそれを知っててさ、平岡の後を追いかけてるの。」

 優里が言った。

「早織は平岡くんの事が好きだったの?」

 凪が聞いた。

「知らなかったの?だからサッカー部のマネージャーをやってるじゃん。平岡はなんか避けてるみたいけど、早織にはそれがわかってないんだよね。」

 凪は小さなため息をついて、

「こういうのって、面倒くさいね。」

 そう言った。

「平岡の事、好きなの?」

 優里が聞いた。

「好きじゃないよ。サッカーなんか知らないし。あの人がどうしてモテるのかわからない。」

 凪がそう言うと、

「凪はわかりやすいね。」

 そう言って笑った。


 学校の前のバス停に立っていると、脩が凪の隣りに並んだ。

「松岡、」

 凪は何も答えず、下をむいた。降り続いている雪が、足の指を冷たくさせている。手袋をすり合わせると、凪は鼻の頭に両手をやった。

「昨日の夜、ラインしたのに。」

 脩が言った。

「ごめん、寝てたから。」

 凪はそう言うと、ちょうど雪の中をぼんやりとしたバスの明かりが見えた。

 脩は凪の腕を掴んだ。

「あとで電話、」

 凪は何かを言い掛けた脩の顔を見ずに、バスに乗り込んだ。

 

 生まれた時から、自分の時間は永久に続くと勘違いする。本当は全てに終わりがあるだなんて、認めようとしてないだけなのに。自分が存在している年月なんて、せいぜい100年。その中のたった数年の色付いた感情を、永遠の愛だとかって語るなんて、恋に溺れる事は愚か過ぎる。

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