第9話 少年

「夜は、部屋の外に死者が溢れかえるのです」

「死者、ですか?」

「死者とは、その名の通り死んだ者。自分の仲間に引き入れようと襲い掛かってくるのです」


 死者が自分の仲間にしようと襲ってくる。

 相手を殺して、自分と同じ死者にしてくると理解し、愛実は身震いした。


「安心してください。夜、寝る時間に寝れば問題ありません。廊下に出たければ、私にお声をかけてください。お供します」


 振り返り、言い切る。

 ホッと胸を撫で下ろし、少し遅れていた距離を詰め隣を歩いた。


「ここって、どんなに進んでも同じ景色なんですね」

「逃亡者が現れないための処置です」

「やっぱり、逃げる方もいらっしゃるんですね」

「はい」


 窓も、部屋の中にあるような絵画もない。

 ずっと、等間隔で続くドアが壁に付けられているだけの廊下。


 周りを見ながら歩いていると、コウヨウが突然足を止めた。

 手を繋いでいたため、愛実も自然と足を止める。


「っ、どうしたんですか?」

「もうそろそろお時間です。部屋に戻りましょう」

「え、もう、ですか? いきなり……」

「はい。時間を忘れていました」


 コウヨウは、特に時計を見たわけではない。

 それでも、時間について話す。


 愛実はまだ歩いていたかったため、時間について問いかけようと思ったが、コウヨウがすぐに振り返り来た道に戻り始めた。


 これ以上は聞いてはいけない。なんとなく愛実は感じ、気まずそうに歩く。

 部屋の前まで移動すると、ドアを開け、愛実を中へと入れた。


「では、今日はもう、お休みください」


 扉が静かに閉められる。

 なぜ、急に部屋に戻されたのかわからない。けれど、また扉を開ける勇気がない。


 何度かドアノブに手を伸ばすが、最後の一歩、勇気が出ず諦めた。


「…………はぁ」


 怖い事を経験するくらいなら、知らない方がマシ。

 いつも、一日を過ごしているベッドの上へと横になった。


 クマは、ベッドに置いていたため、すぐに手を伸ばしギュッと抱きしめた。

 そのまま瞼を閉じ、眠くないはずなのにすぐに夢の中へと入った。


 ※


 部屋に愛実を帰したコウヨウは、一人廊下を歩いていた。

 前を見続け、ただ歩く。足音はしない。


 そんな時、前からカツン、カツンと、足音が聞こえ始めた。

 コウヨウは足を止め、闇が広がる廊下の奥を見る。


 ――――カツン カツン



 白い布で隠れている左右非対称の瞳を細め、警戒を高める。


 ――――カツン カツン


 闇から聞こえる足音が、徐々に大きくなる。

 コウヨウの頬には、一粒の汗が流れ落ちた。


 ――――カツン


 足音が止まるのと同時に、闇から一人の子供が姿を現した。


 闇に浮かぶのは、白銀の髪。子供用の白い狩衣を身に纏い、色白の肌に赤い、横へと伸ばされていた口元が浮かぶ。

 青白磁色せいはくじいろの瞳は、まっすぐコウヨウを見つめていた。


「やぁ、コウヨウ。僕のお気に入りの人形君。新しい主はいかがかな?」


 左右の耳には、月と星の耳飾り。

 チリンと揺らしながら再度歩き、コウヨウの目の前まで近づいた。


 子供特有の少し高い声で問いかけ、コウヨウを見上げる。


「真面目で優しい方ですよ。今はまだ不慣れな部分もあるようで不安な様子を見ますが、そのうち慣れるかと」

「そう、それならよかった。また君を何度も生き返らせないといけないかなと思っていたから安心したよ」


 クスクスと、言葉とは裏腹に楽しそうに言う少年。

 そんな少年の言葉に目くじら一つ動かさないコウヨウは、腰を折った。


「では、これで失礼します」

「あ、ちょっと待っておくれよ」


 振り返り、去ろうとしたコウヨウを少年は呼び止める。


「君、何か企んでいるかい?」

「企んでおりません。意味がありませんから」

「そうだよね。最初の頃は、何度もこの屋敷から君の主となったものを出させようとしたからさ。まぁ、うまくいかなくて、君は何人も見殺しにして来たよね」


 見殺しという、コウヨウを責めるような言葉をあえて使い笑う少年に、コウヨウは何も言わない。

 何も反応を見せないコウヨウに、少年はまた笑う。


「もう、懲りたでしょ? 君は、僕のお気に入り。絶対に逃がさないし、逃がさせない。僕は、僕の欲しいものを、お気に入りを。絶対に僕から離さないんだ。どんな手を使っても、絶対にね。だから、余計な事はしない方がいいよ。今度は、あの子が死んでしまうからね」


 最後の言葉に一瞬、コウヨウは動揺を見せた。

 それすら可笑しいのか、少年は目を細め嘲笑う。


「あははっ。期待しているよ、コウヨウ。僕の手を、煩わせないでよね?」


 コウヨウの隣を通り過ぎ、少年は歩く。


「まぁ、君が僕に勝てる訳ないんだけどね」


 それだけを吐き捨て、少年は闇の中に姿を消した。

 その時は、なぜか最初に聞こえたはずの足音が聞こえない。


 完全に闇の中へと姿を消した少年を見て、コウヨウは息を吐き肩から力を抜いた。

 視線を落とし、横に垂らしている拳をそっと、握った。


 ※


 愛実がコウセンに来てから月日が経った。

 それでも、まだ愛実はコウヨウが持ってくるご飯を食べられない。


「本当に、固い。なんで…………」

「んー。愛実様の咬合力こうごうりょくが低いのでしょうか」

「こ、こうごう、りょく?」

「何でもありません」


 これも、いつもと同じ日々の繰り返し。

 時々、コウヨウが廊下に連れ出してくれるが、同じ景色なため徐々に飽きる。


 そんな時、食器を片づけているコウヨウが目に入る。


「…………コウヨウさん」

「なんでしょうか」

「なんで、食べられないのをわかっているのに、食事を持って来てくれるんですか?」


 何気なく聞いた質問にコウヨウは片付ける手を止めず、答えた。


「以前、似たようなお話をしたかと思いますが、時間の感覚を忘れない為、朝と昼、夜にお食事を運ばせていただいております」

「あっ、そっか…………」


 最初の頃に説明されていたことを思い出した。


「でも、でも。なんだか、いつもお食事を残してしまうので、申し訳ないような気持になります。他の方法はありませんか?」

「他の方法を、ですか? それは、命令ではないのですか?」


 コウヨウは首を傾げ、問いかける。

 愛実とコウヨウとの約束で、命令の時は必ず言葉で”命令”ということ。


 今回の刃命令ではなかったのかと、コウヨウは愛実に確認した。


「え、えっと。命令ではなく、相談です…………」」

「相談、ですか。難しいですね。命令でしたら従いますよ」

「命令は、したくないです」


 愛実が絞り出した声はか細く、悲し気。

 目を合わせられず言った言葉に、コウヨウは天井を仰いだ。

 息を大きく吸い、ぼそりと、呟いた。


「変わらんな……」

「え、何か言いましたか?」

「なんでもありません」


 目を丸くして見上げて来る愛実の頭を撫で誤魔化し、すぐ考え込む。


「相談は正直、加減がわかりません。いかがいたしましょう」

「いかがいたしましょうと、言われても…………」


 愛実は、どういう意図で聞かれているのかわからず眉を顰めた。

 命令は嫌だ。けれど、相談もできない。どうしようと困っていると、コウヨウが先に口を開いた。


「…………お食事はご迷惑でしょうか」

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