World End : after

助兵衛

第1話 帰還兵の街

 朝もやの薄暗い光が、皇国連邦ヴァルター自治領の廃墟じみた街並みに浸透していく。その霞の中に浮かぶのは、鋼鉄とコンクリートの異様な建造物群。高層ビルは古びた鉄骨がむき出しとなり、ところどころに剥げた魔導光広告がちらついている。文明の残滓が苔むした都市を埋め尽くし、かつてここが栄光の時代に輝いていたことを、誰もが忘れたようだった。


 ギズマは冷えた空気を胸いっぱいに吸い込みながら、いつものように出勤していた。蜥蜴を思わせる大きな尻尾が冷たい地面に触れないよう少し浮かせて支援センターへと続く錆びた鉄橋を渡る。下には濁った水が流れる排水路が広がり、そこにはかつての戦争の名残――朽ち果てた魔王軍の歩兵級の残骸が、動くことなく沈んでいた。


 視界の端に、街を取り囲む巨大な防壁が見える。防壁はもはや侵略から人々を守るものではなく、外界の脅威を拒絶する象徴でしかなかった。その壁の表面には、戦後に書き足されたプロパガンダのスローガンが消えかかった文字で残っている。


 「共に生き延び、共に立ち上がる――皇国連邦」


 ギズマはその言葉に目をやることもなく歩みを進めた。彼はそのスローガンが描かれた時代を知っている。戦争が終わった直後、まだ人々が「勝利」に酔いしれていたころだ。だが今の現実はどうだ? 勝利は人類を救わなかった。人々は壊れた社会の中で、過去の戦争の遺物と共に生きることを余儀なくされている。ギズマ自身もその「遺物」の一つだった。

 空の彼方から現れた異形の怪物共、魔王との戦争から5年。まだその爪痕は各地に色濃く残っている。


 「おはようございます、ギズマさん!」


 センターの入口に近づくと、受付窓口の少女――サラが笑顔で挨拶を送ってきた。彼女は人間だ。肉体改造も魔導技術も施されていない「普通の人間」。その明るい表情は、この暗鬱な世界において一種の異質さを感じさせる。


「おはよう、サラ」


 ギズマは短く返事をしながら、重々しい足取りで施設の自動扉を通り抜けた。


 支援センターの内部は外界と異なり、最新の技術で清潔に保たれている。魔導ライトが柔らかな青白い光を放ち、無機質な空間が異様な静けさを保っていた。しかし、ここに集まるのはみな「戦争の傷跡」を背負った者たちだ。帰還兵、義体化された民間人、魔術的改造を受けた元兵士、そして制御不能に陥った兵器たち――彼らがこの支援センターに訪れる理由は一様ではない。

 そんな彼らの悩みに向き合い、解決する手助けをするのが生活復帰支援センターの職員。ギズマの仕事だった。


 ギズマは廊下を歩きながら、今日の予定が詰まったタブレットを確認する。訪問予定者のリストを眺めていると、その中に見慣れない名前があった。


 「MA-34 スターダスト」


 ギズマの眉間に皺が寄る。これは型番だ。つまり、今日の相談者は人ではない。戦争時代の記録がよみがえる――「スターダスト」と呼ばれる第6世代魔装兵は、戦場での汎用性と高い殺傷能力を誇った「歩く要塞」だった。

 暫く忙しくなる事は間違いない、ギズマはいつもなら事務所の武器庫に預託するMagic Pistol-5MP-5をホルスターからは出さずコートの内側に隠した。

 とはいえ今日は小口径の銃しか持ち歩いていない、ただの拳銃でしかないMP-5は軽い威嚇にしかならないだろう。こんな事ならもっと大口径を持ち込むべきだった。


 考え込む間もなく、廊下の奥から轟音のような振動が響いてきた。次いで、床が小さく揺れる。重い金属の足音。ギズマが顔を上げた瞬間、暗い廊下の向こうからその姿が現れた。


 巨大で、怪物じみた鋼の兵士――MagicArmored-34MA-34スターダスト。


 その巨体は、廊下の幅を埋め尽くすほどの威圧感を持ちながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。かつて戦場で人類を守ったその兵器が、今はただの迷子のように支援センターを訪れていた。


 そしてギズマの目に映ったのは、巨大な鋼鉄の体躯の中に潜む、かすかに震える「少年の魂」だった。


「ギズマ・セクト、認識番号A-BS2-2177」


 スターダストの巨体がギズマの名を電子音声で発した。機械的で感情のないその声は、廊下に反響し、まるで施設全体がその存在に支配されているようだった。


「それは戦時中の物だ。今は認識番号C-BS2-2177」


「……更新します」


 ギズマはタブレットを操作し、スターダストのデータを表示した。戦場での記録、損傷履歴、回収時の状況――どれも膨大な情報だ。しかし、そのどれもが過去の「兵器」としての記録であり、現在のスターダストが何を思い、なぜここに来たのかを説明するものではなかった。


 「ここまで来るのは骨が折れただろう」


 ギズマは落ち着いた声で話しかけた。巨大な鋼鉄の体を前にしても、その態度には一切の恐れが見えない。


 スターダストは一瞬の沈黙の後、再び機械音を発した。


 「現在位置確認済。ギズマ・セクト、対応担当者として認識」


 ギズマは短く息を吐いた。彼の目の前に立つスターダストは、戦場で数えきれない命を奪い、兵器としての役目を果たしてきた存在だ。しかし、今のスターダストは命令を持たない。ただ立ち尽くし、指示を待つ迷子のようだった。


「部屋入れ。話を聞こう」


 ギズマは廊下の奥にある応接室のドアを指差した。スターダストはその指示に従い、ゆっくりと動き出した。その一歩一歩が廊下に重い振動を残す。


 応接室に入ると、ギズマは椅子に座り、スターダストを正面に見る形で向き合った。鋼鉄の巨体は部屋に収まりきらず、一部が壁にぶつかる音が響いた。


「さて、まずお前の状態を確認しよう」


「第213機械化歩兵部隊所属A-MA6-0358」


 魔装兵の電子音声をはいはいといなしてギズマはタブレットを手に取り、MA-34のシステムログにアクセスした。起動時刻、行動記録、機能状態――どれも正常とは言えない数値だ。何度も戦場を駆け抜けた末、システムは明らかに劣化し、自己修復機能も限界に近い。


「ギズマ・セクト」


 スターダストがまた彼の名を呼んだ。その声は少しだけ揺らいでいるように聞こえた。


「……私は、ここで何をすればいい?」


 ギズマは眉をひそめる。

 彼の物言いはまるで自我の無い兵器だ。しかし魔装兵には魂が、自我が存在する立派な人類だ。装甲を開けば、制御ユニットに繋がれた脳と脊髄からなる生体コンポーネントが存在する。


 人間なんだ。


「お前は命令がなければ動けないのか? 」


 ギズマが問いかけると、スターダストの目に相当する光が微かに明滅した。それはまるで、迷っているかのようだった。


「私は……壊れている。自己診断結果、システム異常多発」


 スターダストは続けた。


「記録された命令……すべて無効化……空白……私は空虚だ。」


 その言葉に、ギズマの胸の奥で何かが重く沈む感覚が広がった。かつて戦場で絶大な力を振るい、多くの命を奪った英雄が、今では自らの存在意義すら見失っている。


「お前が壊れているのは事実だ。」


 ギズマは静かに答えた。


「だが、それはお前だけじゃない。この世界そのものが壊れているんだ。」


 その言葉に、スターダストの鋼鉄の体が微かに動いたように見えた。果たしてそれは感情の動きなのか、単なる機械的反応なのか、ギズマには分からなかった。しかし彼は、それを確かめる必要があると思った。


「ここでは、過去の兵器も人間も、みんな何かを抱えて生きている」


 ギズマはタブレットを閉じ、スターダストをまっすぐに見据えた。


「お前が抱える問題、解決してやるよ。それが俺たち支援センターの仕事だからな」


 スターダストは言葉を発しなかった。ただ、わずかにその鋼鉄の体が傾いた。それは、かつて戦場を駆け抜けた兵器が、初めて「頼る」という行為を学ぼうとしているように見えた。


「スコアは歩兵級15体、重装甲級が3体、要塞級の撃破補助が1度。素晴らしい戦果だな、出撃を拒否した記録も軍務違反の履歴も存在しない」


 完璧な兵器だ、という言葉は飲み込む。


「しかし徴兵以前の記録が一切ないな、名前生年月日出身……すべて。事前問診票まで認識番号で書いて……」


「軍務に支障はない」


「日常に支障があるだろう。MA-34スターダストが何体いると思ってる」


 大方戦闘時の過剰な薬物投与によって記憶領域が破損したのだろう、と当たりをつけた。

 戦闘時の恐怖を興奮剤で塗り潰すのは良くある手だっだが、副作用として記憶の混濁や感情の薄弱等が挙げられる。

 副作用は何度も上層部に上申されたはずだが、あえて放置したとの説もあった。


 その方が、より完成度の高い兵器となる。


「社会復帰支援局に遺伝子情報を送って検索してもらえば名前や出身地なんかも分かるだろう。それはこっちでやっておく」


 ギズマの持つチェックリストは、ほとんどが空欄のまま個人情報ファイルに閉じられる。


「遺伝子情報は窓口に行けば案内してもらえる診察室で採取してもらうと良い。もし装甲を開いて中を見せるのに抵抗があるなら、採取キットと説明書を渡すから自分で採って提出してくれ」


「了解、装甲の解放には応じる。これより遺伝子情報の提供を開始する」


 鋼鉄を壁に擦らせながら応接室を出るスターダストに、ギズマは思い出した様に声を投げた。


「そうだ、提出が終わったら外で待っていろ。俺も直ぐに支度して向かう」


 応接室のドアが閉まる音を確認し、ギズマは背もたれに深く体を預けて小さく息を吐いた。タブレットに記録されたスターダストのデータをもう一度確認する。戦果は素晴らしいものだったが、それ以上に彼が「人としての基盤」を失っていることが問題だった。


「遺伝子情報で何か手がかりが掴めればいいがな……」


 ギズマはタブレットを机に置き、次の予定を確認する。今日は他にも復員兵たちとのカウンセリングが控えているが、スターダストの件を優先する必要があると感じていた。






 スターダストは診察室で静かに待機していた。その巨体は部屋の設備に不釣り合いなほど大きいが、意外にも動きは慎重で周囲に配慮している様子が見える。


 診察室のドクターが、慎重にスターダストの外装を検査していた。元々従軍医として勤務していた彼にとっても、魔装兵の生体コンポーネントを触る経験はそう多くない。細心の注意を払って、作業を行う。


「よし、これで装甲を開いて内部構造にアクセスできる。スターダスト、痛みや不快感はないか?」


 スターダストの青白いモノアイが明滅する。


 「確認済。異常なし。」


 ドクターは内部構造にある生体コンポーネントへ慎重にアクセスし、遺伝子サンプルを採取する。スターダストの身体は機械と生体の融合体であり、内部にはわずかながら「人間だった頃の痕跡」が残されていた。


「これで終わりだ。すぐにラボに送るから、結果が出るまで少し待っていてくれ。」


 スターダストは静かに頷き、診察室を出ていった。その背中を見送りながら、ドクターは小さくため息をつく。


「記録が残っているといいんだがな……」






 診察室を出たスターダストは、センターの屋外待機エリアで指示通りにギズマを待っていた。曇天の空の下、他の相談者たちが静かに行き交う中で、スターダストの巨体は一際目立っていた。


 子供たちが興味津々で遠巻きに眺めている。彼らの親が慌てて近づき、注意深く子供たちを引き離そうとしている様子を、スターダストは無言で見つめていた。その光景が、彼にとってどのように映ったのかは分からない。


「待たせたな」


 スターダストが振り向き、ギズマを認識したモノアイが点滅した。


「遺伝子情報の提出を完了、次の行動は」


 ギズマは肩を回しながら近付く、今日は全ての時間をこの鋼鉄の元兵士に使うと決めて来た。


「着いて来いよ。あんたの新しい身体を探しに行くぞ」

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