3

 目を覚ますと、見知らぬ天井があった。天井といっても小さな部屋のそれではなく、いつか写真集で見た大聖堂のような豪奢で遠い天井だ。身を起こすと、やはり何かを祀っているのであろう神殿のような場所で、俺がいるのは、(罰当たりなことに)神棚にあたる場所っぽい。


『気分はどうですか?』


 背後から女の天使の声が聞こえるが、振り返っても姿は見えない。


「まあまあ」


 そう返しながら、自分の体(どうやら俺自身のものではないらしいが)を見る。妙に真新しく見える、麻と絹の真ん中のような、ゴワゴワしているのに妙になめらかな服を着せられており、その下には傷だらけながらも引き締まった肌がある。


『淡白ですねえ……。もう少し『生き返ったあー!』くらい喜んだらどうですか?』

「生憎、覚悟はできてたもんで。今生き返れてることの現実味がないんだよ」


 手に柔らかな毛の感触が当たり、目線を落とすと、その、なんとも言えない生物がいた。天使の声はこいつから聞こえているらしい。


「なんだ? こいつ」

『ああ、可愛いでしょう? 私との連絡用の、モイちゃんです。ちゃんとお世話してくださいね』

「可愛いか?こいつ」

『ほら、いわゆるキモカワってやつですよ。こういうのがウケるって聞いたんですけど』

「ウケるって、どこに」

『マニアに』


 何のマニアだよ。天使の世界ってのは思った以上に時代遅れらしい。いや、ウケる奴はいるだろうけどよ、こうも自信満々になんとも言えない存在を押し付けられても困る。いや、これがいわゆる上位存在らしさなのか?ああ、そういえば、職場の上司にこんなのが居たかもな。


「ウケるやつはいるだろうな」


 俺にはウケねえけど。そう言外に付け足し、いまだに俺の手に擦り寄る謎の生物(モイって名前らしい)に目を落とす。本当に、なんとも言えない見てくれなのだ。大きさは手のひら大。良く目立つ大きな耳はあざとさを狙ったみたいだが、小さな体に似合わずアンバランスだし、その間にある触覚のようなものは虫感を助長させている。体自体も芋虫みたいにずんぐりむっくりしており、気味が悪い。極め付けなのは平べったい顔に三つついた蜘蛛のような黄緑の目とそれを包むパステルイエローのふわふわした毛皮。印象としては女児アニメに出てくる妖精枠なのだが、多分、こんな妖精が出てきたら小さなお友達は泣き出すだろう見た目をしている。


『気に入らなければ作り直しますよ』

「作り直すってお前......」


 相変わらず、発言が上位存在っぽい。作り直すってことは、一回消すってことだ。急にその生物、モイがかわいそうになってきた。気まぐれにその生物を撫でると、気持ち良さそうに三つの目を細め、頭を俺の手に擦り付ける。うん、可愛く思えてきた。


「こいつで良い。作り直さなくても良いよ」

『お気に召したのなら良かったです』


 お気に召した訳じゃないんだけどなあ。なんだか釈然としない。うまく良心に漬け込まれた感じがする。まあ、別にいいが。


「で、まずはどこに行けばいいんだ?」

『え? はい?』


 あからさまにポカンとしたような声が聞こえてきた。


「まさか、俺に片っ端からキューピットになれとか言わないよな?」

『…………』

「…………」

『も、もちろん、ちゃんと導きはするつもりです!お金もありますので』

「じゃああれか?お前、俺に、こんな、天涯孤独だろう場所で金だけで過ごせなんて言わないよな?」

『…………』

「……まさか、金があれば人は生きていける、なんて思ってたり」

『…………』


 してるな。言ってよかった。なんか、この天使、上位存在ってより、箱入りお嬢様、って感じがしてきた。


「あのな、金ってのは、戦争の最中とか、全く使い物にならない時があるんだよ!そもそも、俺はこの世界の常識もルールも仕組みも知らないってお前らが言ったんだろ!妙なところで罪人になったらどうしてくれるんだ!」

『ああもう! わかりましたよ! 何がご所望ですか?!!』


 ヤケクソになった天使が、叫んだ。あの、最初、俺に会った時に出した、耳をつんざくあの音で。例に漏れず、俺と、通信機であるはずのモイの耳までも、突き抜けた。大きな耳のせいでしっかりその爆音を聞いたせいで、モイは一度、座っている俺の肩あたりまで飛び上がり、ころりと転がってしまった。


「そんなにキレるなよ! お前の大声は耳に悪い」


 かわいそうなモイを拾い上げて落ち着かせるように撫で、悪態をつく。


『なんだか、思ったよりも図太いですよね、アナタ』


 別に俺はそれほど図太い部類の人間じゃない。俺がなぜこんなに図太くなれたかと問われれば、この天使のすることに流されていれば生きていけないという危機感のおかげと答えるだろう。ちょっと抜けてるとかではない。だいぶ抜けてる。人を導く天使にしては支障をきたすくらい抜けている。


『それで、何が欲しいんです? 世間知らずの箱入りお嬢様に教えてくれません?』

「……お前、頭ん中見えるの?」

『ええ、『ザ・上位存在』ですから』


 ゾッとして身を引く。じゃあ、俺の頭ん中はこいつに筒抜けってことか。そんでもって気に入らなかったんだな、その評価。だって、どうしたって、お前の思考回路がそういう印象なんだよ。ああ、だめだ、話がずれる。なんの話だっけ。


「とりあえず、地図くらいはくれよ。このままじゃ、人里にもたどり着けずに野垂れ死にそうだ」

『はいはい、ご所望通りに。他には?』

「あと、この世界の六法全書みたいなの」

『………』

「設定資料みたいなのも。草とか、道具とかの」

『………………』


 無理そうだ。こいつ、都合が悪いと黙るんだな。


「用意できないなら、いい」

『で、できますよ! すっごいの作りますから、ちょっと持っててください!』

 作るって……。マトモなのが出来上がる気がしないんだが。

『シツレイなことを考えないでください! 今、集中してるんです』

「考えるくらいはさせろって」

『うるさいです!』


 集中しているのか、イラついたような声が飛んできた。散々な言われようだ。俺だって傷つくんだぞ。

 それっきり声が聞こえなくなり、俺は突然、耳が痛くなるほどの静かさに襲われる。あいつ、あれでも頑張ってるのかな。………妙なものが出てきたらどうしよう。やりかねないよな、あいつ。モイを生み出しちまったぐらいなんだから。

 件のモイは、俺の膝にちょこんと乗って何かを期待するように妙にキラキラした目で俺を見上げている。何を期待しているんだろう、この生き物は。


「なんだ? ……モイ」


 俺が名前を呼ぶと、モイは目に見えて嬉しそうに俺の膝から飛び降りて祭壇から少し離れたところで『こっち!』というふうに「ニィ」と鳴いてぴょんぴょんと飛んでみせた。意外と可愛いかもしれない。


 モイについていった先には、水晶のような石で作られた部屋があった。そこに子供の背丈ほどもあるんじゃないかという大剣(両手剣っていうんだっけか?)と、妙にずっしりとした袋、そしてRPGの主人公の初期装備みたいな紫の服がと防具一式が長い時間放置されたように煤汚れた状態で置いてあった。


 磨かれて鏡のようになった水晶の壁に、顔に傷跡のある白髪の男が映っている。誰だこいつ。しばらくその、水晶の壁に映った男と見つめ合った。足にフワッとしたものを感じて見下ろすとモイが足にくっついてよじ登ってきた。流石にそのまま登らせるのはどうかと思い、手を差し出すと、モイは素直に俺の手に乗った。モイを肩にのせ、水晶の壁を見る。そこに映る男の肩にもモイと同じ形の生き物がいた。


 あ、と声を漏らす。壁に映る男もあ、という顔をした。こいつ、俺なのか。映っている『俺』はなかなかの美丈夫で、真面目そうな吊り目の中には青色の瞳がある。元の世界にいた時の俺と同じくらいの身長で、(目線の高さに違和感がないのがありがたい)しなやかながらも引き締まった体には無数の傷跡がある。その傷跡は顔にも及んでいて美丈夫がもったいない気もするが、あったらあったでなんだか色気が出ている気がする。

 ……曲がりなりにも自分の体だぞ。何を言っているんだ俺は。


『もしもし、聞こえますか〜?』


 声が聞こえてきた。あの天使の声だ。


『ワガママな相馬さんの為に、ちゃんと作ってきましたよー!』


 無視しようかな。


『ちょっと!』


 そうだった、頭ん中見えるんだったな、こいつ。やりにくい。


『……用事が済めば早々に引っ込むのでそのダダ漏れの不平不満をどうにかしてくれませんか?』

「悪い」


 流石に罪悪感を感じて、俺は極力何がきても平静を保てるように心を落ちつける。……別に俺がここまでしなくても良くないか?


『……とりあえず、説明しちゃいますね』


 天使は俺の文句に言い返すことに疲れたのか、ため息まじりにモイに指示を出したらしかった。モイが『心得た!』とでもいうように得意げに膝に乗ってきた。そして、パカッと口を大きく開ける。そのまま、何かを吐き出した。


「…………なあ」

『なんです?』

「他の方法なかったのか?」

『物体を送るのには最適な方法かと』

「そうか」


 確かにアニメとか漫画やらで、こういう感じにアイテムを転送するところを見たことがあるが、実際に見ると、生き物の口から出てきたものを触るのはかなり抵抗感がある。


『ちゃんと綺麗なのでそれぐらいは歩み寄ってくださいよ。頭硬いですね、アナタ』


 大きなお世話だよ。心の中で悪態を突き、モイが吐き出したものを拾い上げた。湿ってはいないが、生暖かい。まあ、吐き出したものだとは考えないでおこう。

 見た目は洒落た腕輪だ。金属製の腕輪で、華美なわけでもなく、それでも繊細で細かい掘り込みがある。腕輪に手を通せば、手の甲の側に真珠のように見える石がついていた。


『その石を触ってみてください』


 天使の言葉に従って石に触れると、ブォンというSFチックな音とともにタッチパネみたいなものが浮かび上がる。そこには、いわゆるスマホと同じようなアプリのようなアイコンが並んでいる。


『そこで用途に合わせてアプリを選んで、知りたいことを検索すれば、ある程度はわかるはずです。どうです? すごいでしょ』


 開いた口が塞がらない。いや、すごいことではあると思うんだが。思うんだが、なんというか、驚きすぎて言葉が出ない。まさかこんなすごいものが出てくると思わなかった。忘れていたが、ちゃんと上位存在なんだな、この天使。


『どうです? 見直しました?』

「うん」


 驚きすぎて、ガキみたいな相槌が出た。流石に決まりが悪い。


『あと、どこへ行くかですが』

「ああ、そういや、そんな話もしたな」

『とりあえず、モイちゃんにナビゲーション機能もつけましたので』

「…………」


 オレは今後一切、この天使を貶すことはできないかもしれない。つかみは未熟かもしれないが、クライアントからの願いをちゃんと汲み取って120%くらいで叶えてくれる。ちゃんと教育すれば、多分いろんな会社が欲しがるような中々にいい人材だ。(なんてこんな状況で考えてしまっているもんだから、社畜根性はオレの意識にしっかりと根付いてしまってんだろうな)


『私にできるのはこれぐらいですからね! これ以上求められてもムリですよ!』


 慌てたように天使が言うが、十分すぎるぐらいだ。チート能力は与えられないとは言われたが、確かにここまでしてくれるなら、そんなのはいらないかもしれない。


『コホン。とりあえず、お金はその袋に入っているので。行き先はモイちゃんに任せてください』


 なんとか上位存在としての威厳を保とうとしているのか、天使は言い含めるようにそう言った。


「分かった」


 俺がそう返すと、天使はホッとしたように『じゃあ、私はこれで』と言い、それっきり声が聞こえなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ディアメ英雄記 〜カプ厨はお供の二人をくっつけたい!〜 金山 海花 @minaka-kanayama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画