レンリ・クラークは不老の聖人である。祖国において知らぬ人はいない。
10年と少し振りに国に戻る。そう言うとなんだか感動とか感慨とかがありそうに聞こえるが、森の民の端くれである私にとって十年前など十分最近の範囲内である。……森の民とは今時間感覚が合わなかったんじゃないのかって?程度の問題だよ。数百年経ってもちょっと振り扱いするのが無理なだけで、私の時間感覚だって十分に人外だ。そうでなければとっくに発狂している。
しかし、その短い10年は、人間にとって子供が大人になるのに十分な時間であり、生活習慣が全くの別物になってもおかしくない時間である。さらに言えば、ブレイブにとっては物心が着いて以降の全ての時間を超える。そう考えればこの時間は人にとってとても長いものであり、だからこそ私は全盛期と比べれば、自身の存在が薄れているだろうと考えた。少なくとも、かつていた時と同じような扱いではないだろうと。
生きた象徴として称号を与えられたり、不用意に美味しいと言った屋台の食べ物が爆売れしだしたり、産まれたての赤子に名前をつけるよう頼まれたり。そんなかつての日常は、もう戻ってこないはずだった。そう考えていたからこそ、特に変装らしい変装をすることもなく、ありのままの姿で向かった。変装なんてしなくても、私の一番の特徴だった真っ白な髪の毛は、繰り返される日光浴によって青々しい緑に変わっているのだ。普通にしていて、バレる方が難しいだろう。
そう思っていたのに、いざ国に入ろうとしたら、検問で捕まった。偉大な聖人の格好は、この国において気軽にしていいものではないのだと言われ、服装を変えるように迫られる。もちろん私はそんな聖人らしい服装などした記憶がないし、そんなルールも知らない。第一、この服装だって昔から愛用している普段着である。ゆったりしていて、ものを隠せるスペースが多くて、日光確保のために不健全にならない程度に露出がある服装。感覚としては部屋着のジャージに近いものであり、それ以外の服装を持っていない私はただのズボラ人外であった。
そんな服が、偉大な聖人の衣装なわけがないだろう。そう思った私は、自分と聖人がイコールで結ばれていることをすっかり失念していたせいで、少しだけ検問官と揉めた。そして対面で言い合っていた検問官は少しするとなにかに気がついたような顔をして取調室を飛び出し、何やらかわいらしい女の子の描かれた紙を持ってくる。この世界に写真などあったかと一瞬疑ってしまうほど精巧なそれを見て、私は思わずため息をついてしまった。
「……これ、かあさん?」
心底困惑しているのがわかる、ブレイブの声。事前の会話内容から、私がクラーク王国と浅からぬ縁があることくらいは理解していても、姿描きがあるのは予想外だったらしい。ついでにいえば私としても、こんな辺境にあるとは思っていなかったので、予想外だった。首都まで行けば銅像や肖像画なんかがあるとは思っていたが、なぜこんな辺境にまであるのか。数百年過ごした中で一度も訪れることがなかった街なのに。……
隣のブレイブから困惑の眼差しを、つい先程までわからず屋を見る目で見てきた検問官からは、期待と緊張の籠った眼差しを向けられながら、自分の正体を明かす。途端にあきれ果てるブレイブと、泣き崩れる検問官。その後ろの扉からぞろぞろ流れ込む兵士?達が、同じように感動の涙を流しているのを見て、ブレイブの表情には少し怯えが混ざった。私のかわいい子を怯えさせるな。
混沌と化した取調室の中で、“お母さん実は宗教の人なの!”とヤケクソ気味に自白して、“今の状況を見ればわかるよ”と素っ気なく返されたことに泣きそうになる。直前まで怯えていた私のかわいい子は、まるでこの一瞬で思春期を迎えてしまったかのように冷たくなってしまった。……実際に思春期かどうかでいえば、とっくに思春期ではあったのだけれど、ブレイブは冷たくなるタイプの思春期ではなかったので私はショックだった。
そのまま凹んでしまいたいのを、“今ここで私が凹んだら誰が収集つけるんだ!”と気合を入れて踏みとどまり、ほかよりも一足先に混乱状態になった影響か、一番に平静を取り戻しつつあった検問官と会話して現状の把握に務める。予想外の出来事が起きたのなら、そこには想定していなかった何かがあるはずだからだ。
私が去った後のクラーク王国は、やっぱり大変だったらしい。辺境の検問官が大変だったと言うくらいだから、中央の方はもっと大変だったのだろう。“ちょっと調査してくる!”と飛び出していった国の象徴が、十年以上も戻ってこないのだ。森の民の時間感覚を知らなければ、10年がちょっとだなんて想像すらできないだろうし、王様たちは大層困ったらしい。
ひとまず国中に捜索命令を出して、国の末端に現れた時でもすぐに気が付けるように“レンリ様のお姿”を大量生産したらしい。その副産物として国の印刷技術と製紙技術は指数関数的に跳ね上がり、今では新聞まで庶民が新聞を買えるようになったのだとか。
限りなくプラスな感情に由来する事実上の指名手配に内心少し引きながら、おまけとして語られた戦争と共和制への移行準備の話を聞き流す。クラーク王国がクラーク共和国になるかもしれなかった出来事については興味があったが、そこの話を掘り下げるより先に確認すべきは、国内での私の扱いであった。
「王党反聖派が、レンリ様はお隠れになったのだと主張してはいますが、概ねの派閥はレンリ様のお帰りを待つ方針で統一されています!」
“自分はレンリ様ありてこその王政、なければ耐えて待つ共和党待機派です!”と主張する検問官さん。どうやら私が去った後のクラーク王国は、与えられた王権を維持する王党派と、直接指名された支配代行者が居ないのだから代わりにみんなで決めるべきだと考える共和党派に二分されたらしい。そこから更に、いつかの帰りを待って現状維持を目指す待機派、かつて残した言葉を真実とする懐古派、あの方は帰ってこないのだから自立するべきだと主張する反聖派等に分裂しているらしい。詳しく分ければ他にもあるらしいが主要なのはそれくらいで、そのどれもが共通して私の帰りを願っているのだと。……話さなくていいと言ったのだから内情を話すな。
争いの論点は、私が戻るまでの間どうやって国を保つかに尽きたらしい。個人的には私のことなんて気にせずに、王政でも共和制でも好きにやればいいと思うが、彼らにとって私の存在、聖人レンリ・クラークの存在はそれほど大きいものだったようだ。
ほぼ全ての国民に、自分が信じる派閥があって、その信仰をぶつけ語り合っているというのは、この世界においてはなかなかに進んだ考え方であろう。余談だが、共和派のトップは現国王とのこと。貴族なら貴族らしく、自身の権力に執着しろ。
そんなことはさておいて、大切なことは私の存在が広く知れ渡っているということ。直接面識のない一地方の検問官でも気がつけるほど、当たり前の存在として浸透しているということ。
これは、非常に良くないことだ。私にとって、都合の悪いことだ。都合だって悪いし、想定からも外れている。自分の存在が誰かの中に残る、という自己実現の意味では非常に嬉しいことではあるのだが、すこしだけ、困ったことになる。より正確に言えば、面倒なことになる。
第一に、これからの行動の全てで、変装が必要になってしまう。どうせまともに顔を覚えているのなんて国の上層だけだろうし、髪の色が異なれば気が付かれないという想定が頭から挫かれたのだから、このまま隠れて行動するには変装するしかない。変装しないで出歩こうものなら、行く先々でこんな騒ぎに巻き込まれるのだ。
第二に、元の地位に戻ろうものなら、私は自由を失うことになる。勝手にいなくなる国の象徴なんて許されるはずがないのだから、最悪軟禁されることになるだろう。……なぜ監禁ではなくて軟禁なのかって?本気で争うのなら、ストゥルの民が私に勝てるわけがないだろう。ましてや向こうにとって私は聖人だ。取り抑えようとされることはあれど、怪我をさせたり命を奪おうなんて思われながら攻撃される訳ではない。
第三に、一番どうでもいいことではあるが、バレたらファンサしなくちゃいけない。行く先々で笑顔を浮かべて言葉を交わし、感謝を伝えながら歓待を受けて、けが人たちに癒しの奇跡を施す必要がある。……何もしないでいることも出来るのだけれど、盲目的な小動物みたいな目を向けられてしまうと、どうしても期待に応えてあげたくなるのだ。冷たくあしらうことも、歓待を断ることも、怪我がどうした教会にいけと言うこともできるけれど、
……冷静に考えたら、どれも間違いなく面倒だけど、面倒なだけだな。最悪自力でどうにかできるし、多少ならいいかもしれない。そもそも私が国から逃げたのは、ブレイブの教育に良くないからでしかなく、あの生活自体にはそれほど忌避感がないのだ。
「……かあさん、この人たちのところに帰っちゃうの?」
それなら戻ってもいいんじゃないか。そう思いかけていた私の考えは、直前までつんっとしていたのに迷子の子供のような不安そうな表情になったブレイブを見て、吹き飛ぶ。私以外の庇護を知らない、私のみに存在を頼った命。それが、“捨てないで”とでも言いたげに縋り見るのだ。数百年見守っていただけの生き物たちのために自分の命を掛けれるタイプである私にとって、その姿は弱点でしかなかった。自身が一人で育てた子供には、当たり前のように愛着があった。このこのためなら頑張ろう、我慢しようと思えるくらいには、母性と呼べるものも備わっていた。
「大丈夫だよ、ブレイブ。私はいつだって君の親で、君の家族で、君の味方だ。君から離れることはないし、もし彼らの元に戻るとしたら、その時は君も一緒だよ」
その愛着は、母性は、きっと私にとって良くないものだろう。私の行動を縛って、行く先を細らせて、ともすれば私を私ではないものにしてしまうだろう。けれど、不思議とそれが嫌だとは思わなかった。このこの為ならば、多少険しい道であっても進めると思えた。そう思えることが、心地よかった。
私の言葉を受けて、ブレイブは安堵したように笑った。言葉にしただけのコミュニケーションでは、突然私が意味の通りにくい返事をしただけなのに、言葉にならない部分で通じ合えていたことが、嬉しかった。多少分化したとしても、ブレイブは私のかわいい勇者であった。
そのことは、嬉しかったのだ。間違いなく嬉しくて、幸せだった。けれどもその幸福を感じるのと同時に、自分の中のどこまでも冷静な部分が、警鐘を鳴らしているのも感じた。ブレイブのために、親離れをさせなくてはならない。ブレイブのために、子離れをしなくてはならない。だって、ただ私の想定通りに動くだけのお人形なんて、私の勇者にふさわしくないのだから。
勇者の導き手に選ばれた。拾った勇者は子供だった。 エテンジオール @jun61500002
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