絵崎エリナは、憧れに向かって歩み続ける

かたくておっきかったなと、シャワーを浴びながら絵崎エリナは、先程の感触を思い出す。

 訓練の後、極度の疲労から足がもつれ、大の字に倒れている大山サトシの上に転んでしまった時の感触が両手に残っていた。


 エリナは訓練初日にサトシを見た時から見下していた。

 訓練はほぼ全て、肌に張り付くように薄い戦闘用補助服にて行われる。体のラインがはっきり見える事もあり、どんな体型なのか丸わかりとなる。

 顎にたっぷりと肉がつき、背は曲がっており、何度も教官から叱られていた。

 お腹は大きく醜く突き出て、たった4キロのランニングすらまともにこなせず、怠惰で不摂生な生活の証拠だと分かったからだ。

 37歳にもなって定職にも就かず、こんなダラシない体で、生きていて恥ずかしくないのかとまで思った。


 そんなダラシのない男と自分が同じ職場にいて、同僚となっている事が、苛立ちを加速させ、あの軽薄なユウキと雑談している内容には、苛立ちが頂点に達した。

 この軽薄と怠惰が、あの立花ミユキにこの仕事を紹介されたというのだ。


 立花ミユキは自衛軍マニアの間では、敷島スバルや須藤アカリと並ぶ有名人だ。

 彼女がスカウト、もしくは志願させた人物は9割を超える確率で、強いギフテッドを授かるという。

 英雄の導き手とまで称される存在。

 何故、こんなのがと苛立ちが止まらなくなった。


 自分は理不尽な家から逃げる為、体格規定に達しないと知ってはいても、自衛軍採用試験を受けて不採用の通知を受け、家族に嘲笑されたのに。

 憧れた英雄たちに近づきたいと、中学生の頃からあらゆる努力を続けてきた自分は、醜い老人の愛人にあてがわれる寸前に逃げ出し、裸足で職業安定所に駆け込み、みっともなく泣き喚きながら、志願兵にならせてくださいと土下座をする羽目になったというのに。



 絵崎の家は、とある財閥の創業者一族の分家のひとつだ。代々、下請け企業をいくつか任されてはいるが、一族内の序列は下から数えた方が早い程度である。

 そんな家にエリナは生まれた。入婿である父は気弱であったが、小さな頃は優しかったような記憶がある。

 何故か分からなかったが、当主である母にはとても嫌われていた。

 姉にはいつも笑顔で優しいのに、エリナに対してはまともに話しかける事すらしてくれなかった。


 頑張っていい子になれば、きっと母は笑いかけてくれると思い、幼稚舎の頃から勉強や運動、礼儀作法をはじめとしたお稽古も頑張った。

 テストでは常に満点をとり、小柄ながら運動でも非凡な才能を発揮し、お稽古でも先生方にいつも褒めてもらえた。

 けれども、いくら頑張っても母はエリナを見てくれはしなかった。必死に話しかけて、頑張っていると言っても、面倒臭そうな顔をするだけだった。


 中学生になったエリナはようやく理解できた。

 母は自分に興味はないし、どれだけ頑張っても褒めてくれないし、笑いかけてくれないと理解できてしまった。

 空虚になったエリナを救ったのは、大々的に喧伝される自衛軍の異世界での活躍だった。

 プロパガンダの為に脚色されてはいたが、その体ひとつで、異世界からの侵攻を防ぐ英雄たちの物語に、エリナは信仰心を抱くほどに熱中した。


 いつか、この人たちみたいに異世界で活躍したいと思い、あらゆる努力をした。

 そして、その努力はエスカレーター式に上がってきた女子高の3年生の夏に、母の言葉によって打ち砕かれた。

 夏休みのとある日、エリナな部屋に入って来た母は、面倒臭そうに言葉を紡いだ。


「エリナ、貴女は『お世話係』に選ばれました。とても名誉な事ですね。卒業後に本家の別邸に行くことになりますから、絵崎の名に恥じぬよう誠心誠意お仕えしなさい」


 母からまともに話しかけられたのは、何年ぶりだったか思い出す事すら出来なかった。

 そのあまりの内容にエリナの頭は思考する事すら出来なくなる。

 『お世話係』とは、本家の別邸に棲む100歳を超えるという謎の老人の愛人になる事を意味する。


「え?どうして?なんで?」


 幼児かえりしたように、辿々しく疑問を発するエリナに、母はいつものように面倒臭そうな表情をしながら説明をした。


「貴女が3歳の頃、本家にご挨拶に行った際に、お気に入りになりました。その腰まである黒髪も、女子高で男に触れさせなかったのも、あの方のご要望です。絵崎の家の為、為すべき事を成しなさい」


 そう言って母は部屋から出て行った。


 エリナは茫然自失となっていたが、暫くして猛烈な怒りが湧いてきた。体中から吹き出すような怒りは止まる事なく沸き続けた。

 

 ふざけるな!私はあの英雄たちのように異世界に行く!国を護り、民を護り、力なき者の涙を拭う星になる!その為にこの6年、寝食を惜しんで努力してきたのだ!


 父や姉に話しても無駄だった。お家の為だからと困ったような顔をされるだけだった。

 異世界に行くには自衛軍に入るしかない。身長が152センチしかない自分は体格規定に弾かれるのは理解していた。それでも、身長が足りなくても特例があると記載されていた為、一流の望みに賭けて試験に挑んだ。


 届いた通知には、身長規定により不採用と記されていたが、学力、体力、体術全てにおいて、極めて優秀な為、4年後の採用試験に期待するとの手紙が添えられていた。

 母に見せて自衛軍に入ると主張したが、いつもの面倒臭そうな表情ではなく、嘲笑しながらエリナの目の前で手紙を引き裂いた。


「本家の力は自衛軍にも影響がある。逃げても無駄よ無駄。本当に頭の悪い子、、、これが娘だなんて信じられない、、、そのはしたない胸で誠心誠意お仕えしなさい」


 その日から、エリナには監視がついた。

 金銭は最低限しか持たされず、学校の送り迎えは家の車で行く事となり、学校では友達と思っていた子たちが監視者になった。


 絶望的な状況の中、時間だけが過ぎて行く。そして迎えた卒業式。

 家の者に無理矢理車に乗せられて、エステサロンに連れて行かれた。体中を磨かれ、趣味の悪いアンダーを付けるようにいわれ、さらにセーラー服を着せられた。

 老人のご趣味ですといわれ、全身に怖気が走り震えが止まらない。


 逃げ出さないように、靴を履かせてもらえずに車に乗せられた。

 この絶望的な状況の中、無気力を装いながらもエリナは諦めていなかった。

 最後のたったひとつの望み。

 その建物が近づき、信号待ちになった瞬間、エリナは後部座席から飛び出した。

 

 裸足で駆け出し、溢れてくる涙を堪えながら必死にその建物を目指す。

 あらかじめ、その建物の内部構造は徹底的に調べてあった。

 お嬢様!と悲鳴のような監視者の女性の声を振り切り、恐怖に涙が堪えられなくなりながらも、目的のブースに辿り着いた。


 ガラガラのブースの中には背の高い女性がいた。

 彼女は驚きながらも、優しい声で訪ねてくれた。


「お嬢さん、どうしたんだい?そんなに泣いていたら、綺麗なお顔が台無しだよ。このあたしが居るからには、何の心配もない。ゆっくりでいいから、お話をしよう」


 その優しい笑顔に、エリナは我慢していた涙が止まらなくなる。

 泣き喚きながら、私を自衛軍に入れてください!なんでもします!志願させてくださいと土下座をする。

 

 ブースに監視者の女性とボディガード2人が入ってきて、エリナを引きずり出そうと手を伸ばした瞬間、3人とも吹き飛ばされる。

 その子の保護者は絵崎ですよ!と遅れてきたもう1人の監視者が叫ぶ。


「駄目だよ。志願を宣言した子は、その瞬間から自衛軍の管轄となるんだから。何処の誰だろうと関係ないね。文句があるならいつでも来なさい。この竜胆リンカがどんな時でも、お相手してあげるよ」


 その名前に監視者たちが真っ青になり、捨て台詞すら言えずに逃げて行く。

 

 その後、エリナは足の傷の治療を受けて、竜胆と名乗った女性から説明を受けて、無事に志願する事が出来た。

 呆然としながらも、何とか頭を下げて礼を言ったエリナに竜胆は優しく笑う。


「礼を言うのは早いよ。訓練を乗り越えて、あちらに行って、生き残って、また出会えたら、その時は一緒にご飯を食べよう」


 こうしてエリナは異世界ゲートがある、人工島の訓練所にやってきた。


 シャワーを浴びながら、その時の感情を思い出していた。

 訓練の厳しさと嫉妬から、ユウキやサトシに苛立ちをぶつけていた事を、今更後悔する。

 過去はどうであれ、一生懸命努力をしている人間を見下していた。

 それはエリナが嫌悪する母と同じではないかとようやく気がつく。


 エリナの体を受け止めたサトシの体は、恐ろしくかたくおおきかった。

 よく見れば、顎の肉はなくなり、あれだけ出っぱっていたお腹は、腹筋が8つに割れていた。

 男性に触れた事がなく、混乱するエリナの腰を掴み、軽々と持ち上げて立たせた。

 努力をして体を鍛えているのだと知った。

 そんな相手を見下すのは、醜く愚かな事だと、自分が誰よりも知っていたはずなのに。


 明日からは態度を改めよう。

 努力をする人間を見下すような、醜い真似は絶対にしないと自分に誓う。

 許してくれなくとも、許してもらえるよう、公正な態度で接しようと決意する。





 5年後、異世界の有史以来、最大の大侵攻。

 デーモンをはじめ、天使や鬼といった異形の同時多発侵攻に立ち向かった中核部隊があった。


 その部隊長は何のギフテッドも授かることはなかった。

 

 奇襲に潰走する友軍を鼓舞し続け、英雄たちを指揮し護ろうとする姿は、名も無き数十万の兵の希望の灯火となる。

『屈する事なきひとつ星』と呼ばれた彼女が救った命は、後の大反攻作戦を成功に導く事となった。

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怠惰な愚者は異世界にて平穏を夢見る 〜君も異世界で英雄になろう〜 世界一可愛い人に捧ぐ @meromero3104

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