ゲボを吐き、それでも走る愚か者

サトシが母に事情を話したら酷く泣かれた。

 そんな上手い話など、ない事は当たり前のように理解したからだ。

 それでも、体に気をつけるように、生きて帰ってくるように抱きしめられた。

 歩けぬほどの足の傷は痛みが強いだろうに、痛みを一切訴えない姿に、涙がこぼれそうになるのを堪えて別れを告げた。


「いってきます」


 家の戸締りをし、猫の桃をキャリーケースにいれ、大好物のフードとオヤツを持ち、自宅から関西の主要ターミナル駅まで移動する。

 そこから電車に2時間近く乗り、和華山にある異世界転移ゲートがある人工島行き専用駅まで到着する。

 

「すごい、、、」


 関西主要ターミナル駅より、遥かに広く大きな駅に凄まじい数の人が急ぎ足に歩いている。

 よく見ると2メートルを超えるような人や、10年ほど前から芸能界やモデル界で露出が増えてきた、獣のような耳と尻尾を持つような人もいる。


 緊張しながらも、係員にカードキーを示すと専用列車に案内される。列車はわずか5分ほどで高層ビルが建ち並ぶ巨大な人工島に到着する。

 人の数に圧倒されながらも、自動運転のモノレールに乗り込み、すぐにペット用シェルターに向かった。

 事前に連絡をしていた事もあり、施設の入り口に職員が迎えに出てくれていた。軽く抱きしめるとゴロゴロと喉を鳴らし、顔を擦り付け甘えてくる。


「桃、元気で、、、宜しくお願いします」


「はい、確かに。お預かりします」


 サトシはナターシャと名乗った職員に、桃を手渡し、フードやおやつの説明をする。人見知りする子なのに、大人しく抱かれている姿に涙腺が緩む。

 この子がいなければ、とっくに心が折れていたとサトシは思う。この小さく暖かな命が自分を救ってくれたのだと思った。



 中心地から離れた、人工島の端にあるドーム状の建物が訓練施設だった。受付の職員に指示され、訓練施設横の寮の部屋に少ない荷物を置く。

 

 そして休む間もなく訓練は始まった。


「青山サキ!伊知地セイラ!宇部ジュリア!絵崎エリナ!大山サトシ!柏原ユウキ!キサマら6人には何も期待していない!」


 自衛軍の制服を着たシキシマと名乗った教官は、性別年齢もバラバラな6名の前で声を張り上げた。


「キサマらは単なる員数合わせに過ぎない!向こうでは武器を構えて立っていればいい!敵が来たら、撃ってすぐに逃げろ!逃げて、仲間に知らせる事が仕事だ!」


 並んで立っているサトシを含めた6人の顔を睨みつけながら続ける。


「キサマらが半月でやる事は1つだ!走れ!走れ!走れ!走れ!動けなくても走れ!とにかく走れ!以上だ!」


 そして、すぐに地獄の訓練が始まった。


「ヤバすぎでしょこれ〜」


 セイラが走りながらもボヤく。

 初日の訓練は、1周400メートルのトラックを10周ランニングするだけだ。


「黙って走れ、、、吐きそうだ」


 顔を歪めながらサキが答える。

 ただ、戦闘用補助服というタイトな運動着に10キロの荷物を背負い、弾丸を抜いた機関銃を持ちながらのランニングでなければ。


「クッソ!楽な仕事だと思ったのに!クッソ!」


 ユウキが何とか2人についていく。

 職安のあの美人なチャンネーに騙されたと悪態をつく。

 

 ジュリアは小さな頃から武道を、エリナはラクロスをずっとやっていたそうで、遥か先を平然と一定のリズムで走っている。


「ヒィヒィ、、、重い、、、ヒィヒィ、、、」


 そして、サトシは周回遅れで、何度もゲボを吐きながら、這いずるように足を動かしていた。

 かつて警察官採用試験に受かった事もある、サトシの運動能力はけして低くはなかった。180センチの身長と分厚い骨格は持久走に向いていないとはいえ、4キロのランニングなど、平気でこなしていた。

 しかし、それは10年以上も前の話だ。怠惰な生活をずっと送っていたサトシには、キツすぎる訓練であった。


「おじさーん!がんばれー!」


 ジュリアが平然と笑顔で抜かしていく。


「足を引っ張らないでくださいね」


軽蔑した目で睨みながら、吐き捨てるように呟くエリナにも抜かされる。


 怒りを覚えるどころか、返事をする余裕すらなくサトシは走り続ける。

 走るだけで給料がもらえ、母と桃を養える。その事だけを考え走りながら、3度目のゲボをトラックにぶちまけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る