第8話

  健一は高校受験で目指す有名な進学校を受験したが失敗した。その高校は、昔は藩校であった県立高校である。祖父の伍一郎は健一に中学浪人をさせるのは可哀相だと云って私立高校への進学を勧めた。そして、どうせ行くなら、この年から新設された高宮第一高校へ行った方が良いと云う事になったのだった。

 その理由は薬科大学に進学するための薬科コ-スを新設するとの事であったためである。祖父の伍一郎も母も健一を薬剤師にしたかったらしい。何か資格を持っていれば将来役立つだろうとの親心であったのだ。

 健一は高宮第一の薬科コ-スに入学した。高宮高校の所在地は福岡市の南区なので、バス通学となった。現在、この地区一帯は高級住宅地になっていて、土地の価格が相当高騰しているらしい。

 高宮高校側も新設課程と云う事で、教師陣も普通科とは峻別して取り組んだのである。特に理系の学科は薬科大学の講師や助教授を起用していた。

 健一の高校での三年間は、彼のこれまでの人生の中でも一番充実していた時期だった。輝いていた。

 文化部で新しく新聞部を創設して、学園長や校長からも一目置かれる存在だった。  学校以外では、新聞の発行部数を増やすために、天神の街中まで広告を取りに廻ったりもした。努力の甲斐があって、高校新聞コンクールでも最優秀賞になったこともあったのである。

 可愛いガールフレンドも出来て、楽しい学園生活を満喫していた時期だった。

 この頃、舟木一夫の(高校三年生)の歌が流行っていて、皆で良く歌ったものである。

 健一は昭和四十年の春には高宮薬科大学に入学した。ゼミは薬剤学を選んだ。

 担当教授は浜口先生だった。

 

 大学三年生から四年生に掛けて、全国で学園紛争が勃発した。単科大学である高宮薬科大学にも伝播してきた。講義のボイコットや学園封鎖など、どんどん過熱して来て、一時は講義を受けるどころではない状況になってしまった。でも、やがて闘争も沈静化して本来の大学に戻った。

 健一は薬剤師国家試験の受験に取り組んで勉強を始めた。不真面目な学生だったので、相当な努力をする必要があった。この試験に失敗したら、祖父や母、叔母たちに申し訳が立たない。そして、自分自身が一番惨めな思いをすることになる。此処だけは何としても乗り越えなければと心が焦ったのである。


 国家試験は二日間にわたって実施された。福岡県は高宮薬科大学が試験会場だったので、健一は落ち着いて受験することが出来た。一日目は学科試験で、二日目が実習試験だった。実習試験もペーパ-テストだった。彼は学科試験には自信があったのだが、実習試験が不安だった。メインの問題はしっかりと繰り返し演習した実験だったので、大丈夫だとは思うのだが一抹の不安はあった。合格発表は五月だった。やるだけのことはやったので、後は天命を待つだけだった。

 

「就職先は何処を狙っているのですか?」と就職担当の藤田教授から質問された。

「アップジョンです」

「外資系が好きなのですか?」

「それもありますけど、給与が高いからです」

 確か初任給が五万円を超えていたのである。当時の薬品会社の初任給は武田薬品工業など大手でも三万七千円~四万五、六千円が相場だった。プロパ-と呼称されていた、今で云うMRの報酬である。

 この時代は青田刈りと云って、大学三年生から就職活動が、求人側に認められていたのである。就職する学生達も三年生から活発にリクル-ト活動をやっていたのである。

 健一は、かねてから募集に応募していたアップジョンの入社試験を受けるために、三年生の夏休みに大阪までいく事になったのである。大阪駅に着いてからも、白い四階建てのビルに入居しているアップジョンの事務所を見つけるのに苦労した。なにしろ大阪は初めてなので、全く地理に不案内だった。タクシーの運転手も良く知らないと云う事だった。やっとのことで辿り着いた時には時間ギリギリであった。

 受験者は十七名居た。全員男性である。受付を済ませて、試験会場の準備室に案内された。責任者らしき中年の男性が、受験のお礼を述べて、受験要領の説明をして、試験は開始されたのである。

 筆記試験では一般常識と英語の読解力、英作文が実施された。健一はかなり苦戦した。

 昼食を挟んで、午後からは面接試験が行われた。回答者は一人づつ、女性の司会者から呼ばれて、身だしなみ、名札を確認されてから面接室に案内された。受験者は

「失礼します。何のなにがしです。よろしくお願いいたします」と大きな声で五脚ある椅子に右から順番に着席していく。五人単位であった。面接官から指名された者のみが 回答するという要領であった。健一は多分、筆記試験で落とされているだろうと思い、開き直って、結構大口を叩いたのである。

 試験が終了してから、前日のホテルの宿泊費、当日の昼食代、博多からの往復運賃を精算して貰って、十七時過ぎの列車で帰って来た。来週、就職担当の藤田教授に電話して、次に受ける会社を紹介して貰おうと思いながら、今回の不首尾を反省したのだった。

 次の週の月曜日に藤田教授に電話して、会社の紹介を依頼したら

「今、僕の所に求人に来ている会社があるがどうだろうか?」との事だった。

 社名は『グリ-ン十字』と云うのだそうで、高宮薬科の先輩も入社しているとの事であった。都合が良ければ明日にでも面接したいらしい。健一は、明日は特に用事も無いので、先方の指定した午前十時までに面接を受けに行く事にしたのである。

 グリ-ン十字の福岡支店は、福岡市渡辺通り一丁目にあった。そこで支店長と総務部長が面接をすると言う事だった。翌日、定刻通りに、福岡支店の応接室で面接が行われた。筆記試験は無かった。その代わりに性格テストを三十分程受けた。三択のアンケート的なものだった。面接ももっぱら会社の説明であった。全国にある支店やその、所在地、取り扱い薬剤の内容、福岡支店の組織、人員等の説明であった。初任給は税込みで『四万六千七百円』他に日当がプロパ-には一日、四百円つくとの事であった。また、男性社員には、日直、当直の当番がある事や、それには別に手当てが付く事など、かなり具体的に説明をしてくれた。面接時間は合計二時間くらいであった。そして、帰る間際に支店長が「多分、採用になるでしょう」と言って握手されたのである。つまりは福岡支店の要員として採用すると云うことであろうと健一は思ったのである。結果の通知は来週中に来るとの事であった。随分と呆気なかった。

 翌週になって、アップジョンからの不採用通知とグリ-ン十字からの採用通知が届いた。結果を藤田教授に報告した。

 九月になってグリ-ン十字の大阪本社から入社前の資料や、学習資料、入社時の提出書類が送られてきた。これから、定期的に月に一回、来年の入社日直前までは送付されてくるように書かれていた。

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