第7話
二学期が始まった。健一に不幸が襲ってきた。今迄なりを潜めていた喘息発作が再発したのである。精神的なストレスが蓄積されて、それが発散しきれなくなってきだしたのかもしれない。試験の前になると発症するようになってきた。これでは体力的に、集中力を極限状態に高めて行う勉強など不可能だ。それでも試験結果は、良くは無かったが、十番以内はキープしていた。健一は喘息を恨んだ。そして、自分の生い立ちを憎んだ。しかし、彼以上に悩んだのは母親であった。健一はずっと考えていた、考えて、考えて、考え抜いて結論をだしたのである。そして、その結論を母親にぶつけたのである。
「母ちゃん。俺は今の、この環境を変えたい!そうしないとダメな人間になってしまいそうだ。中学校を転校したい!」と喘息で喘ぎながら夏子に訴えたのである。
「うん。それがいいかもね」と夏子は健一の提案に賛成したのである。父の三郎も舅も姑も反対しなかった。
喘息発作が起きても、九大病院の時の治療方針に沿って、今も薬剤の服用等は一切行っていない。小児喘息は病気ではない。精神的な要因で発症しているのだ。との気構えで
転地療法と云う理由で転校を決定したのである。転校先は、父親の三郎の妹(叔母)が嫁いでいる小倉の学校に決めたのだった。小倉北区にある篠崎中学がそれである。
引っ越しは四月十日に実施した。殆ど身一つなので簡単であった。
世間は天皇家の明仁親王と美智子妃殿下とのご成婚パレ-ドで沸いていた日だった。健一はテレビの中継報道を観ながら、何故か寂しかった。叔母の旦那は西鉄の市電の運転士で、健一が厄介になる住まいは県営住宅だった。四階建ての鉄筋コンクリート造りである。同じ建物が十棟以上ある大きな団地だった。公園は三ヵ所あり、市場や商店街も歩いて十分以内の近さだった。JRの日豊本線、南小倉駅が最寄り駅である。学校までは歩いて二十分くらいであった。
健一は篠崎中学の二年十一組に編入された。この学校はマンモス校で、とにかく生徒数が多かった。全校生徒数は千人を超えていたのである。彼はその多さに圧倒された。
健一は毎日、
こうして健一の小倉での中学校生活は始まったのである。喘息発作も起こらずに毎日元気に過ごしていた。三学期になると学級委員にも選ばれた。このように順風満帆かに思われていた生活であったが、思わぬ方向から変化が起こったのである。それは、叔母が妊娠して、出産することになったのである。叔母の芳江の家には、旦那さんと、その先妻との間に女の子がおり、今年十歳で同居していたのだった。叔母は後妻として嫁いでいたのだった。
狭い県営住宅で五人での生活は無理であった。その為に、健一は転居して転校することになったのだった。彼は、田舎に帰る事は出来なかったので、母の夏子の実家に再び厄介になる事にしたのだった。
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