第6話

 健一は、この集団生活に直ぐに順応したのである。日々の日課も確実にこなして、体重も増えだした。夏休みが終わって、彼は学校に通学するようになった。

 この喘息教室では、就学児童は病院から通学させるのも治療の一環で、彼は病院から近い千代小学校に通学することになったのである。

 健一は千代小学校の六年三組に編入されることになった。担任の先生は女性で、三上みかみ先生と云う綺麗な人であった。校舎は三階建ての鉄筋コンクリート造りであった。教室は二階への階段を上がってから真ん中の教室だった。

「皆さん、今学期だけですが、深瀬 健一君がクラスメイトになります。深瀬君は今、九大病院に入院中ですが、病気を治しながら千代小学校で勉強することになりました。分らないことなどがあると思いますので、教えてあげて下さい」と朝のホ-ムル-ムの時間に黒板の前で紹介されたのだった。クラスメイトは病院から通学してくる健一に興味を持ったようである。

 一時限目の授業は算数だった。健一にとっては難しいものでは無かった。昼休みにクラス委員の井上君が校内を案内して呉れた。それで、学校のことは大体理解できた。田舎の小学校とは勝手が違って、流石さすがに都会の学校だけのことはあるなと云う感想を持った。

 ところで、後で分かったのであるが、井上君は在日韓国人だったのである。その当時、在日韓国人が福岡市の東区に多かったのかも知れない。これも後々分かったことだったが、千代小学校では、在日韓国人の子弟に放課後ハングルを教えていたようである。放課後のある日、教室で井上君とふたりで野球について話していたら、担任の三上先生が井上君を呼びに来て

 「さあ、井上君。早く行かないと授業に遅れるよ」と云うのを聞いて、「えっ、今から何の授業?」と思って、先生に訊いて分かったのである。

 この学校には複数の韓国人の生徒が在籍していたのだ。それにしても韓国人でクラス委員に選ばれるなんて凄い奴だと健一は感心したのだった。

 健一は学校に行くのが楽しかった。六年三組では、何故か健一が試験の成績ではトップだった。これには担任の三上先生も感心していた。クラスメイト達も驚いた様子だったのである。

「田舎のどんな優秀な学校やったと?」と冷やかすクラスメイトも居た。


 十月になって、最後の日曜日に健一は退院した。夏休みの初めに入院してから約三か月間の病院生活だった。その間、喘息発作は一度も起きなかったのである。健一自身も、母親を含めた家族も、これで一安心と喜びあったのである。退院後は二学期がおわるまで母親の実家がある博多区から千代小学校へ通学する事になった。

 母親の夏子の実家は冷泉町にあった。夏子の父親の中田伍一郎(健一の外祖父)は薬剤師で、櫛田神社の近くに四十数年前に薬局を開局した。店は順調に発展して、今では支店を三店舗経営している。店舗兼自宅である一号店舗の冷泉薬局から健一は路面電車の『チンチン電車』に乗って千代小学校まで通学したのである。奥の堂電停から九大病院前電停までである。

 思えば田舎者の彼にとっては大変な生活の変貌ぶりだった。外祖父の伍一郎は、市や県の薬剤師会の役員や、福岡市の衛生連合会の会長、町内会長、博多祇園山笠の総務などをしていて、店には殆ど顔を出さなかった。根っからの世話好きであった。

 二学期が終ってからは、健一は故郷の上城井小学校に帰って来た。そして、三学期のみの一学期間を終えて卒業した。四月には地元の城井中学校に入学した。中学校は自宅から十キロ以上離れた遠くにあったので、健一の部落の生徒たちは皆、バス通学だった。

 城井中学には地元にある三つの小学校の生徒が一緒になる。健一達、上城井小学校出身の生徒たちは今年の新入生の中で、誰が一学期の初めての試験である中間考査で主席を獲るかが興味を持って噂されたのだった。

 田舎のこととて、ちょっとした話題になったのである。沢田小学校のSか、上城井小学校の健一か、それとも下城井小学校のKかと三人が候補に挙がったのだった。こうなってくると健一も気にしない訳にはいかない。

 試験勉強も彼としては力を入れて努力したのだった。しかし、結果は二番だった。席次は全校生徒が通る中央廊下に張り出されたのである。

 この結果に健一は強いショックを受けたのである。しかも、二回目の試験である期末テストでも主席は取れずに二番であった。

 主席はいずれも下城井小学校のKだった。後々に聞いた話では、彼は、その後、進学した高校でも一度も主席を他人には譲らなかったそうである。

 そして、東京大学の理科三類に合格して、医者になったらしい。

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