第5話

  健一の父親の三郎は、満州から引き揚げ後、村役場に勤めだした。祖父の荒太郎は、少なくなった田畑を耕す百姓に専念したのである。一家の生活は村では比較的裕福な方だった。だが、大きな悩みが一つだけあったのである。それは、健一の喘息である。健一は深瀬家の一人息子だ。兄弟のいない一人っ子である。ひ弱な一人息子だけでは頼りない。そのことは健一自身も自覚していた。当時は今の様に喘息の治療薬も多くなく、エフェドリンの錠剤を発作時に服用するくらいであった。でも、この薬には頭痛や吐き気の副作用があった。健一は服用を嫌がった。しかも、山奥の田舎のため、近代的な治療など望むべくもなかったのである。医療施設も小学校の近くに、診療所が一つあるだけで、医者も一人しか居なかった。健一は喘息発作で学校を良く休んだ。でも、成績は良い方だったのである。母親の夏子は息子の病気が心配で、彼の将来の事を悩み続けていたのだった。そして、彼女は健一が小学六年生になった時に決断を下したのである。

 それは、小児喘息を根本から治す事であった。

 夏子が下した決断とは、九州大学病院の小児科に健一を入院させることであった。

 この病棟には、小児科医師である高城寺教授が提唱している『喘息教室』なる研究教室の入院部屋を設置していた。夏子はその情報を新聞で得ていたのだった。

「健一を九州大学病院の小児科に入院させようと考えているのですが?」と舅と姑に相談を持ち掛けたのである。

「入院させたら喘息は治るとね」二人は消極的に反応した。

「喘息の子供達を同じ部屋に入院させて、自立心を養わせることで治していく治療法で、今、研究中の段階との事です」

 舅たちは半信半疑の顔をしていたが、夏子の熱心さに根負けして、渋々承諾したのだった。

一説には、小児喘息の子供たちは、統計的に一人っ子や末っ子が多く、依頼心が強く、独立心が弱い。つまり、精神的なストレスが喘息発作の引き金になっているのではないかと言う事らしい。そのような訳で、九州大学病院の小児科の『喘息教室』には、遠く県外からの小児喘息患者も多く受け入れているとの事だった。喘息持ちの子供の親たちでは認知度が高かったのである。謂わば実験教室入院部屋だったのである。

 健一は一学期が終わり、夏休みに入ってから九州大学病院の小児科に入院したのである。

 入院当日は外来で診察を受け、身体検査と内科検診を終わらせてから、担当の看護婦さんに病棟内の喘息教室の大部屋に案内されたのだった。

「はあい、みんな、今日から仲間になるフカセ ケンイチ君です。よろしくね」と部屋に居る子供達に紹介して呉れたのである。病室には、それぞれのベッドに腰かけて九人の子供達が居た。一斉に健一を観ていた。子供たちは結構、年齢のばらつきがあった。病室の廊下側に空きベッドが一つ置かれていたが、それが健一のベッドであった。

 室内は広く、三十畳以上は有りそうだった。病室の中には、ベッドだけでなく、食事をしたり、学習したりするためであろうか、長机が三つとパイプ椅子が十脚奥に一列に並べられていた。

 翌日から健一の小児喘息教室での集団生活が始まった。

 この治療法の提案、実験に取り組んでいる小児科教授の高城寺宗則医師のところには、全国の喘息児を持つ親たちから、多くの問い合わせが殺到しているとの事であった。その為に、入院の子供達の出身地も福岡県外の者も多い。秋田県、山口県、長崎県、宮崎県、広島県など様々であった。この時は、県外の方が多かったのである。福岡県内の入院患者は健一と白石と云う小学三年生の男児の二人だった。

 小児病棟の『喘息教室』でやられていることと云えば、各喘息患児に自分自身で日課表を作成させて、それに沿っての一日の課題を与えて、出来た項目に丸印を付けさせることにほぼ尽きるのであった。そして、その項目の中には、全員に課する必須項目があったのである。それは、次の様なものであった。【】の部分が必須項目。

 朝、七時半に起床、歯磨き、洗面後の【半身裸になっての乾布摩擦】【朝食前の二キロのランニング】、【肺活量の測定】、学校への登校、夕方五時からの入浴の際の【冷水シャワ-浴び】【就寝前にその日の行動や考えたことを日記に記す】と云うものだった。それぞれの項目実施の際には必ず二、三人の看護婦が付いて指導、チエックをしたのである。

 勿論、日々の検温、脈拍、便通状態などの健康管理は正確に確実に実施されたのだった。つまり、呼吸器や皮膚を鍛えて、さらに全身の皮膚に対しては、音感、冷感に対しての順応性を高めて、抵抗力をつけさせる。そして、これらの行動を自発的に実行させることで、患児たちの甘えや依頼心を消失させる事で、自立心を養成して、独立心を持たせて喘息発作を追っ払おうと云う治療法であるらしい。仮に、発作が起こっても、処置や服薬は基本的には行わないのである。そして、主治医と親子との三者面談も週に一度定期的に実施されたのである。そして、この治療法が不思議なくらいに功を奏したのだった。健一が入院中、健一自身はもとより、他の患児で喘息発作を起した者が全く出なかったのである。多少、それらしき症状が出ても、軽微の発作で、仮に喘鳴があっても、発熱や吐き気等の他症状が無い限り、いつも通りの生活をさせて、決して、安易に投薬したり、ベッドに寝かせて休ませることはしなかったのである。発作は病気ではない。病気に逃げ込ませない様に洗脳したのである。

 高城寺教授は、毎週月曜日に大勢の医局員の医者や看護婦を従えて、病棟の総回診を実施した。『喘息教室』の患児たちは二人に一人の主治医が付いて居た。したがって、喘息教室の大部屋には、五人の主治医がついていたのである。主治医たちは自分の受け持ちの患児の近くのベッドに教授が足を止めると、緊張の面持ちで、ドイツ語を交えながら、担当看護婦と共にカルテやグラフを差し出して説明を行っていた。

 教授は子供たちに、困っていることや要望などを訊ねたりして、優しく接して呉れたのだった。

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