譲れないことは何ですか

蒼「だいぶ解けるようになってきたわね。」


七「えへへ、でしょー。」


蒼「まさか不正を?」


七「違うよ!先輩からこれって言われた参考書ずっとやってるの!」


蒼「あなたが言いつけを守って勉強するなんて。」


七「蒼先輩の言うことなら喜んで聞くもん!」


隣の席に飾ってある花は

見事に枯れる一途を辿っている。

もう後ろの方へと

持っていくこともなくなり、

隣に置きっぱなしにしているものの、

時折花に目がいっては

蒼先輩に「テスト中よ」と怒られた。


参考書を解いた後で

テストをもう一度見てみれば、

出題範囲は思っている以上に

狭いことに気づく。

高校1年生の前期から

ぎりぎり後期の範囲に

入っているかどうかだった。

その範囲の狭さに

気づけないくらい

勉強はてんで駄目だったのに、

テスト後の蒼先輩とのやり直しと

参考書の問題をひたすら解いていたら

案外できるんだってことを知ってしまった。

それが楽しくて、

今では毎度のテストの時間も

さほど苦ではなかった。


反面、蒼先輩は未だ

勉強以外の方のテストに

苦戦しているらしく、

白紙であったり特になしだったり

ということが多かった。

だが、今日の質問…

「譲れないことは何ですか」については

蒼先輩の方が書き込んでいる。


蒼「…?珍しいのね。何も書いてないなんて。」


七「迷っちゃって。」


蒼「そんなことがあるの?」


七「あるもんー!先輩は何書いたの?」


覗いてみれば、

何時にご飯だとか、

家に帰ってからのルーティンだとか、

自分の中で整えられた

生活についてのことが書かれている。


七「なんかあれだね、うーん、すごく外側…?」


蒼「外側って何の。」


七「うーんと…私ね、この問題文見た時、自分の信念とかそういう…絶対ここだけは曲げちゃだめだ!みたいなやつかと思ったの。」


蒼「ほう。それなら藍崎さんこそたくさん書けそうだけれど。」


七「…自分の信じてた正しさは絶対無くしちゃだめだって思ってたのに、本当に正しいのかわかんなくなっちゃった。」


ペン回しをするも

失敗して指から離れ机に落ちた。

乾いた衝撃音が教室に響く。


七「蒼先輩はそういう時…どうする?」


蒼「具体的でないから状況が全く理解できないけれど、正しさは多種多様よ。」


七「多種多様。」


蒼「ええ。このテストで言えば…わからなくてもとにかく書くのを正しいとする人もいれば、わからないなら書かずにいる方を正しいとする人もいる。」


七「なるほど…じゃあ、勇者は魔王を倒して世界を平和にするのを正しいと思ってて、魔王は人間を滅ぼして魔物の世界を作るのが正しい…みたいな?」


蒼「そう。世間的にはこちらの方がいい…といった最善に向かうための正義はあるけれど、それが万人に対して正しいわけではない。」


七「難しいよー。」


蒼「要するに、藍崎さんが正しいと思えばそれはきっと正しいわ。」


七「でも、古夏ちゃんのこと調べようとした時は、その正しさは違うーって言ってたじゃん。」


蒼「それは私の思う「正しい」と反していたからよ。相手が私でなければ止められていなかったかもしれないわね。」


七「…そっか…。」


蒼「それで、あなたは何も書かないままにしておくの?」


七「私は…。」


昨日のちえみねーの話では、

私が人を殺したも同然だった。

きっと立派な探偵になりたい、

それだけの気持ちだったのだと思う。

遺族の方々に対して何ができるかも、

そもそも何をすべきかも

今はまだ見通せていないけれど、

これは一生自分が背負って

悩んで受け入れるべきもので、

もう忘れちゃいけないものに変わりはない。

遺族の方々に何かを返すことはできなくても、

今は近くにいる人を幸せにしたり、

困った人を助けたりしたい。

自分と周りの人を幸せにできなきゃ、

そのもっと広い場所では

…探偵を始めたら、

力も及ばないだろうから。

叶わないだろうから。


七「……私の大切な人の笑顔を守ってたい。」


蒼「てっきり、謎は全て解き明かすとでもいうのかと思ったわ。」


七「それも思ったけど…でも、その時大切にしたい人が嫌な思いをするなら、目を瞑るのもひとつな気がしちゃった。」


蒼「好奇心で調べそうだけれど。」


七「うぐ…でも、本当に嫌なら止まるよ。古夏ちゃんの時そうしたもん。」


蒼「そう言えばそうだったわね。」


七「蒼先輩は?」


蒼「譲れないこと?」


七「そう!信念的なやつ!」


蒼「客観的な視点を常に持った上で、自分の正しさを信じるだけ。」


先輩が視線を落とす。

数学問題のテストは毎回必ず満点で、

今回も例に漏れず

丸ばかりの解答用紙だった。





***





七「よし!」


頬を叩いて気合いを入れる。

昨日のことを知って、

まだ調べ続けるか迷った。

ちえみねーの話したことが全てだろうし、

これ以上事件に関する情報が

出てくるとはあまり思えない。

園部蒼は、2015年に亡くなっている。

その理由は私が原因である。

そしたらおのずと

今生きている蒼先輩は

一体誰なのかということにしか

目が向かなくなる。


そこで昨日色々と調べた結果、

蒼先輩の住民票をもらえば

これまでに住んでいたところや

家族関係がわかるかも、と思ったのだ。

今のところ蒼先輩は

事件とは無関係のただの同姓同名の人か、

園部家の家系の誰かで、

蒼先輩として生きているという線が

あるのではないかと考えている。

前者であれば勘違いだった、でいいけれど、

後者であればその背景を想像するのは

辛いこと他ならない。

もし後者なら、蒼先輩は辛いはずだ。

周りの人が幸せになって欲しい。

それは家族はもちろん、

友達だってそう。

蒼先輩だって大切な人の1人だ。


寒空の広がる中

市役所に足を運ぶ。

思えば、急に1人で向かっていって

住民票なんてもらえるのだろうか?

他人の住民票を

ほいほい入手できちゃうはずもないような。

とにかく聞いてみれば解決するはず!

平日なのに窓口は混み合っていて、

しばらく待ってようやく番号を呼ばれた。


七「すみません、住民票が欲しくて。」


そう伝えると、自分のと勘違いされちゃって

マイナンバーや本人確認のできる物の

提出を求められてしまった。

私じゃなくて知り合いの居場所を知りたくて。

咄嗟に嘘をついたけれど、

どうやら本人からの委任状と

どちらにせよ本人確認ができるものが

必要になるらしい。

本人が、本人の家族であれば

取得できるのだとか。

どうしてもだめですか、と食い下がるも

当然のように駄目だった。


七「そう…ですか。」


そしたら蒼先輩本人を

ここに連れてくる?

警戒しないかな。

絶対するよね。

急に住民票をもらってきて、

それを見せてくださいなんて。

私だったら理由を聞く。

きっと蒼先輩もそうする。

先輩だったら納得するだけの理由がないと

承諾してくれない。

なあなあで私が困ってそうだから

なんて理由では

決して手助けしてくれない。


七「うーん…。」


蒼先輩のご家族にお願いする?

…ご家族がどこに住んでるかも

何も知らないのに?

……亡くなった蒼さんと

今生きている蒼先輩を

同一人物だと強引に決めつけて、

親御さんの元へ…。


七「ううん、それは駄目。」


私が向かうのは良くない可能性がある。

どうすればいいのだろう。

やっぱりこの方法は

無謀だったのかもしれない。

もう少し蒼先輩のことを

知ってからじゃなきゃ

この先にはもう進めない。


そう思った時だった。


七「…あれ?」


市役所を出てすぐの道、

視界の隅で見覚えのある人影が通る。

その人は私のことを見ると、

微笑んで手を上げた。

ふわふわの髪の毛…毛先を切ったのかな、

印象の変わった一叶ちゃんがいた。


一叶「こんなとこで会うなんて。奇遇だね。」


七「そうだね!」


悠里ちゃんの一件以来

会っていなかった気がする。

悠里ちゃんの過去を含め

いろいろな情報が蘇ってくるけど、

一叶ちゃんは悪くとも悪くなくとも

友達であることに変わりはない。

喧嘩がしたいわけでも

仲間割れしたいわけでもないと思うと、

すぐに笑顔になっていた。


一叶「市役所?なんか用事?」


七「うん!あ…。」


一叶「…?」


言っていいことが迷って

不意に口を噤む。

蒼先輩って本当は誰だか知りたくて

住民票をもらいにきたなんて言ったら

明らかに怪しいじゃないか!

でもこれはちゃんとした調査のためであって…

そう思うと隠すべきことでもないような…?

だけどだけど、私はいつも

何かしら言いすぎちゃうところがあるから…。

伝えるべきかそうしないべきか、

珍しいことに迷ってあたふたしていると、

一叶ちゃんはふっ、と吹き出した。


一叶「あはは、そんな困らなくても。」


七「ううー…でもー!」


一叶「少し前に、ボクのこれまでのことを悠里から聞いたよね?」


七「え?…うん。」


一叶「ボクが人でないことも、この時代に生まれたものでもないことも。」


七「……うん。」


一叶「ならこうは思わない?多少は使えるって。」


七「……え…?」


一叶「未来のことまで知っているって思わない?」


使える?

そんなふうに人を見たことがなくて

…無論、一叶ちゃんも

そういう便利な対象だとは

見たことがなかったから、

思考外の発言に驚いて彼女を見つめる。

一叶ちゃんはいたって真面目なようで、

茶化すそぶりも全くなかった。


一叶「とはいえ、今からのことを手伝うとしても半分は未来のことなんて関係ないけどね。」


七「うん…?」


一叶「さて、とにかく伝えたいのは、今、七が調べていることはボクは全部知っている。」


七「…!」


一叶「その上で、手伝って欲しいことはあるかを聞きたいんだ。」


七「……じゃあ何して欲しいかもわかるんじゃないの?」


一叶「本人の意思の確認だよ。大切でしょ?」


それはそうだ、と頷く。

一叶ちゃんは、全てを知っている。

それがハッタリだとも思わない。

手伝ってくれる。

悪い意味なのかいい意味なのか、

手伝ってもらうことで

好転するのかどうなのか。

全くわからないけれど、

話が進むかもしれないのは確かだ。


知りたい。

なら。


七「…蒼先輩の住民票が欲しい。」


一叶「わかった。…園部蒼の、で間違いないね。」


七「うん。」


一叶ちゃんはまるで子供をあやすように

優しく微笑むと、

ついてきて、と言い市役所から

遠ざかる方へと進んでいく。


七「え、待って!どこいくの!」


一叶「ここから電車で数十分のところにある市役所の方に行くの。」


七「…そうなの?なんで?ここじゃ駄目なの?」


一叶「うん。ここじゃ手に入れられないよ。」


そう言って今度こそ背を向けて歩き出す。

置いていかれないように

小走りで彼女の横へと並んだ。


電車で数十分揺られ、

見たことはあるような土地で降り、

その地区の市役所へと向かう。

また待合所で時間が経つのを待ち、

番号が呼ばれて一叶ちゃんについていく。


一叶「この人の住民票…除票の写しをお願いします。」


そう言って、見たこともない紙を

色々取り出していた。

何故一叶ちゃんがそれらを

持っていたのだろう?

待っていると、職員の方が

住民票らしい紙を持ってきた。

しかし、そこには目につく位置に

「除票」と書かれていた。

さっきも一叶ちゃんが発していた言葉だ。

その言葉は一体何を意味するのかと

疑問に思いながら、

話を終えて窓口から離れる。

人の少ない隅の方まで身を寄せ、

先ほどの除票と書かれた紙を覗いた。


七「住民票…除票って何?」


一叶「……既に亡くなられている方って意味だよ。」


七「…!」


慌ててその除票を眺む。

よく見てみれば、

亡くなった日付まで入っている。

2015年。

間違いない。

私が関わってしまった

例の事件で亡くなった女の子だ。

殺害されることもなく

そのまま生きていれば、

今の蒼先輩と一緒の年齢になるようで。


一叶「亡くなった方は住民登録がなくなる。その方々の住民票を除票と言うの。」


七「待って、私…蒼先輩の住民票って…。」


一叶「園部蒼は、1人しかいないよ。」


七「…どういう…。」


一叶「この亡くなった蒼だけが、存在していると認められている蒼。」


七「…………じゃあ…今生きてる蒼先輩は…?」


一叶「どうだと思う?」


七「…っ!知ってるなら教えてよ!」


一叶「それはここでなくてもいいと思うんだ。…色々考えてみてよ。」


七「でも、でも……!」


一叶「この住民票の写しは七に預けとく。無くさないでね。」


七「…っ。」


一叶「今日はこのお手伝いだけをしにきたんだ。…詳しい話はまた後日にしよう。」


七「待ってよ!全然納得できない!」


一叶ちゃんの袖を引っ張ろうと手を伸ばす。

けれど、華麗にかわされてしまって

その手は空を切った。

待って。

市役所の扉が開くと同時に

風が強く吹き荒み、

手元に残った住民票の写しが

危うく離れかけた。

慌てて折れ曲がらないように丁寧に

鞄の中にしまって顔を上げる頃には

一叶ちゃんの姿はなかった。


七「…。」


ちゃんと話せば教えてくれるのかな。

…それとも、全部は教えてくれないかな。

今の蒼先輩は…

先輩本人は、どこまで知っているのだろう。

自分のことなんだもん、

きっと全部知っているよね。


七「……蒼先輩は…蒼先輩じゃない。」


他の誰か…なんだ。

でも、私が知っているのは

今の蒼先輩だけ。

それ以上でも以下でもない。

蒼先輩は蒼先輩だよ。

なのに。


七「…っ。」


最初に立てていた仮説のうち後者の…

園部家の家系の誰かで、

蒼先輩として生きているのではないか。

園部家でなくとも、

もともと園部蒼ではなかった誰かが

園部蒼として生きているのではないか。


蒼先輩。

蒼先輩はこれまで

どんな気持ちで生きていたの。

どんな風に生きていたの。


大事な書類の入った鞄の紐を

強く強く握りしめた。

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