信じたいことはありますか
夢の中ではまだ蒼先輩と出会っており
テストを受け続けている。
問題は先輩のおかげもあり
2問、運が良くて3問正解する時もあった。
一時的なものできっとすぐに
忘れてしまうけれど、
蒼先輩が丸をつけてくれるから
俄然やる気が出ていた。
クリスマスイブなのに
気持ちは浮かれながらも
勉強している自分がとても偉く感じる。
自分じゃないみたいで少し
ワクワクしていた。
七「ここは…なんだっけ?」
学校も冬休みに入り、
蒼先輩から指定された問題集を
着々と進めながらも
先輩のことについて調べる日々が始まった。
昨日、蒼先輩と1番関わり深いであろう
杏ちゃんに連絡してみた。
とはいえ、中学時代の時の
蒼先輩はどんな感じだったかという
雑談に近いものだった。
杏ちゃんは話を聞いてきた理由を
知りたがってたから、
蒼先輩みたいになりたくて!というと
鼻で笑ってた。
今ここで鼻で笑い返してやる。ふんっ。
先輩は昔から今みたいな
きちんとしている人で、
人前に立つことに慣れていて、
常に凛としている人だ、なんて言ってたっけ。
そのあたりは私も同意見だった。
同じ中学校だったから
蒼先輩が生徒会長として
人前に立っていたのは見ていた。
そのかっこよさに見惚れたのが
蒼先輩に憧れたきっかけだったと
今でも良く覚えている。
部活はどうだったのと聞いても
先輩として部をまとめていたとか、
今あるイメージと逸れた話は
ひとつも出てこなかった。
逆に、動物園に行った時
生徒手帳を忘れてきたという話をすると
「蒼が!?」と驚かれたくらい。
中学時代に事故に遭ったなんて話もない。
同時に、蒼先輩の小学生時代のことは
何も知らないと言っていた。
七「それも私と同じ…。」
頭の中でぐるぐると考え事をしていると
いつの間にか手は止まっていた。
はっとして問題文を読むも
文字が滑って意味が入ってこない。
七「…あ。」
そういえば、こんなことも
言っていたっけ。
°°°°°
杏『他に気になったこと…?蒼関連でいうと…うーん…あるかな。』
七「なんでもいいから!受験のお話でもなんでも!」
杏『…あ。秋口かな、いろはと一緒に彼方を連れ戻して来た時あったじゃん?』
七「うん。」
杏『そこがさ、なくなった人たちが集まってる場所だったんだよね。』
七「亡くなった?」
杏『そう。あ、でもみんながみんな死んでるってわけじゃなくて、今も生きてはいるんだけど、もう会えない過去の状態の人もいた。』
七「難しいよ…。」
杏『頑張れ。』
七「ひどいひどい!例えちょーだい!」
杏『例えるなら…うーん、そうだね…七の周りで昔元気だったけど今落ち込んでるとか不調だとか…って人いる?』
七「お母さんかなぁ。」
杏『あー…なんかごめん。』
七「…?お母さん生きてるし、今空気のいいところで治療しててちょっと元気だよ!」
杏『そうなんだ?少し安心だね。』
七「うん!」
杏『ご病気…なのかな。そのお母様が病気になってない、過去の元気な状態でのお母様がいる、みたいな。」
七「なるほど!でも今は戻ってこないから「なくなった」って言ってるってこと?」
杏『そうそう。もう2度と会えない状態の人もいるところでさ…そういえば、そこにちっちゃい蒼がいたんだよ。それこそ小学生の頃くらいかな、正確な年齢はわからないけど。』
七「え?」
杏『でも、うちらの共通の友達の方の蒼かはわかんない。天真爛漫って感じで今と全然違ったし。』
七「その子、他に何か言ってなかった?」
杏『親御さんがコーヒー好きだから届けるんだ、とか、舞台見に行くのが好き…とか。あとはお嬢様っぽい服着てたかな。』
七「服。」
杏『うん。私服か正直わかんないけどね。』
七「小学校って制服あるの?」
杏『いいとこのお嬢様系の学校だとあるイメージなんだよね。』
七「そうなんだ!」
杏『あ、でもあくまでイメージだから。鵜呑みにしないでよ?』
七「はーい!」
°°°°°
七「……もし、記事の事件が本当で…なくなった街にいたのが蒼先輩だとするなら…。」
小学生くらいっぽい背格好。
なくなった街にいる。
それらを思えば
ぴたりと当てはまるように見えた。
けれど結局
今の蒼先輩は誰なのか
というところに行き着く。
うんうん唸っていると
唐突にインターホンが鳴った。
七「はあーい!」
てるもパパも出かけているみたいだから
ぱぱっと走って玄関まで向かう。
きんきんに冷えたドアノブを回すと、
そこには大きなキャリーケースを
横につけた女性が──。
「七ぁー!」
七「わぷっ。」
私よりもほんの少しだけ
背の高い女性が…
お姉ちゃんが抱きついてきた。
久しぶりでとても大人っぽくて
びっくりしたけど、
こうして優しくしてくれるところは
全く変わってなかった。
七「ちえみねー!」
千笑「その呼ばれ方ひっさびさー!七元気だった?」
七「うん!ものすごく元気!」
千笑「あはは、ならよし!」
七「ちえみねー、大人っぽい!」
千笑「え?あぁ、今日お化粧して来たからじゃない?」
七「大人だ、大人ー。」
千笑「なんだかんだ社会人数年目ですから。」
長い前髪を耳にかけてから
キャリーケースを引っ張って
家の中にあげる。
ちえみねーの持ってた
重たそうな鞄を持って手伝おうとすると
「お土産!」と紙袋の方を渡された。
千笑「たらいまー。」
七「今みんなお出かけだよ!」
千笑「そっかー、七は置いてかれたか。」
七「違うもん!お勉強してただけ!」
千笑「またまたご冗談を。」
七「ほんとだもーん!」
千笑「どこか部屋余ってたりしない?」
七「事務所じゃ駄目なの?」
千笑「父さんも席を外してるし大丈夫そうだけど…てるの部屋でいっか。」
七「てる怒るよー。」
千笑「いーのいーの、お姉ちゃん権限でよしとする。」
七「あれ、ちえみねーの方が年上だっけ?」
千笑「忘れられちゃあ困るなー。上だよ上。もうすぐアラサー。」
やになっちゃうよねー、と
てるの部屋にキャリーケースを投げ入れ、
キッチンに行っては
冷蔵庫から缶ビールを取り出す。
まるで使い慣れた自分の家の中のよう。
千笑「ラッキー、ビールあるじゃん。」
七「お昼間から飲んでいいの!?」
千笑「まあ、ちょっとした帰省だし?今日くらいいいんじゃない?」
ぱしゅ、と
缶ビール特有の空気の抜ける音がする。
口をつけて勢いよく缶を傾け、
良い喉越しの音を鳴らした。
ちえみねーとは大体
10歳くらい離れている。
てるもそれくらいだと
ざっくりと記憶しており、
それでいいやと思っているので、
2人のどちらが上なのか
あんまり意識したことはなかった。
こうビールを飲む姿を見ると
確かにちえみねーのほうが大人っぽい。
千笑「かーっ。これこれ。」
七「ねね、ちえみねーのお話聞きたい!」
千笑「どんとこい。七の近況も聞かせてよ。てると父さんの話もね。」
七「うん!」
それから私は冷蔵庫に入れてあった
ご飯の余り物をあたためて、
ちえみねーはお土産の他に
持って来てくれていた
ショートケーキを並べた。
昼間からお酒とケーキのある食卓は
ちえみねーが来た時にしか
見られない光景だった。
千笑「最近どう?勉強してるって言ってたけど、何の教科やってたの?」
七「数学!」
千笑「へえ!すごいじゃーん。今高1だよね?来年理系行くの?」
七「何も考えてない!」
千笑「あっはは、昔のあたし見てるみたい。」
七「ちえみねーは最近何してるの?」
千笑「基本は母さんの近くにいるけど、相変わらず営業で全国飛び回ってるよー。今度九州行ってくる。」
七「九州!?遠いよね?」
千笑「子供の時はそう思ってたけど、今じゃ案外近いもんよ。ラーメンとか海鮮丼とか食べてくるわ。」
七「いーないーなー。行きたーい。」
千笑「行こう行こう。美味しいものたんと食べて遊園地とか行こう!」
七「わーい!そういえばなんで急に帰って来てくれたの?」
千笑「最近行ってなかったなーって思ってさ。仕事も慣れて来たし、母さんの容態もだいぶ落ち着いて来たからさ。せっかくなら一泊だけしてこうかと思いつきまして。」
七「一泊?」
千笑「そー。」
七「あんなに荷物あったのに一泊!?」
千笑「中はすっかすかですー。」
七「ママはまだ来れないの?」
千笑「そうなんだよねー。やっぱりこの辺りの空気はしんどいみたい。向こうでもちょっと都市部の方に行くとつらそう。」
七「そうなんだー…。」
千笑「また七から行ってあげてよ、めっちゃ喜ぶよ!」
七「うん!すぐ行く!冬休み行く!」
千笑「もうそろそろ1人でも来れるんじゃない?年末年始はあたしもいるし、いつでもおいでよ。」
七「はーい!」
ケーキだけじゃ物足りなかったのか、
私のご飯のおかずをちょいとつまんだ。
取らないで!と怒ると
笑いながら適当に謝って
自分で冷蔵庫の中を漁りに行った。
かこ、と冷蔵庫の扉の開く音が
背から聞こえてくる。
千笑「最近てるはどう?」
七「ずっと元気!でも厳しい!鬼!」
千笑「はは、さすがあたしを反面教師にしただけあるなー。」
七「ずっと勉強してるよ、それか難しい本読んでる。」
千笑「今大学4年だっけ。」
七「わかんない、けど多分大学生!」
千笑「なら卒論とかもあっただろうねー。」
七「ソツロン?何それ?」
千笑「たーっくさん専門的なことを調べたり実験したりして、たーっくさん文章書いて提出する超激ムズテストみたいなやつ。」
七「うげぇ…そんなことやってたんだー。」
千笑「あ、でも院に行くんだっけ?」
七「イン?」
千笑「大学院。だったら受験とかもしてただろうし、国家試験とか受けるんだったら尚更勉強漬けだったろうなぁ。」
七「てる、すごい人なんだ。」
千笑「いや、実際どうなのかは知らないけどね?でも勉強続けてんだったらそうじゃない?」
七「ほへぇ…。」
千笑「よーし!労いの意を持って今日くらい酒飲ますか!」 クリスマスだしね!」
七「おー!あ、ちえみねー、クリスマスの予定はいいの?」
千笑「社会人のあたしは先週末に満喫したのでお構いなく。」
七「お酒飲んだんだ!」
千笑「せーかい!」
ちえみねーは終始適当に
返事をしてるみたいで、
けたけた笑ってはまたお酒を煽った。
それからしばらく2人で
食べたり飲んだりをしたけれど、
パパとてるは一向に帰ってこない。
話がひと段落すると、
テレビをつけて眺めながら
飲み物をちびちび飲んだ。
ちえみねーはいくつか缶を開けており、
お酒は好きだけど強くない
というやつなのか、
顔を赤くして酔っていた。
なのに、まだ飲むつもりのようで
また缶を取り出している。
七「飲み過ぎじゃないー?」
千笑「これラストっすわ。」
七「絶対ねー!」
千笑「ふあーい。」
思えばちえみねーは
昔からなんとかなる精神で
動いているような人だった。
寝坊しても走って行けば間に合うって
よく言っていた気がするし、
バイトと遊びの予定が被った時は
バイト仲間に連絡して
変わってもらってうんと遊んでたような。
けどその分自分もいつか
代わりにシフトに入ってあげたり、
みんなのやりたがらないらしい
学校の授業の代表的なものをしていたりと
釣り合いはとってるなんて
誇らしげに言ってたのを覚えてる。
当時の私からすると、
家での抜けてる部分ばかり見て来たから
おっとりとしていると思っていたけれど、
こう2人きりで話してみると
まるっきり違う印象を受けた。
千笑「最近なんか流行ってるものとかあんの?華のJKじゃん?」
七「うーん、わかんない!」
千笑「七は流行重視って感じでもないかー。」
七「うん!あ、でも気になってることがあって…。」
千笑「なになに?」
ちえみねーは興味ありげに
食卓に身を乗り出して来た。
気になっていること。
藍崎探偵事務所の事件のこと。
それから、蒼先輩のこと。
パパは教えてくれないし
てるもきっと駄目という。
けれど、もしかしたらちえみねーなら。
淡い希望を抱くと同時に
口から言葉がこぼれ落ちていた。
七「事件…2015年にここの探偵事務所で事件があったって聞いて…それが気になってね、知りたいなーって。」
千笑「あー……。」
明らかに歯切れ悪くそう言うと、
誤魔化すようにお酒に口をつけた。
千笑「父さんに聞いた?」
七「うん。今年の夏ぐらいに聞いた!でもね、もうちょっと大人になったらねーって。」
千笑「ほほー…。」
七「まだ大人じゃないから駄目だと思うから…誰にも聞けなくて。」
千笑「なるほどー…。」
七「ちえみねー、何か知らない…?」
千笑「…まあ、とても言いづらいわなー。」
七「…?」
千笑「もう少し大人になったら、ね。」
七「うん…。」
千笑「その事件のこと、なんで知りたくなったの?父さんが対応して来たものって色々あったはずだよね。」
ここでそのまんま話してもいいのだろうか?
たった今憧れていて
面倒見てもらってる先輩が
実はその事件で亡くなったらしくて…。
そんなの作り話以外のなんでもないと
思われないだろうか。
だからと言って、
ただの興味で…と言っても突っぱねられそう。
迷っているのも
印象が悪くなりそうで、
結局降って来た言葉をそのまま発する。
七「……大切な友達が関わってるのかも知れなくて。」
千笑「…友達?」
七「うん!だから友達のために…っていうか…。」
千笑「相変わらず七は嘘が下手だねー。」
ちえみねーは私の頭を
わしゃわしゃと撫でた。
強くお酒の匂いがした。
千笑「でも、何かしら隠したい理由があんのはわかったよ。」
七「…うん。」
千笑「それに、その情報を悪用するわけじゃないでしょ?」
七「それはもちろん…!」
千笑「うんうん、そっか。」
手が離れる。
癖のようにお酒に手を伸ばした。
ケーキはまだ残っていて、
くたっと倒れ込んでしまっている。
千笑「大人になったらって父さんが言ったんでしょ?」
七「うん。それまでは自分で調べるのもやめてほしいって…。」
千笑「まあ…気持ちはわからないでもないなぁ。」
七「…。」
千笑「でもさ、あたしは歳を取ったら大人になるってのはちょっと違うと思うんだよね。」
七「そうなの?」
千笑「あたしも20歳になったら大人になるって思ってる時期があったんだけど、そんなん全然嘘。気持ちは高校生のまんま。」
七「大人じゃないんだ…。」
千笑「逆にいえば早くに大人になるってこともできるわけ。んで、自分なりにその基準を見つけたんだよ。」
七「基準?」
千笑「そう。自分で自分のことを決められるって基準。」
人差し指を立てて
軽く指を振っていた。
千笑「あたしが就職先やバイト先を決めたみたいに、てるが大学や高校を決めたみたいに、七が今の高校を選んだみたいに、他の人からのアドバイスはあれど、自分で最終決定したんなら、それは大人の1歩だと思う。」
七「…うん。」
千笑「だから、七はもう大人だと思ってるよ。あたしからすればね。」
七「ほんとに!?」
千笑「でも父さんが心配するのもわかるわけ。大事な娘だしさ。…だけど、引き伸ばしすぎても後ろめたくなって話さなさそうだなとも思うんだよね。大事にしすぎて話せないってやつ。」
七「そうなの?」
千笑「溺愛してるってことよ。」
七「そっか!わーい!」
千笑「あははっ。まあ…さ。そうだね…七は本気で事件のこと聞きたい?」
七「うん。聞きたい。」
千笑「絶対絶対絶対?」
七「絶対の絶対絶対絶対ぜーったい!」
千笑「…おっけー。…でも、この話は父さんたちには内緒ね。もし今後父さんから話を聞くことがあれば、初めて聞くふりしてて。」
七「うん、わかったよ。」
千笑「あと、予め言っとくね。…七、自分のことは決して責めないこと。オーケー?」
七「…?うん!」
「本当にいいんだね?」と
ちえみねーは念を押す。
どうしてそこまで渋るのか、
やっぱり蒼先輩が生きていることには
深い謎があるんじゃないかと
一層疑念は積まれていくばかり。
ちょっぴり空気が
ぴりぴりするのを感じつつも、
ひとつ返事を返した。
ちえみねーは最後のひと缶を
思いっきり傾けて飲み干し、
酔いに任せるようにして
言葉を紡ぎ出した。
千笑「…まず、七ってその2015年の事件のこと、覚えてる?」
七「ううん。でもこの前、たまたま記事を見つけちゃって…あんまりよく読めてない…っていうか、全然詳細は書かれてなかったんだけど、人質の女の子がそのまま射殺されちゃって…って書いてあったよ。」
千笑「それだけ?」
七「私が知ってるのは…うん。」
千笑「おっけ。じゃあ最初から話すね。」
七「お願いします!」
千笑「七が小学校入りたてかな…あたしが今の七くらいの年齢だった時。当時のここ…探偵事務所はさ、偶然続け様にいい成績を残してたのね。今と変わらず人探しや不倫だの、民事寄りの方を主に担当してたんだけど、ここにお願いしたら絶対解決する、みたいな流れができちゃって。それこそ新進気鋭の探偵事務所、なんて小さい記事になるくらい。」
七「すごい!」
千笑「そんなところに、1件大きな依頼が入ったの。お金持ちのところの娘さんが、小学校からの下校中に誘拐されたって。」
七「それで人質に…?」
千笑「いいや、最初は誘拐だけだったんだ。身代金の要求もなかったんだとか。行方不明状態だね。」
七「…それでパパに相談したの?」
千笑「そう。なんでうちに?って感じだよね。警察にも連絡して捜査もしたんだけど、見つからなかったらしくてさ。そこで、最近話題な人探しは解決人の父さんが呼ばれたのかもって思ってる。」
七「…。」
千笑「んで、まさか本当に見つけちゃったんだよ。そこで身代金の要求をされたって感じ。」
七「見つけて、そのまま突っ込んじゃ駄目だったの?」
千笑「はは…依頼者の娘さんがいる時点で突っ込んだら危ないでしょ?」
七「確かに…でも身代金って…。」
千笑「お金持ちの依頼者だったって言ったでしょ?結構…こう、なんでいえばいいのかな…お金持ちの中でもお金持ち、みたいな。お金は用意できてる、いつでもいくらでも払うから娘を返せって感じだったの。」
七「…。」
千笑「んで、大金を詰めたバッグがいくつか持って…犯人の元に行ったんだよ。ここからは聞いた話だけど…。」
七「…うん。」
千笑「……お金を渡す手前…子供が1人……大人たちの足元掻い潜って犯人の元に突っ走ったらしい。」
こくり。
ちえみねーが生唾を飲む音がした。
何故か背筋が震える。
真似るように唾を呑んだ。
そして。
千笑「…………それが、七だったって。」
七「…………え…?」
まるで時間がぴたりと
呼吸を止まってしまったようだった。
息の吸い方を忘れて、
苦しくなって、
ようやく思い出して
震える息を吸う。
飛び出した子供がいた、と
掲示板にも書いてあったような。
…それが、私…?
千笑「見てないからわからないけど…「そんなことしちゃ駄目だ、すぐに離して」って…そういう感じのことを言ったらしいんだけど、犯人も…急に突っ込んでくる七に動転したのか…それとも肝が座りすぎてたのか、脅しに使ってた拳銃で依頼者の娘さんをそのまま…。」
七「…。」
そのまま。
不意に、洞窟のように広くて暗い
倉庫にいたような光景が蘇る。
大人はみんな背が高くて木のよう。
みんなが振り返る。
幹の間を掻い潜るように
大人たちの足元を走って、なかったっけ。
あれ。
あれ?
私、そんなことしたの?
人がいる。
建物の中は排気管らしいものが
あちこちに繋がってる。
ぐずぐずになったダンボールが
積み重なっているところがあった。
匂いもどこか古っぽい。
剥き出しの天井、
人気のない空間。
響く声。
声?
声、だっけ。
声、声だよ。
わーって。
目の前で…なんだっけ。
何が起こったんだっけ?
すぐに大人に抱きしめられたんだ。
後ろから、強く、強く。
顔を覆うように
知らない人の手のひらが被せられて、
目に刺さりそうで、怖くて目を閉じた。
離して、って指を噛んだ、っけ?
強い言葉で怒られた、んじゃなかったっけ。
耳の奥が痛かった。
痛い。
ずっと音が反響してるみたいで、
気づいたらサイレンの音と
名前を呼んだり声掛けしたりする声が
何重にも重なっていて。
でも、私の体も動かなくて。
誰に抱えられているのかもわからないまま
そのまま…どうしたんだっけ。
でも、いつか叩かれたことだけ覚えてる。
パパに、思いっきり頬を叩かれて、
私はそうされる理由もわからず
ただただ盛大に泣き喚いたんだ。
でもパパも辛そうで、
歯を食いしばって、手を握りしめてた。
ごめんなさいってちゃんと言ったのに
その日だけは…ううん、
その日以降、仲直りのぎゅーはなくなった。
既に探偵を目指すと決めていたんだっけ、
信頼していて憧れだったパパから
そんなことをされて
酷く傷ついたのを思い出した。
その頃ママはまだ一緒の家に住んでいて、
悲しくて悲しくてたまらなかった私の背を
優しくさすってくれたんだ。
そうだ。
そう、かも知れない。
私。
七「…………私が……殺した…?」
人を殺したのかも知れない。
私が、蒼先輩を。
憧れの、大好きな蒼先輩を。
千笑「…単に七だけのせいじゃない。ちっちゃかった七を放置してた大人たちの管理不足でもある。」
七「でも、でも私が突っ込んでなかったらその人質は…!」
千笑「わかんないよ。金をもらった上で娘さんに手をかけていたかも知れない。」
七「でもさ…っ。」
千笑「うん…無事だった未来もあったかも知れないよ。でもそれはもしもの話でしかない。そもそも父さんが居場所を特定できていなかったら、行方不明のまま亡くなって、白骨化して出て来た…なんてことになってた可能性だってあるじゃんか。」
七「……っ。」
でも。
でも、でもっ。
そんなのあんまりじゃん。
まだ続いていたかも知れない人の
…蒼先輩と思わしき人の人生は
続いていたかも知れないじゃんか。
七「……その人…本当に亡くなっちゃったの…?」
千笑「…って聞いたよ。あたしが直接ご遺体を見たわけじゃないけど、父さんの様子とか周囲のことを見るに、嘘じゃない。」
七「…。」
千笑「その後、依頼者はこのことを大事にしないでくれって感じだったらしくて…ニュースになるはずだったのにお金で揉み消したのか何なのか…結局大々的に報道はされなかった。依頼者とうちの事務所の関係もなあなあ。相手方はこちらに敵意を剥き出しにすることもなく、見つけてくれてありがとうとだけ伝えて終わりだったのかな。」
七「…何で事件のこと隠したがったの…?」
千笑「わかんないよ。でもそれだけのお嬢様がまんまと攫われたってことは、自分たちの警備の甘さを突きつけたり、学校や…もしかしたら親御さんの仕事方々に影響をもたらしたり…いろいろあったんじゃないかな。犯人もその場で取り押さえられていたし、殺人罪で何十年の刑期かそれ以上になっていたら…既に報復は済んだようなものだしね。」
七「……私が突っ込んでったの…何でとか…どうやってとか…知ってる…?」
千笑「そこまで聞かなくても」
七「知りたいの。自分がしてしまったこと、全部。」
千笑「……当時から探偵に憧れててさ、父さんの近くにずっといたの覚えてない?尾行とかしてるのに憧れてたんだろうね…そこらのタクシー捕まえて、父さんがたまたま机の上に残しちゃったファイルの住所引っ張ってここまで…みたいな感じだったとは聞いたかな。詳細は違うかも知れないけど。」
七「…じゃあ…私がもし探偵になるとか言ってなければ」
千笑「それは違うよ。」
七「…っ。」
千笑「それは違う。」
膝の上に置いた手を
ぎゅっと強く握りしめる。
でも、実際私が
探偵になりたいなんて思ってなければ。
探偵ぶって父さんの後なんて追わなければ。
何でよりにもよってその事件で。
私の様子を見かねたのか、
ちえみねーはまた頭を撫でた。
今度は眠る子供に触れるように優しかった。
千笑「だって父さん、めっちゃかっこいいじゃん。ばんばん仕事こなして成功させてさ。当時高校生ぐらいだったあたしでさえ、見ててそう思ったもん。それを小学生の七がみりゃ、そりゃあ超超かっこいいスーパーヒーローじゃん。」
七「……っ。」
千笑「探偵目指して当然だよ。」
七「…………私…。」
千笑「うん。」
七「…………このまま…探偵目指して……探偵になって…いいのかなぁ…っ。」
千笑「……それは自分で決めなよ。父さんは苦い顔するだろうけど、そんなん実績でねじ伏せちゃえ。」
七「…でも私……。」
千笑「七は人殺しでも何でもないよ。」
七「…。」
千笑「…って、あたしがどれだけ言ってても受け入れがたいよね。」
七「……うん…。」
千笑「その失敗を受け入れるのは自分が辛いし、放っておくのもきっと遺族の方々は辛いと思う。…でも、間違いなく七の人生は七のためのものだから、その亡くなった子や遺族の方々を背負って、全てを返すために生きることはしなくていい。」
七「…………私がごめんなさいを…言いに行くのは…?」
千笑「人によっては謝罪される方が嫌だって人がいるから…何とも言えないね。このまま顔を合わせずに時間が過ぎるのを待つ方がいいこともある。…そればかりはあたしもわからない。」
七「……。」
千笑「…今日は一旦寝ちゃいな。それで、また悩んだり落ち込んだり辛かったりしたら、あたしに連絡して。迷惑かなとか思わなくていいから。」
七「うん…。」
千笑「ごめんね、こんな話して。」
七「ううん。私が聞いたんだもん。」
でも、と席を立つ。
ちえみねーの手が静かに離れた。
七「ちょっとだけ、落ち着いてくる。お風呂とお散歩と…たくさん疲れてから、寝る。」
千笑「うん、そーしな。寝たら少しは頭ん中生理つくと思うから。んで、起きたらみんなでクリスマスパーティーしよ。」
七「うん。」
できるだけ明るくしようとしたのか
ちえみねーは悪戯っぽく笑った。
それに応えることができたのか
自分じゃ全くわからないけれど、
鞄に荷物を詰めて
大きな声で行ってきますを言う。
外は徐々に暗くなる中、
歩いて、歩いて、けど落ち着かなくて
気がつけば走っていた。
七「はっ…はっ…ぅー…。」
息が切れて、でも走って。
変な声が漏れた。
いつの間にか知らない道まで来て、
耳がきんと冷えてようやく足が止まる。
耳は冷たいのに頭は痛く、
冬なのに汗だくで。
疲れて、また、
変な声が細々と冬の空気を渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます