第五話

 竜王の部屋からミズチと共に客間に戻る途中、庭の池を眺める後ろ姿に見覚えを感じたアルヴィアは駆け寄った。旅装の長布こそ纏っていなかったが、間違いない。


「ねえ。あなた、私と一緒に竜域に来た方よね」


 亜人が頷くと、アルヴィアはその手を散り年相応の笑みを見せた。


「私、これから竜域で暮らすことになったの。帰りに聞こうと思っていたのだけれど、あなたのお名前は?」


 アルヴィアの問いに亜人は自分の腰の辺りを探り出したが、過日身につけていた革袋は無く途方に暮れている様子だった。 


「姫。申し訳ありませんが、その者は口が聞けません」


 生まれついてのものか、後天的なものかの説明はされなかったが、アルヴィアはそのまま受け止めた。唖者であることは友人を選ぶ際気に留めることではなかったからだ。


「法術での念話であれば行えるかと思いますが、心得はありますか?」


「いいえ」


 帝国では亜人だけで無く亜人が用いる法術も恐れの象徴として扱われている。そもそも人間で法術に対する適性を持つ者は非常に稀だった。


「であればジェスチャーですね。ご安心ください。存外眼が語るものです」


 ミズチの言葉を受け、アルヴィアは亜人の眼を見つめた。黄緑色の瞳は春の若芽を思い起こさせる瑞々しさを持っていた。


「……瞳を見ても感情は読めても名前は分からぬままでは?」


「ふはっ」


 アルヴィアの疑の浮かぶ問いに思わずといった調子でミズチが吐息と一緒に笑みをもらした。実に不敬であったが、些細なことであったのでアルヴィアは気に留めなかった。

 息を整えたミズチが緩慢な動作と共に亜人の少女の紹介をする。


「では僭越ながら自分の方から紹介を。先日帝国への使者として遣わされたハルでございます」


 紹介に合わせハルがアルヴィアに対して礼を取る。


「大抵の亜人は竜域の外での法術の扱いが不得手ですが、ハルは荒野までなら遜色なく使えるので使者に選ばれました」


 法術は大気や地中に存在する法力を用いて行使するため、馴染みの土地であるほど扱いが容易い。

 希有な特質を持つが故、ハルは年若くも使者の勤めを仰せつかったのだ。


「優秀なのですね。快適な旅でした」


 アルヴィアの赤心にハルは頬を染めた。


「珍しい。お前も照れることがあるのか」


 ミズチの言葉でハルが愛らしい顔をしかめ、中指と薬指を親指に触れ合わせて人差し指と薬指を立てた。


(キツネでしょうか)


 兄弟姉妹との交流も少なかったアルヴィアには馴染みが無いが、知識として覚えた指遊びの一種と当たりをつけた。


「勘弁しろ。……姫、お手数をおかけしますが部屋で帝国宛の手紙を書いていただいてもよろしいでしょうか」


 両者の間で決まっている符丁なのか、それ以上のやり取りは無かった。

 話題をを打ち消すかのように持ちかけられた話にアルヴィアは応じた。


「畏まりました。書き上げたものはミズチ様にお渡しすれば?」


 アルヴィアの言葉をミズチは窘めた。


「あなたはこれから竜王の妃として遇されます。どうかお使いになられる言葉も相応の自覚を」


 その言葉にアルヴィアは気を引き締めた。


「その通りですね、感謝します」


 高慢である必要は無い。だが立場として求められる振る舞いはある。

 決意を新たにアルヴィアは己を律した。






「あなたに付ける侍女を紹介します」


 アルヴィアの身の回りに関して、これまではミズチが最低限の面倒を見ていたが、竜宮に住まうなら流石にそのままというわけにはいかない。


「選定条件としては三つ。それぞれ、人に隔意のないもの、法術の扱いができるもの、竜王陛下の信のおけるものとなっております」


 アルヴィアにとっても侍女を向こうで選ばれることに異議はなかった。


(竜域に来て日の浅い私では人となりを判断することも難しい)


 帝国貴族の勢力、交友関係などを教育の一環として教え込まれたアルヴィアだが、それらがこれからの生活において役立つことはない。

 そのことに少しの寂寥を覚えながらアルヴィアはミズチの言葉を待った。


「では紹介します。――シラハナ様、タウメ。入ってくれ」


 ミズチの合図に合わせ、二人の女がアルヴィアの前で礼を取る。


「ご紹介にあずかりました。シラハナと申します。精一杯つとめさせていただきますので、どうかよろしくお願いします」


 焦げ茶の髪を肩口で切りそろえ、アルヴィアと年も変わらぬような童女然とした笑みを浮かべるのがシラハナ。


(どこか、竜王陛下に似ている)


 見た目の愛らしさとは裏腹に幼さは窺えず、泰然とした神仙じみた人物だった。


「タウメと申しまする。若輩ではありますが、どうぞよしなに」


 肉感的な肢体を惜しげもなくさらしつつ、気品を持った振る舞いを見せたのがタウメだった。

 両者共にアルヴィアには馴染みの薄い東国の意匠を持つ衣を身につけている。

 だが、それ以上に幼い皇女の目を引くものがあった。


「耳……」


 タウメの頭に生えた、白金の毛髪と同じ色を持つ獣の耳である。


「おや。姫はこの耳が気になられますか」


 言葉と共に左右の耳が互い違いに動き出す。数日前から竜宮に滞在しているアルヴィアだが、これほど獣の特徴を出した亜人に初めて出会した。


「珍しいでしょうが、触れてはなりませんよ。人によっては家族や恋人でも触らせたくないものですので」


 タウメの耳に釘付けになっているアルヴィアをミズチが諭す。


「そうですね。……私も自分の耳をじっと眺められるのは良い気がしません。失礼しました」


 非礼を詫びたアルヴィアをタウメが取りなす。


「いえいえ。知らぬことはこれからいくらでも知っていけばよろしいのです。宮の外のものならともかく、妾に遠慮は不要。亜人のことについてもお教えしまする」


 爪紅で染まった指先がアルヴィアのまだ小さな手を取り、握る。皇女よりも幾らか体温の低い、女の手だった。


「タウメは、美しいですね」


 快活で人であるアルヴィアに対しても分け隔てがない。

 貞淑を第一とし、異国のものに対する隔意を持つ帝国子女にはない魅力がアルヴィアには新鮮だった。


「ふふ。姫もたちまちに大きくなられますよ」


 微笑ましいものを見るようにシラハナが笑う。


「タウメに憧れるのなら、手本にしてみますか? 少々お転婆なところもありますが、お祖母様方の教育も良く、丁度良いかと」


「シラハナ様、さすがにこれを手本にしては……ぐあ!?」


 ミズチがシラハナを制そうとしたところで、白金の尾がミズチを部屋の端まで飛ばした。


「余計なことは言わんでよろしい♡」


「この通りお転婆ですが、元気があるのはよいことです」


 当たり所が悪かったのか、ぴくりともしないミズチを見ながら、アルヴィアは思った。


(真似できるところだけ、お手本にしましょう)


 最もアルヴィアに狐の尾はないので実践しようもなかったが。


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