第六話

「はじめにはっきりさせておきたいのだが、おれと君ではおれが愛を請う側だ」


 一定の距離を保ち、正座のまま竜王は続ける。アルヴィアも真似をして脚を折りたたもうとしたが、足の置き所に困ったため横座りをすることになった。


「だからおれは君に好きになってもらうために努力をする。手始めに見目からだ。髪の長い男についてどう思うだろうか」


 竜王の髪は長く、腰骨付近にまで伸ばされている。

 青藍の御髪(みぐし)に光が反射し、絹糸のように輝く。毛先は揃っておらず乱雑に切られていることが見て取れる有様だったが、髪そのものの輝きと竜王の面貌の麗しさであたかもこだわりを持って整えられたようにすら見える。


「殿方をそういった目で見たことがないので、分かりません」


 アルヴィアは数年もすれば顔も知らぬ男に嫁ぐ予定だった皇女である。伴侶の選り好みができる立場にはなく、嗜好を芽生えさせれば将来の夫に隔意を持つ可能性もあったのでそれらの話から遠ざけられてきた。


「ですが、竜王のお姿は美しく思います。きっとこれが好ましいということですよね?」


 光り輝くものに目を引き寄せられるような憧憬だった。決して恋ではないその小さな感情にすら竜王は救われた心地だった。


「正解は君が考えてくれ」


 この場でそれこそが好意であると教え込むのは簡単なことであったが竜王はしなかった。

 行えばアルヴィアが辿るはずだった未来をなぞることと変わりが無い。夫の許容できる部分を探し、好ましいことと思い込む。貴婦人が自らの心を守るための知啓である。

 そうさせなかったのは単純な理由だった。


(姿形も性情もおれ自身が彼女の好みに合わせた方がよっぽど健全だ)


 亜人や竜にとって人化した際の容姿は変えることが容易いものだ。変える利もそうないので弄るものは少ないが人間のように肌に刃物を入れて面相を変えたり薬液に髪の毛を浸す必要は無い。

 心についてもアルヴィアに出会うまで強い感情の発露が無かった己がこれから形作ればいい。

 合理のかたまりである竜王はそう判断を下した。


「でもきっと、短いお姿も素敵です。私の兄も髪は短くしていました」


 人でなしの思惑など知らぬアルヴィアは穏やかに答いらえる。


「では切ってみるよ。おれはどうにも自分の装いには興味が持てなくてな」


 その言葉にアルヴィアは意外そうに目を瞬かせた。


「東国風の衣装をお召しになっていますが、好んでいるわけではないのですか?」


 竜王が身に纏う青の衣は帝国の衣類のような立体的な縫製はされておらず、帯や紐で身体に沿わせて着るつくりになっている。召し替えも通常の衣類とは異なる手間がかかるため、こだわりを持って選んでいるのかと思えば違うようだった。


「この服は四千年ほど前に贈られてね。当時は帝国もなく、東国の大河の近くにある王朝が版図を広げていたんだ」


 国が興りやすい場所という物はどうしても存在する。大河の近くの肥沃な土を持つ畑地、人の通う道や港、神がかった風光で人の心を焦がす土地。歴史は繰り返し、国の興隆すらある種の定型を持つ。


「擦り切れないように法術をかけておいたから、生地が良いのもあって今でも着れるよ」


「物持ちがよろしいんですね」


 若干的を外した受け答えではあったが、竜王は番が自分の言葉に受け答えをしてくれるだけで満足を得ていた。


「帝国の装束も着てみたことがあるが、どうにも首を締め付けるのが苦手でな。無精極まってこの格好に落ち着いている」


 言葉の通り竜王の衣はだらしなさと紙一重のように襟が寛げられている。無造作に伸ばした髪もあってか全体で受ける印象はどうにも締まりのないものになる。

 最も神とも見紛う美貌がそれらの粗を打ち消してしまうのだが。


「ですがお似合いですよ。私も着てみようかしら」


 ドレスの裾をつまんだアルヴィアが立ち上がり、その場でくるりと回る。帝国から持ち込んだ衣類は限りがあったのでタウメとシラハナが早急に見立てたものだ。

 裾の膨らんだ黄色の衣装はまだあどけなさを残す皇女の愛らしさを存分に引き立てていた。


「君は姿勢が良いし、手指の先まで芯が通って美しいからきっと似合う。用意させよう」


 座したままアルヴィアを見つめ、頭の中で竜王は番に相応しい衣装を考え出す。藍色の衣は必ずとして、今着ている黄色、髪や瞳に合わせたものも用意させるべきか。

 眉間に皺を寄せ、真剣に悩む竜王にアルヴィアは問うた。


「陛下は選んでくださらないのですか?」


 アルヴィアの問いに竜王は決まり悪げに俯いた。


「……実のところ君が何を着ても愛らしいとしか思えないから、不向きだと思う。どちらがよいか聞かれてもどちらも君のものだと答えるだろう」


 市井の男のような答えにアルヴィアは笑った。


「陛下はとても真面目ですね。とても素敵です」


 番からの称揚に竜王は舞い上がる心地だった。


(真面目でいよう。それで彼女がおれを好いてくれるのなら)


 理というものを己の視座にしてきた竜王にとって、誠実であることは容易いことだ。竜は己の行動の指針を改めて定めた。


「それなら一緒に悩んでください。私も服に詳しいわけではないので、そうしてくれれば心強いですわ」


「ああ、わかった」


 ままごとのような穏やかな時間だった。けれど、竜王と妃の関係は確かにここから始まった。




 その日の夕方、再び竜王がアルヴィアを訪ねた。


「髪を切った」


 その言葉と共に竜王がその場でくるりと回る。衣の裾が動きに追従し、朝顔のように広がった。


「いっそ剃髪するかと思ったが、ミズチに止められた」


 腰まで無造作に伸ばされていた藍色の髪はすっかり短く整えられ、アルヴィアに故郷の騎士達を思い出させた。


「お似合いですよ。お顔が見やすくなりました」


 体格に差があるため、アルヴィアがつま先立ちになって下からのぞき込む。

 わずかに近付いた顔に竜王は動揺し、側髪で顔を隠そうとしたが、叶うことは無かった。


「……髪が短いと困ることもあるのだな」


 竜王は胸元を軽く数度、手のひらで叩く。

 数時間前まで髪があったはずの場所である。


「また、伸ばされますか?」


「ああ。伸びていく途中で好きな長さに見当が付いたら言ってくれ。そこで止める」


 竜域の長たる竜王のあまりの献身ぶりにアルヴィアは不安を覚え、竜王に尋ねた。


「陛下は自分の見目にこだわりはないのですか」


 着るものすら自分で決められなかったアルヴィアにも好みはある。フリルよりもレース。幅の広いリボンよりも細身のもの。原色の大人びた色よりも花のような淡い色合い。

 些細なことではあるが己を形作るアイデンティティともいえるものだ。


「ない」


 アルヴィアの疑問に竜は凪いだ金色の瞳をそのままに答えた。


「結局の本性は竜であるし、今取っている人身もこれが一番安定するからこの姿をしているに過ぎないんだ」


 本性に転ずれば青い鱗を持った高楼を超すほどの体躯を持つ巨竜となる。

 本性は人身よりも強大な力を振るえるが、宮で暮らす分には不便なので竜宮が出来てから竜王は人身をとったままだ。


「だったらおれは君が好きになれる男になりたい。幸いろくな自我など無かったのだからこれから作っていけばいい」


 昼間にも考えていた思いを竜王は番に吐露した。

 竜王は好かれ方が分からない。理由も無く番が自分を好いてくれることはないだろうと己の差し出せるものを全て差し出すことが唯一できることだった。


「……こだわりの無い男はきらいか。時間をくれれば用意できるが」


 見本さえあれば竜王は模倣ができる。こだわる物事を選定し、永遠を生き見てきた中で存在していたこだわりの強い人間の振る舞いを組み合わせれば、それらしい振る舞いを行うことは可能だ。


「無理にご用意なさらなくても大丈夫です」


 こだわりを用意するなど、アルヴィアには聞いたことが無かった。アルヴィアの故国ではむしろ、殿方の望む淑女になるため物事に執着をしすぎないための教育があったくらいだったのだから。


「私のせいで陛下が己を曲げることが無ければ、それでいいのです」


 聖者染みた言葉を貫くアルヴィアを得難く思いながら竜王は答える。


「けれどな、生きとし生けるものは変わっていくものだよ。おれも君も、きっと変わっていく。いずれ変わるなら今でもいいとおれは思う」


 竜王の言葉がアルヴィアには分からなかった。あるべき姿を定め、それに倣い生きていく。変わらぬことこそが美徳では無いのか。

 この心得が後に自身を苦しめることになるのをアルヴィアはまだ知らなかった。


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