第三話

 人界と竜域の間には深い渓谷が横たわっている。光を吸い込むように黒々とした裂け目は本能的な恐怖を感じさせ、切り立った岩肌は欠けた黒曜石のような鋭さを持ち、縄をかけて吊り橋を渡すことも困難な場所である。

 対岸までの距離は遠く、彼岸は此岸よりも高い場所にあるのが一層竜域と人界の隔絶を感じさせた。

 とはいえ険難な地形は空を行く駕籠には関係が無く、高度を保ちながら岸壁の中腹に位置する門に近付いていった。


(門の装飾も東国風。竜王陛下は東の国の文化を好むのかしら)


 朱塗りの柱。鮮やかに彩色された木彫りの動物や紋様。両開きの扉に閂はなく、駕籠が近付くにつれ自然に開いた。

 速度を落としながら駕籠は門の内側に緩やかに着陸した。使者がアルヴィアの手を取り導いた。

 待ち構えていたのは亜人の女官で、にこやかに微笑みながらアルヴィアに礼を取った。


「遠路遙々よくお越しくださいました。お部屋に案内させていただきますので、どうぞこちらに」


 挨拶と同時に女官がくるりと方向を変え、廊下を歩き出す。

 礼儀は正しいが少々強腰なようでアルヴィアはなすすべ無く客室へと向かう他なかった。




(何もかもが帝国とは違う)


 帝国は国を囲む長城こそ無いが、外周に存在する関所で手形を受け取らなければ国内の宿泊施設を用いることもできない。

 他国の貴賓を招いた際も礼節を失するほどではないが衛士による身体検査が行われる。

 にもかかわらず女官はアルヴィアに指一本も触れること無く案内を続けている。身辺検査の法術を浴びることも覚悟していたアルヴィアとしては拍子抜けだった。


(そもそも人が亜人をどうこうできるという発想が無いのかしら)


 皇帝陛下の耳に入れば激昂しそうだとアルヴィアは思った。皇族の多くは亜人を疎んでいるが、中でも皇帝は亜人への隔意が強い。


(何故、亜人をそこまで憎むのだろうか)


 アルヴィアにとって亜人は遠い隣人で、強い感情を抱くほど交わったことが無い。皇帝とて第一皇子として生まれ、目通りの役目を任じられることもなかったため亜人と関わることもなかったはずだが、彼の皇帝は西を睨む。荒野の果ての竜域が、亜人の根城が見えているかのように忌々しげな態度を隠そうともしない。歴代の皇帝としては珍しく侵略では無く内政に重きを置くだけにその様はいっそ異様だった。

 アルヴィアが思考に没頭していれば、数歩前を歩いていた女官が立ち止まり、木製の両開きの扉を開く。艶めいたマホガニーは重厚でアルヴィアでは全身を使わなければ開けないようなつくりだったが、女官は笑顔を保ったままである。


「こちらでございます。帝国の方々はこの部屋を使っていただくのが慣例です」


 こじんまりとしているが帝国風の作りが馴染み深い部屋だった。

 テーブルの上には絹貼りの帳面が置かれており、試しに捲ってみると、歴代の皇族たちの書き付けが残されていた。


「東側に窓が有りますが、安全のため嵌め殺しとなっておりますので、外の空気が吸いたいときはお申し付けください」


 部屋の説明を行う女官の敬語がいささか危ういのは竜域の外から訪れた隣国の姫を脅かさないように必死で、言葉遣いにまでは気が回っていないためだった。


「ありがとう。謁見は二日後の昼十時で良いのかしら」


 竜域では時刻を東国風に数えるが、アルヴィアは帝国のならいを崩さなかった。

 帝国が亜人に対して含むものがあれど、恭順を示すための目通りでは無いと考えていたためだ。


「合っております。それではどうぞ、その時間までおくつろぎを」


 ぎこちない礼を取りながら女官はその場を辞した。客室に残ったのはアルヴィアと使者の二人だけだ。


「滞在中も一緒にいてくださるの?」


 アルヴィアの問いの使者は首を振った。

 使者の役割は帝国皇女の安全な送迎であり、滞在中の世話は含まれていない。アルヴィアの滞在中は竜宮で他の仕事をこなすことになる。

 そのことを革袋から取り出された画帳を使って使者が説明する。


(このコミュニケーションにも慣れてきたのだけれど)


 会話で言葉を直接交わし合うスピードこそ無いが、荒野の風の中でゆるりと流れる時間がアルヴィアはことのほか好きだった。


「短い間だったけれど、楽しかったわ。帰りもよろしくね」


 触れるだけの握手を交わす。数日の滞在が終われば再び荒野での旅が始まる。

 そのことが今のアルヴィアにとっての楽しみだった。 






 竜宮は美しい場所だった。大陸中の建築様式が入り乱れ、一見すれば混沌の極みとも取れる造りをしているが、不思議と雑多な印象は受けずひとつの建物として成立している面妖な宮であった。竜域を取り囲む崖に沿うように建てられているため、宮内の昇降が多いのもアルヴィアにとっては新鮮だった。

 衛士に連れられたアルヴィアは宮の中を進んでいく。


(衛士を見失えばたちまちに迷子になってしまいそう)


 何分つくりが帝城とはかけ離れているため土地勘も働かない。アルヴィアにできることは人間の娘に不慣れで歩幅を合わせることもできない衛士から距離を離されぬよう、見苦しくない程度に歩を早めることだけだった。

 案内されたのは奥に玉座の置かれた天井の高い謁見の間と思われる場所だった。


(この部屋は帝城とつくりが似ている)


 玉座や建物の材質は違うが、アルヴィアは帰心を募らせた。

 アルヴィアはその場に跪き、顔を伏せて竜王の訪れを待った。

 静かな部屋に衣擦れの音が近付いてくる。


「面を上げよ」


 聞こえてきたのは、青年とも老人とも付かぬ声だった。

 音そのものは生の息吹を感じる瑞々しさを持ちながら、岩屋を吹きすさぶ風のような響きがアルヴィアの鼓膜を揺する。

 アルヴィアはその言葉に従い、伏せていた顔を上げ竜王に向き合った。


(この方が、竜王陛下)


 使者に見せられた写真そのままに、藍色の髪を乱雑に伸ばし、黄金の瞳を持つ竜王が玉座に座していた。

 人を神の被造物とする神話があるが、竜王は神そのものと比肩しうる美貌を持つ男だった。


(芸術家が生涯をかけて大理石を彫ろうと、この方には敵わない)


 皇族ということもあり美しい男は見馴れていたアルヴィアだが竜王の秀麗さは比べるべくもないものだった。

 不躾にならない程度に竜王を観察しようとするアルヴィアだったが、不意にその均衡が崩れた。

 竜王とアルヴィアの目が合った途端、竜王の瞳が眦を裂くように開かれる。言葉は続かず、喉を絞めたような呻きだけが満ちていく。

 背を丸め、膝をつき、脂汗が額に滲む。美しかった爪が額を、瞼を、頬を掻き毟り柘榴のような肉が剥き出しになったそばから傷が塞がる。


「がッ、ぐ……」


 水袋が破れたように流れる真赤の血を呆然と眺めることしかアルヴィアにはできなかった。

 竜王の身体を伝い、床の目地に沿って粘性を持った液体が皇女の元に流れてくる。

 衣からのぞく逞しい腕。その内から骨が隆起し、肌を食い破らんとする寸前、割り入る声があった。


「陛下!」


 褐色の肌に白砂の髪を持つ美丈夫だった。

 血に染まる謁見の間で、唯一控えていた側近が近くの布を剥いでアルヴィアを前に狂乱した竜王の姿を見せまいとしていた。


「お下がりください皇女殿下!」


 十にも満たぬ幼子に見せられるものではないと思ったのだろう。白布は血に塗れながら役割を懸命に果たしてくれていた。だがほんの一瞬、玉座から王が拉せられるその時、爪に裂かれた布から金の眼がのぞき、アルヴィアは理解した。


 逃れることはできない。


 恐怖ではなく、純然たる事実をアルヴィアは予感していた。


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