第二話
母と兄に出立前の最後の挨拶を済ませたアルヴィアは竜域の使者が待つ西門に向かった。
帝都の西は荒野が広がっていることもあり、南の正門のような活気は無い。
(陛下に人払いを頼んでいて良かった)
慣例に倣えば正門から城内の従者や国民達に見送られながらの出立だが、あまり人前に出ることの無いアルヴィアにとっては重荷に感じられた。
門をくぐり、馬車が乗り付けられる広場へと向かえば既に竜域からの使者が西を見据え佇んでいた。
(それにしても、大きいわ)
駕籠を用意されるとは聞いていたが、アルヴィアが想像したものより遙かに大きかった。大人の男よりも高さのある黒塗りの駕籠は卓や椅子を運び入れ、寛ぐくらいは余裕だろう。
数瞬、駕籠を見上げその傍らに控える使者にアルヴィアは近付いた。
「…………」
竜域からの使者は口をきかない。荒野を行く駕籠を牽くためか頭から被った砂除けの布のせいで表情すらつかめない。
あまりにもだんまりを貫くので、職務に忠実であるためか、言葉を持たぬものなのかアルヴィアには判断が付かなかった。
人の姿こそ取ってはいるが、身体に巻き付けた衣の隙間から羽がはみ出ている。鳶色と淡黄色の羽は図鑑に描かれているフクロウを思わせた。
亜人はそれぞれの本性を持つが、利便性のため平素は人型を取って生活をすることが多い。
(駕籠を牽く際には本性に転じるのかしら)
アルヴィアは使者に歩み寄り、帝国風の礼を取った。
「第七皇女、アルヴィアです。竜王陛下に拝謁できる栄誉、嬉しく思っています」
挨拶を受け取ると使者は皇女を駕籠の中に案内した。帝国では馴染みのない東国風の装飾をアルヴィアが物珍しく眺めていれば駕籠の外で鈴が鳴る。
出発の合図だ。
駕籠がゆっくりと地面を離れていく。慣れぬ感覚に身を固くするアルヴィアだったが四半刻もすれば強張りも解ける。
使者が揺れを抑えるための術を使ったのか揺れも消えた。事前に兄から「亜人は法術と呼ばれる奇怪な技を使う」と説明を受けていたがそれでもアルヴィアには不思議な感覚だった。
駕籠の隅に寄せられていた脇息を中央に寄せ、小さな身を預けた。
普段であれば所作を指導するヘルミス夫人に無作法を咎められるところだが、駕籠の中にはアルヴィアひとりである。
(これだけでもこのお役目に選ばれた甲斐があったというものね)
皇女に自由は無い。異国に嫁ぐ予定の無かったアルヴィアですら朝起きてから床につくまで自分で決められたことは何一つとしてなかった。
竹で編まれた簾をアルヴィアの小さな手であげれば、既に帝城は遙か遠くに遠ざかっていた。
羽ばたきの音が聞こえる。
気流をつかみ、駕籠は速度を増していく。恐れではなく高鳴りがアルヴィアの胸を満たしていた。
旅の順路は荒野を真っ直ぐ突っ切ることなく休息地の水辺を経由するので、真上から見れば波のような軌跡を描くことになる。
朝、昼、夕に一時間の休憩を挟むので旅慣れぬアルヴィアも不自由を感じることはなかった。
(風が乾いている)
帝都も乾いた気候をしているが、帝城は中庭に水路が引かれ乾きとは無縁だった。
元は皇帝の絶大な威光を示すため貴重な水をふんだんに使う装飾の一環だが、アルヴィアにとっては生まれたときより馴染みのある光景だった。
休憩のための水場は野生動物たちにとっての憩いの場でもあるのか水際に足跡が残されていることも目を引いた。
(爪と、肉球? こちらは蹄かしら)
帝国でも猛獣を飼い慣らし見世物にする催しはあるが、それらは貴族や豪商が足を運ぶ劇場で行われ皇族が目にすることは無い。
アルヴィアが興味深く足跡を眺めていれば、不意に影が差した。見上げれば薄紫の布が太陽を遮っていた。
「……」
使者がどこからか取り出した日傘を差し、日よけになっていたのだ。
「ありがとう」
使者は黙したまま、黄緑色の瞳でアルヴィアを見つめていた。
「ねえ、竜王様はどんなお姿をしているの?」
使者は相変わらず口をきかないが、話を振ると荷物から石版を取り出して書き付け、簡単な意思を伝えてくるようになった。
そのような調子で七日も共に過ごせば仲も深まる。
外套を外した使者はゆるく波打った髪を持つ少女の姿をしていた。偶然の一致ではあるが、髪も皇女と同じ薄桃の色彩であったことも親しみを感じさせた。
その日のアルヴィアが話題として選んだのは竜王の面貌だった。これまでは帝国に伝わる童話を聞かせていたが、七日目となればさすがにアルヴィアも知っている話が尽きてくる。
(あと一つ、あるにはあるけれど竜域の方に聞かせるような話ではないわ)
皇族が幼い頃から聞かされる、亜人への恐怖を植え付けるようなお伽話だ。救いを得ることも、宝を手にすることも無い悲しい話だが、語り口の美しさをアルヴィアは好んでいた。
皇女の言葉を受け、使者が駕籠の外にかけていた革袋――おそらくは使者の荷物――から布の包みを取り出し、アルヴィアにその中身を見せてきた。
革袋に収まっていたとは思えない立派な黒塗りの額は帝国では見かけぬ物でアルヴィアはまずその額を物珍しく眺めた。
(荒野を挟んでいるとはいえ、竜域に一番近い国は帝国なのに、何もかもが違うのね)
アルヴィアが差し出された額を受け取ると、中には茫洋たる輝きを湛えた金の瞳を持つ青年が収められていた。
(随分精巧な姿絵ね)
アルヴィアは知らなかったが、法術によって瞬間を切り取り、紙に転写した写真だった。
人界では発想があって技術が追いつくものだが、竜域では技術は既にあり、そこに発想が加えられ形になる。
玉座に座しているが頬杖をつき、目線を伏せている様はアルヴィアが想像していた姿とはかけ離れていた。
「いいの? もっと威厳のあるものを見せなければ、あなたが怒られるのではなくって?」
写真の中の青年は見目麗しく、格式高い東方の衣を纏っていたが、藍色の髪は結われることも無く無造作に伸ばされており、纏った衣も所々に皺が寄っており竜域を統べる王としてはそぐわない印象を与えてくる。
アルヴィアの言葉に使者は首を傾げた。国によっては王の風刺画を描いた絵描きが罰せられることもあり、配下が己の写真を持ち歩き人に見せることを許す竜王は寛容と言えた。
(鷹揚な君主? それとも周囲に対する関心の低さ?)
思案にふけるアルヴィアを使者が見つめる。休憩のためか頭に被っていた布を取り、ゆるいくせが付いた薄桃の髪を風になびかせている。
見た目は十五か十六の少女のようだが、亜人の寿命は長い。この使者も二百年の時を生きてきた亜人である。
「あと三日もすれば分かることね」
アルヴィアが瞳を伏せ、額を包み直す。
最後の布を被せたとき、光が反射し皇女の青の瞳に金の粒が散ったことに気付いた者はいなかった。
「ありがとう。返すわ」
アルヴィアから受け取った包みを使者が革袋に詰め直す。傍から見れば包みも革袋も変わらぬ大きさなのだが、中の物の形が分からぬほどすっきりと収まっている。
道中もこの袋から食料、獣避けの笛、水を飲むための杯などが取り出されているので見た目にそぐわぬ技術が用いられていることは確かだった。
(これも法術かしら)
摩訶不思議な旅路は出立の時からアルヴィアの胸をときめかせ続けている。
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