竜王陛下の血迷いごと

蒔田直

第一話

「兄さま、もっとお顔をかがめてください。冠が通せないわ」


「僕には似合わないから、お前がかぶりなさい。君の兄はそろそろ十四になるんだよ」


 帝城の皇族が住まう宮の近く、二人の兄妹が花冠を作りあっていた。


「せっかく兄さまの御髪に合うよう、白い花を選んで編みましたのに」


「お前の薄桃色の髪にだって似合うさ。ほら、僕の編んだ冠と一緒にかぶってごらん、お姫さま」


 花冠を二つかぶせられ、アルヴィアの小さな頭が少しだけ傾いだ。あどけない顔立ちと相まって、春の妖精のような妹の薔薇色の頬をアルヴハイムはそっと撫でた。


「ほら、やっぱり似合ってる。お前は母様に似たから、きっと帝国一番の美人になるさ」


「もう。私は姉さまたちのように、もっと凛としたお顔立ちになりたいの」


 賢さを称賛されることも多いアルヴィアだが、実の兄の前では気を張る必要もないため年相応の幼さを思う存分出していた。


「せめて兄さまや陛下と同じ黒髪ならもう少し大人びて見えたのに」


 のせられた花冠を両手で触りながらアルヴィアは唇を尖らせた。小さな手で兄のために作った冠は編み方が甘く、小花がほろりほろりと落ちてくる。


「彼女たちもきっとお前の髪をうらやましく思っているよ」


 膝に落ちてきた花をアルヴハイムは妹の髪に挿していく。皇子ながら騎士としての勤めを持つアルヴハイムにとって妹は平和の象徴だった。

 穏やかな気持ちで青空を仰ぐアルヴハイムにアルヴィアはそっと声をかけた。


「兄さま、お疲れですか? ご無理はなさらないでくださいね」


 心優しい妹を持ったことを天に感謝しながらアルヴハイムは微笑んだ。


「ありがとう。……少しだけ、兄上たちと話をしてね。滅入っていたのかもしれない」


 アルヴハイムは第五皇子ながら皇帝からの信の深い皇子だった。正妃から生まれた皇子たちよりも皇帝と似た容姿、気性を持ち、後ろ盾も確かではない生まれながら臣下にも慕われている。皇族間で行われる議においても皇帝直々に発言を促されるほどだった。

 当人としては帝位継承に興味はなく、騎士として身を立てていければそれが一番の幸いだったが、周囲の人間の邪推は止むことがない。


「いつか兄さまの御心を分かっていただきたいですね」


 アルヴィアは異母兄たちの無理解に腹を立てることは無かった。彼らには彼らの立場、思惑がありアルヴィアが推し量ることはできない。

 そのことを理解しながらアルヴィアは願わずにはいられない。誰も彼もが等しく幸福を享受できる世界を。


「いいんだ。お前さえ分かってくれるなら、兄はそれでいいよ」


 妹の祈りを得難く思いながらアルヴハイムは妹を抱えた。


「まあ兄さま。私もう九つですのよ」


「僕にとってはまだまだかわいい妹さ。母様にも見せに行こう。きっと部屋にいらっしゃる」


 どうかこの清らかな妹が心を痛める世でないように。アルヴハイムは腕の中の妹を今一度抱きしめ願った。






 アルヴィア・ルディ・シャノイアは皇女として国に益をもたらせる存在では無かった。

 母親の生家は国内の中位貴族。同盟国の王族や重鎮に嫁がせるには家格の劣る、存在感の薄い皇女だ。

 学や政で身を立てようにも半年前に九つを迎えたばかりで幼く、教師が付けられたのは二年前である。同年代の貴族子女より覚えがいいと賞賛する声もあるが、逸脱した頭脳を持ち得ているわけでもない、ごく一般的な皇女であった。

 そのため、アルヴィアは父たる皇帝から下された命にある種の昂揚を覚えた。


”竜域に赴き、竜王に目通りを済ませるように”


 帝国の西端。荒野の果ての谷の先は竜域と呼ばれている。

 その名の通り竜王が治めるこの場所は獣と精霊の形質を併せ持つ亜人と人界から移り住んできた人間が混ざり合い暮らす未知の領域だ。

 亜人は類い稀なる力を持つとされ、竜王が結界を張り人界との境界を定めなければ世の理が定まることはなかったとすら言われている。

 帝国は唯一竜域と隣り合う国だ。竜王の機嫌を損ね不興を買えばたちまちに亜人を放たれ国土を蹂躙されるというのが帝国としての見だった。

 目通りは言葉を選ばずに言えば強者たる竜王へのご機嫌伺いである。

 幼気な皇族を挨拶に向かわせ、慈悲を請う。竜王に幼子のいとけなさが通じるかは定かではないが、冷や汗をかいた老臣やむくつけき騎士を向かわせるよりは心象が良かろうとこの国が始まって以来の風習だった。

 実際、十年に一度行われる目通りの後は気候が安定し、政情も落ち着く。この風習を廃する理由がないのだ。




 出立の日はよき日和だった。抜けるような空、西へと吹く風、強すぎぬ陽光。旅立ちとしては申し分の無い好天である。

 旅装として一定の格式を保ちつつも普段身につけるドレスに比べれば極めて簡素な衣をまとい、アルヴィアは式典に臨んでいた。


(陛下の右隣に控えているのが財務大臣。その隣は軍務卿かしら。お髭が立派と聞いていたし、きっとそうね)


 彼らを親戚に持つ兄や姉らとは違い、存在感の薄い立場のアルヴィアは国政の中心人物と関わることが極めて稀だ。話に聞いていた人物像を重ね合わせ、彼らを観察し式典の退屈さを紛らわせていた。


「帝国皇女として恥じぬ振る舞いをするように」


「かしこまりました。皇帝陛下」


 アルヴィアがこの式典で前に出るのは皇帝から言葉を受け取るこの時だけだ。過去には六歳の皇子がお役目を務めたこともあるので、式典は簡略化されている。

 式が終わり皇帝が退出したのを見計らい、アルヴィアは礼を取っていち早くその場を辞した。参列していた大臣たちも式典の際の居住まいとは打って変わってよろめきながら談笑に興じている。


(昨日の酒精が残っていたのかしら)


 式典の前日には壮行会として宴が行われたが、初めての長旅を前に緊張が勝ったアルヴィアは参加する気も起きなかったため辞退した。




 帝城の奥、妃たちの住まう宮をアルヴィアは訪ねた。

 扉の両端に配された花瓶には季節の花があふれんばかりに活けられており、主の気質を示しているかのようだった。


「アルヴィア、どうか体に気を付けるのですよ」


 アルヴィアの母、ミルニアは美しさのみで帝妃に登りつめたかのような女だ。アルヴィアによく似た薄桃色の髪は緩やかに波打ち、菫を思わせる瞳は涙で濡れたように潤み、二児の母とは思えぬほどの細腰に白雪を思わせる美しい肌を持っている。山査子のように赤い唇に添えられた指先はあまりに繊細で人であることすらも疑わしい。

 気性も穏やかで麗しい花を思わせる美貌はいとも簡単に男たちの正気を奪う。十八年前、あまりにも彼女を妻にと願う男が多かったため皇帝がミルニアを娶り騒動を収めた出来事があったほどだ。


「安心なさってお母さま。ひと月もしたら戻ってまいります」


 ミルニアが女神とも見紛う面貌に不安を浮かばせるのでアルヴィアは心細さを表に出すことができなかった。


「アルヴィア、そんなことをいわないで。僕はとても寂しいから抱きしめさせてくれないかな」


 アルヴハイムは皇帝に似た切れ長の青い瞳を伏せ、アルヴィアを抱擁した。今年で十四になるアルヴハイムは第五皇子ながらその才覚で身を立てる、アルヴィアにとって尊敬できる兄だった。


「アル兄さまったら。兄さまこそ騎士の皆さまと城の外にお行きになられてばっかりなのに」


 兄の胸に顔を埋めながら、アルヴィアは少し涙を落とした。いくら理性で目通りに危険が伴わないことが分かっていても、アルヴィアは生まれてから城の外に出たことがない。帝城は広く、幼きアルヴィアには充分すぎるまでに大きな箱庭だった。


「かわいいアルヴィア。お前を亜人どもの住まう竜域に送り出すことは耐え難いが、立派に勤めを果たしてくるんだよ」


「はい。兄さま」


 アルヴィアに対しては心優しいアルヴハイムだが、皇子たちの中でも亜人への敵意は皇帝と比肩しうるほど強かった。


(私には分からない)


 兄と父が亜人を厭う理由がアルヴィアには見当もつかなかった。ただ物わかりの良いふりをして返事をするしかアルヴィアにはできなかった。


「それではお母さま、お兄さま。行ってまいります」


 最後に子供らしい朗らかな笑みを残し、アルヴィアは部屋を出た。開け放たれた窓からは風が吹き込み、アルヴィアの背を押した。

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