【アップ】2024年12月8日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

天川裕司

【アップ】2024年12月8日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=zJ9f869k8J0


【ブログ】

ブログを見て下さると、聖書や讃美歌の歌詞などもご覧になれます。

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12878799665.html


聖書

ローマの信徒への手紙 3章 19~25節


讃美歌~♬


【讃美歌全曲マラソン】讃美歌97番 待降(朝日は昇りて)

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=gc6PQdz3w54


1 朝日は昇りて 世を照らせり、

   暗きにすむ人、 きたりあおげ、

   知恵に富みたる主 世にいでたり、

   愚かなる人は きたりまなべ。


 2 力にみつる主 世にのぞめり、

   かよわき人々 きたりたのめ、

   安きを賜う主 世にくだれり、

   苦しめる人は 来たり受けよ。


 3 救いを賜う主 世に生まれぬ、

   高きも低きも きたりいわえ、

   天地(あめつち)しらす主 世にあらわる、

   よろずの物みな どよみうたえ


「さまようひとびと」讃美歌 239番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MYjEOCVKgBM


1

さまよう人々 たちかえりて

あめなる御国の 父を見よや

罪とがくやめる こころこそは

父より与うる たまものなれ

2

さまよう人々 たちかえりて

父なるみかみの みまえに行き

まことの悔いをば 言いあらわせ

世人は知らねど 知りたまえり

3

さまよう人々 たちかえりて

主イエスの御許に とくひれふせ

わが主は憐れみ み手をのべて

こぼるる涙を 拭いたまわん

4

さまよう人々 たちかえりて

十字架の上なる イエスをみよや

血潮の滴る み手をひろげ

「生命をうけよ」と まねきたもう



2024年12月8日 礼拝説教 聖書朗読箇所

ローマの信徒への手紙 3章 19~25節


3:19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。 それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。

20 なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。

21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。

22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。

23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、

24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。

25 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。



(Mynote)


二〇二四年一二月八日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「神様をどうして『私達のお父様』と呼ぶのですか。」

「先ず第一に、神様が、命を与え、私達を造られたからです。次に、キリストの血と霊を通して、神様の子として下さり、新しく生まれる事に依ってです。」

イエス様は「私は天の父と共に在るので、一人ではない」と弟子を始め全ての人に教え、イエス様は神様の一人子である事を教えて下さった。イエス様に救われる事は神様に救われる事に同じで、神様は全ての人を愛して創って下さった皆の父である事が示される。

(公同礼拝)

『ローマ人への手紙』(第三章一九〜二五節)

この箇所では律法に生きる事と、神様の義に生かされる事の違いが示される。律法と預言者とは、旧約聖書全体を指す言葉である。

神様の義と、律法とは、全く別にある。律法によっては人は自分の罪を自覚する事(知る事)しか出来ず、神様の前で義とされる事(信仰に於いて正しい人とされる事)は無いからである。罪の淵から全ての人を救うのは神様の御力、聖霊の働き、即ち信仰の力のみであり、この信仰はイエスキリストに依る贖い(罪の清め)から生まれる。旧約は律法が強さを誇り、モーセの律法など、人々はそれに絶対を見て居た。だから新しく自分達の前に現れた唯一誠の救い主・イエス様の事にも気付かず、そのイエス様を逆に蹂躙し、十字架に付けて葬ったのだ。この時もイエス様を迫害した民衆はモーセの律法を引き合いに出し、その点でイエス様の正義を断固否定した者も多かった(『イザヤ書』第五三章も参照の事。ここに在る「彼」とはイエス様の事である)。

自分達の力でトラブルを乗り越え、様々な事への挑戦をするのは良い事である。それは神様がその人達に与えた力(人間力)をフルに発揮し、その才能(賜物)を活用する事になるからだ。しかし、人間が自分の力のみに頼り、その力を与えて下さった神様の事を忘れ、その上で人の働きに出る事は傲慢に至る。だから全ての人に、常に必ず信仰が必要になる。

「自分の力で何とかする」と言う心がやがて「自分がしなければ人も場も収まらない」となり、遂には「あの人達ではそれを成し遂げられない」と自分が優位に立つ様になる。これは生来、人の中に具わる罪の業に在る。全ての人にこの罪が在り、人を裁くより先ず自分を裁き、信仰に於いて正しい在り方を神様に求めねば成らない。

パウロもこの罪に陥って居り、神様にその事を教えられ、その後、悔い改めに依り正しい道が又示された。人は何度でも躓く。しかしその躓く度に神様がその人を守られ、その人を救って下さる。

人が作り上げた律法より先ず、神様の義を求めねば成らず、それに従わねば成らない。これがイエスキリストに依り全ての人に与えられた贖いに在り、イエス様が全ての人に教えた御言葉に在る(聖書を参照の事)。イエスキリストを信じる者は全て義とされる。だから必要以上の自己嫌悪に陥る事は無い。「罪が原因で病になる」や「因果応報」等は無い。これは旧約の時にも多くの人に信じられて来た事。

神様に依りイエス様が人の間に遣わされた事に依り、全ての人はイエス様を信じる事で、無償で救われる事が約束されたのである。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MCyjy8BuIIw&t=1s


アーサーホーランド 2024.12.08  成増教会礼拝

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=vVJE-F3XCbw


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%86/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)







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