まゆだま

 お正月なのでそれらしい思い出はないかと記憶を探った。


 ちなみにこの手の古き話題はどれも、外部メモリ(日記帳、家族の記憶、アルバムなど)に頼り切っている。こうだったに違いないと思いながら筆を走らせている。


 我が家もご多分に漏れず宗教とは都合に合わせて柔軟に付き合ってきた。もちろん神棚と仏壇が同居し、世間の年中行事に踊らされてきた口である。


 私の住んでいたところでは、暑い夏休みが短くつらい行事が多い代わりに、長い冬休みは楽しいイベントが多く心待ちだった。水泳よりもスキーの方がしょうに合っていたこともある。

 まあ、お正月にもたった一つだけ嫌なことがあったが、それは本題とは関係ない。


 クリスマスの飾り付けをしまうと一気にお正月ムード。

 故郷では、まゆだま(繭玉)を飾るのが一般的だった。まゆだま飾りは、養蚕が盛んだった地域に伝わる伝統催事らしいが、私が生まれ育った地域は養蚕とは縁もゆかりもない。移住者によって持ち込まれた行事だろう。




 年の瀬が迫ると市場の前の歩道に出店が並び、しめ縄やしめ飾り(子どものころには、かどまつなるものを直に見たことがなかった)などを売る店の脇に、まゆだま飾り用のミズキ(水木)の暗赤色の枝が積み上げられていた。


 細かい枝がたくさん上向きに伸びていて、みるからに格好良い飾り木。

 道ばたに無造作に置かれた枝はどれも大きくて場所を占めるから、売るにも大変だったと思う。あれは山中から取ってくるのだろうか。きっと苦労したに違いない。


 年の瀬まで一週間足らず。その間の飾り付けに適した良縁日は限られる。当然、そのような日はどの店もごった返す。

 神棚と並べて壁に取り付けるため、180度に開いたミズキの中から格好良い物を買い求める。

 まゆだま自体は、繭でも餅でも団子でもなく、ピンポン球くらいの最中もなかの皮であり、繭とは似ても似つかない形である。


 最中の薄皮は半球状で、白色と桃色がほとんどだった。紅白の餅にちなんでいるのか、もしくは、梅を表現しているのかもしれない。

 袋にドサッと入った中に、黄、青、紫など鮮やかに着色したものが少しだけ混じっていた。

 最中の皮であるからには食べられたのかなあ。




 子どもにとって、大量にある平凡な色の中に別の色が少しだけ混じっていると妙にわくわくする。


 夏によく食したひやむぎ(冷麦)にわずか数本だけ混じっている桃色と緑色のそれと同じである。

 たぶん生姜しょうがの付け汁で食べる素麺そうめんの方がおいしくて飽きないと思うが、レアな色物が自分の器に入っているとテンションが上がったと思う。本当は素麺と区別するためらしいが、子供心をもがっつり捉える施策だと思う。


 夏の話ついでに、スリムで安い棒状スティックアイスが大量に入った袋が冷凍庫に常備されていた。

 あれも大半は平凡なミルク味の白であり、オレンジやチョコなど違う味は少し、チョコと見た目が変わらない珈琲こーひー味はレアだった。


 ちなみに霜か何か分からないが袋の中が妙に見えづらかったと思う。昔の冷蔵庫はそういうものだった。

 色物だったら当たり。さらに珈琲なら大当たり。ほのかな苦みと合わせて、チョコを引き当てたときよりも大人になった気分を味わったのかもしれない。




 話がれたが、最中の半球で小枝を挟むようにのり付けして球状にしていく。柔らかいから枝の形状太さにかかわらず好きなところに取り付けられる。

 くっ付ける色の組み合わせとか枝のどこに付けるとか結構難しい。芸術的、美的センスを問われるミッションである。


 下手をすると、色の偏りが生じたり、白か桃色のどちらかがたくさん余ったりして、バランスを欠いてしまう。初めに色ごとの個数を把握してから組み合わせを考えなければならない。

 もしかすると、この時からすでにカウント衝動が形成されていたのかもしれない。


 ひたすら何十個も接着すれば母体の完成。木の根元を壁の柱にくぎでガンガンと打ち付けて飾り木は完成。

 あとは、いろいろな飾りを適当にぶら下げていく。


 七福神とかたい達磨だるま的矢まとや、お供え餅、鶴・松・亀など縁起物が描かれた絵札に加えて、何にでも登場する短冊(家内安全、交通安全など)もあったように思う。

 サイコロや打ち出の小槌こづち、ひょっとこにおかめなど妙に立体的な物もいろいろあった。もちろん立体物も含めて全部紙製である。

 七夕のように願い札を書いたかどうかは覚えがない。


 人日じんじつ(七草)の節句を迎えると、飾りを外してまゆだまの木はおふだなどとともに神社のどんど焼きに持って行く。天高く燃え上がる火柱にあたりながら、楽しい冬休みもあと一週間余りかと寂しく思ったかどうかは定かでない。


 今住んでいるところとは全然違う風習とか意味の分からない慣習とかもあり、子どものころは何ら疑問に思わなかったことも、大人になって初めてそうだったのかと分かることなど、妙に懐かしく考えるこのごろである。 (よすが)

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