逃れられない衝動

 いつからか時々、個包装のアソート食品を買うようになった。


 例えば、一口サイズにカットして個別に真空パックされたチーズの詰め合わせなど、よく食卓に上る。

 レッドチェダー、エダム、ゴーダ、パルミジャーノ、コルビージャック、ミモレット、サムソー、グリュイエール、コンテなどいろいろな味が楽しめる。真空包装に適さないものは入っていないけれど、お手軽でそれなりにおいしい。ちなみに私はブルーチーズが苦手。


 食事の用意も調い席に着くと、おもむろに誰かが大きな袋を開封する。

 次に起こるのは……争奪戦ではない。




 テーブルに中身をざざーっと全部広げて並べ始める。種類別に。体育館に集合して前倣まえならえのごとく。


 ちなみに、この手の食品は全種類が同数入っているわけではない。

 わずか数個の中にも、短い列と長い列ができる。孤独なひとりぼっちもいたりする。

 それぞれの個数を確認する。たぶん外装の原材料欄に数は書いてある。それでも実数をカウントしてしまう。食事そっちのけで。もう、冷めちゃうよ。


 世の中には、好きなものから食べる派と好きなものは後に取っておく派がいる。

 が、この瞬間に限ってはそのどちらでもない。


 どういうわけか、数の多いものからまむ。

 寄らば大樹の陰、衆寡敵せず。そうじゃない。出るくいは打たれる。意味、違うし。

 要するに平均化の法則であり自然の摂理なのである。たぶん間違っている。




 ちょっとしたおつまみ感覚だから、さほど減らない。大事に少しずつ食し、一度に無くなることはない。

 列のでこぼこが小さくなったのを確認し、残りを集め袋に戻して冷蔵庫へ。

 しだいに縮む袋がまた取り出され、食卓に登場するたびに中身を広げて数を調べてしまう。


 もう、何が入っているか知ってるやろ?


 そうだとしても整列させての点呼からは逃れられない。

 しかも家族の誰もが同じことを遂行する。代々の厳粛な儀式のごとく定着している。


 残り一個ずつになると、確認のコールが始まる。

 これ食べていい? こっちの方が好きだっけ?

 別に、遠慮とか優柔不断とか、そういうのとは違う。何でしょうね。


 最初から好きなものを好きなだけ、よう食えばいいじゃん。


 はい、そうです。そうなのですけど、皆それは分かっているのだけれども、なぜか目で確認し合って阿吽あうんの呼吸で手に取る。ほんと、どうしてでしょうね。




 そして最後に……ひとつ残る。

 まるで計ったかのように。ぽつねんと居残り、誰かに呼ばれるのを待ち続ける。


 同じセットを購入したときには、また儀式を繰り返す。中身も個数も一緒なのに。数が合っているのを確認するためなのか、単にそうしたいだけなのか、このカウント衝動からは逃れられない。


 はたから見れば完全に無意味でおかしな行動である。ちなみに、チョコやクッキーなどの菓子からパスタソースやドライフーズの味噌汁に至るまで例外はない。とにかく全部を一度広げて残数を求めないと気が済まないたちなのである、全員が。


 そういえば、最後のひとつは大抵いつの間にか姿を消している。

 誰が食べたのかなあ。それとも知らぬ間に私が口にしたのかしら。 (よる)

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