女子高生のC級アクション

 少年は制服姿のまま、団地が立ち並ぶ一角で足を止めて溜息を付く。

 ここから先に足を踏み入れれば、またツライ時間が待っている。

 少年は胃が重くなるのを感じた。

 早く明日の朝にならないか。

 学校が好きなわけではない。むしろキライだ。

 家に遊びに行く友達も居ない。

 それでも家にいるよりは何倍もマシだ。

 だがこんな所で立ち尽くしているところをご近所に見られて、それが親の耳に入りでもしたらまた責められるだろう。

 少年はほとんど自動的に足を動かして階段を登って行った。



 玄関のドアに手をかけようとすると中が騒がしいことに気がつく。

 お客だろうか? でもそんな感じでも無さそうだし……、と中を窺うようにそっとドアを開けた。

 おじゃましまーす、というようにおそるおそる自分の家に入る。

 中には数人の男がいた。

 全員黒いスーツを着ているが、皆屈強な体つきをしている。

 半歩家の中に足を踏み入れた状態で固まっていると、

「あ、あれです。あれがもう一人の娘です。お、おい夏希。こちらの人達についていくんだ」

 というあまり聞きたくない父親――神谷 六平の声がした。

 はい? という疑問を口にする間もなく、男の一人が素早く駆け寄って少年の腕を掴み、ぐいと室内へと引っ張った。

「ちょちょちょちょっと!」

 痛いってば、という言葉は目の前の一際大きい体をした男の威圧感で飲み込んだ。

「大丈夫だ。何も心配するな。この人達の言うことを聞くんだぞ」

 どういう状況?

 何がどう大丈夫なのか全く分からなかったが、腕をしっかり掴まれている少年にはどうすることもできなかった。

 ただ母親――喜久恵は酷く怯えた様子で座り込み、六平の顔は赤く腫れている。

「というわけだお嬢ちゃん。親の許可が出た。大人しくついて来い。分かったな?」

 屈強な大男は有無を言わさない様子で凄む。

 少年はパニックになりながらも、親と男達を交互に見比べる。

 男達は冷徹に少年に注目し、両親は「うんうん」と安心しきったように頷いている。

 短い時間の中、真っ先に思いついたのは「コイツらは借金取りで、自分は借金のカタに売られようとしてる」だ。

 咄嗟の思いつきだが、とてつもなくしっくりくる状況分析だった。

 両親の目は「これで大丈夫」と語っているし、少年に断る意思はないと思っているようだった。

 だが冗談ではない。真っ平ゴメンだ。

「いやです!」

 少年はハッキリと言い放つ。

 男達は沈黙し、両親はポカンと口を開けた。

 皆しばらく固まっていたが、やがて大男は「フッ」と笑いをこぼし、六平の顔面に拳を叩き込んだ。

 そのまま二発、三発と石のような拳を叩き下ろし、肉がひしゃげるような鈍い音とカエルを潰したような呻き声、それに重ねて喜久恵の悲鳴が響き渡った。

 大男はピクピクとしか動かなくなった六平から離れて少年を上から覗き込む。

「もう一回聞こうか? 俺の言う事を聞くか?」

 少年は人相が変わってしまった六平を見て唾を飲み込む。

 そして大男を真っ直ぐ見据え、

「い、いやです」

 と気圧されながらもハッキリと言った。

 大男は一瞬怪訝な表情を浮かべたが、やがて納得したように大袈裟に頷いた。

「ああ。女に手荒な真似ができないと思ってんだな。そうかそうか」

 とゆっくりと喜久恵に近づくと、パニックを起こしたように喚き散らす。

「ちょ、ちょっとアンタ! 今まで育ててやった恩を忘れたの!?」

 恩?

 とちょっとよぎったが、確かに恩はある。そこは間違ってはいけない。

 だがその恩は借金のカタに売られる事で返すものではないはずだ。

 そう思いつつも、悲鳴と共に潰れていく顔を見て、不思議な感覚に見舞われていた。

 なんと言うか、胃の下に重くのしかかっていたものがなくなっていくような……。

 その感覚が何なのか、思い当たるものはあるのだが、さすがにそれは信じたくなかった。

 喜久恵の悲鳴が聞こえなくなると、大男は先程と同じ言葉を繰り返す。

「え? あ、いやです」

 大男は「ほう?」と意表を突かれたような、感心したような表情を浮かべる。

 ついていけばどうなるのかを考えれば、嫌に決まっている。

 しかし、このままでは両親の命が危ない。

 色々と思うところはあるとは言え、死刑にしてほしいほど憎んではいないし、つけられた痣の分にはお釣りが出るだろう。

 少年は意を決して口を開く。

「でも……」

 ん? と声をかけられた大男は動きを止めて、少年を振り向く。

 少年は、その顔にポケットから取り出した物を向けた。

「ぐわあっ!」

 至近距離から目に催涙スプレーを吹きかけられた男は退けぞってのたうち回った。

 続いて少年は腕を掴んでいる男の目にも吹き付ける。

 自由になった少年はスプレーの残りを他の男達にも向け、そのまま家を飛び出した。



 少年は制服姿のまま、暗くなり始めた街をひたすら走った。

 スカートで走りにくいのもあるが、すぐに息が切れて民家の塀に手をついて息を整える。

 今まで体育の授業も真剣にやった事は無い。

 少年よりも足の遅い女子はいただろうか。多分いない。

 すぐには追って来られないだろうが、大人の足ならばすぐに追いつくだろう。

 でも、どっちに逃げたのかが分からなければ、早々見つかるものではないと思う。

 それでも、スーツを着た男の姿が見えるたびに、とっさに物陰に隠れてしまう。

 これでは返って怪しい。

 通行人が訝しげな視線を送り、その視線に怯えてまた不審な行動を取ってしまう。

 少年は意識して平静を装うよう努めた。

 それよりもこれからどうすればいいのか。どこへ行けばいいのか。

 家には戻れそうにない。

 途方に暮れて歩いていると、後ろから走る靴音が聞こえた。

 咄嗟に身を隠すと、足音はすぐそばまでやって来る。

「こっちに制服着た女が見えたが……」

「近くを探せ」

 もう追いついてきた!?

 部屋に居たのは四、五人だが、外の車とかに仲間が潜んでいたのだろうか。

 それなら家から飛び出した所を見られていたのかもしれない。

 少年は震え出す足を叱咤して、奥へと這うように進む。

 不法侵入だがこの場合は仕方がない。緊急避難というやつだ。

 ここは工場か配送業者だろうか? 幌の付いたトラックが並んでいる。

 その間を縫って潜んでいると、男達も隙間を探しているような気配がする。

 下を見ろ、というような言葉が聞こえ、車輪に隠れるように張り付いた。

 相手は複数、男達の正確な位置が分からなくてはいつか足が見えるかもしれない。

 少年が周囲を見回すと、一台のトラックの荷台が目に留まる。

 幌がきちんと留まっていない。要するに少し剥がれている。

 周囲から男達が包囲網を狭めてきているのを感じた少年は、意を決して幌をめくる。

 その隙間に体をねじ込んで、荷台の中へと滑り込んだ。

 少年の華奢な体でも難儀したが、何とか足まで入り込んだ所で、すぐ前を男が横切る気配がした。

 いたか? いない、というようなやり取りが聞こえ心拍数が上がる。

 確かに物音がしたんだが……などが聞こえ、荷台を調べ始めないかと震える体を抱きしめるようにして抑え込んだ。

 震える体が音を立てているのではないか? という恐怖もあるが、もう心臓の音が相手に聞こえるのではないかと思うほどに脈打っている。

 心を無にして身を固くしていると、男達の気配が遠ざかっていくのを感じた。

 息を吐き、同時にどっと疲れが襲ってくる。

 すぐに動いては危険だろう。しばらくじっとしていよう……、と思うと途端に力が抜けていく。

 荷代の中は荷物が積み込まれていて狭いが、横たわることはできる。

 硬い板の上で体が痛んだが、少年の意識はそのまま深い眠りに落ちていった。

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