クライム・ジェンダー

九里方 兼人

プロローグ

 少年は自分のことを「ボク」と言う。

 ここで言う「ボク」とは、もちろん少年が自身のことを指す時の言葉だ。

 では少年の性別は男なのか、と問われればそれは違う。

 染色体はXXで、生物学的には間違いなく女性だ。

 でも少年は自分のことを「ボク」と呼び、周りの人からも「少年」と呼ばれることもある。

 ちなみに「少年」というのは、年若いという意味であって男という意味は含まれない。

 少女という言葉があるから誤解されがちだが、言葉自体に男女は含まれていないのだ。

 でも男に性的魅力を感じるのかと問われたら、それもちょっと分からないと少年は思っている。

 かと言って女の子が対象かと問われればそれも違う。確かに可愛い女の子は好きだが、性の対象として見たことはない。

 性自認はどうなのかと問われれば「女性」だと答えるが、同時に頭の隅に疑問も過ぎる。

 はたして、本当にそうだろうか? と。

 可愛いと言ってくれる大人はいるが、少年自身はそう思ったことはないし、同年代の子達からは容姿を貶されることの方が多かった。

 女の子的な趣味も持っていないし、お洒落とも無縁。

 二つ上の姉からのお下がりを与えられていただけで、自分に似合う服など買ってもらったことはない。

 姉は少年と違い、誰が見ても美少女で、お淑やかで気品がある。

 そんな姉のお下がりなど似合うはずもなく、いつしか着る物を気にしなくなった。

 何をどう着ても言われることが同じなら、創意工夫する時間が無駄だと思った。

 髪を伸ばしているのも、女の子らしく見せたいのではなく、美容室にもろくに連れて行ってもらえないからだ。

 周りから、ネグレクトを疑われない程度の世話。

 一般的には毒親と言っていい両親の下で女の子らしく育つはずもなく、かと言って外を走り回るくらい男勝りかと言えばそうでもない。

 あまり家に帰らないのは親と顔を合わせたくないからで、やっていることと言えばネットカフェでオンラインゲーム。

 自他共に認める典型的な陰キャ。

 それでも高校までは通わせてもらっているのだから、そこは親に感謝するべきなのかもしれない。

 もっともある程度は学がなければ収入が見込めないからかもしれないが。

 就職後、給料は全部搾取されるであろうことは目に見えていた。

 このままではいけないと思いつつ、学生の身分ではどうすることもできないで毎日を過ごしている。


OG『少年?』


 ん? と少年は目の前のモニターに視線を戻す。


OG『トイレか? 少年』


 少年は慌ててキーボードを叩く。


少年『うん。そう。悪い』


 少し物思いにふけってチャット画面から目を離していた。


OG『随分早いトイレだなw』

キョロ『やっぱチソチソ付いてんだろw』


 またコイツらは……、と苦笑いしながら適当に相槌を打つ。

 この連中は元々オンラインRPGで知り合った。

 ゲームの中で同じグループに属し、共にミッションをこなした仲だ。

 楽しかったのだが、そこで派閥による意見の違いがありトラブルに発展した。

 少年達は妨害行為を良しとしなかったが、相手が仕掛けてくるものに対しては同じ行動で立ち向かうべきだという派閥と衝突した。

 少年達は元仲間からも妨害行為を受けることになり、ポリシー的に同じ行動をとることもできず、結局ゲームを去ることになった。

 ゲーム運営事務局も、結局はお金を多く投入してくれる人達を容認する。

 結局トラブルが絶えず、今はサービスも終了したと聞くが正直どうでもいい。

 今は何か新しいゲームはないかと探している所だが、前のような意欲もなく、その頃の仲間とチャットする日々だ。

 仲間たちも一人抜け、また一人抜け。今は少年を含めて三人。


OG『少年のトイレ風景想像中……』


 このOGオージーはオンラインゲームで「ぽっぷん」と名乗っていた剣士使い。

 ゲームの中の「ポップルロップ」というマスコットキャラのアイコンを使っていて、名前もそこから取っていた。

 丸っこいフォルムに手足を付けたような、愛らしいキャラのアイコンの割にゲームの腕は結構なもので、当時は頼られるユーザーだった。

 結構歳はいっていて、当人もオジサンだと認めていたので「ポップンオジ」「Pオジ」と呼ばれていた。

 そこから「オジ」になり、今は「OG」の名でチャットをしている。

 年相応の下ネタを連発するので少年の中では「キモオジ」と呼んでいる。


キョロ『やめんかーいw 少年の秘所は俺様のもんだぞw』


 このキョロはオンラインゲームで「パナマサイクロン」と名乗っていた魔道士使い。

 ネット絵師に書いてもらったという似顔絵をアイコンに使っている。ギョロ目をしたメイドが上目遣いにニタニタ笑いをしているシュールな絵だ。

 当時から「ギョロ目」「ギョロメイド」と呼ばれていたが、少年が「キョロ」と呼んでいたので、チャットではそれを採用したようだ。

 一人称が「俺様」なので、中身がオッサンだと思っている仲間は多かったが、少年はボイスチャットをしたこともあり、互いの写真も交換している。

 偽物でなければ若い女の子だろう。成人はしていると思う。

 送られた写真とイラストは……、そっくりだった。

 それもあってキョロとはネット上の友達になり、ゲームを離れて以降も仲良くさせてもらっている。

 そこにキモオジがくっついてきている形だ。

 正直、ゲームをしなければただの下ネタオヤジなので、少年としてはとっとと離れてくれればいいと思っている。

 それで、なんの話だったか? ……とチャットの履歴を遡る。


OG『お姉さん、結婚したんだろ? 家を出たの?』


 そうだった。

 これを見て姉のことを思い出し、親のことを思い出し、今の境遇について考え始めてしまったのだった。

 姉は嫁いで、かなり前に家を出ていったことを伝える。


キョロ『毒親って言ってなかったか? 溺愛してる姉ちゃん居なくなって大丈夫か?』


 キョロの言う通りだった。

 姉がいなくなって以来、少年に対する両親の当たりは酷いものだった。

 姉の前では辛辣なことはしないという暗黙の制約があったが、いなくなってからはその必要もない。

 少年は服の上から腕をさする。まだ少し痛む。

 そこには先日父親に突き飛ばされた時にできた痣があった。

 故意ではない。それはそうだと思う。

 少年が足を縺れさせたために予想以上に派手に転び、運悪く机の角にぶつけただけだ。

 しかし謝罪はなかったし、両親共々そんな所に突っ立っていた少年が悪いのだと言う。

 何も言い返せなかったので、これをきっかけに暴力が日常化しないかと不安だ。

 児童相談所に駆け込むべきか真剣に悩んでいるが、あまりいい話は聞かない。

 虐待の証拠は無いし、両親は外面は良いいので、きちんと親の言うことを聞くよう促されて終わる未来しか想像できない。

 そうなったらその後どうなるのか考えたくはない。

 連日、もっと早く帰って家のことをやるよう強要されている。

 家事をやること自体に不満はないのだが、姑でもこんないびり方はしないだろうと思うような日々だ。

 部活があるから、という名目でこっそりバイトをし、ネットカフェに入り浸っていたが、バレはしないかとビクビクしながら毎日を過ごしている。


OG『お姉さん居なくなったら寂しいね。最後に会ったのはいつだい?』


 もう三ヶ月前の話になるか……。

 いや。二週間ほど前に一度家に泊まりに来た。夜に来て、一緒に寝て、朝にはいなくなっていたからあまりゆっくり話せなかった。


少年『寝てる時に口に指を入れられた』

キョロ『Oh.魅惑の世界』

OG『どっちの口? w』

キョロ『死ねボケ』

OG『w でもお姉さんとは仲良いんだね』


 そう。

 最初の娘だからか、蝶よ花よと育てられたにもかかわらず、姉の「ふわり」は少年には優しかった。

 確かに見た目も少年と違い、女の子目線から見ても美人だ。

 溺愛する両親の気持ちも分からないではないが、ふわりはそれを鼻にかけるでもなく少年を可愛がってくれた。

 少年はおやつも小遣いも与えられなかったが、ふわりがこっそりと分けてくれたものだ。

 名前の通りふわふわとしていて、少年は姉のことが大好きだった。


OG『お姉さんよく遊びに来るの?』

少年『いや。その時は妊娠の報告だった』


 ふわりは結構な名家に嫁いだと聞いている。

 これからは滅多に会えないと聞いたので、その日は一人泣いたものだ。

 それが早い時期に再会できて嬉しかったのだが、妊娠したと聞かされた時は正直複雑だった。

 大好きな姉だったが、なんか今までとは違う人になってしまったような、もう自分とは違う世界に行ってしまったような、なんとも寂しい気持ちになり、要するに素直に祝福できなかった。

 そんな気持ちを出してはいけないと思いつつ「おめでとう」という言葉を口にしたが、少年に気の利いた演技などできるはずもなく。

 それを察したふわりが、本来ならそのまま帰るところを泊まって一緒に寝てくれたのではないかと思う。

 少年はチャット画面に流れる祝いの言葉を聞き流す。


OG『少年も、お姉さんに続け』

キョロ『何をだ?』

OG『子種が必要だったら言ってw』

少年『いらない』

キョロ『そうだ。少年を孕ませるのは俺様だ』

少年『w』


 キョロのフォローもあるのだろうが、いつもならウザいキモオジの下ネタが、今は少し心地よかった。


OG『毒親から逃げたくなっても神待ち掲示板なんか使うなよ。オジサンに連絡しなさい。力になるからw』

キョロ『その時は前に俺様が買ってやった催涙スプレーを持ってけ』

OG『何それ? いつの間に? w』

キョロ『前に干芋のリストに登録させて、俺様が買ってやったんだ。俺様の少年に手を出すと痛い目見るぞ』

OG『そりゃ痛そうだな。ゴーグル用意しとくよ』

キョロ『いや、襲うのやめろ』

少年『w』


 カフェの滞在時間を確認しながら、このまま家に帰らず、ずっとここにいられたら……、と思わずにはいられなかった。

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