歪まされた僕の世界

 僕はずっと、絵里香さんの人生を見てきていたので、彼女がどこにいるかは分かっていたが、漫画の姿と違っているので、坂本雅也だと言っても通じないだろうと思われた。

 僕が二の足を踏んでいる間に、日が経っていった。

 透は相変わらず帰ってこない。

 そうしているうちに、僕が出ている漫画が映画化されることになった。

 試写会のチケットを透の友達からもらった僕は、出かけることにした。

 映画館に行き、上映された作品を見た僕はびっくりした。坂本雅也は何か監督に恨みでも買ったのかと思うほど、ひどい扱いを映画で受けていた。

 最後には死んでしまい、僕は向こうの世界から裏切られたような気持ちになった。まるで苦いものを食べた後に、口の中に苦みが残ってしまうように、僕の心に嫌悪感が広がっていき、それは消えそうもなかった。

 スタッフロールが終わり、監督や声優陣が入ってきた。

 拍手が起きる。

 何だこれは、悪夢か?

 そう思ったのは僕だけではなかった。

「最低」

 女の人の声が左の方から聞こえた。

 その方向を見ると、左の一つ席を隔てた所にニットワンピースを着た女性が、顔を歪ませて座っていた。

 絵里香さんだった。

 絵里香さんは立ち上がり、通路の方へ向かっていこうとしたので、僕も立って、追いかけた。

 絵里香さんは勝手に舞台に上がろうとしていた。

 僕は、それを止めようと、絵里香さんの手を引っ張り、劇場のドアを開けて、ロビーに出た。

「何で邪魔するんですか!」

 絵里香さんはありったけの怒りを僕にぶつけてきた。

「僕だって、坂本雅也をあんな風にされて、不愉快ですよ。でも、迷惑になることはしない方がいいです」

 絵里香さんの顔が少し柔らかくなった。

「あなたも雅也のファンなんですか?」

「はい」

 ここで本人だと言っても、信じてもらえなさそうだという弱気から、僕は嘘を吐いた。

「何で死なせるんでしょうね。キャラだって生きてるのに!」

「ほんと、そうですよね」

「ごめんなさい。あなたには関係ないのに、怒りをぶつけてしまって。私、古川と言います」

「僕は鈴川透です。どこかで話しませんか?」

 視界にコーヒーショップが見えたので、思い切って誘ってみると、絵里香さんは真剣な表情をして、

「いいですよ」

 と、まるで、イベントに参戦するかのように答えた。

 コーヒーショップに入ると、彼女が財布を出そうとしたので、それを制止するように僕は慌てて、

「僕がおごりますよ」

 と言うと、絵里香さんはかぶりを振って、

「いえいえ、ここは私におごらせて下さい。鈴川さんがいなかったら、私、捕まっていたかもしれないですし。鈴川さんは何がいいですか?」

 真面目な顔をして言うので、僕はその言葉に甘えることにした。

「すみません。じゃあ、ホットコーヒーで」

「じゃあ、私も。すみません、ホットコーヒー二つ」

 受け取りカウンターで待っていると、店員がトレーに、二つコーヒーを並べて運んできたので、僕と絵里香さんは、顔を見合わせてしまった。

「僕が運びますね」

 僕が手を差し出すより早く、絵里香さんの手がトレーに早く到達していた。

「大丈夫です」

 絵里香さんは、まるで店頭で店員がするような営業スマイルをこちらに向けて、トレーを取って、立ち上がり、すたすたと空いている席に向かっていった。

 距離を取られているのが分かる。そりゃ、そうだよな。ファンだって言っても、知らない男だし。

 席に着くなり、絵里香さんはこう切り出した。

「もしかして、鈴川さんは雅也のことが好きなんですか?」

「いや、自分と似てる所があって、それでファンになったんです」

「よかったー。私、同担拒否なんで、恋愛されてる方だったら、話せないかなって思ってたんです」

 同担拒否とは同じファン同士で交流を持ちたくないことを指す。

「そうだったんですか」

「ごめんなさい。お礼まだでしたよね。止めて下さってありがとうございました」

「いや、放っておけなくて」

「私、頭に血が上って、どうかしてました。でも、あの映画は雅也にリスペクトなさ過ぎですよね。雅也って、一番、晴斗が信頼しているキャラじゃないですか。なのに、晴斗を裏切らせるとか信じられないです」

 僕は晴斗のことを話に出されて嬉しかった。晴斗は、『ディメンション・サーガ』の主人公で、同じ異世界に行った親友だ。

「どうして、笑っているんですか?」

 知らないうちに顔が笑っていたらしい。絵里香さんが不審そうに言ってきたので、僕は慌てて取り繕った。

「いや、晴斗のことを思い出して。いいキャラだったから、漫画の方は」

「漫画はそうですね。でも、映画の方は雅也に冷たかったですよね」

 確かに、映画版の晴斗は、何か最初から僕を信用していないようだった。

「そう……だね」

 あまり、晴斗の悪口は言いたくなかったが、僕は同意してしまっていた。あの映画は、僕の大切な世界を歪ませて、崩してしまっていた。あの晴斗は違う晴斗だと思っていても、すごくショックだった。

「それに、最後、雅也が殺されて死んじゃうなんて、あり得ないって思いません?」

「うん……」

 僕は映画の内容が頭で再生されて、僕は気分が悪くなった。

 僕は息苦しくなって、目を閉じて、額を右手で覆いながら、テーブルに肘を突いた。すると、絵里香さんの声が聞こえた。

「ごめんなさい。雅也のファンなのに、こんなこと話してしまって。気分が悪くなったんでしょう? 大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ」

 僕が目を開けて、絵里香さんの方を見ると、彼女は立ち上がっていた。

「私、帰りますから、ゆっくりコーヒーを飲んで休んで下さい。これ、私の名刺です。よかったらまた、雅也のこと、話しませんか?」

 絵里香さんは会社の名刺を差し出してきた。

 僕は持っていた鞄の中をガサガサと探して、メモ帳とペンを取り出し、透の携帯番号を書いて渡し、絵里香さんの名刺を受け取った。

 もちろん、その番号のスマホは、鈴川透のものだ。

 彼がスマホに鍵を掛けていなくてよかった。


 少し浮かれた気分で街を歩いていると、スマホの通知音が鳴り響いた。

 スマホを見ると、メールが届いていた。発信者は鈴川透だった。

 僕はびっくりして、スマホを落としそうになった。

 〝お前のファンに会えてよかったな、坂本雅也。俺は今二次元にいる。お前の体を乗っ取って、めちゃくちゃにしてやったぜ。ただ、やり過ぎて、お前は死んだ。いや、俺がか。ともかく俺はお前の体に戻りたい。そのためにはお前がそちら側から、次元の壁を壊す必要がある。やってくれるよな? 〟 

 映画がめちゃくちゃになった理由は透のせいだったのか。

 向こうに帰っても僕は体がないけれど、透はこの体がある。

 今までずっと借りていたのだから、返さなくてはいけない。

 ただ、次元の壁なんて、どこにあるのだろう? 透明な壁なんて……。

 あっ! と僕は気付いた。

 二次元から壁越しに絵里香さんと話せた時、SICUにいた。あそこに行けばあるのかもしれない。

 ただ、入るのは難しいだろう。

 どうすればいい?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る