第2話 外からくるのはいつでも嵐

「土下座」


 聞きなれない単語だった。

 どげざ。百々気。土下座だ。

 あの、二つ膝を床につけて、平伏する、我が国の最高に礼を尽くしたお辞儀。

 土下座をするということは、相手に最も尊敬の念を抱いているという行動の現れである。現代では、強要するだけで軽い犯罪行為であるのにも関わらず、目の前で、苛立ちを隠さずに、自身のキューティクルが反射する御髪を、指で挟んでなぞる蝶番井。



 どうして私は土下座を強要される羽目になったのか。

 今日、この日の、この瞬間まで、巧く立ち回ってきたではないか。うん。立ち回ってきた。それはかの数奇物、古田織部も切腹を逃れて舌を巻くくらいには、巧く立ち回ってきた。



 この安部野高等学校に、入学してきてからと言うものの、あの手、この手、あの話芸に、この話題で。カースト下位グループから、カースト上位グループへと、五月下旬の燕のように渡るに渡って、面接では自分の事を潤滑油と自負できるくらいには、集団の中では必要とされていたはずだった。



 しかし、現在はどうだろうか、潤滑油が燃え上がり、渡り鳥は唐揚げにされてしまった。

 私の一年と約三ヵ月は、梅雨明けのカラッとした日差しが、カーテンの隙間から、まるで余熱でじっくりと焼いて、余分の油を落とすかのように消えてしまった。



 だとしてもだ。諦めるのはまだ早い。

 今のは事前確認であり、事実確認ではない。私が土下座を強要されている理由は、未だに不明なのだ。では振り返ってみよう。



 今朝は、いつもの平和な日常と変わらない朝だった。

 コンビニで、完全栄養食バーチョコミント味と、学校前で配給されている、生徒会の摘み立て二番茶で、いつも通りの朝食を、早朝学内の木陰のベンチで済ましつつ。インターネットの学校掲示板にアクセスして、得意の話芸で、当たり障りないコミュニケーションをしていた。



 誰々が破局とか、誰々の訃報とか、そんな爆弾投下発言はしていない。右から左へ、ベルトコンベアーに流れてくる荷物に、乱れがないかチェックするように発言をしただけ。

 だから、ここは何もない。至って、普通。



 地獄のような日課を熟してから、朝食も食べ終わり、顔を上げると、そこには見た事もない顔が、私の携帯の画面を覗き込んでいた。



 端整な顔つきだ。西洋のお人形さんだと言われれば、そうかもしれないと勘違いしてしまう程だ。

 平たい目つきではなく、パッチリとした目に、黒目が多いこの国には滅多にお目にかかれないであろう赤い瞳の色に、整った鼻筋に、甘い言葉を囁きそうな、血色の良い唇。顔はモデルも顔負けしそうな程好く、中性的で、更には、脱色したかのような、白髪が目立った。



 だがしかし、顔が良いからと言って、人様の携帯と言うプライバシーの塊を除いていい訳ではない。私は、事を荒立てずに、注意してやろうと思い、軽く眉間に皺を寄せて、少しだけ困った表情を作ってみせる。



 何を見ているんですか。

 視線が合いましたよ。

 気まずいですよね。

 はい、離れてくださいね。



 との意図が伝わる表情。こんなのは言葉にしなくても、演技派女優に爪の垢を煎じて飲ませてやれる私からすれば、簡単であった。



 彼。彼女。スカートを穿いていない。ズボンを穿いている。だからと言って、男子だとは限らないのだ。正直、見た目で判断し辛いので、イケメンと称しておこう。



 そのイケメンはいけしゃあしゃあと、私の隣へと座ってきたのだ。

 顰めた眉が開いていくのが分かった。

 これは驚愕だ。どこかへ行けと、念じて伝えているのに、隣に座られたのだ。あっと言う間の出来事だった。しかも、携帯の画面をまだ見ていた。



 私に興味があるのではなく、携帯の画面に興味があるだけなのだ。ホッとしたと同時に、苛立った。

 なので、携帯を折りたたんで、ブレザーのポケットへとなおす。苛立ったからと言って、事を荒立てるなんてことはしない。



 スッと立ち上がって、イケメンの元を後にしようとする。



 しかし、遥か予想外の一手に出られる。



 イケメンが、私の手首を握ったのだ。

 私よりも、スラッとした指に、花を育むために整えられた爪だ。劣等感を抱いている場合ではない。

 接触されるとは思ってもいなかった。これでは、会話をしなければならない。いや、別に会話が嫌いなわけではない。この学校の人間でない人間と、学内で関わるのが嫌なだけだ。



 イケメンの服装は学生服ではあるものの、この学校のもっさりとしたブレザーの指定制服ではなく、少し明るめの、どこか違うオシャレ感を醸し出す、違う学校の制服であった。



 外からくる人間は厄介な奴だと、相場が決まっている。



「縁ができたね」



 ほらみたことか。



 イケメンは、それはそれは清涼感しか感じ取れない程に、爽やかな笑顔で私にそういってのけた。イーッと白い歯見せて、えんがちょをしてやりたかったが、私の主義に反するので我慢した。



「何か困ったことがあれば、助けになるよ」



 現在進行形で困っているとも言えないよね。



「あ、大丈夫ですぅ。私、ちょっと教師に呼ばれているので、急いでいるんですけど、その」



 チラリと視線で、掴まれている手首を見る。

 早く離せ。実際、さっき学年主任に個人メールで、用事を押し付けられたのだ。



「よし! ではそれを手助けしよう」



 どうやら空気が読めずに、話を聞かない人間のようだった。



「いっ、いやいや。大丈夫です。私にしか出来ない事なので、それに知らない人に迷惑はかけられませんし」



 ベテラン接客業の如く、接客スマイルで対応する。未だに、掴んだ手を離してくれないのだけど、イケメンだけど行動が奇妙過ぎて、恐怖を覚えてきた。



「ふむ。確かに」



 イケメンは何やら納得した。どこに納得したのかは、私の理解力では分からなかった。



「俺の名前は、アルカード。よろしく」



 私の営業スマイルがくすむ程の笑顔で自己紹介をされた。

 アルカードってやっぱり、外の人間じゃないか。

 しかし、出会ってしまったのが、運の付き。ここで手を振り払って、逃げても、このアルカードとやらは追ってきそうな気配がする。



「えっと、骨茱灯命です」

「うん。ほねぐみとうめい・・・骨茱灯命」



 アルカードは少しだけ上目遣いになって、私の名前を呼びながら考える。



「二年B組、出席番号19番の骨茱灯命さんだ」



 そして頭の中の何かと符合したようで、向日葵のような笑顔を向けられる。

 イケメンに所属クラスに出席番号を抑えられていた。逃げなくて良かった。



「アルカード・・・さんは、編入生ですか?」



「そう。英吉利からやってきたんだ。俺も同じ二年生、どのクラスに配属されるか知らないけど、よろしくね」



 まぁ通りで日本人離れしているなとは、見た目で判断できた。

 英吉利からの編入か。どこかきな臭いけど、まさかMI6の諜報員だったりなんてしないはずだ。

 しかしアルカードという名前は、この国で言う、キラキラネームに当たるのだろうか。まぁ色々と詮索するのはよそう。既に性格から面倒臭そうだ。



 ペコリと軽く日本人特有の会釈をしてから続ける。



「それで、私に用があるんですか?」



 未だに握られている手首の感触が、そろそろ気持ち悪くなってきた。



「用という用はないよ。偶々君が、このベンチに座って携帯を弄っているのを見かけたから、気になったんだ」



 早朝学内で、朝食を食べているのは、外国の編入生からすれば、珍しく、気にかけることだったのだろう。しかも朝の低血圧気味の表情で、下を向いて、携帯を弄っていたら、何か思いつめていると思われても、仕方がなかったのかもしれない。



「本当に大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます。じゃあ、また」



 流石にそろそろ登校してくる生徒も増えてくるだろう。

 こんなイケメンと手を繋いでいる――一方的だが、遠目から見ればそう見える状況はよろしくない。変な噂が立つに違いない。それは私の学校生活を脅かすに間違いない。



 アルカードの手を振り払おうとするも、グイッと力強く引っ張られて、後ろへとこけそうになった。だが、そのまま尻もちをつくことはなく、尻は宙に浮いた。

 膝裏に何か暖かくて太い物体を感じて、腰にはくすぐったさを感じる手が添えられている。これは俗に言うお姫様だっこというやつだ。



「何で!?」



 今日一番の大声になるであろう声を出してしまった。



「俺のせいで、時間を割いてしまったからね。その先生のところまで送るよ。職員室でいいかな?」

「い、いいです」

「よし。じゃあ行くね。しっかり掴まって」



 遠慮の方のいいだったのに、海外からの編入生には伝わらなかったらしく、そのままイケメン便直行で職員室まで連れて行って貰った。

 恥ずかしいので、顔を隠していたが、専らの噂になっていたらしい。



 それが今朝の出来事。

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消えるラブコメ 須田原道則 @sudawaranomitinori

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