第9話 傷跡

 瞬間移動でもして来たかのような突然さだった。


「よし! 間に合ったぞ!」


 芯のある凛とした声でそう叫ぶ女は、ロクシリュウを前にしても余裕そうな態度を崩さない。


 しばしもがいたロクシリュウは、体勢を立て直すと怒りのこもった眼を女に向けた。ちらちらとヘイジを気にしつつも、標的は金髪の女へと切り替わったようだ。


 満足そうに頷く女に新たな声が掛けられる。


「オリヴィア、あんた速すぎるのよっ」


 矢のような速度で走ってきた赤髪の女が、鈴を転がすような可愛らしい声で非難じみた事を言う。


 オリヴィアと呼ばれた金髪の女は、それを柳に風と受け流しながらヘイジに視線を向けた。


「しかし、おかげで被災者の保護はできたからな!」


 赤髪の女もつられてヘイジに顔を向けると、目を見開いて言う。


「よりにもよってロクシリュウ相手に。あなた、よく生きてたわね」


「えっあ、ありがとうございま……って!」


 ヘイジは目まぐるしい急展開に呆然としていたが、自分に話題が振られたことではっと口を開く。しかし礼を言おうとしたところで、ロクシリュウが彼女達に飛びかかろうとしていることに気付き慌てて声を上げた。


「後ろ!」


 二人はヘイジへ視線を向けており、隙だらけに見える。大きく開かれた口が彼女達へ迫った。ヘイジは自分を助けたばかりに、と罪悪感を覚える。


「ふん!」


 しかしヘイジの予想とは裏腹に、ロクシリュウは物理法則を無視したような勢いで再び後方へと吹き飛ばされていった。


 まただ、とヘイジは目を丸くする。声とオリヴィアの剣を振り抜いたような動きで、彼女がやったのだと分かった。


 両手剣と言えどロクシリュウからすれば小枝のようなその剣で、どうすればこのような現象を起こせるのかは全く想像できなかったが。


「リタ、逃がすなよ」


「ええ」


 リタと呼ばれた赤髪の女が手をかざすと、その周りに金属光沢を放つ腕ほどの杭が十本ほど現れる。かと思えば高速でロクシリュウの頭目掛けて飛翔した。


 頭部に集中攻撃を受けて鬱陶しそうに頭を振るロクシリュウに向けて、リタが地面を一蹴りする。それだけで三十メートルは離れたロクシリュウの懐に入ると、手にした片手剣で六本の脚の付け根を目にも止まらぬ速さで切りつけた。苦し紛れに振るわれた剛腕をしなやかに躱すと、ロクシリュウから大きく距離を取る。


 ロクシリュウは目に怒りを溜めたまま、リタを追うように轟音を鳴らして大きく跳び上がった。


「まだあんな力があるのか」


 あれ程の攻撃を受けてなお衰えない跳躍力にヘイジが驚愕するも、今回は様子がおかしい。


 ロクシリュウは高く跳躍するも、それほどリタに近づけずに着地。直後、バコンという音と共に再度高く飛び上がる。


 ヘイジはその音が、地中から突如出現する岩の柱が、ロクシリュウに叩きつけられる時のものだと気付く。ロクシリュウは跳んでいるのではなく魔法で跳ばされていたのだ。


 バコン、バコン、と轟音が響く度に打ち上げられるロクシリュウ。打ち上げられる度に六本の脚で着地する身体能力は流石であったが、リタの目の前に落ちてくる頃には脳震盪を起こしたようにふらつき、目に宿る戦意は陰りを見せていた。


 そんなロクシリュウにリタは素早く肉薄すると、下顎の付け根に剣を刺し込む。ロクシリュウはビクリと震えた後、だらりと倒れ動かなくなった。


「終わったわよ!」


 リタは二人の元に戻って来ると、息を切らした様子もなくそう言うのだった。


「ええ、強お……」


 一連の出来事が同じ人間によって行われたという事実が、ヘイジにはとても信じられなかった。




 その後リタが回復魔法を使えると言うので、ヘイジは自己紹介やこれまでの状況の説明をしながら治療を受けていた。


 自分の傷が見る見るうちに塞がっていく様子は、ロクシリュウとの遭遇を経てなお、ここが異世界であることを改めてヘイジに実感させる。


「私はオリヴィア・モトロイズだ。いきなりロクシリュウに遭遇して生き残るとは。ヘイジはハンターの素質があるな!」


 快活に言うオリヴィアは、ヘイジが生死の境に立っていたことを一瞬忘れてしまうほどの美貌の持ち主だった。年の頃はヘイジより少し上くらいだろう。


 輝く金髪を背の中ほどまで伸ばし、切れ長な金の目はヘイジを安心させるようにその眦を下げている。


 簡素な軽装騎士風の装いはその繊細な美しさを際立たせていたが、身の丈程もある両手剣を右手で軽々と持っているのがアンバランスであった。


 背が高く視線を少し下げると自己主張の激しい胸部を真正面に見据えてしまう。そのためヘイジは視線を上げる事にそれなりの意識を割いていた。


「いきなり死にかけた新米ハンターに言うことがそれなの? あっ私はリタ・アリアスよ」


 呆れた様子のリタもまた、驚くほど端麗な顔をしている。


 こちらもヘイジと同年代か少し上くらいであろう。赤ワインのような深みのある髪を低い位置でポニーテールにまとめ、幼さの残る勝気な顔立ちには美しさに加えて可愛らしさも感じられる。


 身長はヘイジと同じくらいで、軽装の防具の腰には身の丈相応の片手剣を佩いていた。


「あの、助けていただきありがとうございました」


「気にするな。仕事だしな!」


「ええ。無事でよかったわ」


 神妙に感謝するヘイジに対して事もなげに返す彼女達を見て、ヘイジは改めて圧倒的な力量の差を感じ取った。


 彼女達と比べて狩られる獲物でしかなかったヘイジは、表情を暗くすると無力感から思わず言葉をこぼす。


「お二人ともすごく強いですね」


 ヘイジの素直な感想に、リタは嬉しさを隠しきれないようにソワソワとしながら口角を上げた。


「えっ、そ、そうかしら。まあ私も大分やれるようになったものね」


「まだまだだぞ。これくらい一太刀で両断できるようにならねば」


 オリヴィアは剣を背負うと、腕を組みながら平然とそんなことを言う。


 ヘイジは思わずぎょっとしてオリヴィアを見てしまう。これにはリタも同感だったようで、二人そろってこいつマジか、といった表情でオリヴィアを見ていた。


「あんたみたいな狂戦士と一緒にしないでくれる。私は繊細な魔法剣士なの」


「私だって魔法は使えるぞ!」


 心外そうにズレた反論をするオリヴィアであった。


 回復魔法で顔色が戻ってきたヘイジが、ふと思い立った疑問を投げかける。


「ところで、どうしてここに?」


 ヘイジは救難要請などを出したわけでは無い。


「ギルドで特獣の異常分布が報告されてな。調査しつつ入れ違いで街を出たハンターに周知するよう頼まれたのだ」


 どうやらヘイジはつくづく間が悪かったようだ。


「街までのルートは大丈夫なはずよ。私達は調査を続けるから、あなたは生存報告も兼ねて窓口に経過を伝えてくれるかしら?」


 親指で街の方向を指し示しながら首を傾けるリタ。そんなちょっとした動作も様になっている。


「分かりました。じゃあ自分はこれで」


 ヘイジは了解すると、改めて礼を言ってから街へ帰還するのだった。




 ヘイジが立ち去った平原で、オリヴィアとリタは調査を続けていた。特獣が本来の生息域と異なる場所に現れるのは、前例が無いわけではないが珍しい事だ。


 重大事件であり、対応を怠れば人命の喪失や物流の麻痺に繋がりかねない。対策や原因を探るためにも、死骸等から情報を持ち帰る事はハンターの重要な役目であった。


 オリヴィアはロクシリュウの頭部を見ると、何かに気付いたように首を傾げる。


「む? 鱗に穴が開いているな。リタ、魔法の威力が上がったのか?」


 目が潰れ鼻も損傷しているのは確認していたが、頭部の鱗にも何かが貫通したような傷跡があるのだ。二人は知る由もないが、それらはヘイジが拳銃で与えた傷だった。


「私じゃまだ無理ね」


 リタは傷を覗き込むも、すぐに首を横に振る。ロクシリュウの頭部の鱗は強固なことで知られている。危なげなくロクシリュウを討伐した彼女が即座に否定するほど、このような傷を作るのは困難な事であった。


 すぐに胴体の調査に戻ったリタが、今度は声を上げる。


「あら、腹部にもちょっと怪我してるわね。まあ最初から結構傷だらけだったし、ここまで降りてきたのは縄張り争いに負けたせいかしら」


 リタの推測は過去の例を見ても妥当なものであった。しかし何かが引っ掛かる様子のオリヴィアは訝しげに呟く。


「こんな傷を作れる奴が上に居ただろうか」


 目の前の傷跡に該当するような攻撃能力を持つ特獣に、オリヴィアは心当たりが無かった。


 その言葉にリタも眉根を寄せながら考え込む。


「たしかに。私も思いつかないわね」


「そういえば」


 オリヴィアは先の戦いを思い出す。このロクシリュウは彼女とリタの二人が現れて以降も、度々ヘイジを気にする仕草を見せていた。


 オリヴィアはヘイジという獲物を余程気に入ったのだろうと思っていたが、この特獣の習性を考えれば不自然と言える。


 ロクシリュウは残忍で狩りを好むが知能が高く狡猾だ。


 自身を討伐し得る脅威を前にすれば逃走を選ぶ。それも難しいと判断すれば、少しでも生存の可能性を高める為に、脅威に全力で抵抗することだろう。


 生命の危機に晒されてなお、無力な獲物に固執するような気質ではないのだ。


 リタが金属の柱で何度も打ち付けたのも、弱らせることで逃がさず確実に仕留めることが目的であった。


「まさかな……。いや」


 オリヴィアは思い浮かんだ可能性をリタに伝えてみる。


 それを聞いて目を見開くリタをよそに、予想が正しければきっと面白いことになるだろうと、オリヴィアは期待するような眼差しで街のある方向を見やるのだった。

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