第8話 ここは現実

 翌朝、ヘイジは街を出ると、東の森の中にある小さな平原を訪れていた。


 ヘイジがどこか街の外で訓練できる場所はないかとギルドで聞いてみたところ、クスミに東の森の境界付近を紹介されたのだ。街道の枝道に沿って進むと、森をくり抜いたような平原がいくつかあり、特獣も一般人が逃げられる程に危険度の低いものが稀に見られる程度なのだそうだ。


 ヘイジは何か的になりそうな物はないかと、平原を探索してみる。小川が流れ込み草花の茂る様子は、普通ならピクニックでもしたくなるような立地である。


 そんなことを考えていると、唐突に背後で草木を踏みしめるような音がした。


「うん?」


 ヘイジが振り向くと、大型の特獣が森から出てくるところであった。


 赤黒くメタリックな巨体に、筋骨隆々な六本の脚と丸太のような尻尾。少し平たい恐竜のような頭とそこに付いた二つの目が、ゆっくりとヘイジに向けられる。


「いやあ、嘘でしょ……」


 一般的な日本人男性であったオオヨド・ヘイジは、人生初の絶体絶命の危機に瀕していた。




 そして現在。逃れられない状況であることを悟ったヘイジは、戦う覚悟を決めていた。


「お前には、俺の経験値になってもらうぞ!」


 ヘイジは自分を鼓舞するように啖呵を切る。そうは言っても、武器は拳銃一丁。


 ヘイジは苦虫を噛み潰したような顔で、拳銃を握る手に力を込めた。本来拳銃で大型の獣を倒すなど無理があるだろう。熊も殺せる気がしない。


 もちろんこの世界において、銃は剣や弓と同じハンターの武器である。火力のステータスによって威力が補正されたこの拳銃であれば、熊はもとより特獣にも対応できるだろう。


「でもなあ。流石にコイツはちょっと、普通に戦えないよなあ」


 しかし今回ばかりは相手が悪かった。対峙するのはロクシリュウという特獣。本来は遠くに見える山脈の麓に生息しており、そもそも新米ハンターが遭遇するような存在ではないのだ。


 件のロクシリュウは、早く逃げてみろとでも言わんばかりに悠々とヘイジ見ている。


「ステータスが何もかも足りない……」


 ヘイジは憎々しげにロクシリュウの目を睨みつける。火力がどうこう以前の問題だった。


 早くも挫けそうな気持ちを誤魔化すように、ヘイジは左手に集中する。気力を奪われる様な名状しがたい感覚と共に、左手に弾丸が五発セットされたスピードローダーが現れた。


 スキルをうまく使えたことに安堵する暇もなく、震える手で拳銃のシリンダーを振り出す。何度かチャンバーに弾を入れ損ねた後に、なんとか装填することができた。


「よっしやるぞ! その鼻明かしてやるよ!」


 ヘイジは気迫を込めて宣言すると、全力で走り出した。ロクシリュウから逃げるように。


「うおお!」


 それに応じてロクシリュウもしなやかに動き出す。逃げ出したヘイジを追うように駆けると、その頭上を飛び越えようと大きく跳躍する。


 それはゲームでよく見た挙動であり、ヘイジの狙い通りの動きであった。


「そこだっ」


 ヘイジは頭上のロクシリュウを凝視し、その鱗の生えていない腹部を狙うと、弾が出なくなるまで引き金を何度も引いた。


「ガッ」


 ロクシリュウが少し鳴く。走りながらの滅茶苦茶な射撃ではあったが、娯楽の神の加護の効果か大きな図体のおかげか、何発か当たったようだ。


 ヘイジは全力で走り続けながら、何とかリロードを試みる。ヘイジがリロードを完了させるのと、正面に着地したロクシリュウがヘイジの方を振り向くのはほぼ同時であった。


 ヘイジは立ち止まることなくロクシリュウの頭まで肉薄すると、気の立った様子の顔に銃を突きつける。


「死んでくれ!」


 ヘイジは鬼気迫る表情で叫ぶと、必死に目を狙いながらがむしゃらに拳銃を乱射した。


 ロクシリュウが悶えるように暴れる。巨大な頭をぶつけられたヘイジは大きく吹き飛ばされ、地面に体を打ち付けた。


「ゔっ。うぅ、痛てぇ」


 ヘイジはヨロヨロと立ち上がると、慌てて体を見回す。体はあちこちが痛むが、どこかが明らかに折れているとか、大量に出血していることは無かった。


「ハンターって、ホントに頑丈だな……」


 ヘイジは少し感心しながらロクシリュウに視線を移す。ロクシリュウはしばらく苦痛にのたうち回っていたが、機敏に起き上がるとヘイジを睨んで一唸りする。


 よくよく見ると、右目が潰れ鼻にも命中している。しかし顔中を血まみれにしながらも、逃げるつもりはないようだ。


「このくらいじゃ倒せないよな。いいよ、やってやるよ!」


 ヘイジは続く戦いに身構えるも、弾倉が空のままであることに気付いた。急いでリロードしようとするところに、ロクシリュウが跳びかかる。


 たまらずヘイジが飛びのくと、先ほどまで立っていた場所が大きく抉られた。その後も血をまき散らしながら、狂ったように腕を振り回してヘイジに襲い掛かる。


 攻撃の手を緩めないその姿は、うまく弾を当てれば死にはせずとも弱ってくれるかもしれない、というヘイジの淡い希望を完全に打ち砕いた。


「無理だっ。死ぬっ」


 ヘイジは転げ回りながら、戦いを挑んだことを後悔し始めていた。さっきの攻撃は相手の油断をついたからこそ出来たことなのだ。


 暴れ狂うロクシリュウを前にして、ヘイジはこれ以上ダメージを与えられるとは思えなかった。鋭い爪で引き裂かれないように、逃げ回るだけで精いっぱいである。


 ヘイジは少しでも死角に入ろうと、ロクシリュウの右目側に位置取る様に必死に逃げる。しかしその甲斐むなしく、とうとう右足をロクシリュウの爪がかすめた。


「ゔあっ」


 それだけでヘイジは軽々と吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。肺の空気がすべて押し出されるような感覚。


 しばし空を掻き毟るようにもがいた後、茂る草花に埋もれながらほうぼうの体で近くの岩陰まで這いずる。なんとか隠れることが出来たが、状況は絶望的でヘイジは息をつくこともできなかった。


 小さな岩は頼りなく、うつ伏せになってどうにか体を隠せる程度のものでしかない。


「ぐっ。ハアッハアッ。足が……」


 爪が当たった右足の太腿は大きく裂け、血が出続けている。ヘイジは焼けるような痛みに顔をしかめながら、恐る恐るロクシリュウの様子をうかがった。幸いロクシリュウはヘイジを見失ったようで、呼吸を荒くしながら辺りを探し回っている。血眼という言葉がぴったりな熱の入りっぷりだ。


 ヘイジは歯を食いしばりながら周りを見回す。ここからどうしようかと考えてみるものの、何とか隙を見つけても逃げられるとは思えなかった。


「どのみちこの足じゃ無理だ」


 とてもでは無いが、これまでのように逃げ回るのは不可能であろう。ヘイジにはロクシリュウが諦めて立ち去るのを祈る事しかできなかった。見つからないようにと、動き回るロクシリュウに合わせて、じりじりと隠れる位置を変える。


 ヘイジが息を殺してもがいていると、不意にバシャリと音がした。顔面を蒼白にしながら自分の足元を見るヘイジ。そこには小さな水たまりがあった。


「しまっ」


 その音はロクシリュウにも聞こえていたようで、残った左目が岩からはみ出たヘイジをしっかりと捉えている。


「ヴオオオオオッ」


 耳をつんざくような鳴き声とともに、ヘイジのもとへ一直線に駆け寄ってくるロクシリュウ。ヘイジは逃げようとするも、足に力が入らずまともに走れない。


「ああ、クソ……」


 ヘイジは死を悟った。


 足掻く気も起きず、ぼんやりとロクシリュウを見る。ヘイジは街を出た直後に、こうも呆気なく殺されてしまうことが残念でならなかった。


 しかし、ハンターになったことが間違った選択だとも思えない。特別な力を与えられ、現に圧倒的に格上の特獣にダメージを与えることも出来たのだ。ただ運が悪かったとしか言いようがない。


 あまりの理不尽さに、ヘイジは全身の力が抜けるような気分になる。死を受け入れることも出来ないまま、自身へ跳びかかるロクシリュウを呆然と眺めることしかできなかった。


 ロクシリュウの牙が視界を埋め尽くす直前、ヘイジは灰色の視界に瞬くような金色の光を見た気がした。


 直後、眼前に迫っていたロクシリュウが、暴風に吹かれたビニール袋のように横に吹き飛ばされる。


「…………。へ?」


 代わりに目の前には、長い両手剣を手にした金髪で長身の女が立っていた。

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