第3話 娯楽の神はたのしそう
ニコニコと心底楽しそうに宣言する娯楽の神が何を考えているのか、平士には読み取れない。そのことに、平士は言いようのないうすら寒さを感じた。
「ゲームの世界って……。我が世界ってのは、お前がこの世界を作ったとか?」
「ちょっと違うかな。そうだねえ。君の前世の世界やこの世界みたいなものは、無限に存在するんだよ」
娯楽の神はそう言いながら、神殿入り口の階段に座布団を出現させ座り込む。
「無限の世界には、無限の可能性がある。その中には、とある世界の住人が作り上げたゲームにそっくりな世界だって存在し得るんだ。動植物や地形、歴史、魔法という物理現象やスキルと呼ばれる生理現象とかね」
「はあ、無限……。とりあえず、平行世界みたいなものか」
言語化してみるも疑問符を隠し切れない平士に、娯楽の神は呆れたように笑いながらも頷いた。
「有体に言っちゃうとそうだね。そのそっくりな世界に私があれこれ手を加えて、よりそれっぽくしたのがこの世界なんだよ」
「お前が作ったのはちょっと違うっていうのは、そういうことか」
平士はひとまず、この話や前提として自分がハンターズライフの世界に居ることを受け入れることにしていた。というより、そうする他になかった。
突飛な話ではあるが、あの月を見てしまうと他に言い表しようがないのだ。もちろん、夢や平士がおかしくなってしまったという可能性も大いにあるのだが、それは今の平士にはどうしようもないので無視するものとした。
「最初に我が世界って言ってたけど、それは?」
「ああ、あれは勢いで言っちゃったみたいなトコあるよね。まあでも今のところ文句言ってくる奴もいないし、大体そう、ってことで!」
「左様でございますか……」
それでいいのかとも思えたが、所詮一世界の住人でしかない平士には口の出しようがない。
「それじゃあ、転生っていうのは?」
「適当に誰か転生でもさせたいなって考えてたら、ちょうどゲームに合いそうな魂がタイミング良く飛んで来たからさ。ここに飛ばしたんだ。それが君だね」
驚くほど雑な解説に平士は少し閉口してしまったが、疑問が浮かんですぐに口を開いた。
「ちょっと待って。魂が飛んで来たってどういうこと?」
「もちろん死んでたってことだよ。私も私欲で殺人はしないからね!」
「もちろんって……」
「自覚ないのかい? 思い出してごらんよ」
平士は俯くと、ここに至るまでの生活を振り返ってみる。
いつも通り残業をこなしてから帰宅、食事と風呂を済ませた後は、趣味でハンターズライフの非公式Modの開発をしていたはずだ。メーカーが有志によるModの開発を許可していたので、自分好みのゲーム世界を作りたくて開発に没頭していたのだ。
平士の思考でも読んでいるのか、娯楽の神が話しかけてくる。
「Modって、ゲームに後から色んな機能を追加したりするやつだよね? 完成が見えてたのにねー」
娯楽の神の言う通りで、あとはバランス調整とバグ修正というところまで出来ていたのだ。
「そういえば、あとちょっとでリリースできそうだったから、余計に熱が入ってたんだっけな。それでそのあと寝て……。あれ、寝落ちしたんだっけ?」
平士は無念に思いながらも寝る前のことを思い出そうとするが、いまいち思い出せない。とは言えそれは仕方のないことかもしれない。
何せ平士は仕事の時間以外は隙あらば趣味に没頭し、時間を忘れてパソコンと向き合っていた。それに最近は仕事が忙しさを増したせいか、全身の疲労感がひどく、息切れや頭痛も日常茶飯事といったありさまで。寝落ちもするだろうというものだ。
「仕事でも趣味でもパソコンの前。寝ても覚めてもパソコン作業、作業」
そう呟く娯楽の神は、呆れたような、憐れむような視線を平士に向けた。
「過労が祟ったんじゃない?」
「……」
平士はしばらく言葉を発することができなかった。
平士とて転生などと言うからには、地球に居た自分がどうなったかは予想できていた。とは言えこうして改めて突き付けられると、心に重く圧し掛かるものがある。
まして勤める会社が特別ブラックだったという訳でもない。娯楽の神は過労と言ったが、半分は自己の生活習慣の悪さが原因だろう。そう考えるとますます平士は言葉に詰まってしまった。
「死んだのか。そうか。まあ……、そっかぁ」
平士は石畳の隙間から生える雑草を呆然と見つめながら、かすれた声で呟いた。
「まあそういう訳だよ。これで大体分かったかな」
「……まだ、聞きたいことがある」
俯いていた平士が顔をあげる。平士は自分の死を完全に受け入れられたようではなかったが、現にこの世界に生きて存在しているのもまた事実だ。いつまでも落ち込んでいるわけにはいかないということも理解していた。
目の前の少女のこと、この世界のこと、自分が転生してきたこと。話通りに受け取るのであれば、平士はこれまでのことをある程度理解できていた。しかしそれらを踏まえても、最も大きな疑問がまだ不明なままだった。
平士は少しばかり口を噤んだ後、覚悟を決めて問いかける。
「娯楽の神は、ゲームの世界に俺を転生させて、何がしたいんだ?」
娯楽の神はよくぞ聞いてくれたとばかりに、大きく口角を上げていた。
「君にはね、この世界でハンターとして生きてほしいんだ」
「……、それだけ?」
「『それだけ?』じゃないよ! 地球で安全な生活を送ってきた君からすれば、ここはとても過酷な世界だと思うよ?」
確かに真っ当な指摘ではあった。しかしそんなことを言う娯楽の神は、平士を転生させた張本人であるにもかかわらず、悪びれる様子がない。
「いやお前……。お前が! 転生させたんだろうが!」
思わず噛み付く平士であったが、娯楽の神は平然と話を続ける。
「私はね、ハンターズライフが大好きなんだよ。個人的にビビっときた一本って言うのかな。でも何十万時間もプレイしてると、流石にちょっと飽きてきたんだよね」
「ええ、神様なのにゲームなんかしてたのか?」
神の発言とは思えない俗物さに困惑する平士。
「ん、いや何十万?」
加えてハンターズライフは二年前に発売されたゲームだ。平士からすれば、何十万時間も遊ぶというのも、それでいて飽きるのがちょっとというのも、物理的、心情的に不可解な話だろう。
そんな平士に対し、娯楽の神は口角を上げると人差指を立てて諭すように口を開く。
「発売からどれくらい経ったかなんて、高次元に住む私には関係ないからね。そもそも今が元居たあっちの世界からどれだけ時間が経ってるかとかさ、考えるだけ無駄だよ」
「ああ、まあそうなのか?」
平士はそれもそうかと半ば諦めと共に納得しつつ、改めて遠いところに来てしまったのだと実感する。
「まあ、そんなわけで少し困ってたときにこの世界を見つけたんだ。それで思ったんだよ、この世界をゲームに見立てて観察して楽しもうって。シミュレーションゲームみたいな感じでさ!」
新しい遊びを披露する、無邪気な子供のような娯楽の神。それを見た平士は、彼女の性質が自分とは根本的に異なることを理解した。
「お前、人の命をなんだと……」
「でも君死んでたし。このゲーム好きそうだったし? それに私はあくまで眺めたいだけなんだ。この世界の人たちを使ってチェスをする気はないよ!」
説明はしきったとでも言わんばかりの態度を見て、追及を諦める平士。
「お前今、最高に神って感じだよ」
「それはどうも。さて、それじゃあそろそろスタートしてもらおうかな」
娯楽の神はおもむろに立ち上がると、平士を指差す。
「えい」
「ん? うおっ」
平士は突然腰に荷重を感じ、驚きと共に視線を下す。そこには小さなウエストポーチがついていた。
「おっこれは?」
得意げに顎をしゃくる娯楽の神に促され、平士はポーチの中を確認する。
入っていたのは木製の容器に詰め込まれた薬のような物や、茶色い紙に包まれた保存食らしき肉の塊。小さな巾着にはご丁寧に路銀と思しき硬貨まである。それらはまさに、平士の知るゲームの初期アイテムであった。
「これで良し! ハンターになるため山からやってきた、ヘイジ少年十五歳の完成だ。原作通りだね!」
腰に手を当てて笑う娯楽の神は、どこまでも現実感が無く楽しげだ。
「なあ、俺本当にここで生きていくのか?」
ゲーム通りとは言え、新天地での門出に持つには軽すぎるポーチに渋い顔を向ける平士。しかし娯楽の神は取り合おうとしない。
「もちろんだとも! 簡単に死んでくれるなよー。それじゃあつまらないし、同じゲームを愛する同志として、君のことは悪からず思っているんだ」
娯楽の神は両手で平士の背中を押し、ぐんぐんと森の入り口まで連れていく。
「それじゃあまた会う日まで! あそうそう、まるっきり原作ままってのもつまらないだろうから、少しスパイスを加えといたよ。じゃ、頑張ってね!」
「お、おい押すなって」
畳み掛けるように言う娯楽の神に、なおも不満を述べようと振り返る平士。
「えっ」
しかしそこに娯楽の神はいなかった。慌てて見回すも、視界に入るのは神殿と森ばかり。
「ちくしょう。何なんだよ……」
突然一人になった平士は、眉根をよせて天を仰ぐ。そこには変わらず巨大な月が浮かんでいた。
ゲームの知識に準ずるならば、ハンターは死と隣り合わせの職業である。平士とて、なれと言われて素直に頷けるものではない。
とは言えこの世界について、ゲームを通して最も知っているのはハンターに関連することであるのも事実。というより、それ以外のことはほとんど知らない平士であった。ゲーム内でもフレーバーテキストとして語られる程度だったので、仕方のないことだろう。
「異世界に神様なあ。ハンターになるしかないのか……」
平士は娯楽の神との会話を思い返す。その強引なやり取りに、平士は大いに不満があった。しかし同時に、彼女を嫌いになれないという妙な好感も抱いていた。
娯楽の神の言う親しみやすい姿とは、平士の心証にも影響を与えるものだったのかもしれない。
始めから娯楽の神の手のひらの上にいるようで少し気分が悪い平士だったが、今後のことを考えなければならない。いつまでもここにいるわけにはいかないのだ。
「転生って。本当に死んだんだな」
こんなことを考えても仕方ない。そう思いつつも、平士は思考を止めることができない。忙しい生活、切り詰めた睡眠、消えない疲労。体を酷使している自覚はあった。
「過労死かあ」
そう口にすると、平士の脳裏に家族や同僚の顔が浮かぶ。地球の自分はどうなってしまったのだろう。どうしようもない不安や申し訳なさが押し寄せる。
「主人公のようなハンター生活って。そんなのできるのか?」
ゲームの主人公であれば、いずれ強力な力を手にして英雄にもなれるだろう。
平士は徐に頬を抓ってみる。
「痛いよなあ」
しかしゲームと現実は全く違うのだ。ゲームの主人公の様な活躍など、命がいくつあっても足りないだろう。
目をそらしていた不安が急に平士へと襲い掛かった。特獣が平然と生息しているのならば、生きるだけでも大変だろう。
平士はふと周囲を見回す。風の無い森は不思議なほど静かなもので。音らしきものは時折聞こえてくる、耳馴染みの無い鳥の鳴き声くらいだ。
「はあ、街行こ」
物寂しさに襲われた平士は暗いイメージを振り払うように、誰に言うでもなくそうこぼした。
このゲームを長時間遊んできた平士にとって、最初の街までの道のりはよく知ったものだ。平士は少し不安げに神殿を一瞥した後、努めて気合十分といった風に歩き出すのだった。
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