第2話 転生した!

「……ッ!」


 薄暗い中、床の上に横たわっている男が目を覚ます。しばしぼんやりとした後、ゆっくりと体を起した男の名前は大淀平士。


「……?」


 平士は胸に手を当てて首を傾げる。目覚める前に何かとても苦しい思いをしたような気がしたのだが、今は妙にすっきりした気分であった。


 視界の端に明るい光が差し込んでいることもあって、大分寝過ごしたのは間違いないだろう。


 平士は最近あるゲームに熱中しており、長時間の睡眠をとったのは久しぶりのことであった。


 寝すぎで時間を無駄にしてしまったな。などと少し悔やみながら周りに目を向けたところで、平士は固まった。


「あぇ、何処ここ。い、家は?」


 平士の目に入るのは、苔むした白い石壁やツタが巻き付いた立派な石柱、一部崩れて光が差し込む天井。まるで神殿のような光景は明らかに自分の自室からかけ離れており、平士はそれ以上の言葉が出なかった。


 焦ったように視線を泳がせながら、ゆっくりと立ち上がる。よく見れば足元も石床で、そこら中がひび割れ、草花が顔をのぞかせている様子は廃墟のようだ。


「あれ、ここって。いや、確か昨日はぁ。あれえ?」


 異常事態で頭が冴えてきた平士が、寝る前のことを思い出そうとしていると、


「あ、起きた」

 背後から突然、女性の声が聞こえた。


 自分以外に誰かいると思っていなかった平士は、驚きと共に振り返る。


「おわっ。ええと、どちら様でしょうか……。えっ、本当に誰?」


 訳もわからずパニック気味の平士は、とりあえず丁寧に接しようとするも、すぐに素が出てしまった。とは言え、それも無理のないことかもしれない。


 平士の視線の先に居るのは、だぼっとした黒いTシャツにショートパンツ姿の、色白で華奢な少女だった。艶のある長い黒髪の頭頂には大きなゲーミングヘッドセットが乗っかっている。


 そして、


「おはよう大淀平士君。そして、ようこそ我が世界へ」


 などと、苔むす石床に置いた座布団に胡坐をかき、ノートパソコンから顔を上げて言うのだった。


「……」


 平士に向けられた顔はやけに得意げで、それに呼応するかの様にヘッドセットからは虹色の光が迸っている。


「どうしたんだい、固まっちゃって」


 少女の眼鏡越しに光る黒い瞳が、面白いものを見るように細められる。平士はしばし呆然としてしまったものの、他に縋れる人も居ないので慌てて口を開く。


「い、いえ。あの、自分なんか気付いたらここに居まして……。ここってどこなんでしょうか。というか俺のこと知ってるんですか?」


 畳み掛けるように聞いてしまう平士に対し、少女は頬を釣り上げて口を開く。


「そうとも! 安心したまえ、全部教えてあげるから!」


 そう答える彼女はなんとも芝居がかった風であったが、平士は意外に何とかなりそうだと胸を撫で下ろす。


「私は娯楽の神! ここは異世界で、君は転生してきたんだよ!」


「ちょっと待て、待ってください」


 とても何とかなりそうな雰囲気ではなかった。


「まあまあ落ち着きなって。君も座ったらどうだい」


 自称娯楽の神がそう言うと、コミカルな破裂音とともに彼女の正面に座布団が現れる。


「うわっ」


 突然のことに素直に驚く平士。娯楽の神を自称した少女は、ニヤニヤと楽しそうに平士を眺めていた。


 自分のリアクションに少し恥ずかしさを覚えた平士は、黙って座布団に座り込む。一応話を聞くことにしたようだ。


「んんっ。それで、どういうことなんですか?」


「よし、順を追って説明しよう。ところで私に敬語は必要ないよ。普通の感じでいい」


「はあ。それじゃあ、まあ」


 なんとも言えない反応をする平士。初対面なので敬語を選んでいた平士だったが、フランクで年下そうな彼女に敬語は必要ないのではとも思っていた。娯楽の神とやらの威厳はいいのかとも思っていたが、キラキラさせた目を平士に向けながら、ヘッドセットを七色に激しく光らせる姿を見て諦めた。


「まず私は娯楽の神ね」


「えぇ、ホントかなぁ?」


 全力で疑念を表す平士。神というには威厳が感じられないので仕方のないことだ。


「なんか腹立つねキミ。でもさっき座布団出して見せたでしょ。あんなの人間技じゃないよね!」


「んまあそうかもだけど、手品という線も……」


「そもそも威厳が無いだなんて酷いな。それに君、私のこと年下って思ってるでしょ。でもほら」


「えっ」


 見透かされて驚く平士の前に、いつの間にか鏡が浮かんでいる。


「ぱっと見、私と同年代だと思うな。まあ私は神だけど」


「うわっ何これ!」


 彼女の神アピールをスルーして、食い入るように鏡を見る平士。そこに映っているのは、これと言って特徴の無い黒い短髪に、これと言って特徴の無い濃い褐色の瞳。やや白めの肌に活力が感じられない見覚えのある顔。


 しかし平士の記憶にある自分の姿を、十年ほど若返らせたような少年の姿であった。視点の高さは変わらないため、身長は百六十五センチ程だろうか。服装は普段の寝間着ではなく、ゴワゴワしたシャツとズボンになっている。


「本当に俺の体……?」


 平士は自身の頬を抓り、口を開閉し、頭を揺らす。それに対し鏡に映る若かりし頃の平士も、寸分違わぬ動きで答えていた。


「うわぁ……」


「もういいかい? 私神だから」


「あっうん」


 自身の予想外の変化のインパクトが強く、流されるように受け入れてしまう平士。


「でも、神様という割には随分と俗っぽい格好だな。特にヘッドセットと眼鏡って……」


「眼鏡じゃなくてゲーミンググラスだよ。分かってないなあ」


「めんどくさいなコイツ」


「まったく……。これは君が親しみやすいような姿を選んであげてるんだよ。マイブームってのもあるけどさ」


 平士は内心で、絶対に後者が本音だろ、とぼやくが黙っておく。幸い娯楽の神には悟られなかったようで、何も言われなかった。


 とは言え娯楽の神が平士向けに姿を調整していることは事実であった。本来生きる次元の異なる平士に、彼女が接触するには必要なことなのだ。


 平士としても、名状し難いクリーチャーなどが出てきても困るので、こういうものだと受け入れた。


 娯楽の神は納得した様子の平士を見ると、満足そうに話を続ける。

「次はここが異世界って話ね」


「異世界って……」


 ここが異世界であるというのはあまりにも突飛な話である。平士が抱くのは懐疑よりも困惑であり、信じる信じない以前の問題であった。


「まあこれは見た方が早いよ。外に出よう」


 娯楽の神は立ち上がると、閉じたノートパソコンを小脇に抱えながら歩き出す。慌ててついていく平士に彼女が語り掛ける。


「それもただの異世界じゃないんだよ。ほら」


 そうして建物の外に出た娯楽の神は得意げに、平士に空を見るよう促す。


「……」

 楽しげな娯楽の神と対照的に、平士は目に入った光景に硬直してしまった。


 太陽は高く昼間であるにもかかわらず、空には巨大な月が浮かんでいたのだ。青白く霞みながらも圧倒的な存在感を放つそれは、地球の月とは比べ物にならないほど近くにあることが窺える。


 平士はあまりに非現実的な光景にあんぐりと口を開けていたが、すぐに考え込むように俯いた。


「それにほら、後ろの建物も」


 娯楽の神に促されて平士が振り返って見た建物は、やはり神殿のように見える。


「……。やっぱりこれって……」


 森に囲まれた小さな広場にそびえる神殿は、あちこちがひび割れ、ツタに覆われている。悠然とそびえる無数の石柱。その一本一本が、平士がかつて訪れた有名な神社の神木ほどもあった。


 人の管理の手を離れて久しいことを感じさせるが、石材そのものは荘厳な白さをたたえ色褪せた様子がない。


 平士には、頭上の月にも目の前の建物にも見覚えがあった。


「ハンターズライフで見た景色だ……」


 ハンターズライフとは、架空の世界でハンターとなり、剣や魔法を使って特獣と呼ばれるモンスター達と戦うゲームだ。平士が今最も熱中しているゲームでもある。


 まじまじと建物を見てみるが、平士の記憶にある、ゲームのスタート地点となる神殿そのものであった。


 正直なところ平士は最初に内装を見た時も、なんとなく似てるなあ、と少し思っていた。


 しかし知らない場所で目覚めて、第一印象が「ゲームのあそこに似てる!」ではなんとも緊張感がない。平士はそう思って頭の片隅に追いやっていたのだが、眼前の景色を見てしまうとそうも言っていられなかった。


「そうだよ。ここは地球があった場所とは異なる世界。そして、君が大好きなゲームの世界なんだよ!」


 曇りの無い満面の笑みで、娯楽の神は笑うのだった。

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